【史上最強の男】マイク・タイソン 頂点から転落、神話崩壊、そして伝説となる

【史上最強の男】マイク・タイソン 頂点から転落、神話崩壊、そして伝説となる

師:カス・ダマトは亡くなり、唯一タイソンを叱ることのできた兄弟子でありトレーナーだったケビン・ルーニーも、タイソンの生む利益にのみ関心のある者たちによって引き離され、全盛期といわれる1988年以降、マイク・タイソンの神話は崩壊していった。


1989年以降のマイク・タイソン

vs Franklin Bruno(フランク・ブルーノ)

1989年2月25日、
フランク・ブルーノは英国の誇りとまでいわれた実力者
しかしタイソンの敵ではないといわれた
事実、試合は5RでタイソンがKOした
しかしタイソンのボクシングは緩慢で雑だった
そして不用意に右フックを大振りしたタイソンのアゴにブルーノの右がクリーンヒットし
タイソンの腰が落ちかけたシーンもあった
普通のボクサーならともかくタイソンには考えられないことだった
タイソンの兄弟子:ホセ・トーレスはこの試合をみてコメントを残している
「カスが教えたものは何もかも失われていた
左右への動き、
コンビネーション、
タイミング、
忍耐、
最も基本的な左ジャブ・・・
そしてカス・ダマトと深い繋がりのあったコーナーマン達もそこにはいなかった・・・」

vs Carl Williams(カール・ウィリアムズ)

カール・ウィリアムスは
長身のボクサータイプで鋭いジャブとパンチ力を持っている
試合前の会見に30分ほど遅刻して
「ちょっと遅れてしまったよ」
と悪びれた様子も無く淡々とインタビューに答えた
1R
カールは
試合開始早々軽快に動きながら鋭いジャブを繰り出しいいスタートを切った
1分過ぎ、
カール・ウィリアムスの出した左ジャブに対してタイソンはダッキング
反動で伸び上がる力で左フックをカール・ウィリアムスのチン(顎先)にクリーンヒットさせた
カール・ウィリアムスはそのまま崩れ落ちた
カウント途中に立ち上がったがファイティングポーズを取らなかった為、レフェリー:ミルズ・レインがTKO負けを宣告した
カール・ウィリアムスは
TKO負けを宣告され
ふと我に返ったように続行可能を猛烈にアピール
カール・ウィリアムス陣営もリングに流れ込んで猛抗議を行った
が、後の祭りだった
試合があまりにも短時間で終わったため
ブルーノ戦でのタイソンは一時のものかと思われた
しかしその動きにかつてのキレはなく
解説の浜田剛史はタイソンのボクシングに首を傾げる発言をした

