男性映画俳優・昭和の二枚目俳優の歴史(戦前から1960年代に活躍した俳優)46名

男性映画俳優・昭和の二枚目俳優の歴史(戦前から1960年代に活躍した俳優)46名

ハンサムなイケメン男性映画俳優・昭和の二枚目俳優を生誕順(1900年から1945年まで)で戦前から1960年代までに特に活躍した46名をおさらいしてみましょう。国内映画産業が黄金期だった頃のイケメン俳優たちは、やはり凄いかっこいいです。


阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう) 俳優の田村高廣、田村正和、田村亮の父親

阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう、1901年(明治34年)12月14日 - 1953年(昭和28年)7月7日)は、日本の歌舞伎俳優、映画俳優。本名田村 傳吉(たむら でんきち)、サイレント映画時代に岡山 俊太郎(おかやま しゅんたろう)の名で監督作がある。端正な顔立ちと高い演技力を兼ね備えた二枚目俳優として親しまれ、「阪妻(バンツマ)」の愛称で呼ばれた。

大正末年から昭和初年にかけての剣戟ブームを生み出した剣戟俳優であり、「剣戟王(けんげきおう)」の異名を持つ。日本映画史においてサイレント映画からトーキーへの転換期に活躍、双方で高い実績を残した人物としてしばしば名を挙げられる。

5人の子どものうち、長男の田村高廣、三男の田村正和、四男の田村亮の3人は俳優となった。

阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう)

阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう)

阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう)

片岡 千恵蔵(かたおか ちえぞう)

片岡 千恵蔵(かたおか ちえぞう、旧字体:千惠藏、1903年3月30日 - 1983年3月31日)は、日本の俳優。本名は植木 正義(うえき まさよし)。

戦前・戦後の長期にわたって活躍した時代劇スターで、同時代の時代劇スターである阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた[1](これに月形龍之介を含めて「七剣聖」と呼ぶ場合もある)。出演作品は300本を超える。戦前は片岡千恵蔵プロダクションを設立し、稲垣浩、伊丹万作の両監督とコンビを組んで傑作時代劇を多く生み出した。戦後は東映の重役スターとなり、亡くなるまで第一線のスターで在り続けた。終戦直後のGHQ占領時代には、金田一耕助や多羅尾伴内などを演じ現代劇でも人気を得た。当たり役に『いれずみ判官』の遠山金四郎など。

片岡 千恵蔵(かたおか ちえぞう)

片岡 千恵蔵(かたおか ちえぞう)

岡田 時彦(おかだ ときひこ)

岡田 時彦(おかだ ときひこ、本名・高橋英一、明治36年(1903年)2月18日 - 昭和9年(1934年)1月16日)は、大正・昭和初期の俳優。無声映画時代を代表する二枚目俳優であった。

映画誌「映画時代」の同年度のファン投票では当時の大人気スター・阪東妻三郎に400票以上も差をつけて第1位に輝き、トップスターの仲間入りをした。

岡田 時彦の著名な家族
娘:岡田茉莉子

岡田 時彦(おかだ ときひこ)

岡田 時彦(おかだ ときひこ)

長谷川 一夫(はせがわ かずお)

長谷川 一夫(はせがわ かずお、1908年2月27日 - 1984年4月6日)は、日本の俳優。旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)。愛称は長さん。

戦前から戦後にかけて、二枚目の時代劇スターとして活躍し、同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。歌舞伎界から松竹に入り、松竹時代劇の看板俳優となった。その後東宝、大映と移り、300本以上の作品に出演。舞台やテレビドラマでも大きな活躍を見せており、晩年には宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の初演で演出を行った。没後、俳優初の国民栄誉賞を受賞。

長谷川 一夫(はせがわ かずお)

長谷川 一夫(はせがわ かずお)

長谷川 一夫(はせがわ かずお)

上原 謙(うえはら けん) 加山雄三の父親

上原 謙(うえはら けん、1909年11月7日 - 1991年11月23日)は、日本の俳優。戦前戦後の日本映画界を代表する二枚目スターの一人。本名:池端 清亮(いけはた きよあき)。

戦前戦後の全盛期は圧倒的な美貌で人気を博し、「絶世の二枚目スター」だった。

上原 謙(うえはら けん)

上原 謙(うえはら けん)の著名な家族

子:加山雄三(俳優)・仁美凌(女優)
孫:山下徹大(俳優)・梓真悠子(元タレント)・池端えみ(女優)

上原 謙(うえはら けん)

上原 謙(うえはら けん)

