プロ野球パ・リーグ、往年の懐かしいユニフォームまとめ。

プロ野球パ・リーグ、往年の懐かしいユニフォームまとめ。

草野球に興じた少年が多かった70~90年代。好きなチームのユニフォームや帽子を身に着けていた人も多かったことでしょう。そんな懐かしい往年のプロ野球ユニフォーム、パ・リーグ編をまとめてみました。


西武ライオンズ

1977年~2003年のユニフォームを集めてみました。
70年代に西鉄→太平洋クラブ→クラウンガスライター→西武グループと、激しくオーナーが入れ替わったライオンズ。
80年代から続く常勝軍団カラーのひとつ前、クラウンライター時代のユニフォームも並べてみます。

1977~78年のユニフォーム(クラウンライター時代)

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ビジター

1979~2003年のユニフォーム

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ビジター

1979年 - 2003年 - 球団名が「西武ライオンズ」となり細谷巖によるデザインに一新。西武黄金期を築いたユニフォームで、途中マイナーチェンジはあったが、基本デザインは2003年まで使用された。 帽子、アンダーシャツ、ストッキングがチームカラーのライトブルーとなり、袖、首、パンツに“太陽”と“草原”のイメージにより考案された赤、緑のラインが入る。 帽子は緑の楕円の中に手塚治虫テザインのレオマークがつき、下に白文字でLionsのロゴが刺繍される。ヘルメットは、これらのマークが直接プリントされ、さらに右側(左打者用は左側)にSEIBUのロゴが入る。 背番号、胸番号の書体がゴシック体になり、パンツは腰ラインの入っていないベルトレスタイプになる。 ただし背番号「1」の書体については、秋山幸二のみ本人の希望で「_(セリフ)」の付いた書体が使用された。 スパイクはつま先、踵および紐通し部分が濃紺、それ以外は白でつま先側から青、緑、赤、のラインが各メーカーのデザインに沿った形で入る。紐は青。

http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA_%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7

埼玉西武ライオンズ - ユニフォームの変遷 - Weblio辞書

埼玉西武ライオンズ - ユニフォームの変遷 - Weblio辞書

近鉄バファローズ

1974年~2004年のユニフォームを集めてみました。
長く「猛牛」「いてまえ打線」で愛された時代の近鉄カラーと、大阪ドーム移転後~近鉄球団消滅までのデザインを並べます。

1974~1996年のユニフォーム

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ビジター

1974年 - 1996年 西本幸雄監督就任時より、ニット式のベルトレスユニフォームが登場。袖部分のラグランスリーブが赤となり、首と袖に白線が入り、丸首プルオーバースタイルとなる。左袖には、炎と猛牛を組み合わせたマークが入る。ユニフォームデザインはアトランタ・ブレーブスのものを参考にしている。 帽子・ヘルメットは、紺色地に赤の「B」マーク(デザイン自体は1966年より使用しているものと同じでボストン・レッドソックスと同じ書体)・ツバが赤。その後、ヘルメットのみ猛牛マーク(赤色のツノ・紺色の目を白縁でデザイン)に変更されたデザインが使われるようになる(採用時期不詳)。 1977年より 左袖のマークが猛牛マークになり、デサント社が開発した快適性、軽量化を図ったメッシュ素材の上着を、野球のユニフォームとしては世界で初めて採用する。 1978年より 背番号の上に選手名(英字表記)が入り、ベルトレスからインナーベルト式になる。 1978年後期より、帽子の地色が赤、前面が白、白部分のサイドに紺のラインが入り、紺色の「KINTETSU BUFFALOES」のロゴ(アーチ型)、猛牛マークが入る三色帽に変わる。三色帽はモントリオール・エキスポズが採用していたものを参考にデザイン。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E8%BF%91%E9%89%84%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%23.E8.BF.91.E9.89.84.E3.83.90.E3.83.95.E3.82.A1.E3.83.AD.E3.83.BC.E3.82.BA.E6.99.82.E4.BB.A3