vs James "Buster” Douglas(ジェームス“バスター”ダグラス) ロングカウント 初敗北

1990年 、
ドノバン・ラドックとの防衛戦が決定していたが
タイソンが急にキャンセル
相変わらずゴタゴタが続いていた
そしてタイソンとその取り巻きがプロモーションのために来日
ついでに試合でもやろうかというノリで
2月16日の東京ドームのスケジュールがおさえた
そして相手はジェームス“バスター”ダグラスに決まった
試合当日
東京ドームの観衆は51,600人
ピッチャーマウンドがリングだとすると
外野手が守っている位置ぐらいの席が3万円
リングサイドは20万円
試合はアメリカのゴールデン・タイムに合わせ生中継されたため昼の12時半ころから行われ
アンダーカードに予備カードを用意して時間調整がされた
前座でプロ2戦目の辰吉丈一郎がリングに上がった
罵声を飛ぶ
「なんでプロ2戦目で10回戦なんだ」
辰吉は元タイ王者にダウンを奪われたが
辰吉の左のボディでタイ人は深々とリングに沈んだ
「何て凄いボクサーだ・・・」
観客はみんな大器を感じた
ジェームス・ダグラスは、
アメリカオハイオ州コロンバス出身
ニックネームはBuster(バスター、破壊者)"
タイソンは
マネージャーとのトラブル、
離婚、
旧敵と喧嘩、
自殺未遂疑惑
何かとその周辺にトラブルを抱えていた
更に来日後、不調が伝えられた
スパーリングでダウンを喫したという情報もあった
しかし37戦全勝33KOの鉄人が早い回で挑戦者(ジェームス・ダグラス)をKOしてしまうと誰もが信じて疑わなかった
1R
タイソンはいつもの軽快な動きがない
ダグラスに攻め込まれパンチを食い
タイソンの目が腫れ上がった
タイソンはペースを奪えない
しかしこんな状態でも会場の誰もがタイソンの逆転を信じて疑わない
そしてそれは突然やってきた
タイソンのもの凄いアッパーがダグラスの顎を捕らえてダグラス、ダウン
カウントアウト寸前で立ち上がる
しかしカウントが長い
ロングカウントだった
その後、タイソンはぐらつきダグラスの攻撃を受け続けた
10R
ショッキングなシーンが訪れる
「ドーン!!」
タイソンがマウスピースを吹っ飛ばされてリングに沈んだ
タイソンはリングに倒れ込む
そしてKOが宣せられた
タイソンはほとんどなにもできないまま力尽きてマットに落ちた
遠のく意識の下でマウスピースを口にねじ込む姿は無残だった
師:カスはすでに亡くなり
唯一タイソンを叱ることのできたケビン・ルーニーも
タイソンの生む利益にのみ関心のある取り巻きたちによって引き離され
80年代最後の年にタイソン神話は崩壊した
本人の意思とは無関係に
相手に突進しパワーで相手をねじ伏せるという当たり前のブルファイト・スタイルがタイソンの唯一の選択肢となった
試合後、タイソン側から
「ダグラスがダウンした時10カウント入っていた」
とクレームが出た
判定は覆らなかったがビデオでみると
確かにレフェリーのカウントのとりかたにミスがあり
本当は10カウント入っていた
ダグラスは
この4ヵ月後にイベンダー・ホリフィールドの挑戦を受けるが1RKOで敗れ1度も防衛はできなかった

vs Henry Tillma(ヘンリー・ティルマン)

ヘンリー・ティルマンは
かつてアマチュア時代、オリンピック選考会の国内予選の決勝でタイソンを破ってロサンゼルスオリンピック出場し金メダルを獲得した
2人の再戦はプロのリングでタイソンが1RKO勝ちを収めた

vs Alex Stewart(アレックス・ステュワート)

アレックス・ステュワートを1RKO

vs Donovan "Razor" Ruddock(ドノバン”レイザー(カミソリ)”ラドック) 「ピーカーブー」vs「スマッシュ」

1991年3月18日、
タイソンはドノバン”レイザー(カミソリ)”ラドックと戦った
ドノバンは対タイソン用の必殺パンチを持っていた
それは「スマッシュ」といわれる3クォーター(4/3)から放たれるアッパー気味のパンチだった
カス・ダマトが「パンチを打たないときはグローブの親指を噛んでいろ」といったタイソンの「ピーカーブー(いないいないばあ)」スタイル
この鉄壁のピーカーブーにも弱点があった
それはグローブの下にできる隙間だった
ここに下からアッパーを打ち込んでタイソンのアゴを狙うことが攻略法だといわれた
しかしアッパーは接近して打たねばならない
タイソンに接近戦は危険だった
スマッシュは
通常のアッパーよりスリークォーター(4/3)程度上に拳を構え
そこから斜め前方に向かって発射するパンチで
これならアッパーほど近づかなくても顎に向かって下からパンチを放つことができた
試合は7RTKOでタイソンが勝ったが
スマッシュはまったくく予想もしていない間合いとタイミングから突然、物凄いスピードとパワーで放たれタイソンの顎をかすめた

vs Donovan "Razor" Ruddock(ドノバン”レイザー(カミソリ)”ラドック) 再戦

1991年6月28日、
ドノバン・ラドックと再戦は
壮絶な打ち合いのまま判定までもつれる死闘となった
タイソンは鼓膜を破り
ラドックは顎を砕かれた
ラドックは2Rと4Rにダウンを奪われ
タイソンはスマッシュでマウスピースを飛ばされた
結果は4P~6P差でタイソンが勝利
タイソンと真っ向から打ち合って判定までもつれたのはラドックが初めてだった

