日本最短で打ち切りになったアニメ作品『ドン・ドラキュラ』(放送:1982年) 担当広告代理店が倒産したため放送中止になった不幸な作品。

アニメ作品『ドン・ドラキュラ』(放送:1982年)
手塚治虫先生の同名漫画をアニメ化。なんと放送されたのはたったの4回で、「日本最短で打ち切りになったアニメ作品」といわれています。
放送1年前から制作が開始され、脚本は第21話まで完成していたものの、担当広告代理店が倒産したためにスポンサーを集められず、テレビ局への電波料未払いによって東京では第4話で終了している。地方によっては完成していた第8話まで放送された。
打ち切りが原因で放送期間が1か月にも満たないというケースは、テレビアニメ全体でも稀なケース。
打ち切り理由は作品の不人気によるものではないため、DVD化等はされています。

手塚治虫先生の漫画『ドン・ドラキュラ』
『まいっちんぐマチコ先生』 PTAの猛攻撃を食らい、広告主9社の不買運動などにも発展し、打ち切りに追い込まれた。

『まいっちんぐマチコ先生』(1981年10月8日・テレビ東京ほか)
毎回乳房の露出があるという性質上PTAなどからの苦情が多かった。1982年には京都で「マチコ先生に抗議する会」まで結成された。
原作者は、後に「友情の大切さを描いたつもりだったが、PTAの人達に理解してもらうことは難しかった」と語っている。
また「マチコ先生に抗議する会」結成と同時期に、近畿地方の放送局が広域放送局の読売テレビからテレビ大阪(大阪府域局)と奈良テレビ(奈良県域局)に放映権が移行したため、滋賀・京都・和歌山・兵庫の4府県では事実上放送が打ち切られた。
このような中、『マチコ先生』に対する抗議行動として学研の学習誌の不買運動に発展、学研としては『チャレンジ』での連載を打ち切ることにした。

「マチコ先生に抗議する会」の報告書
アイアンキングの第25話「アイアンキング大ピンチ!」で放送が打ち切られ、アイアンキングが東京を破壊しているところで放送終了・・・テレビ埼玉

第25話「アイアンキング大ピンチ!」はアイアンキングがタイタニアンに憑依されて東京を破壊し続けるシーンで終わるエピソードである。
テレビ埼玉の再放送で第25話「アイアンキング大ピンチ!」ここで放送が打ち切られた。
(最終回の26話だけでなく、他に第7話、第9話、第12話が未放映だった)
アイアンキングが東京を破壊して終わる・・・この酷い話がアイアンキングの最終回になってしまった人たちがいます。
ウルトラマンのような正義のヒーローが町を破壊して番組が終了?
あまりにも衝撃的なバッドエンディングにトラウマになってしまった人が続出したり、アイアンキングをウルトラマン系作品と勘違いして、酷いウルトラマンの最終回があるんだよ!という都市伝説になってしまった。

アイアンキングは非常に弱いヒーローですが、悪党ではありません。25話だけ敵に操られてしまいました。

静弦太郎(しずか げんたろう)は特撮史上、生身の人間で最強!
『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』 主演の「小沢なつき」が撮影を途中で放棄して降板という形で番組が終了。

『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』

小沢なつきは撮影を途中で放棄して降板という形で番組が終了。そのまま芸能界から引退となった。
小沢なつきは1989年には『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』で、テレビドラマ初主演を果たし、女優、アイドル歌手として活躍を見せていた。しかし、同作で撮影を途中で放棄して降板という形で番組が終了。そのまま芸能界から引退となった。
この引退について、マネージャーとの駆け落ちや子供の出産などが噂された。後年、出演したテレビ番組で小沢本人は、「忙し過ぎて訳がわからなくなり、マネジャーと駆け落ちまがいのことを計画したが、待ち合わせ場所に相手は来なかった」と、事態の背景を話した。
噂ではマネージャーと結婚して、子供も生み、離婚した・・・という話もある。
『エコエコアザラク』 「神戸連続児童殺傷事件」の影響により18話で打ち切りとなった。自主規制。

『エコエコアザラク』(1997年・テレビ東京)
佐伯日菜子演じる黒井ミサは最高のハマリ役と言われ、視聴率は深夜2時の放送としては異例の高視聴率を記録した。全26話。
テレビ東京版は「神戸連続児童殺傷事件」(1997年)の影響により18話で打ち切りとなったが、事件の犯人逮捕後に放送が開始されたテレビ大阪と地方局で番販された際は最終話まで放送された。