大阪近鉄バファローズ - Wikipedia

1997~2004年のユニフォーム

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ビジター

1997年 - 2004年 大阪ドーム移転を機にフルモデルチェンジ。デザインはコシノヒロコが手掛ける。同時に球団カラーを「バファローズホワイト」、「バファローズオレンジ」、「バファローズネイビー」、「バファローズレッド」の4色と設定。デザインはそれに基づかれた。 帽子・アンダーシャツ・線は紺。 1999年より、球団名が大阪近鉄バファローズとなり、ビジター用が「Kintetsu」から「Osaka」に変更。これが近鉄最後のユニフォームとなった。また左袖には50周年記念のバフィーワッペンが入る(翌年以降、元のバフィーワッペンに戻す)。 ビジター用上着のデザインは当初は赤のみだった。しかし、いざユニフォームが完成してみると、当時の佐々木監督や選手たちから「東芝のユニフォームみたい」「プロが着るユニフォームじゃない」などと異論が続出し、選手たちがユニフォーム変更を拒絶しかける事態となり、事態の沈静化を図るため急遽紺が追加された。その後もファン感謝デーでこのユニフォームが初お披露目された際、ファンから「台湾プロ野球(のユニフォーム)だ」などと酷評され、優勝するまではこのユニフォームの評判は良くなかった。 ビジター用はユニフォームは金曜日から月曜日は紺、火曜日から木曜日では赤と使い分けられていたが、2000年以降は紺のみとなった(使い分けに関しては当初「ナイトゲームは赤、デーゲームは紺」とされたが、使用頻度の偏りを避けるために上記のようになった)。このため、結果的に、「Osaka」ロゴの赤は1999年のみの使用となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E8%BF%91%E9%89%84%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%23.E8.BF.91.E9.89.84.E3.83.90.E3.83.95.E3.82.A1.E3.83.AD.E3.83.BC.E3.82.BA.E6.99.82.E4.BB.A3

大阪近鉄バファローズ - Wikipedia

大阪近鉄バファローズ - Wikipedia

阪急ブレーブス→オリックスブルーウェーブ

1972年~2000年のユニフォームを集めてみました。
その間もポイントのデザインチェンジはありましたが、「阪急→オリックス」とオーナーが変わりチームカラーもガラッと変わりました。

1972~1988年のユニフォーム

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ビジター

1972年 - 1983年…衣類の技術的進化によりカラフルな色が出せるようになり、丸首ニット製ベルトレスユニフォームを採用。プルオーバーとなる。ロゴ、胸文字、背番号が赤(縁取り:黒)、アンダーシャツ、ストッキング、が黒、首、袖が赤、黒、白のライン、帽子は黒地にHマーク、ツバが赤。マイナーチェンジを重ねつつ、1983年まで基本スタイルが踏襲され、黒、赤、白=常勝阪急のイメージが定着する。 1975年 - 1979年…袖とパンツのラインが太くなり、首部分に伸縮ゴムが入る。1975年 - 1977年の3年連続日本一(1975年 - 1978年は4年連続リーグ優勝)になったゲンのいいユニフォーム。ビジター用はグレーからスカイブルー、スパイクが黒から赤地に白ライン(美津濃製の「M」ライン)となる。 1977年より…背番号の上に選手のネームが入る。 12球団で唯一訓令式ローマ字を採用、長音母音にマクロン(長音記号)がついていた。例えば加藤英司の場合、現在では「H.KATOH」(ヘボン式ローマ字表記)と表記するのが一般的だが、阪急では「H.KATŌ(Oの上にマクロン)」と表記。これはオリックス・ブレーブス時代の1990年まで続いた。しかし福本豊の場合は当時「HUKUMOTO」(訓令式ローマ字表記)ではなく「FUKUMOTO」と表記され、ヘボン式ローマ字も一部混在した。 1980年 - 1983年…アンダーシャツ・ストッキングを赤に変更。同時に、ベルト式(オーバーカバータイプ)になり、ボタン型となる(但し、第3ボタンまでがボタン式であとは飾りボタンのプルオーバー型)。スパイクが白地に赤ラインになる。 1981年 - …袖のラインを「黒・白・赤」から「赤・白・黒」に変更(パンツのラインは変更なし)。下述する1984年以降のユニホームにも引き続き採用した。 1984年 - 1988年…帽子のマークが「H」から西洋の騎士が身につける「プレートアーマー」のマスクをイメージした「B」に変わり、前面が白になる。同時にホーム用がモデルチェンジ。ボタン無しのVネックプルオーバータイプとなり、「Braves」のロゴが筆記体から変わる。また、1947年以来続いていたナール(丸文字)型の背番号の書体が変更となり、角文字になり、胸番号がゴシック体になる。 1985年 - 1988年…ビジター用もモデルチェンジする。デザイン書体などはホーム用同様で、胸ロゴが「HANKYU」から「Hankyu」へと小文字のゴシック体にかわる。左袖にはブレービーのワッペン(三角形)がつく。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%23.E3.82.AA.E3.83.AA.E3.83.83.E3.82.AF.E3.82.B9.E6.99.82.E4.BB.A3