レイプ疑惑

1992年3月、	
ディズィリー・ワシントンがホテルの一室でレイプされたとしてマイク・タイソンを訴え
タイソンは婦女暴行罪でインディアナ州マリオン郡高裁により
実刑6年罰金3万ドルの判決を受け
同州ペルドルトンの刑務所に収監された
この裁判は
状況証拠が一切なく被害者であるディズィリー・ワシントンの証言のみである
タイソンは合意の上でのSEXだったと話した
彼にモーションをかけているディズィリーの姿を目撃したという情報もあった
タイソンが様々なトラブルから世間の評判を落としており
裁判官らの彼に対する印象が悪かったためであり有罪判決はタイソンの不運という識者も多い
「あの女がホテルまで来て自分からパンツを脱いだんだ
ファック準備完了ってやつさ
だから俺はファックした
体の隅々まで舐めてやった
アソコもケツも舐めてやったなのに俺はあいつのケツをヤッた(レイプした)という事になってる
どうせ最初っから全部計画してたんだろうよ
今じゃ俺は最低のゲス野郎さ
もう慣れちまったがな」
(マイク・タイソン)

「He is back」

1995年、
3年間服役後、仮釈放
服役中にイスラム教に改宗し、
マリク・アブドゥル・アシスという名を持った
そして
毛沢東(右腕)、
アーサー・アッシュ(左腕)、
チェ・ゲバラ(左脇腹)
の刺青が入った
毛沢東は
中華人民共和国の建国の父
アーサー・アッシュは、
男子テニス選手で
黒人テニス選手の先駆者として活躍し
エイズのため49歳で死去した
4大大会で男子シングルスを制覇した初の黒人選手である
チェ・ゲバラは
伝説的なゲリラ指導者である

vs Peter McNeeley(ピーター・マクニーリー) 

レイプ罪による実刑判決を受け
4年余りのブランクをもったマイク・タイソンがカムバックした
記者会見でマクニーリーは吼えた
汚い言葉を吐きまくった
タイソンは物静かだった
試合当日、リングに向かうタイソンがビッグモニターに映し出されたとき
会場は異様な空気になった
タイソンにゾッとしたのだ
タイソンの表情は暗く
まさに今から人を殺しに行く男の顔だった
闘うことを生業に
拳だけで人生を切り拓いてきた男の黒い躰は筋肉の鎧で覆われ
僅かな動作をする度に両腕の筋肉が生き物のように動いた
マクニーリーは・・・・
記者会見の威勢はどこに行ったのか
ビビっていた
試合はたった89秒だった
1Rにタイソンがダウンを奪うとマクニーリーのセコンドが乱入
タイソンの失格勝ちとなった

vs Buster Mathis, Jr.(バスター・マチスJr)

復帰1戦目を1RKOし世界ランク1位となったタイソンの2戦目は
世界ランク4位、22戦負けなしのマチスJr
マチスはタイソンを押し込んでタイソンの懐に入り超接近戦
タイソンはボディブローは当たるものの顔面への攻撃はかわされ
マチスはクリンチも駆使した
3R
しかしタイソン高速サイドステップからの右アッパーがマチスJrの顔面に炸裂、
すかさずラッシュ
マチスJr、ダウン
何とか立ち上がったがレフリーが10カウントを数え試合終了

