イケメン力士『若島津』とは、
若嶋津 六夫(わかしまず むつお)
本名は、日高 六男(ひだか むつお)。昭和32年1月12日生まれ、鹿児島県熊毛郡中種子町出身の力士で、身長186.5センチ、 体重121キロ。二子山部屋所属。
最高位は、大関。
初土俵は、昭和50年3月、最終場所が、昭和62年7月。
改名歴は、日高 六男 → 若島津 六男 → 若嶋津 六夫
年寄名跡は、松ヶ根 六男 → 二所ノ関 六男
鹿児島の農家の六男として生まれた、若島津(本名は日高六男)は、実家で農業を手伝い鍛えた体で、鹿児島商工高等学校(現樟南高等学校)時代に水泳やマラソン、そして相撲部に所属し、鹿児島県代表として国体で団体優勝している。
また、鹿児島市立甲南中学校では同級生に歌手の長渕剛がいた。
初土俵から大関に昇進するまで
「南海の黒豹(クロヒョウ)」とよばれていた、イケメン力士『若島津』の人気
華麗な若島津 「天覧相撲」で千代の富士に勝利をおさめる
昭和57年1月、初場所と翌3月、春場所で、2場所続けて当時の大横綱・北の湖から「金星」を挙げる。その後は三役へ昇進して、「大関候補」の名乗りを挙げました。
昭和58年(1983年)1月場所で大関に昇進した若島津は、9月場所より四股名を若島津六男から若嶋津六夫に改名した。
時代はバブル、『若嶋津』の1億5000万円の化粧回し
昭和59年9月秋場所に綱取りに挑戦した若嶋津は、 西関脇1 大乃国、西前6 小錦 、 西前12 多賀竜、 西大関1 北天佑に敗れ、11勝4敗。優勝も横綱昇進もかなわなかった。
最盛期の昭和59年当時の若嶋津の身長は」188センチ 体重は122キロ。稽古に励み鍛えても、千代の富士のように筋骨隆々の体にはならなかった。