オリックス・バファローズ - Wikipedia

1989~2000年のユニフォーム

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ビジター

1989年 - 1990年…球団がオリックスに譲渡され、球団名がオリックス・ブレーブスに変更される。チームカラーをオリックス・ブルー(紺)とブレーブス・ゴールデン・イエロー(黄色)に変更。阪急時代のプルオーバーのVネックが継続される。ビジター用の上着は紺になる。背番号、胸番号の書体が高校野球型の書体となる(この番号の書体はブルーウェーブになってからも使用され、2000年まで使用された。ただし「8」のみ、同じ書体を使用していた広島や中日のものと異なり、中央の交差部分がX型ではなく横棒になっていた)。袖のワッペンは、右のみ。ホーム用はオリックスの社章、ビジター用はブレービーのワッペン(三角形)。ビジター用のワッペンは1989年夏から変更(デザインは同じで、枠のみ逆三角形に変更)。帽子マークはチームロゴと同じ「Braves」。またヘルメットの前面左から鍔にかけて「赤の3本ライン」が入り(阪急で使われたものを継続し、親会社の新しいロゴにも取り入れられることになった)、球団名が「ブルーウェーブ」「バファローズ」となってからも2010年まで使用された(ビジター用は2009年に廃止)。 1991年 - 2000年…本拠地の神戸移転と球団名変更を機に胸のロゴを「BlueWave」に、帽子マークを「BW」に変更される。基本デザインは従来どおりの紺と黄色(チーム名が変更されたため、この黄色の呼称も「ブルーウェーブ・ゴールデン・イエロー」に変更された)のユニフォーム。左袖はホーム用はオリックスの社章、ビジター用は「BlueWave」。この間、右袖のワッペンだけマイナーチェンジが繰り返される。 右袖は1994年まで「KOBE」、1995年から1998年まで阪神・淡路大震災からの復興を願い2段組みで「がんばろうKOBE」とし、1999年以降は「KOBE」の上に選手の特徴を表したネッピーのイラストとした(近鉄との吸収合併をする2004年まで)。 ネッピーのデザインは監督・コーチ・投手・捕手・外国人・スライディング・キャッチング・ランニング・左打者の9種類。基本的にホーム・ビジターともに同じイラストだが、イチローと田口壮には異なるイラストがついていた。また投手転向前の萩原淳のユニフォームにはアメリカ人バージョンのネッピーがついていた(萩原は日本人)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%23.E3.82.AA.E3.83.AA.E3.83.83.E3.82.AF.E3.82.B9.E6.99.82.E4.BB.A3

オリックス・バファローズ - Wikipedia

オリックス・バファローズ - Wikipedia

日本ハムファイターズ

1974年~1992年のユニフォームを集めてみました。
81年を機に、鮮やかなオレンジをチームカラーに。当時はセ・リーグの巨人と同じ本拠地で戦っていました。

1974~81年のユニフォーム

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ビジター

1974年後期 - 1981年 ホーム、ビジター用共モデルチェンジされ、ストライプを採用。基本カラーが青とオレンジに変わり、背番号と胸番号(ホーム用のみ)が角文字になり、袖とパンツのサイドラインが消える。首にはオレンジと紺の2本ライン、腰はオレンジ・紺・オレンジの3本ライン。途中、マイナーチェンジを繰り返しつつ、このユニフォームで1981年のリーグ優勝を果たした。 ホーム用は薄いブルーのストライプ、胸ロゴ、背番号、胸番号は青にオレンジの縁取り。 ビジター用はスカイブルー地の色合いが変り、紺のストライプ、胸ロゴは白(縁取り・オレンジ)になり、帽子、ストッキングがホーム、ビジター共通になる。 1975年から首、腰のラインがオレンジ一色となる。 1978年から背中に選手名が付き、これまで背中いっぱいについていた背番号の文字が、大幅に小さくなる。 1979年からベルト式にかわり、シーズン途中の7月4日より、ビジター用の「Nippon Ham」のロゴ、背番号の色が逆転し、オレンジ(縁取り白)に変更。