vs Frank Bruno(フランク・ブルーノ) 再び世界チャンピオンになる

1996年3月、
イギリスが誇る世界ヘビー級チャンピオンのフランク・ブルーノとアメリカが誇る「鉄人」マイク・タイソンがWBC世界ヘビー級タイトルマッチで8年ぶりに拳を交えた
チャンピオン:フランク・ブルーノ、44戦40勝38KO4敗
挑戦者:マイク・タイソン、44戦43勝37KO1敗
ラスベガスのMGMグランドガーデンには1万6000人の観客が集まり
試合は世界97の国で放送された
このメガファイトはファイトマネーも規格外で
チャンピオンのフランク・ブルーノのファイトマネーが600万ドル
挑戦者のマイク・タイソンのファイトマネーは驚愕の3000万ドル
世界中のボクシングファンはマイク・タイソンを待ち望んでいた
試合は
開始直後から両者ともKOを狙ってパンチを強振する展開
身長11cm、リーチ28cm、体重12㎏という体格差を埋めるため
マイク・タイソンはフランク・ブルーノの懐へ鋭く飛び込んで強打を振る
フランク・ブルーノはタイソンが飛び込んでくるタイミングを探りながら右ストレートと右アッパーのカウンターを狙う
お互い相手を一撃で沈めるパンチ力を持っているので全く目が離せない
1R残り40秒、
タイソンの踏み込みに合わせたブルーノの右アッパーでタイソンの腰が一瞬落ちる
しかし残り20秒
マイク・タイソンも強烈な右ストレートをフランク・ブルーノのアゴへ叩き込んだ
2R開始
タイソンはいきなり飛び込んで左右のフック
ブルーノはクリンチを使い必死に耐える
一撃の威力を比べるとタイソンの凄まじさが際立っている
ラウンド中盤
タイソンの左フックがブルーノのテンプルをとらえ、さらに右ストレートがブルーノのアゴを打ち抜いた
驚異的なタフネスを誇るブルーノがフラついた
3R、
タイソンが一気に勝負をかけた
ブルーノがサウスポーにスイッチしてタイソンの攻撃を防ごうとした瞬間
タイソンの強烈な左フックがブルーノのアゴを打ち抜き
ブルーノの腰が落ちた
ブルーノは何とかタイソンに抱きついてクリンチをしようとするが
タイソンは力づくでクリンチをふりほどき左フック、右フックを顔面に叩き込み
さらにブルーノのアゴを狙って右アッパーを3連打
最後は左フック、右アッパーの2連打でブルーノが崩れ落ちたところでレフェリーが試合をストップ
マイク・タイソンがフランク・ブルーノに3RTKO勝ちをおさめ
復帰3戦目で悲願の世界チャンピオンを手に入れ王者に返り咲いた

vs BruceSeldon(ブルース・セルドン) 再びヘビー級統一王者に

ブルース・セルドンは、
ニュージャージー州アトランティックシティ出身
ニックネームはアトランティックシティ・エクスプレス
タイソンと似たような体格、体型
似たようなボクシングスタイル
スピードもパワーもある
また過去に強盗容疑で服役したこともあり人生も似ているかもしれない
しかし両者は決定的な優劣がある
それはタフネスである
セルドンは打たれ弱い
タイソンはそのオフェンスが目立つがディフェンスもすばらしい上に肉体も心も異常にタフだった
1R、
いつも自分より大きな選手をガンガン戦っているので
タイソンが同じ体格の選手と戦う姿は新鮮だった
タイソンのフックがセルドンの頭頂部をかすりダウン
明らかにセルドンはタイソンを恐れている
2発目もクリーンヒットではなかったがセルドンは2度目のダウンをした
「止めろ!」
観客が叫んだ
直後、試合は中断された
ボクシングにおけるタフネスとは
肉体的なものと精神的なものがあることが証明された瞬間だった
タイソンは出所後3戦目で世界タイトルを奪取、4戦目で2冠を達成した
そのリング上でのインタビュー
「ああ・・カス・ダマト
あんたはツー・ダウンをとったぞ
あとワン・ダウンで俺達の勝ちだ
あんたは遠い遠いところで寂しがってるんだろうな
もう少し待っててくれ
俺が肩の荷を下ろしてやるぞ!」
セルドンは控え室で号泣し以降8年近くリングから遠ざかった
また俳優の2パックが
この試合を観戦した帰り道、乗車したまま何者かに射殺された