上原 謙と原節子

森 雅之(もり まさゆき)

森 雅之(もり まさゆき、1911年1月13日 - 1973年10月7日)は、北海道上白石村(現在の札幌市白石区)生まれ、東京都出身の俳優。父は小説家の有島武郎。本名は有島 行光(ありしま ゆきみつ)。

森 雅之(もり まさゆき)

森 雅之(もり まさゆき)

池辺良

池部 良(いけべ りょう、1918年2月11日 - 2010年10月8日)は、日本の俳優・随筆家。東京市大森区出身。立教大学文学部英文科卒業。

池部 良(いけべ りょう)

池部 良(いけべ りょう)

三船敏郎

三船 敏郎(みふね としろう、Toshiro Mifune、1920年4月1日 - 1997年12月24日)は、日本の俳優・映画監督・映画プロデューサー。本名は同じ。

三船 敏郎(みふね としろう)

三船 敏郎(みふね としろう)

三船 敏郎(みふね としろう)

岡田 英次(おかだ えいじ)

岡田 英次(おかだ えいじ、1920年6月13日 - 1995年9月14日)は、日本の俳優。千葉県銚子市生まれ。身長166cm。慶應義塾大学経済学部卒業。

1946年、村山知義の第2次新協劇団に入団。1949年に『花の素顔』で映画デビュー。
1950年、今井正監督の『また逢う日まで』で久我美子の相手役を演じたことで一躍注目を浴びる(ガラス越しの接吻シーンは戦後の自由な映画を象徴するものとして有名)。
「新協劇団」分裂後の1954年、劇団青俳を木村功らと設立。後に現代人劇場を経てフリーに。『真空地帯』『ここに泉あり』などの話題作に次々と出演したほか、1959年にはアラン・レネ監督の『二十四時間の情事』に出演。世界的にも知られることに。

テレビドラマでは『樅ノ木は残った』『高原へいらっしゃい』『白い巨塔』などに出演した。
その日本人離れした彫りの深い整った風貌から「和製ジャン・マレー」と云われ、親しまれた。
1995年9月14日、心不全のため死去。75歳没。
従妹は遠藤周作と結婚した。

岡田 英次(おかだ えいじ)

三國 連太郎(みくに れんたろう)

三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年(大正12年)1月20日 - 2013年(平成25年)4月14日[1])は、日本の俳優。本名は佐藤 政雄(さとう まさお)。群馬県太田市生まれ。身長181cm、体重75kg。

個性派俳優として日本映画界を牽引し、圧倒的存在感をスクリーンに残した 国民的名優 の1人。

デビュー以後、『ビルマの竪琴』(1956年)、『飢餓海峡』(1965年)、『はだしのゲン』(1976年)、『ひかりごけ』(1992年)など社会派作品から、『未完の対局』(1982年)、『三たびの海峡』(1995年)、『大河の一滴』(2001年)など中国を中心にした国際合作、『犬神家の一族』(1976年)、『野性の証明』(1978年)、『マルサの女2』(1988年)などの娯楽大作まで、主演・助演を問わず幅広く出演、映画出演の本数は180本余りに及ぶ。 その徹底的な役作りは真骨頂と評され、エピソードも残している。

三國 連太郎(みくに れんたろう)

三國 連太郎(みくに れんたろう)

船越 英二(ふなこし えいじ)

船越 英二(ふなこし えいじ、本名 船越 榮二郎、1923年(大正12年)3月17日 - 2007年(平成19年)3月17日)は、日本の俳優。東京都出身。専修大学経済学部卒業。
兄は同じく俳優三島謙(本名・船越榮太郎)。長男は同じく俳優の船越英一郎。妻は女優の長谷川裕見子。

1947年(昭和22年)、兄の友人が冷やかし半分で大映第2期ニューフェイス募集に船越の応募書類を送付したところ合格。同年3月に大映東京撮影所演技研究所に通い、4月には大映と専属契約、『第二の抱擁』で折原啓子の恋人役でデビュー。

最初は出来心で俳優になったが、地元の新宿商店街に後援会まで発足してしまったので引っ込みがつかず、中途半端な心境のためか、当時を知る映画関係者によるとあまり印象に残らない俳優だったという。役柄も真面目青年しか与えられなかったが、1952年(昭和27年)に『安宅家の人々』、『秘密』の演技が好評を呼ぶ。