http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7

北海道日本ハムファイターズ - ユニフォームの変遷 - Weblio辞書

1982~92年のユニフォーム

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ビジター

北海道日本ハムファイターズ - ユニフォームの変遷 - Weblio辞書

ロッテオリオンズ

1973年~1994年のユニフォームを集めてみました。
長らくロッテオリオンズとして戦い92年に本拠地を川崎→千葉とし、千葉ロッテマリーンズに改称。
移転後最初のデザインも並べてみます。

1973~91年のユニフォーム

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ビジター

1973年 - 1991年 - 金田正一の監督就任に伴い、ユニフォームを一新。帽子・アンダーシャツが青から紺に代わる。また、金田のアイデアを取り入れたニット素材の特徴を生かし、肩、袖、パンツからボディにかけて、両サイドを紺で挟む赤の太ラインが入る。「LOTTE」の胸ロゴは紺色に赤の縁取りのゴシック体(背番号も同様)となり、「Orions」のロゴは消滅(基本ユニフォームとなるホーム用に企業名のみを表したということ)。また、背番号の上に選手名が入り、胸番号が復活する(胸番号・選手名は紺)。帽子のLOと星マークに、赤の縁取りが入る。 ホーム用はオフホワイト地。 ビジター用はスカイブルー地で、胸ロゴはホーム同様「LOTTE」。 翌1974年より、胸ロゴ・背番号の色が赤色に紺の縁取りへ変更され、ボタンの素材が、白の2つ穴から透明4つ穴タイプに変わる。 1984年より、スパイクの色が黒地に白ラインから白地に紺ラインに変わる。 1989年より、ボタンの素材が透明からユニフォームの地色と同じ色に変わる。 金田監督より、ラインは生地の上に乗せるのではなく、生地と生地との間にはめ込むよう要望があり、当時の技術では非常に苦労したという。 背番号の書体の中で「1」については、下に「_」の付かないスタイルであったが、背番号1の選手(ジム・ラフィーバー→ラファエル・バチスタ→高橋博士→愛甲猛)については「_」が付いていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA%23.E3.83.A6.E3.83.8B.E3.83.95.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.A0.E3.81.AE.E5.A4.89.E9.81.B7

千葉ロッテマリーンズ - Wikipedia

1992~94年のユニフォーム

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ビジター

1992年 - 1994年 - 本拠地が千葉市に移転し、球団名が「千葉ロッテマリーンズ」となり、初めてプルオーバー・タイプを採用。サンライズ・ピンクとカレント・ブルー(ブルーグレー)で千葉県のイメージを前面に押し出した。 帽子は、黒色地に帽子マークはピンクの縁取りに黒文字でCLM(Chiba Lotte Marinesの略)で真ん中に波模様が入ったもの。 シャツ・パンツは、白(ホーム)、ブルーグレー(ビジター)をそれぞれ採用。 首周り・袖口には、黒・ピンクのライン(外側にピンク)が、ズボンサイドにはピンクを黒で挟んだラインが入る。 胸マークには「Marines」(筆記体)を、左袖にはホーム「CHIBA」ビジター「LOTTE」(親会社ロッテのロゴマーク)のマークをそれぞれ採用。 胸マーク・番号にはピンク・黒縁取り、左袖マーク・背ネームには黒を使用。 背番号の「1」の書体は、「_」の無いもの(ただし、左上の欠けていない書体)が引き続き採用されたが、背番号1の愛甲猛については引き続きオリオンズ時代と同様の書体が採用された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA%23.E3.83.A6.E3.83.8B.E3.83.95.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.A0.E3.81.AE.E5.A4.89.E9.81.B7

