まずは超マルチタレントだった青島幸男のプロフィール
asahi.com:青島幸男さん死去 元東京都知事・意地悪ばあさん - 芸能一般 - 文化芸能

青島幸男(あおしま ゆきお)
放送作家本人が画面に登場する「青島だァ!」のギャグで一躍有名になる。大橋巨泉、前田武彦と並んで、放送作家出身のテレビタレントとして人気だった。
また、1966年には映画『鐘』で製作・脚本・監督・主演を担当し、同作はカンヌ国際映画祭の国際批評家週間に入選した。
1969年から放送の円谷プロダクション製作、大人向け特撮ドラマ『恐怖劇場アンバランス』では、ストーリーテラーとして全13回全てに出演している。

青島幸男主演 「意地悪ばあさん」

大人気曲「スーダラ節」の作詞も担当!

1981年小説 「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞!
都知事選の公約は「世界都市博覧会の中止」!
1995年、前述の通り、参議院議員を辞職し、東京都知事選挙に無所属で出馬した。
青島は、開発が進む臨海副都心地区で開催が予定されていた鈴木俊一都知事念願の世界都市博覧会の中止を公約に掲げ、石原や大前研一、岩國哲人、上田哲ら有力候補を破り、170万0933票を獲得して圧勝した。
また、石原の落選は、「国民の政党に対する不信感の表れ」のまさしく象徴的な出来事でもあった。

都知事当選が決まった青島幸男

青島、鈴木新旧知事の交替
世界都市博覧会 概要

東京大使
初志貫徹で、公約を守った青島幸男
世界都市博覧会中止を公約にした青島は、知事に当選してから初めて博覧会場を訪れ、かなり準備が進んでいることに驚いた。中止した場合、約1,000億円の損失が出ると事務局側は青島都知事へ伝えていた。開催を行うかどうかの決断は1995年5月31日までにしなければならなくなり、タイムリミットは迫っていた。
都知事の公約は貫徹されない、という観測が広まったが、青島都知事は全国の注目を集める中で都市博の中止を発表した。公約を実行するのが困難だと見ていた人々は「公約は公約でも本当に中止するとは信じられない」と衝撃が走った。青島は都市博の中止を、家族や知人と相談して決断したという。
1999年まで都知事を務めた青島幸男
1999年、任期満了で都知事の職を退任した。在任期間は1期であった。
この時、2期目への立候補に対して、判断は直前まで保留となっていた。
態度表明の記者会見の直前でも都政担当記者はおろか、ナンバー2である副知事でさえも退任するかどうかを知らなかった。
「ポスト青島」をめぐる1999年東京都知事選挙では、石原慎太郎が当選した。
都知事在任中は知事公舎に入居しており、退任後は江東区に転居した。

都知事の引き継ぎを終えて、握手をする石原慎太郎と青島幸男
2004年参議院選挙に出馬!その後、政界を引退
青島幸男 - フレッシュアイペディア

青島幸男
政治活動以外にも、1998年には絵画「循環」で二科展入選を果たすなど、本当にマルチな才能を発揮していた青島幸男。
また、90年代の青島はアメ横で購入したモッズコートを頻繁に着用していた。
テレビ局関係者が青島のモッズコートをドラマ「踊る大捜査線」の主人公の衣装とし、主人公の名前の由来ともなった。
ちなみに「踊る大捜査線」は「世界都市博覧会」と同じお台場が舞台であった。