vs EvanderHolyfield(イベンダー・ホリフィールド) 11RKO負け、再び無冠となる

イベンダー・ホリフィールドは
タイソンが出ることができなかったロサンゼルスオリンピックのライトヘビー級銅メダリスト
強打・大柄な相手にも真っ向勝負を挑み
決して諦めない姿勢から「TheRealDeal(リアルディール)」と呼ばれる
タイソンが東京でジェームス“バスター”ダグラスに敗れ
数ヶ月後、ホリフィールドがダグラスをマットに沈めた
その後、タイソンは階段を着実にのぼった
そして1991年11月8日にホリフィールドに挑むチャンスを掴んだ
誰もがタイソンとホリフィールドの対決をみたいと思った
しかしタイソンのケガで試合は延期となり
そしてその後、レイプ事件でタイソンは刑務所に収監された
あれから6年余りが経過し
ついにタイソンとホリフィールドが戦う時がやってきた
6年前と違うことといえばホリフィールドはスキンヘッド、タイソンは刺青をしていることだった
初対決となる2人
戦前の予想はタイソン有利
1R
ホリフィールドはタイソンを恐れずに打ち合った
ホリフィールドの勇気はやはり本物だった
両者のプライドは予想をはるかに上回るものだった
その闘いは濃密で観るものを興奮させた
結局、試合は大方の予想を覆し
ホリフィールドが長身を利用してタイソンの強力パンチを封じ込めTKO勝ちした
タイソンは前回、東京で負けた時以上に壮絶なKO負けで生涯2度目の敗北を喫した
タイソンがまともに負けた初めての試合といってもいいだろう

vs EvanderHolyfield(イベンダー・ホリフィールド) 3R失格負け 耳をかみちぎる 

世界中が注目した世紀のリターンマッチは
3R終了時
マイク・タイソンがイベンダー・ホリフィールドの右耳をかみちぎるというボクシング史上初の反則で3R終了失格負けした
裁定に逆上したタイソンはホリフィールド陣営に殴りかかった
ラスベガスの試合会場は大騒動となった
試合2日後
タイソンは当地のホテルで会見し
関係者に謝罪し
永久追放処分の猶予を嘆願した
『どうして耳を噛んだのですか?』
「ホリフィールドとは2度目の対戦だった
俺は何より頭にきてた奴をメチャクチャにしてやりたいと思った
それでキレちまったんだ」
『何に怒ってたんですか?』
「俺の人生のこと
(ホリフィールドとの)最初の対戦のこと
俺を悪く言った奴等のこと
そういうことを考えたら腹が立って仕方がなかった
例えば最初の対戦の時、
ホリフィールドは最初の2R、
わざとバッティングをしてきた
こっちが気を失いかけたほどだったんだぜ?
それを2度目も同じようにやられたんだ
またかと思ってプツンときちまった
ジョージ・フォアマンはホリフィールドはこれまでみたなかで一番ダーティーなファイターだって言ってたんだぜ
最初の対戦のときなんてあのおかげですっかり感覚が麻痺しちまって
パンチを貰ってるのもわからなくなってたほどだった
ああ、あのバッティングはわざとだったよ
絶対にな」
『つまり復讐するために噛み付いたってことですか?』
「殺してやりたかったんだよ
噛み付いてやりたかった
頭にきまくってたのさ」
『試合後はどう思いましたか?』
「どうしようもなくなっちまった
あんなことをやっちまった自分が腹立たしかったよ
それ以前は怒りを感じながら試合に臨んだことなんてなかった
一度もな
そうはみえなかったかもしれないが
あの試合まで俺は絶対に怒りを引きずったままリングに立ったことなんてなかったんだだから、
あんな事をやった自分が恥ずかしかった
ショックだったし怖かった
あんな事になるなら(普通に戦って)負けたほうが良かったさ」 
『2度のホリフィールド戦はあなたの経歴にどんな影響を与えたんでしょう』
「あんまりいい影響じゃないよな
俺には敵が多すぎる
そういう奴等が全てをコントロールしてるんだからな
奴等は俺の評判をできるだけ下げようとしてるのさ
クソッタレどものことなんてもうどうでもいい
俺は名誉の殿堂入りするチャンスを自分でダメにしちまった
そういう男になることをあれだけ夢みてたっていうのにな
だからもうどうでもいいんだ
評論家どもはホリフィールド戦のことを持ち出して俺を否定するだろう
でもアリだって負けたことはあるんだぜ?
もう本当にどうでもいいよ
俺の人生なんて、もう終わりさ
あとはただ生きていくだけだよ」
『終わり?』
「もちろんカネは稼げるだろうさ
タイトルだって獲れるかもしれない
だが俺の社会的地位ってやつは? 
ゼロさ」