以降も二枚目俳優として大映のプログラムピクチャーに出演、もっぱら主演女優の引き立て役が多かったが、1956年(昭和31年)に『日本橋』、『四十八歳の抵抗』、翌年の『満員電車』、『夜の蝶』で演技派俳優として開花、それまでの単なる二枚目俳優から飄逸さと人間的逞しさを併せ持つ性格俳優となった。

中でも1959年(昭和34年)の大岡昇平原作、市川崑監督の『野火』に主演し、極限状況における敗残兵を演じきり、絶賛されたその演技は各映画賞を総なめにした。その後も大映に欠かせないスターとして、美男のルックスと個性を活かして様々なジャンルの作品でその役柄をこなす手堅い演技派として活躍。菅原謙次や根上淳ら同年代の大映現代劇の男優たちよりも息の長い活躍を見せた。

和製マルチェロ・マストロヤンニとも謳われ、1971年(昭和46年)の大映倒産まで映画で活躍。その後は主にテレビドラマにて、『時間ですよ』『熱中時代』『暴れん坊将軍』など学園ドラマ・現代劇・時代劇問わず活躍し、いずれも代表作となった。

船越 英二(ふなこし えいじ)

鶴田浩二

鶴田 浩二(つるた こうじ、1924年(大正13年)12月6日 - 1987年(昭和62年)6月16日)は、日本の俳優、歌手。本名は小野 榮一。兵庫県西宮市出生。静岡県浜松市出身。昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演した。また歌手としても多くのヒットを出し、独特の歌唱法でも有名だった。

鶴田 浩二(つるた こうじ)

鶴田 浩二(つるた こうじ)

鶴田 浩二(つるた こうじ)

高橋 貞二(たかはし ていじ)

高橋 貞二(たかはし ていじ、1926年10月20日 - 1959年11月3日)は、日本の男性俳優。本名は高橋貞次。愛称は貞ちゃん。

高橋 貞二(たかはし ていじ)

高橋 貞二(たかはし ていじ)

佐田啓二(さだ けいじ)

佐田 啓二(さだ けいじ、本名・中井寛一、1926年12月9日 - 1964年8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。
俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴恵は実子。

佐田 啓二(さだ けいじ)

佐田 啓二(さだ けいじ)

佐田 啓二(さだ けいじ)

佐田 啓二(さだ けいじ)

平田 昭彦(ひらた あきひこ)

平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年12月16日 - 1984年7月25日)は、日本の俳優。本名は小野田 昭彦(おのだ あきひこ)。
日本統治時代の朝鮮の京城(現在のソウル)生まれの東京都中野区出身。主に東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られる。

1953年、第5期東宝ニューフェイスとして東宝に入社し、同年、マキノ雅弘監督『抱擁』でデビューする。
端整なマスクと知的で気品のある雰囲気で東宝の若手スターの1人となり、文芸作品から、アクション、時代劇、戦争映画、コメディまで数多くの映画に出演した。

岡本喜八、福田純、本多猪四郎、稲垣浩監督らの作品の常連である。戦争映画における士官役や、アクション映画の殺し屋やインテリヤクザ役などで、堂に入ったダンディぶりを発揮した。殺し屋役では、岡本脚本、福田監督の『100発100中』で純白のスーツに身を固めた硫酸魔など、自分の体にこぼして最期をとげる間抜けさも含め、平田ダンディズムの代表的演技となっている。

1954年、東宝の特撮怪獣映画の第1作『ゴジラ』に芹沢博士役で出演、以降東宝・円谷プロ系特撮作品の常連となる。芹沢博士は苦悩する科学者だったが、以後は主にクールで知的な博士・科学者役を得意として作品を引き締め、品格を与えた。テレビでも『ウルトラマン』の岩本博士、悪役としては『レインボーマン』のミスターKなどを演じている。

平田 昭彦(ひらた あきひこ)

初代ゴジラ、初代バラン、ウルトラマンでも倒せなかった初代ゼットンと、自らの手で怪獣を一撃で撃退する役を3度も演じており、何かと怪獣に関わる役柄が多かった。また、悪の首領を演じた『レインボーマン』の最終話でも死ななかったことから、隠れた不死身の特撮ヒーローとして崇拝する特撮ファンも多い。

平田 昭彦(ひらた あきひこ) 『怪獣王ゴジラ』(1956年)の映画ポスター

田村高廣(たむら たかひろ)

田村 高廣(たむら たかひろ、本名同じ、1928年8月31日 - 2006年5月16日)は、日本の俳優。阪東妻三郎の長男。田村俊磨(元マネージャー、株式会社タムサプライヤ社長)、田村正和、田村亮(共に俳優)の兄であり、田村兄弟の長男である。異母弟に俳優の水上保広がいる。