「神戸連続児童殺傷事件」(別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗事件』・1997年)による影響で猟奇シーンの含まれる番組が自主規制・自粛した。

佐伯日菜子演じる黒井ミサは最高のハマリ役。放送タイミングは不運でした。内容的に打ち切りはしかたがないです。
裏番組が強すぎて、視聴率競争に敗れる

「円盤戦争バンキッド」「ファイヤーマン」は、裏番組のサザエさんの視聴率の圧倒的な強さの前に、打ち切り。

『円盤戦争バンキッド』(1976年・日本テレビ系)

『ファイヤーマン』(1973年・日本テレビ系列)
「世界名作劇場」シリーズ中で唯一の打ち切り作品『名犬ラッシー』(放送:1996年)

「世界名作劇場」シリーズ『名犬ラッシー』(放送:1996年)
1年の予定のところを半年・全26話で終わってしまいました。
本放送の最終話(第26話)は、1996年8月25日に野球中継が雨天中止の場合に限り放送予定(いわゆる雨傘番組)だったが、晴れて野球中継が放送されたため未放送となった。
第26話は野球中継を想定して後日談的内容に制作されておりストーリーに直接関係はなく、第25話が実際の最終回になっている(初回放送では第25話の最後に「おわり」のテロップが挿入されており第26話の次回予告も放送されていない)。
これは『世界名作劇場』シリーズ中で唯一の打ち切り作品です。
かわいそうなラッシー・・・。
『ジャッカー電撃隊』 関連グッズが販売不振で売上高が設定ノルマに未到達・・・「スポンサー降板」で打ち切り・・・

『ジャッカー電撃隊』(1977年)
スーパー戦隊シリーズで唯一打ち切られた作品。ゴレンジャーとは打って変わったシリアス志向が受け入れられなかった。

『ジャッカー電撃隊』 テコ入れとして「ビッグワン」(演:宮内洋)を新たに起用するも・・・視聴率の上昇には繋がらず
番組スポンサーが突然倒産し、打ち切り。特に1973年と1977年のオイルショックの影響は大きかった。運が悪い作品。
『超攻速ガルビオン』(放送:1984年) メインスポンサーであった玩具メーカー「タカトクトイス」が倒産したため。

『超攻速ガルビオン』(放送:1984年)
放送途中にメーンスポンサーであった玩具メーカー「タカトクトイス」が倒産します。
このため、残念ながら第22話での打ち切りとなりました。
全国のファンから抗議の電話やハガキが国際映画社へと送られ、国際映画社側も泣く泣く謝罪せざるを得なかった。
『スーパーロボット レッドバロン』(1973年) 番組は成功していたが、メインスポンサーの「日本空気販売」の倒産。番組制作費の調達が困難になり、打ち切り。

『スーパーロボット レッドバロン』(1973年)
『小さなスーパーマン ガンバロン』(1977年) スポンサーだった「ブルマァク」が倒産、資金繰りが困難になり打ち切り。

『小さなスーパーマン ガンバロン』(1977年)
ガンバロンが「来週も見よう!」と呼びかけたまま打ち切られた。
運が悪い、不幸としか言いようがない作品。

『小さなスーパーマン ガンバロン』の筆頭スポンサーだった「ブルマァク」は1977年(昭和52年)10月、倒産。
ブルマァクは1977年(昭和52年)10月、倒産。
ブルマァクが筆頭スポンサーだった『小さなスーパーマン ガンバロン』は12月24日放送分で中途打ち切り、『合身戦隊メカンダーロボ』も同じく12月29日放送分で打ち切りとなった。
漫画版「突撃ヒューマン」の突然の最終回は2ページ(見開き)で終わり・・・「ドカッ(最後の敵を倒す)」「(応援ありがとう)さようなら」

漫画版「突撃ヒューマン」の最終回の1ページ目

漫画版「突撃ヒューマン」の最終回の2ページ目(最後のページ)・・・・・・最短最終回の大記録だ。
小学館の学年別学習雑誌にも漫画が連載されていたが、番組が1クールで終了したことや、ヒューマン1号の処遇が戦死から復活へと二転三転したことなどから、最終回は「2号がグランドフラッシャーを倒してヒューマン星に帰る」、「2号が単独でグランドフラッシャーを倒す」、「ダブルヒューマン最後の戦い」、「見開きによるヒューマン2号の紹介のみ」など、学年によって内容が異なっていた。

