The Allman Brothers Band
The Allman Brothers Band
オールマン・ブラザーズ・バンドは、1969年にギタリストであるデュアン・オールマンが中心となり結成。ツイン・リード・ギターとツイン・ドラムスという特徴あるバンド構成でブルースをベースとしたサザン・ロックの基礎を築き上げました。
長いインプロビゼーションなど、独自のサウンドを誇っています。
メンバー構成は、
グレッグ・オールマン(ボーカル、オルガン、ピアノ)
デュアン・オールマン(リードギター、スライドギター、アコースティック・ギター)
ディッキー・ベッツ (リードギター)
ベリー・オークリー(ベース)
ジェイ・ジョハンソン (ドラムス、コンガ)
ブッチ・トラックス (ドラムス、ティンバレス、マラカス)
いづれも素晴らしいミュージシャンですが、なかでも初代リーダーを務めたデュアン・オールマンのスライドギターによる即興演奏は、数多くのミュージシャンに多大な影響を与えました。
Duane Allman
デュアン・オールマンは、マッスルショールズのスタジオ・セッション・ギタリストとしてアレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケットなどのレコーディングに参加し徐々に名を上げていきます。
同時にブッチ・トラックス、ディッキー・ベッツ、ベリー・オークリー、ジェイ・ジョハンソン等とセッションを繰り返しており、弟のグレッグ・オールマンを参加させたことでオールマン・ブラザーズ・バンドが誕生します。1969年3月のことです。
ファースト・アルバムは同年11月に「オールマン・ブラザーズ・バンド」として発売されました。
オールマン・ブラザーズ・バンド
70年代を前に、まさにサザン・ロックの幕開けを告げる本作。 基本的にはブルースですが、その泥臭く豪快なサウンドは唯一無二のもの。
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素晴らしいアルバムではありますが、全米188位とセースル的には厳しい出だしとなりました。
Idlewild South
ライブでの定番曲「エリザベス・リードの追憶」は、1970年に発売された2枚目のアルバム「アイドルワイルド・サウス」に収められています。
本作はチャート・アクションこそ最高位全米38位と大ヒットとまではいかなかったものの、「エリザベス・リードの追憶」をはじめ収録曲は粒ぞろいです。
シングル・カットされた「リヴァイヴァル」は全米92位となっています。
アイドルワイルド・サウス
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ライブでデュアン・オールマンのプレイを目にしたエリック・クラプトンが自身のバンドであるデレク・アンド・ザ・ドミノスのレコーディング参加を要請し実現したのが名盤の誉れ高い「いとしのレイラ」です。
デュアン・オールマンは、14曲中11曲で素晴らしいリード及びスライドギターを演奏しています。
胸を鷲掴みされるようなデュアン・オールマンのスライドギターが最高です!
At Fillmore East
オールマン・ブラザーズ・バンドの代表作である「フィルモア・イースト・ライヴ」は1971年に発売され、2枚組のライブ・アルバムであったにも関わらず全米13位のヒットとなりました。
フィルモア・イーストとは、ニューヨークで1968年から1971年まで存続していたロック系のライブハウスです。当時のロック界における重要なコンサートがいくつもこの会場で行なわれています。
そのフィルモア・イーストで、1971年3月12日から13日にかけて1日に2回ずつ公演が行われ、それら4公演の中から抜粋されたのが本作です。
フィルモア・イースト・ライヴ
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神がかりといってもいいほど素晴らしすぎる「フィルモア・イースト・ライヴ 」ですが、その成功から間もない1971年10月29日に、なんとデュアン・オールマンがオートバイ事故を起こし、僅か24歳という若さで他界してしまいます。
Eat A Peach
デュアン・オールマンの突然の死により制作途中であったスタジオ録音の新曲6曲に、1971年のライブ音源を収録した変則的な内容で1972年に発売されたのが「イート・ア・ピーチ」です。
アルバムタイトルはデュアン・オールマンがインタビューで「平和(Peace)のために何をしている?」と聞かれ「桃(peach)を食べている」と答えたことに由来しています。
イート・ア・ピーチ
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後任のギタリストを補充することなく、「イート・ア・ピーチ」は、ディッキー・ベッツが中心となって完成させています。
このことにより、以後、ディッキー・ベッツが新たなバンドのリーダーを務めるようになります。
Dickey Betts
しかし、新たな悲劇がオールマン・ブラザーズ・バンドを襲います。
本作の発売から1年も経たない1972年11月11日に、デュアン・オールマンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところでベリー・オークリーもオートバイ事故を起こし他界してしまったのです。
Brothers And Sisters
ベリー・オークリーがオートバイの事故で亡くなったのは、1973年に発売されたアルバム「ブラザーズ&シスターズ」のレコーディングの最中でした。
立て続けに起こった悲劇ですが、しかし、「ブラザーズ&シスターズ」は充実作であり全米初の1位を獲得するという大成功を収めています。
シングル・カットされた「ランブリン・マン」は全米2位、「ジェシカ」が65位とシングルでも好結果を残しています。
ブラザーズ&シスターズ
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この後、オールマン・ブラザーズ・バンドは1975年にアルバム「ウィン、ルーズ・オア・ドロウ」を発売します。セールスこそ全米5位となりゴールドディスクに輝いていますが、このレコーディング中に全メンバーがスタジオに揃うことが殆どなかったというほど人間関係はこじれていました。
結局、翌1976年にオールマン・ブラザーズ・バンドは解散してしまいます。
なんともあっけない幕切れとなってしまいましたが、オールマン・ブラザーズ・バンドがライブで聴かせてくれたインタープレイの素晴らしさは永遠に輝きを失うことはないでしょう。