田村高廣(たむら たかひろ)

大川橋蔵(二代目)

二代目 大川橋蔵(にだいめ おおかわ はしぞう、1929年(昭和4年)4月9日 - 1984年(昭和59年)12月7日)は東京都出身の歌舞伎役者、のち時代劇の俳優。本名は丹羽 富成(にわ とみなり)、旧姓は小野(おの)。

二代目 大川橋蔵(にだいめ おおかわ はしぞう)

二代目 大川橋蔵(にだいめ おおかわ はしぞう)

二代目 大川橋蔵(にだいめ おおかわ はしぞう)

二谷 英明(にたに ひであき)

二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 2012年1月7日)は、日本の俳優。京都府舞鶴市出身。

1956年小林旭らと第3期ニューフェイスとして日活に入社、同年『沖縄の民』で夜襲の少尉役としてデビュー。1957年主演デビューを飾る。

1961年、日活スター映画のローテーションである「ダイヤモンドライン」入りし、以後「ダンプガイ」の愛称で石原裕次郎、小林旭、宍戸錠、赤木圭一郎などとともに日活アクション路線の全盛期を築いたが、次第にヒーローのライバルや相棒、あるいは上司役といった、貫禄ある準主演者としての出演が多くなり、アクション映画のみならず、あらゆるジャンルの日活映画に欠かせない存在として高く評価されている。

日活スターの中でも比較的、年長者であった事もあり、実際に日活撮影所でもエイメイさんと呼ばれ、多くの若い俳優達から頼られる存在で、人望も厚かった。

二谷 英明(にたに ひであき)

二谷 英明(にたに ひであき)

市川雷蔵(八代目)

八代目 市川 雷蔵(はちだいめ いちかわ らいぞう、1931年(昭和6年)8月29日 - 1969年(昭和44年)7月17日)は、歌舞伎役者・日本の俳優。出生名は亀崎 章雄(かめざき あきお)。後に本名を竹内 嘉男(たけうち よしお)、さらに太田 吉哉(おおた よしや)に改名した。

市川 雷蔵

市川 雷蔵

市川 雷蔵

勝新太郎と市川雷蔵

勝新太郎

勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事が起こっても多くのファンから愛された。

勝 新太郎(かつ しんたろう)

勝 新太郎(かつ しんたろう)

勝 新太郎(かつ しんたろう)

高倉健

高倉 健(たかくら けん、1931年(昭和6年)2月16日 - 2014年(平成26年)11月10日)は、日本の俳優・歌手。愛称、健さん。福岡県中間市出身、身長180cm、体重71kg、血液型はB型。高倉プロモーション所属。

日本を代表する映画スターで、半世紀以上にわたり活躍してきた。代表作は映画『日本侠客伝シリーズ』、『網走番外地シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』、『新幹線大爆破』、『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』、『野性の証明』、『南極物語』、『ブラック・レイン』、『鉄道員(ぽっぽや)』、『あなたへ』など。2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章した。

高倉 健(たかくら けん)

高倉 健(たかくら けん)

高倉 健(たかくら けん)

宇津井健(うつい けん)

宇津井 健(うつい けん、1931年(昭和6年)10月24日 - 2014年(平成26年)3月14日)は、日本の俳優である。身長173cm、血液型はA型。東京府東京市深川区出身。(現在の東京都江東区出身)
俳優座を経て、新東宝に入社。若手映画スターの一人として活躍。新東宝倒産後は大映に移籍、大映倒産後はフリーとなる。

大映在籍時からテレビドラマにも進出し、以来60年近く第一線で活躍した。代表作は『スーパージャイアンツ』シリーズ、『ザ・ガードマン』、『新幹線大爆破』、『赤いシリーズ』、『さすらい刑事旅情編』、『信長 KING OF ZIPANGU』、『渡る世間は鬼ばかり』など。
特技は乗馬、ナイフ製作。最終所属はサムデイ。

宇津井健

萬屋 錦之介(よろずや きんのすけ)

萬屋 錦之介(よろずや きんのすけ、1932年(昭和7年)11月20日 - 1997年(平成9年)3月10日)は、中村 錦之助(なかむら きんのすけ)として歌舞伎役者、屋号は萬屋、定紋は桐蝶。また映画・テレビの時代劇俳優。映画・舞台制作会社中村プロダクション社長。愛称は萬錦(よろきん)。東映俳優労働組合委員長。
本名は小川 錦一(おがわ きんいち)。

