
REOスピードワゴンってどんなバンド?
REOスピードワゴンは、1967年イリノイ州の大学生だった、ニール・ドーティ(keyboard)とアラン・グラッツァー(drums)が中心になって結成したバンドで、1971年のレコードデビュー以来2016年現在も現役で活動している、アメリカン・ロックバンドです。
ハードなリフと、爽やかな歌声と、キャッチーなメロディーで独特な世界観を表し、ヒット曲も多数あります。精力的なライブパフォーマンスの高さには定評があります。
バンドの名前の由来
1905年創業の自動車メーカー「レオ・モーター・カンアパニー」の1930年代に活躍した消防車「スピードワゴン」から取ったと言われています。

REOスピードワゴンの軌跡
1971年1stアルバム『REO SPEEDWAGON』発売。メンバーはニール、アランの他は、ゲイリー・リッチラス(Guitar)グレッグ・フィルビン(Bass)テリー・ルトゥレル(Vocal)の5人。泥臭いロックンロール中心のサウンドでしたが全く売れませんでした。その後ヴォーカルのテリーをトウモロコシ畑に置き去りにするという形で解雇しました。

新たにケヴィン・クローニンが加入して、2ndアルバム『REO/TWO』を発売。ケヴィンの影響か、曲調が若干ポップで聞きやすい感じになります。しかしすぐに、ヘヴィーな音を目指すゲイリーとアコースティックなサウンドを重視するケヴィンが対立し、1作のみでケヴィンが脱退します。
1973年ヴォーカルにマイク・マーフィーを迎えて『RIDIN' THE STORM OUT』1974年に『LOST IN A DREAM』1975年に『THIS TIME WE MEAN IT』の3枚のアルバムを発売しましたが、ほとんどヒットしませんでした。
その後マイク・マーフィーが脱退し、ケヴィンが再加入します。1976年『REO/キーププッシン』を発売し、年間300日にも及ぶ全米ツアーを開始します。「ライブには客は入るけどレコードは売れないバンド」というあまりありがたくない評判を手にするようになります。
そして翌1977年、ツアーの模様を収めた2枚組みのライブアルバム『REOライブ~嵐の中へ』を発売。ようやく少し話題にはなりますが今度はベースのグレッグが脱退してしまいます。そして、かつてからバンドと親交があった、ブルース・ホールが加入し、これでいわゆる黄金期のメンバーが揃うことになります。
1978年『ツナフィッシュ』発売。初めてアルバムが全米トップ40に入ります。また業界紙で「観客動員数No.1バンド」に選ばれます。1979年『ナイン・ライブス』発売。
そして1980年運命のアルバム『禁じられた夜』が発売されます。シングルカットされた「キープオン・ラヴィングユー」が全米No.1になり、アルバムもジョン・レノンの遺作『ダブルファンタジー』を抜いて全米No.1になり、その後4ヶ月余にわたって1位を守り続け、1000万枚以上売上るメガヒットになりました。
売れなくても評判にならなくても、毎日ライブを積み重ね、デビューから苦節十年で勝ち得た、正にアメリカンドリームです。
その後順調に「テイクイット・オンザラン」「涙のレター」とシングルヒットを飛ばし、1982年に12枚目のアルバム『グッドトラブル』を発売、 「キープ・ザファイヤー・バーニン」がヒットし、1984年には『ホイールズ・アー・ターニン』を発売。「涙のフィーリング』が1ヶ月間全米No.1の大ヒットになりました。
1987年には『人生はロックンロール』を発売、「偽りの愛」などがヒットしましたが、時代の流れと共に、ロックバンド色のサウンドから、軽めのシンセサウンドの比重が多くなってきて、長年バンドの屋台骨を支えてきた、アランとゲイリーが脱退していしまいます。
そして、元テッド・ニュージェント・バンドのデイヴ・アマト(Guitar)、元ワンチャンのブライアン・ヒット(Drums)、2人目のキーボードとしてジェシー・ハームスを加え6人編成として、1990年『ジ・アース・ア・スモールマン・ヒズドッグ・アンド・ア・チキン』を発売するもパッとせず解散してしまいました。
しかし1992年、ニール、ケヴィン、ブルース、デイヴ、アランの5人で再結成を果たし、1996年 『ビルディング・ザ・ブリッジ』、2000年『アーチ・オールライズ』(STYXとのライブアルバム)、2007年『ファインド・ユア・オウンウェイホーム』を発売し、現在もライブを中心に活動しています。
REOスピードワゴン現在のメンバー
ニール・ドーティ(Piano・Organ・Synth)1946年インディアナ州生まれ。唯一の創設メンバー

ケヴィン・クローニン(Vocal・Guitar・Piano)1951年イリノイ州生まれ。1972年加入73年脱退76年再加入。多くの曲を手がけています。

ブルース・ホール(Bass・Vocal)1953年イリノイ生まれ。1978年加入ですが、1974年の「Lost In A Dream」を作っていました。曲によってはリードヴォーカルもとります。

デイヴ・アマト(GUitar)1953年マサチューセッツ生まれ。1989年加入。ハイトーンのコーラスでサウンドに厚みをもたらしています

ブライアン・ヒット(Drums)1954年テキサス生まれ。1989年加入。

REOスピードワゴンの魅力とは?
REOスピードワゴンの魅力の一つとして、「ハードなロックなのに爽やかな印象」という点があります。これにはまず、ケヴィンの声質の影響が大きいでしょう。REOは3人のリードヴォーカリストがいましたが、聞き比べてみるとわかると思いますが、他のヴォーカルの場合は普通に骨っぽいロックバンドという印象で、ケヴィンがヴォーカルだと、途端に「REOだ!」という印象になるのです。好みの違いなどあるかと思いますが、一瞬聞いただけでどのバンドの音がわかると言う事は、バンドにとって大きな武器でしょう。
そしてバンドのアンサンブルがシンプルでしっかりしています。ハードなサウンドの中にアコギや生ピアノがうまく溶け込んでいて、独特の爽快感を生んでいます。
ケヴィンとリッチーの作る曲も、ポップであざとくなくシンプルです。これはベースの部分にロックンロールと50's・60'Sのポップスがあるせいでしょう。
REOの最大の武器であるライブもいたってシンプルです。過剰な演出もなく、ただひたすら演奏を聞かせ、曲を聞かせ「一緒に盛り上がろうぜっ」というスタイルのステージです。このように、曲もパフォーマンスも、シンプルでストレートな王道スタイルだという事が、広く長く受け入れられている要因なのでしょう。
訃報

全盛期のREOを支え、多くの作曲も手がけたゲイリーが、2015年9月に亡くなった事が、ケヴィンによって伝えられました。
Keep On Rolling
REOスピードワゴンはライブを毎日積み重ねて栄光を掴んだ王道のロックバンドです。
2016年現在も月に10回位のライブを精力的に行っています。
メンバーが全員還暦を越えたREOは、まだまだ現役で走り続けています。