場外乱闘

1998年、
アメリカのプロレス団体WWEのRAWの会場に現れストーン・コールド・スティーブ・オースティンと舌戦を繰り広げた
そしてWrestleManiaで
ショーン・マイケルズ対ストーン・コールド・スティーブ・オースティン戦のスペシャルレフェリーを務めた
同年8月8月
暴行容疑で逮捕された

vs FrancoisBotha(フランソワ-ズ・ボタ)

フランソワ・ボタは
187cm116kg
ニックネームはThe White Buffaro(ザ・ホワイト・バッファロー)
終了間際にボタとタイソンが乱闘になり
リング上は両軍のセコンドが入り乱れての大混乱となった
5Rタイソンがボタを捕まえ右一発でKOした
この一発でボタは首の骨がズレるほどの重症を負い担架で運ばれた

vs Julius Francis(ジュリアス・フランシス)

2000年1月29日、
ジュリアス・フランシスに2RTKO勝ち

vs LouSavarese(ルー・サリバーゼ)

ルー・サリバーゼに1RTKO勝ち

vs AndrewGolota(アンドリュー・ゴロタ)  2RTKO勝ちするも 試合後、マリファナの陽性反応が出たため ノーコンテスト

マイク・タイソンは
再び王座を取り戻すべく世界ランカー相手の戦いを続けていく
ゴロタは
ポーランドの「鉄の男」
193cm108kg
世界ランク9位
1R、
タイソンは強烈な右フックでダウンを奪った
ゴロタはダウンからの立ち直り頑張ったが
2Rのインターバル中にセコンドと激しく言い争い
3R開始のゴングに応じず試合が終了した
「タイソンを恐れたわけではない
ダウンしたパンチを受ける直前に左眼にバッティングを受け
激しい痛みと視界のぼやけに襲われた
レフリーがタイソンに何も注意しなかったので混乱し
その直後のパンチだったのでガードもしっかりしていなかった
ダウンは効いたというよりはバランスを崩したものだ
だからすぐに立ち上がることができた
ラウンド間に目と頭痛はさらに激しくなったが、
試合続行を決意した
しかし2Rに再びバッティングを受け混乱し危機を迎えた
何がどうなったのか自分でもわからなかった
本能と15年のキャリアで凌いだ
7週間最も厳しいトレーニングを行なった
私は棄権野郎ではない!
金のために逃げる道を探したのではない
もう一つ
タイソン戦ではクリーンファイターにならなければという強いプレッシャーがあった
だからヘッドバットに対してもルールを守った
私は野蛮でないボクシングを望んでいた
多分、多分だが、以前の悪の私だったらタイソンに勝っていただろう」
(ゴロタ)
当初はタイソンの2RTKO勝ちとなったが
試合終了直後に行われたドーピングテスト(尿検査)で
タイソンにマリファナの陽性反応が出たため
ノーコンテストに改められた
またゴロタはタイソンの右を浴びて眼窩底骨折の重傷を負い
精密検査で脳内出血の痕跡も発見されたことから、
2R終了後のインターバル中、セコンドと激しく言い争った挙句試合を放棄したことについて
「試合の継続を強要しようとしたセコンドの判断ミス
あのまま続けていたらゴロタは無事な姿でリングを降りることができなかったかも」
と非難の嵐から一転、擁護される立場に変わった