萬屋 錦之介(よろずや きんのすけ)

『新諸国物語 笛吹童子』(東映、1954年)

菅原文太

菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉11月28日)は、日本の俳優、声優、ラジオパーソナリティ・農業従事者である。宮城県仙台市出身。愛称は文ちゃん・文太兄い。

代表作は映画『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズ。どちらも日本映画史に残る配給収入を上げた。父は洋画家、詩人の狭間二郎(元新聞記者)。妻は菅原のマネージャーを務めており、長男は菅原加織。他に娘が2人いる。

菅原 文太(すがわら ぶんた)

菅原文太と竹脇無我

宍戸 錠(ししど じょう)

宍戸 錠(ししど じょう、本名:同じ、1933年12月6日 - )は、日本の俳優。大阪市北区出身。日活スターの1人。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。
小林旭と『渡り鳥シリーズ』など多数の映画で共演し、エースのジョーという愛称でも親しまれている。実弟は悪役俳優として活躍した郷鍈治。長男の宍戸開も俳優。

1954年、日活撮影所へニューフェイス第1期生として入所。
1955年、『警察日記』で若い巡査役として銀幕デビュー。この頃は線の細い美青年だったが、1956年には、トレードマークともなる豊頬手術を受ける。本人は「失敗だった」と述懐するが、これを機に「アクの強い役=悪役」への転向を果たした。その後、映画や創生期のテレビドラマ『事件記者[1]』などにも出演、タフでハードボイルドな役柄で人気を得て、日活アクション映画の人気の隆盛ともに、「エースのジョー」として人気を確立した。エッセイ等でも古くから海外ミステリの熱心な愛読者であることが示されており、日活の路線もあって、比較的趣味と近い部分で役柄やイメージを展開することができた。

その後は映画の衰退と共にテレビへ活動の場を移し、ドラマで存在感を示す一方、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』や『カリキュラマシーン』ではコメディアンとして出演し、演技の幅と懐の深さを見せた。また、息子の宍戸開と親子2代にわたり、『くいしん坊!万才』のレポーターを務めたこともある。映画『溺れる魚』では「エースのジョー」役で出演した。

宍戸 錠(ししど じょう)

川崎 敬三(かわさき けいぞう)

川崎 敬三(かわさき けいぞう、1933年7月1日 - 2015年7月21日)は、神奈川県川崎市出身の俳優、司会者、タレント。本名:陶山 惠司(すやま やすじ)。

川崎 敬三(かわさき けいぞう)

川崎 敬三(かわさき けいぞう)

川崎 敬三(かわさき けいぞう)

石原裕次郎

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年(昭和9年)12月28日 - 1987年(昭和62年)7月17日)は、日本の俳優、声優、歌手であり、司会者やモデルといったマルチタレント。実業家・ヨットマンとしても活動していた。身長178cm、血液型はA型。愛称はタフガイ・裕ちゃん・ボス・ユージロー。石原軍団総帥、石原プロモーション元代表取締役社長(初代)兼会長。
兄は作家で政治家の石原慎太郎。

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)

石原裕次郎と渡哲也

宝田明

宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は、日本の映画俳優、タレント、声優、司会者。
日本映画の黄金期である昭和30年代、東宝を代表する二枚目スターであった。昭和40年代以降、ミュージカルを中心とした舞台に活動の場を広げ、ドラマやバラエティなどテレビ出演も増えるようになった。1964年に文部省芸術祭奨励賞、1972年にゴールデンアロー賞、2012年に文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。これまで出演した映画は200本を越える。身長183cm。

宝田 明(たからだ あきら)

宝田 明(たからだ あきら)

田宮二郎

田宮 二郎(たみや じろう、1935年(昭和10年)8月25日 - 1978年(昭和53年)12月28日)は、日本の俳優・司会者。本名、柴田 吾郎(しばた ごろう)。
1960年代から1970年代にかけて活躍し、代表作は映画『悪名』シリーズ、映画『白い巨塔』、クイズ番組『クイズタイムショック』の名司会、テレビドラマ『白い巨塔』など。
身長180cm、血液型B型。

妻は元女優の藤由紀子。長男は俳優・テレビレポーターの柴田光太郎。次男は俳優の田宮五郎。俳優の南川直は父方の従兄。
没後30年以上経つが、近年になり田宮主演の映画やドラマが相次いでDVD化され、ドラマのリメイクも行われている。

田宮 二郎(たみや じろう)

田宮 二郎(たみや じろう)

田宮 二郎(たみや じろう)

