クロアチアの英雄・ボバン!
ズボニミール・ボバン(ズヴォニミル・ボバンとも)。クロアチア・イモツキ出身。
1968年10月8日生まれ。
高いスキル、戦術眼とキャプテンシーを持ち祖国を愛するサッカー選手だった。
クロアチアの「英雄」とも呼ばれている。
【個人データ】
身長:183cm
ポジション:ミッドフィールダーはレジスタ(いわゆる司令塔)
ズボニミール・ボバン
ザグレブでプロデビューするも、暴動での暴行行為でワールドカップを棒に振ってしまう!
ボバンはユーゴスラビアの名門クラブで、1999年には日本のキングカズこと三浦知良も所属していた「ディナモ・ザグレブ」でプロデビューした。
19歳にしてキャプテンを任されるなど、順調な選手生活をスタートさせた。
しかし、1990年5月13日の「1990年ディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラード戦での暴動」で出場停止処分を受けてしまう。
ザグレブ時代のキングカズこと三浦知良
クロアチアとセルビアの対立を背景にしたディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラードの試合で起こった暴動時に、セルビア側の警官隊と乱闘を起こし、飛び蹴りを喰らわせてしまい、9か月間の出場停止処分を受けて、ワールドカップ・イタリア大会を棒に振ってしまった。
飛び蹴りについては後に「サポーターを守ろうとした伝説的なジャンプ」と美化され、ザグレブの公式サイトに掲載された。ここにボバンを「英雄」とする理由がある。
警官隊と揉めているファンを助けようと止めに入るボバン
ボバンは欧州選手権予選からユーゴスラビア代表に復帰。
1991年5月13日のフェロー諸島代表との一戦で得点を記録した(フェロー諸島戦でクロスを足で流し込み得点)。しかし、この試合がユーゴスラビア代表としての最後の試合となった。
時は遡るが、1989年に行われた親善試合のブラジル戦で、ボバンは後半途中から出場を果たす。
この時にストイコビッチ、サビチェビッチ、プロシネチキと中盤を組み一緒にプレーした。
そして、当時のユーゴを代表する4人のテクニシャンが一堂に会したのはこの試合だけである。
1991年、セリエAの名門「ACミラン」へ
ACミラン時代のボバン
1998-1999シーズン。
後に日本代表監督を務めることになるアルベルト・ザッケローニを監督に迎えたACミラン。
過去2シーズン、優勝から遠ざかっていたチームは、ボバンの背番号を20番から10番に変え、彼をひとつの軸としてチーム作りを行っていく。
シーズン序盤こそ苦しんだボバンだったが、いわゆる典型的な10番のポジションでプレーするようになってからは、躍動しファンタジックなプレーをみせた。そして、攻撃陣を牽引し、スクデット(優勝)獲得に貢献した。
ACミランの10番!
2001年まで在籍したACミランでは、UEFAチャンピオンズカップ優勝と4度のスクデット制覇をミランにもたらした。
178試合出場し、21得点を挙げた。
1998年フランスワールドカップで活躍し、3位入賞の原動力に!
クロアチア代表のボバン