お風呂を楽しくしてくれたバスクリン
子供のころから慣れ親しんできた入浴剤といえば、誰もがバスクリンを思い浮かべるでしょう。
母親の「今日バスクリンいれてあるからね」の一言で、ついお風呂遊びが盛り上がってのぼせたなんて経験も懐かしいです。
疲れを感じる訳もない子供時代。あのバスクリンの色と香りが、お風呂を楽しくしてくれました。
バスクリンから想起されるイメージ
1982年、欽ちゃんが登場したポスター
あのケミカルカラー、当時だったらバスクリンかスライムといったところでしょう(笑
現在のように地中化が進んでいない排水溝、ケミカルカラーの排水で「お前ん家、昨日バスクリンだっただろ~!?」なんて子供の会話もあったのではないでしょうか。
バスクリン、そして津村順天堂
始まりは、津村順天堂の「浴剤中将湯」
くすり湯「浴剤中将湯」
株式会社バスクリンのエントランスにはいまも「くすり湯中将湯」の看板が
1930年、バスクリンが誕生
温泉成分をベースに色と芳香を加えた芳香浴剤「バスクリン」が誕生。
保温や発汗性に優れた「浴剤中将湯」に対して、「バスクリン」は夏用入浴剤として発売されたのだそうです。
1930年、発売開始当初のバスクリン缶
当時の広告①
当時の広告②
ちなみに津村順天堂創業者の津村重舎氏は宣伝好きな方で、宣伝には思い切ってお金をつぎ込んだそうです。
私たちの記憶にバスクリンが強く残っているのは、もしかするとTVなどで思い切ってCMを流してきた同社の姿勢が影響しているのかもしれませんね。
チンドン屋さんを使ったり着ぐるみ着たりなども
戦時中の物資不足などで一旦は生産中止も、1950年に再び生産開始
戦後はガラス瓶で再開