岡田 眞澄(おかだ ますみ)

岡田 眞澄(おかだ ますみ、1935年9月22日 - 2006年5月29日)は、フランス生まれの日本の俳優・タレント。

第6期東宝ニューフェイスに合格。東宝演劇研究所に入る。藤木悠・宝田明・佐原健二などと同期だったが、映画製作を再開した日活を選ぶ。『初恋カナリヤ娘』で、デビュー後、甘いマスクとコミカルなキャラクターを活かして多数の作品に出演。

1957年(昭和32年)に日本初の男性専門(後に女性も所属)のモデル・クラブであるソサエティ・オブ・スタイル(略称SOS)を菅原文太ら総勢8名で結成する。日活退社後に渡欧した際ルキノ・ヴィスコンティ監督に『山猫』への出演を迫られるも断り、結果アラン・ドロンに配役が決まる(TV番組での本人談)。

日活退社後はにんじんくらぶ・劇団欅を経て、以後、数々のミュージカルの舞台作品やテレビやショーといったバラエティ番組の司会者などで活躍し、幅広く芸能活動を行う。特に、『とんねるずのみなさんのおかげです』の一コーナー「仮面ノリダー」では、敵役「ファンファン大佐」を演じたことで、幅広い年齢層から人気を得た。出演が決まった際には、1980年代にCMに出演した縁で靴のマドラスに小道具のブーツを特注で製作してもらい、愛用したという逸話がある。

萩本欽一とは古くから親交があり、大映ドラマ『シークレット部隊』の第一回放送では萩本と悪役でゲスト共演を果たし、後に始まった『欽ちゃんの仮装大賞』でも長年に渡りレギュラー審査員を務めた。
歌手としても、1980年、松任谷由実のアルバム『SURF&SNOW』収録曲「恋人と来ないで」にゲストボーカルとして参加、松任谷とのデュエットを披露した。中年以降は口髭を蓄えてヨシフ・スターリンに酷似した容貌となり、実際に演劇でスターリンを演じた(『夢、クレムリンであなたと』・1991年初演)。

英語のみならずフランス語も堪能なため、ミス・インターナショナルでのホスト役を長らく務めた。司会業でもフェミニストぶりが様になるダンディーさが好評であった。1978年、第1回日本アカデミー賞の総合司会の大役を務めたり、変わった所では1994年12月10日にパシフィコ横浜で開かれた新進党の結党大会の司会を務めたこともある。

「ファンファン」という愛称は、当時の人気俳優、ジェラール・フィリップの当たり役および愛称にあやかって名づけられたもの。『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系列)の「仮面ノリダー」のコーナーで「ファンファン大佐」というキャラクターに扮したことから、世間一般にも広まった。

岡田 眞澄(おかだ ますみ)

川口 浩(かわぐち ひろし)

川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22日 - 1987年(昭和62年)11月17日)は、日本の映画俳優・タレント・探検家。作家で大映専務の川口松太郎、女優の三益愛子夫妻の長男。女優の野添ひとみの夫、元俳優の川口恒、川口厚、元女優の川口晶(現在は陶芸家の国重晶)の長兄。元タカラジェンヌで宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は母方の叔母にあたる。

川口 浩(かわぐち ひろし)

川口 浩(かわぐち ひろし)

川口 浩(かわぐち ひろし)

里見浩太朗

里見 浩太朗(さとみ こうたろう、1936年11月28日 - )は、日本の俳優・歌手。静岡県富士宮市出身。(生まれは東京府渋谷区道玄坂)旧芸名は、最初期は鏡 小五郎と富士川一夫、その後里見 浩太郎となり、1970年より現名。本名は、佐野 邦俊(さの くにとし)。所属は自ら社長を務める芸能事務所、株式会社 里見プロモーション。芸歴が半世紀を越える時代劇俳優。身長173cm。

里見浩太朗

里見浩太朗

夏木 陽介(なつき ようすけ)

夏木 陽介(なつき ようすけ、1936年(昭和11年)2月27日 - )は、日本の俳優、ラリードライバー。本名:阿久沢 有(たもつ)。株式会社夏木プロダクション代表取締役社長(2014年まで)、オフィス夏木(2015年から)所属。独身。

同年、石原慎太郎が監督した『若い獣』で映画デビュー、続いて熊谷久虎監督の最後の作品となった『密告者は誰だ』で早くも主演を飾る。以後は黒澤明監督の『用心棒』や稲垣浩監督の『野盗風の中を走る』などの作品で順調に出演を重ねていく。特に東宝の助監督が一本立ちして監督となる出世作のほとんどに主役として出演する。