Lennox Lewis(レノックス・ルイス)と乱闘

2002年1月、
WBC、IBF世界ヘビー級王者:レノックス・ルイスに
同級元統一王者マイク・タイソンが挑戦することが発表された
記者会見の場所はニューヨーク市内のホテル
全身黒ずくめのいでたちで壇上に現れたタイソンが先に入場
後に登場したルイスに突然詰め寄り
それがきっかけとなり両陣営20人強入り乱れての大乱闘に発展し会見は中止となった
会見場は一瞬にして修羅場となった
立会人だったWBC会長のスライマンまでその乱闘に巻き込まれて失神
病院送りになってしまった
仕掛けたのはタイソン
壇上に上がってきたルイスに急接近
ルイスのボディーガードがそれに即反応
タイソンとルイスの間に割って入るかたちでタイソンを押し戻そうとした
それにタイソンがキレて20人ほどの大乱闘が勃発
タイソンのフックは空を切り
ルイスの右がタイソンの額をかすめタイソンは流血した
タイソンは乱闘のドサクサでルイスの脚に噛みつき歯形を残した
騒動が終わった後、額に傷を負ったタイソンは呆然としていた
「オマエは何しに来たんだ!」
そんなタイソンに観客から野次が飛んだ
タイソンは再びキレた
「何しに来ただと?
オレはただ偉大な王者ルイスに挨拶したかっただけだ!」
タイソンは放送禁止用語で激しく罵った
乱闘後、
タイソン側はルイスに接近したのは殴るためではなく
「言われた通りにやった」
と演出だったことを主張
事前に言われた通り壇上でルイスと顔をつきあさせてポーズをとる為に接近したところ
過剰反応したルイスのボディーガードがタイソンを突いたことにタイソンは腹を立てたという
1月29日、
ネバダ州アスレティック・コミッションの公聴会が開かれた
ネバダ州のコミッションはイベンダー・ホーリフィールドとの試合中タイソンが相手の耳の一部を食いちぎった件で
実質1年間の無期限出場停止処分をタイソンに下したことがある
今回も5人のコミッショナーによって審議され
聴聞会が開かれタイソン本人も召集された
タイソンの精神鑑定も必要との声もあがった

6月5日、
公開練習でタイソン陣営は「5R以内のKO」を予告
ルイス陣営も「LEWIS05 」のTシャツを着て5R以内のKOを予告
掛け率は
タイソン+180($100賭けタイソンが勝つと+$180)
ルイス-200($100儲けるために$200賭けねばならない)でルイス有利
タイソン判定7/1 
タイソンKO9/5 
ルイス判定8/5 
ルイスKO5/6 
引分け20/1
6.5R超+120 
6.5R以内の決着-140($100得るために$140賭ける必要あり)
当日のリングアナウンスはタイソンをジミー・レノンJR、ルイスをマイケル・バッファーが行う
6月6日、
計量会場はものものしい雰囲気に包まれた
警備は過去のボクシング興行に例をみないほど厳重で
会場には2重3重のチェックポイントが設けられ金属探知機まで出動した
関係者はテロ事件に備えての措置と説明したが理由はそれだけではない
1月にニューヨークで行われた記者会見で両陣営は大乱闘を起こした
その再発を懸念してのことだろう
計量はトラブルを避けるため
ルイスは12時から
タイソンは3時から
ルイスは249 1/4(113kg)
タイソンは234 1/2(106.5kg)
ルイスはナックルの薄いREYESグローブを選択した

vs Lennox Lewis(レノックス・ルイス)

