インテルのレジェンド!ハビエル・サネッティ!!
ハビエル・アデマール・サネッティ
1973年8月10日生まれ。アルゼンチン・ブエノスアイレス州出身。
178センチ、73キロ。
ポジションはディフェンダーもしくはミッドフィルダー。

ハビエル・サネッティ
アルゼンチンを代表するサッカー選手。
クラブチームとしては、日本代表の長友佑都が所属する(2016年7月時点)イタリア・セリエAのインテルのレジェンドの一人。
1995年に移籍してからは、現役を終えるまでインテル一筋だった。

インテルの背番号「4」は永久欠番!
選手としての特徴は、ユーティリティ性が非常に高く、左右両サイドのディフェンダー・ミッドフィールダーとしてプレーすることができた。アルゼンチン代表では右サイドバックを担当した。
その屈強さ、弾力性、スタミナ、右サイドバックを務めた時の攻撃性能などから、イタリアではイル・トラクトーレ(Il Tractore=トラクター、スペイン語でEl Tractor エル・トラクトルとも)と呼ばれる。

長友とも同僚だった!
ハビエル・サネッティの来歴
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アルゼンチン代表でプレー!
ハビエル・サネッティとは (ハビエルサネッティとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

モラッティ会長とサネッティ!
1997-98シーズンにはUEFAカップでの優勝に貢献。
決勝(ラツィオ戦)ではチーム2点目となるゴールを決めている。
1999年にはジュゼッペ・ベルゴミが現役引退し、サネッティがキャプテンを引き継いだ。
2000年にはリーガ・エスパニョーラの強豪レアル・マドリードへの移籍を考えたが、モラッティ会長と話し合ってインテル残留を決めた。

1997-98シーズン サネッティのユニフォーム

年齢を重ねて更に老獪さが増した!
ワールドカップとはあまり相性が良くない!?
ハビエル・サネッティとは (ハビエルサネッティとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

1998年フランスワールドカップでは、日本とも対戦!
出場した1998年のフランスワールドカップ、決勝トーナメント1回戦のイングランド戦では、前半終了間際にフアン・セバスティアン・ベロンのフリーキックから2-2となる同点ゴールを決めた。
2002年の日韓ワールドカップでは、死の組と呼ばれたグループで3位となってしまい、決勝トーナメントに進めずにアルゼンチンは姿を消した。

2002年日韓ワールドカップ
2000年代もインテルで活躍!
2005-06シーズンにはコッパ・イタリアで2連覇を達成。カルチョ・スキャンダルによってユヴェントスのスクデットが剥奪され、インテルが繰り上がりでリーグタイトルを獲得した。
2006-07シーズンにはリーグ戦で2連覇を達成。
2007年11月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催されたアタランタBC戦で、セリエA通算400試合出場を達成。
2009-10シーズン、セリエAで5連覇を達成。
UEFAチャンピオンズリーグでも順調に勝ち上がり、決勝ではバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)を2-0で破って45年ぶりの優勝を果たした。
決勝はインテルでの700試合目という節目の試合だった。キャプテンとしてビッグイヤーを掲げ、3冠を達成した。

サネッティはインテルのまさしくレジェンドだった!
ハビエル・サネッティの性格
敬虔なカトリックである。インテルでチームメイトだったウェズレイ・スナイデルとは親友であり、スナイデルはサネッティの影響でカトリックに改宗した。
音楽制作にも積極的で、「Parole parole」という曲をスペイン語でカバーした。
また、2012年には「インドネシアン・アイドル」に出演。
エロス・ラマゾッティの「Più bella cosa」という曲を生演奏した。

長友(背番号55)とサネッティ(背番号4)らが集まり、「お辞儀」パフォーマンス!
2014年に引退し、現在はインテルの副会長を務めている。