爽やかさと野性味を兼ね備えた二枚目として、現代アクション、戦争映画、時代劇、怪獣映画、青春映画、サラリーマン物、文芸映画、コメディと東宝がカバーする多彩な領域にくまなく対応した。しかし映画界が斜陽化の一途を辿り始める1964年頃より徐々に俳優業への情熱が冷めてきて、房総半島に作るレジャーランド計画(行川アイランド)に幹部待遇で迎えられ参画するなどビジネスへと関心が傾いてゆく。

そんな折にテレビ映画の出演が持ちかけられた。ビジネス優先を考え固辞していたが、東宝の助監督であった松森健がこの作品で監督デビューすることなど親しいスタッフの三顧の礼もあり、出演を引き受けた。それが1965年に放送開始された日本テレビの青春ドラマ『青春とはなんだ』の主演教師・野々村健介役であった。後に様々なバリエーションで作られる学園ドラマの魁となったこの作品は高視聴率を誇り、一気にお茶の間での知名度を上げることとなる。翌年にはこれにあやかって作られた主演映画『これが青春だ!』も大ヒットし、しばらくは同様の設定の話題作に次々と主演し、人気を博する。

1970年代に入ると三船プロダクションに移り、テレビドラマへと活躍の場を移す。『荒野の用心棒』や『Gメン'75』などの人気ドラマに出演し、引き続きお茶の間で親しまれる存在となる。映画でも『ゴジラ』(1984年版)や『海へ SeeYou』などの話題作に出演した。

夏木 陽介(なつき ようすけ)

加山雄三

加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年4月11日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、ギタリスト、ウクレレ奏者、ピアニスト、画家。本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは弾厚作。血液型A型。

加山 雄三(かやま ゆうぞう)

三船敏郎と加山雄三

山田 真二(やまだ しんじ)

山田 真二(やまだ しんじ、本名:山田 常高(やまだ つねたか)、1937年3月25日 - 2007年10月15日)は、日本の俳優、歌手。東京都出身。東洋音楽学校中退。

1954年松竹に入社し、同年公開された映画『黒い罌粟』で俳優デビュー。東宝に移り、エキゾチックな甘いマスクの二枚目俳優として人気を集め、中川信夫監督の『夏目漱石の三四郎』、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘と共演した『ジャンケン娘』などに出演。また、共演した雪村いづみの勧めで1956年に発売した『哀愁の街に霧が降る』で歌手としても大ヒットを飛ばし、1959年の第10回NHK紅白歌合戦に出場した。

2007年10月15日、間質性肺炎のため東京都文京区の病院で死去。70歳。
2008年3月28日、雪村いづみらが発起人になって偲ぶ会が行われ、梅宮辰夫や『哀愁の街に霧が降る』をカバーした山川豊らが出席した。

山田 真二(やまだ しんじ)

栗塚 旭(くりづか あさひ)

栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年(昭和12年)5月9日 - )は、北海道札幌市 出身の俳優。近年は舞台活動が中心だが、昭和40年代に演じた土方歳三は当たり役となり、多くの作品で土方を演じている。後年の『暴れん坊将軍』シリーズで山田朝右衛門も当たり役である。劇団くるみ座出身。

、1965年(昭和40年)には『新選組血風録』で主役の土方歳三役に大抜擢され、これが栗塚のイメージを決定づけるハマリ役となって評判を呼び、ニヒルな演技と風貌で人気を集め、以降もテレビ、映画、舞台で幾度となく土方を演じるほどの当たり役となった。

栗塚 旭(くりづか あさひ)

栗塚 旭(くりづか あさひ)

小林旭

小林 旭(こばやし あきら、1938年11月3日 - )は、日本の俳優、歌手である。本名は同じ。身長180cm、体重98kg、血液型AB型。特技は柔道五段、ゴルフ。愛称は、マイトガイ。

小林 旭(こばやし あきら)

小林 旭(こばやし あきら)

梅宮辰夫

梅宮 辰夫(うめみや たつお、1938年3月11日 - )は、日本の俳優・タレント・実業家。身長174cm、血液型はA型。所属事務所は株式会社ピックルズ(東京・赤坂)。娘はモデル・タレントの梅宮アンナ。
東映ニューフェイスとしてデビューし、俳優として映画・テレビドラマに出演していたが、飲食事業の経営やバラエティ番組にも出演しだし、料理の腕前や軽妙なトーク、家庭の様子がたびたび紹介されている。

