オールラウンダーのサッカー選手・ユングベリ(リュングベリ)
1977年4月16日生まれ。
元スウェーデン代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード、セカンドトップ、ウイング、トップ下、サイドハーフ、センターハーフなどを務めたオールラウンダーだった。
フィジカルの強さ、運動量、圧倒的な加速力を武器とした攻撃的なスタイルを特徴とし、キャリア全盛期には欧州最高峰のアタッカーとも評された。
日本では2011年に清水エスパルスでプレー。
それまで「フレドリク・リュングベリ」、「リュンベリ」等とも表記されてきたが、「フレドリック・ユングベリ」としてJリーグに正式登録された。

ユングベリ(リュングベリ)
12歳で地元クラブで才能を開花させたユングベリ(リュングベリ)
1989年に12歳で地元のハルムスタッドBKの下部組織に加入。1994年10月23日のAIKソルナ戦でトップチームデビューを果たした。
1995年シーズンはリーグ戦31試合に出場して1得点を挙げ、チームはスウェディッシュ・カップを獲得。
1997年にはアルスヴェンスカン優勝を果たし、ハルムスタッドBKでは公式戦通算139試合に出場して16得点を記録した。
プレミアリーグ・アーセナルFCでの活躍!!
ユングベリ(リュングベリ)といえば、プレミアリーグの強豪アーセナルFCでの活躍が思い起こされる。1998年に移籍金300万ポンドでアーセナルに引き抜かれたユングベリ(リュングベリ)。当時のスウェーデン人選手史上最高額であり、鳴り物入りでの入団だった。
途中出場したマンチェスター・ユナイテッドFC戦で初得点を決め、デビュー戦を3-0の勝利で飾った。
また、この頃のアーセナルは、1996年にJリーグ・名古屋グランパスからやってきたアーセン・ベンゲル監督のもと、生まれ変わっている最中でもあった。

ユングベリ(リュングベリ)
ベンゲルは新たな戦術、トレーニング法、食事制限や禁酒の徹底などを導入すると同時に、イングランド人を補完する形で外国人選手を積極的に獲得していく。
ユングベリ(リュングベリ)に関してもその一例と思われ、その後、新たな力を得たチームは華麗なパスワークを武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わった。

名将として知られるアーセン・ベンゲル監督
チームはベンゲル体制で数々の栄冠を手にしていく。
ユングベリ(リュングベリ)移籍前の1997-98にクラブ史上2度目となるリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成。
ユングベリ(リュングベリ)が移籍してきてからも、1999-00にはUEFAカップ準優勝、更に2001-02には3度目のダブルを果たすなど全盛期を迎えた。
ユングベリ(リュングベリ)は、2001年のFAカップ決勝でリヴァプールFCと対戦し、イングランド国外の選手として初めて同大会決勝での得点を記録したが、試合には敗れて準優勝に終わった。
また、2001-02シーズンは最高のコンディションを維持し、プレミアリーグとFAカップの2冠を達成した。FAカップ決勝ではチェルシーFCと対戦し、史上初めて2年連続で同大会決勝での得点を記録した。
ちなみに、2003-04シーズンのアーセナルは、シーズンを通じて一度も負けることなくプレミアリーグ優勝を果たし、このチームは「The Invincibles(無敵のチーム)」と讃えられた。その後49戦無敗を続け、この記録は未だに破られていない。

ティエリ・アンリ(左)とユングベリ(リュングベリ、右)
2005-06シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで初めて決勝に進出し、怪我を押してFCバルセロナとの試合に出場した。試合は敗戦し、優勝を逃した。
2008年にはアーセナルFCのファンが選ぶベストプレーヤーの11位に選ばれた。

数々のタイトル獲得に貢献!
スウェーデン代表でも活躍!
1997年1月24日、フロリダ州オーランドで行われたアメリカ戦でスウェーデン代表デビュー。
初得点は1998年5月28日、マルメで行われたデンマークとの親善試合だった。
2002 FIFAワールドカップでは腰の故障で目立った活躍ができなかったが、2004年のUEFA EURO 2004は準々決勝まで全試合にフル出場した。

スウェーデン代表で活躍!
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では大活躍した。
スウェーデンを代表するストライカーのズラタン・イブラヒモビッチをはじめ、ヘンリク・ラーション、そしてユングベリ(リュングベリ)の3人でチームの3分の2のゴール数をたたきこみ、本大会出場に貢献した。
本大会では準々決勝で敗退したが、全試合に出場して1得点を決めている。
スウェーデン代表として最後の試合は2008年6月18日のUEFA EURO 2008グループリーグ・ロシア戦であった。6月27日、10年に及ぶ代表生活から退くことを発表した。
ナイキのCMで小野伸二と共演!
ユングベリ(リュングベリ)は2001年頃に、NIKEのCMで当時日本代表だった小野伸二と共演している。
地下鉄のホームで両者が超絶テクを駆使しながらサッカー対決するといった内容。
映像は当然合成などの処理が施されているとは思うが、彼らならこの位出来てしまいそうと思ったものである。
この約10年後、Jリーグの清水エスパルスで、両者がチームメイトになるとは予想もしなかった。
DFオロフ・メルベリとは犬猿の仲
チームメイトのDFオロフ・メルベリとは犬猿の仲として有名。
2002 FIFAワールドカップ開幕前に行われた公開練習で、オロフ・メルベリがユングベリ(リュングベリ)に対して荒っぽいタックルを仕掛けたことから喧嘩になった。
ふたりはチームメイトによってすぐに引き離されたが、それ以来の彼らの仲は険悪になった。
また、2006 FIFAワールドカップのトリニダード・トバゴ戦の引き分け後にも、彼らの間で非常に激しい口論があったという。

険悪過ぎるふたり・・・。
上記のように熱くなる部分もあったユングベリ(リュングベリ)。
彼は頻繁に髪型を変えることでも知られていた。アーセナル時代の赤毛が懐かしい。
また、カルバン・クラインの下着モデルを務めるなど、イケメンサッカー選手としても有名だった。