特撮番組『突撃! ヒューマン!!』は1クールで打ち切り。裏番組の『仮面ライダー』が強すぎた。

『突撃! ヒューマン!!』のヒロインは、「キャンディーズ」の田中好子(スーちゃん)だ。

田中好子(スーちゃん)はこの作品後、『8時だョ!全員集合』のアシスタントなどを経て、本格的なレコード・デビュー(1973年9月1日)とステップアップしていく。
『超人バロム・1』 敵の首領「ドルゲ」と同じ名前のドイツ人少年が日本の学校でいじめられた事件がきっかけで打ち切られた。

『超人バロム・1』

敵の首領「ドルゲ」

ドイツ人の少年「ドルゲ君事件」

ドルゲ君はドルゲ魔人でもありません。

このドラマに出てくるドルゲは架空の存在であり、実在の人とは関係がありません・・・

11月で打ち切りとなり、敵の首領「ドルゲ」やドルゲ魔人は姿を消した。
幻の作品『魔神バンダー』 開始当初に予定していた話数を終盤で減らして、残りの回に終盤の展開を詰め込むパターン。

幻の作品『魔神バンダー』

守護神バンダー

魔神バンダー
『宇宙Gメン』(1963年) 特撮番組初のスペースオペラとして注目されたが、あまりの不人気のために8話で撃沈。

『宇宙Gメン』(1963年) 特撮番組初のスペースオペラとして注目されたが、あまりの不人気のために8話で撃沈。
宇宙戦艦ヤマト(1974年)&機動戦士ガンダム(1979年)・・・今の人気からは考えられないが、本放映時、低視聴率のため打ち切られた。

宇宙戦艦ヤマト(1974年)
宇宙戦艦ヤマト(1974年)の本放送は視聴率が振るわず打ち切り終了した。宇宙戦艦ヤマトの裏番組『アルプスの少女ハイジ』が圧倒的に強かったことによる不利益も大きかった。
度々再放送が行われた影響で人気に火がつき1977年にテレビシリーズを再編集した劇場版が公開され、その後のアニメ・漫画作品に多大な影響を与えた。

機動戦士ガンダム(1979年)
機動戦士ガンダム(1979年)の放送当時は視聴率が振るわず、全52話の放送予定を全43話へ短縮せざるを得なくなったが、後に再放送や口コミによって評価が高まり、その結果、劇中メカニックのプラモデル(ガンプラ)の発売や劇場版で大ヒットを飾り、続編『機動戦士Zガンダム』が製作されることとなった。
今では30年以上続く人気ロボットアニメシリーズの原点となるに至っている。
『8マン』(エイトマン) 連載中に桑田次郎(現・桑田二郎)が拳銃不法所持による銃刀法違反で逮捕されたため、連載は急遽打ち切り

『8マン』(エイトマン)原作:平井和正 作画を行う漫画家:桑田次郎(現・桑田二郎)
連載中に桑田が拳銃不法所持による銃刀法違反で逮捕されたため、連載は急遽打ち切りとなった。
打ち切りとなった回(「魔人コズマ篇」最終回。1965年〈昭和40年〉13号)は、連載当時、桑田のアシスタントであった楠高治と小畑しゅんじが代筆している。
このため、「魔人コズマ篇」は単行本に収録されることはなく、長らく幻のエピソードとなっていた。ただし、読み切り作品としては、連載終了後も幾度か『週刊少年マガジン』と『別冊少年マガジン』に掲載されている。

テレビアニメ版『エイトマン』(1963年・TBS)
テレビアニメ版『エイトマン』の主題歌を歌唱した克美しげるが後に起こした事件により、テレビなどで主題歌が放送されない時期があった。

克美しげるは1976年、銀座の人気ホステスOを殺害、仮出所後、覚醒剤不法所持・・・
車田正美の打ち切りになった漫画『男坂』と『サイレントナイト翔』の最終話最終ページが凄い

車田正美の漫画『男坂』の最終話最終ページの「未完」の2文字が大書された見開き画面は、今では伝説となっている。

車田正美の漫画『サイレントナイト翔』の最終回の最終ページは、見開きで地球をバックに「NEVER END」と大きく描かれるという、かの『男坂』にも匹敵する衝撃のラストであった。