梅宮 辰夫(うめみや たつお)

加藤 剛(かとう ごう)

加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日 - )は、日本の俳優。俳優座所属。身長173cm、体重70kg、みずがめ座。本名は加藤 剛(かとう たけし)。
2001年、紫綬褒章受章。2008年、旭日小綬章受章。

長年に渡り一貫して演じ通した当たり役である『大岡越前』は1970年(昭和45年)から、『江戸を斬る』『水戸黄門』等とローテーションを組みながら、足掛け約30年間月曜8時を支え、TBSテレビの看板番組となった。

加藤 剛(かとう ごう)

加藤 剛(かとう ごう)

赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう)

赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう、1939年〈昭和14年〉5月8日 - 1961年〈昭和36年〉2月21日)は、日本の映画俳優。本名、赤塚 親弘(あかつか ちかひろ)。通称、トニー。

赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう)

赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう)

赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう)

千葉 真一(ちば しんいち)

千葉 真一(ちば しんいち、JJ Sonny Chiba, 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。
日本を代表する映画スターとして海外ではSonny Chiba (サニー ちば)の名で知られている。

特技の器械体操や極真カラテ四段・少林寺拳法弐段・乗馬・スキーを活かしたアクロバティックなスタント・擬斗・殺陣に定評がある。

吹き替えに頼らないで自ら演じるアクションスターの元祖ともいえる存在で、映画・テレビドラマ・演劇・コマーシャルメッセージと半世紀以上にわたり、幅広く活躍している。愛称 : 千葉ちゃん。ジャパンアクションクラブ (JAC ) の創始者。
本名 : 前田 禎穂 (まえだ さだほ)、所属事務所 :アストライア。

千葉 真一(ちば しんいち)

津川雅彦

津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年1月2日 - )は、日本の俳優・映画監督・芸能プロモーター・評論家。京都市中京区出身。別名義 : マキノ 雅彦(マキノ まさひこ)は映画監督をする際に名乗っている。芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務める。

本名 : 加藤 雅彦(かとう まさひこ)。妻は朝丘雪路、娘は真由子、父は沢村国太郎、母はマキノ智子、兄は長門裕之、祖父は牧野省三。その他の身内についてはマキノ家を参照。

津川雅彦

渡 哲也(わたり てつや)

渡 哲也(わたり てつや、1941年12月28日 - )は、日本の俳優・歌手。元・株式会社石原プロモーション代表取締役社長(2011年退任)。
俳優の渡瀬恒彦は弟。

渡 哲也(わたり てつや)

渡 哲也(わたり てつや)

渡 哲也(わたり てつや)

北大路 欣也(きたおおじ きんや)

北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年2月23日 ‐ )は、日本の俳優。本名は淺井 将勝(あさい まさかつ)。京都府京都市出身。事務所はホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。身長174cm、血液型A型。
父は戦前の時代劇から戦後の東映時代劇全盛時代の映画俳優・市川右太衛門。芸名の由来は右太衛門の邸宅が京都市内の北大路に在ったことから、右太衛門が「北大路の御大」と呼ばれていたため。同世代の俳優仲間からは「きんやちゃん」と呼ばれている。
京都市立紫竹小学校、同志社香里中学校から暁星中学校に編入、暁星高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。学位は文学士。

北大路 欣也(きたおおじ きんや)

北大路 欣也(きたおおじ きんや)

高橋 英樹(たかはし ひでき)

高橋 英樹(たかはし ひでき、1944年〈昭和19年〉2月10日 - )は、日本の俳優・タレント・司会者。身長181cm、体重80kg、血液型B型。本名は同じ。アイウエオ企画所属。
妻は高橋所属事務所の取締役でもある小林亜紀子。長女はフリーアナウンサーの高橋真麻。

高橋 英樹(たかはし ひでき)

高橋 英樹(たかはし ひでき)

竹脇 無我(たけわき むが)

竹脇 無我(たけわき むが、1944年2月17日 - 2011年8月21日)は、日本の俳優。本名同じ。
千葉県我孫子市出身。石原プロモーション、タケワキプロダクション、イザワオフィスを経てアクターズ・セブンに所属していた。

竹脇 無我(たけわき むが)

竹脇 無我(たけわき むが)

竹脇 無我(たけわき むが)

昭和映画大女優年表:1915年誕生の桑野通子・原節子・高峰秀子・若山セツ子・香川京子・岸恵子・若尾文子・南田洋子・司葉子・小山明子・佐久間良子など(52名) - Middle Edge(ミドルエッジ)

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