昔ながらの美味しいあんこ菓子
ご家庭ごとに呼び方が異なっていたかもしれませんが、私の家では「大判焼」と呼んでいました。
スーパーなどの店舗に併設されているのはもちろんのこと、お祭りの露天屋台で販売される場合も多く、私たち日本人になじみ深いお菓子ですね。

子供のころ、スーパーにお遣いに行くと帰り際に欲しくなったもんです
ガラス越しについ見とれていた人も多いことでしょう
このお菓子の呼び名には諸説あるようですが、誕生の由来からすると「今川焼」が発祥のようです。
今川焼
「今川焼」の由来にも二説
江戸時代中期の安永年間、江戸市内の名主今川善右衛門が架橋した今川橋付近の店で、桶狭間合戦にもじり「今川焼」として宣伝・発売し評判となりって広がったとする説が一つ。

当時の今川橋を描いた図画

ちなみに現在の今川橋付近
もう一つはいまの静岡県を指す駿河地方を治めた戦国大名、今川氏を由来とする説です。
私たちはどちらかというと、こちらを想起していたかもしれませんね。

戦国大名で知られる今川義元
明治時代には庶民のおやつとして大流行、「焼芋屋と今川焼がある限り銀座での西洋菓子の進出は困難」と言われるほどに、盛んに売られていたそうです。
そして、その人気が日本全国に届いて各地で食されるようになると、その形状や製法などから様々に呼ばれるようになったのです。
大判焼
全国各地で用いられている呼び名。
元々丸かった今川焼は後に楕円の小判型(大判型)も作られたそうです。
当時の形状から「大判焼」と呼ばれましたが、後には元の円盤状の物に回帰しても大判焼と呼ばれ続けているのだそうです。

大判焼
回転焼
回転饅頭とも呼ばれ、 いまの大阪府大阪市、堺市などを中心にして広まっていったようです。

回転焼
二重焼
おもに広島県を主とする中国地方で、この呼び名が広まっているようです。

二重焼
おやき
信州名物のおやきとは異なります。
この呼び名は、北海道、青森県、茨城県などの各地で使われているようです。

おやき
太鼓饅頭
太鼓まん、太鼓焼、太閤焼とも。
西日本各地や台湾などでも、この呼び名が使われているそうです。

太鼓饅頭
その他、展開する店舗や地域による名称
浅草焼(青森県)、あじまん(山形県ほか)、甘太郎焼、画廊まんじゅう(静岡市清水区)、義士焼、御座候(姫路市ほか兵庫県、大阪府など全国各地)、御紋焼(奈良県天理市)、しばらく(滋賀県長浜市)、志゛まんやき(じまんやき)(富士アイス系列店(全国各地))、人工衛星饅頭、ずぼら焼(和歌山県海南市)、巴焼、七越焼(富山市)、花見焼(埼玉県蕨市)、日切焼(愛媛県松山市)、びっくり饅頭(広島県呉市)、ヒット焼き(愛媛県新居浜市)、夫婦まんじゅう、フーマン、蜂楽饅頭(水俣市ほか熊本県、福岡県など九州各地)などなど、様々な呼称が存在しています。
下記サイトにも詳しく記されています。
二重焼き、その地方の呼び方
昔から変わらず親しまれている今川焼、アナタは何と呼んでいましたか?