千葉ロッテマリーンズ - Wikipedia

千葉ロッテマリーンズ - Wikipedia

南海ホークス→福岡ダイエーホークス

1978年~1992年のユニフォームを集めてみました。
その間もポイントのデザインチェンジは繰り返されましたが、大きくは89年に南海→ダイエーにオーナーチェンジしたタイミングでカラーも大きく変わりました。

1978~88年のユニフォーム

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ビジター

1977年のみパイレーツ型ユニフォームが廃止になり、アスレチックス型ユニフォームがマイナーチェンジ。袖、腰のラインに新たに赤が取り入れ、首周りがVネックから丸首に戻る。この年より背番号の上にローマ字で選手名が入り、スパイクの色が白地に黄緑の線となる。帽子はグリーンを地色に白のNHマーク。 ホーム用は、袖、腰が黄緑、黄、赤の3本線、首が深緑、黄緑、深緑の3本線。 ビジター用は、袖、腰が赤、白、黄の3本線、首が黄、白、黄の3本線。 1978年 - 1983年:野村監督解任、広瀬叔功監督就任に伴い、ユニフォームを一新。左肩のペットマークが取り外され、ホーム、ビジター共色使いはそのままで、鶴岡監督時代の象徴だった肩と袖の太線が復活(太ライン、ロゴ、背番号、胸番号:ホーム用は黄緑、ビジター用は白で、それぞれ黒の縁取り)。帽子はグリーンを地色に白のNHマーク。 1980年のみ、ホーム用が深緑の縦縞に変更され、帽子のツバが赤になる。さらに後期のみ胸番号が赤になる。しかし、最下位のため1年で廃止となる。 1983年のビジター用はベルトラインをループ状から通常型に変更し、サイドラインが消える。 1984年 - 1988年:前年の穴吹義雄監督就任に伴い、南海黄金時代の象徴であった深緑色が復活。肩、袖のラインが肩、袖に深緑の2本線となる。帽子はグリーンを地色に白のNHマーク。 ビジター用は上半身深緑で肩に線がない。 帽子の頂点のボタンが白のものとグリーンのものの2種類があった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%23.E3.83.A6.E3.83.8B.E3.83.95.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.A0.E3.81.AE.E5.A4.89.E9.81.B7

福岡ソフトバンクホークス - Wikipedia

1989~92年のユニフォーム

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ビジター

1989年 - 1992年:球団名が「福岡ダイエーホークス」となり、三宅一生デザインにより一新。ダイエーのイメージカラーのオレンジと、こげ茶色を基調とした縦縞(ホーム、ビジター共)となる。胸ロゴはホーム用が「Hawks」、「Hawks」の左上に小さく「Daiei」がつき、ビジター用が「Daiei」、「Daiei」の左上に小さく「FUKUOKA」がつく。右袖にはダイエーの社章、左袖はホーム・ビジター両方とも「FUKUOKA」。背番号、胸番号の書体が変更になり、西武ライオンズと同じ書体になる。帽子はこげ茶にオレンジ字で「FDH」だが、ヘルメットは鷹の頭部をイメージした、通称「ガッチャマンヘルメット」と呼ばれるユニークなデザインを採用。 なお、ユニフォーム以外ではウインドブレーカーがホーム用・ビジター用の2種類が用意され、カラーはホーム用はダイエーのイメージカラーのオレンジ、ビジター用は南海時代を継承する意味を込めて緑が採用された。背中は、ホーム用・ビジター用共通でローマ字で選手名(黒文字にオレンジの縁取り)、その下に九州地方の地図の上に鷹の刺しゅうを施したもの。 1991年途中から、ビジター用の地色をベージュから灰色に変更する。縦縞の色もこげ茶からオレンジに変更される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%23.E3.83.A6.E3.83.8B.E3.83.95.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.A0.E3.81.AE.E5.A4.89.E9.81.B7

福岡ソフトバンクホークス - Wikipedia

福岡ソフトバンクホークス - Wikipedia

プロ野球セ・リーグ、往年の懐かしいユニフォームまとめ

プロ野球セ・リーグ、往年の懐かしいユニフォームまとめ。 - Middle Edge(ミドルエッジ)

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