2002年6月8日、
ロックンロールの伝説的スーパースター:エルビス・プレスリーが誕生した聖地
テネシー州メンフィス、ザ・ピラミッドでボクシング界のスーパースター同士が激突した
WBC・IBF世界ヘビー級タイトルマッチ
WBC・IBF世界ヘビー級チャンピオン:レノックス・ルイス
vs
元3団体統一世界ヘビー級チャンピオン:マイク・タイソン
両者の報酬が最低で17.5million(約22億円)ずつ
アメリカでのPPV視聴料金$54.95(約7千円)で
60万件予約があり
最終的には100万件を越えると想定され
リングサイドチケットが$2400(約30万円)
究極のマッチメイクだけあって天文学的な金額が並ぶ
驚くべきはチャンピオンのルイスと挑戦者のタイソンのファイトマネーが同額であること
やはりタイソンの商品価値はズバ抜けている
レノックス・クラウディス・ルイス(Lennox Claudius Lewis)は、
身長196cm、113㎏、リーチ208cm、
カナダで育ちカナダ代表としてソウルオリンピック・スーパーヘビー級で金メダル獲得
プロ転向後、イギリスに帰化
スピード・パワー・テクニックを持ち合わせ1990年代最強のヘビー級ボクサーとの呼び声が高い
オーソドックスでなおかつパワー・スピード・テクニックを持ち合わせた重量級ボクサーの教科書のような選手である
196cmという大きな体、長いリーチと破壊力、持って生まれた体格を最大限に活かし、
低リスク、かつ迫力あるボクシングを展開する
タイソンは180cm
ヘビー級では小型である
歴代ヘビー級チャンピオンで
身長6フィート(約180cm)未満は僅か6人、
73年のジョー・フレジャー以降ではタイソン以外皆無である
小型選手のハンディを負うも
リング上でのその闘争本能が観衆を常に引きつける天才タイソン
ニューヨーク・ブルックリン
矯正院、
オリンピック予選敗戦、
最少年ヘビー級王者
離婚した妻は女優ロビン・ギブンス
プロモーターはドン・キング、
怠惰による王座陥落
レイプ
暴言
暴行
タイソンは20代前半までに凝縮された両方の体験をほぼすべて経験した
一方のルイスは、
ジャマイカ系でカナディアンで英国に落ち着いた移民の流れをくむ
趣味はチェス
36歳独身、母親の手料理を好む
トラブルとは無縁
ボクシング界を代表する現代のトップアスリートである
物静かで品性そして知性さえ感じさせ
なぜボクシング?と考えてしまうほどの紳士で
完全な大人である
「狂気と夢を持つ男」タイソン
「理想的アスリート」ルイス
これは単なるヘビー級タイトルマッチではなく好対照な2人の男の人生の激突でもある
ルイスの強みは
ファイタータイプ、ボクサータイプのどちらのボクサーにも対応できる点
ボクサータイプならリーチを活かした左ジャブから右ストレートでKOを狙う
懐に入ってくるファイタータイプなら右アッパーから右ストレートで距離を取って戦う
タイソンはルイスの懐に飛び込んで左右をフックを決めたい
両者の入場
タイソンは集中して落ち着いている
ルイスはレゲエの独特なテンポにのりゆったりと入場した
しかし両者共に相当緊張している

日本時間12時27分27秒にゴングが鳴った
1R
いきなり攻めていくタイソン
頭を左右に振り
ダブルジャブを使い
危険な距離に飛び込み左フックを狙っていく
ルイスは上体が立ってしまい真っ直ぐに非常に危険な下がり方をする
たまらず196cmの身長を使い180cmのタイソンを上から押さえつける
2R
ルイスが伝家の宝刀を抜いた
懐に飛び込もうとするタイソンに強烈な右アッパー
この一撃が勝負の一打となった
アッパーを喰らったタイソンの動きはパタッと止まった
それ以後何かを考えているように一瞬遅く迷ったような動きを繰り返す
ルイスの右アッパーはタイソンの警戒心をあおりタイソンは迷いながらボクシングをするようになったのだ
懐に飛び込むことだけでなく頭を振ることも忘れてしまい
それからはラウンドを追うごとにルイスのリズムが良くなる
タイソンはルイスの正面に立ち戸惑っているうちにルイスの攻撃をもろに受け続けてしまう
196cm、113kgのジャブのダメージは想像以上であろう
タイソンはなすすべがなく彷徨うようにルイスのジャブと右をもらい続ける
タイソンは脱出するためにルールすれすれの行為を試みることもあるが
今日は全くない
ルイスは慎重
タイソンの逆転のパンチを警戒し深追いは絶対にしない
安全運転でロングジャブ、右とカウンター、アッパーでタイソンをいたぶるように攻め続ける
6R
タイソンはダメージで足がふらついている
左右の目尻をカットし
左瞼大きく腫れて
鼻からは血が滴り落ちている
8R
タイソンの左右のまぶたは腫れ上がり視界は奪われている
ルイスはサンドバッグ状態のタイソンに対して猛攻を仕掛け
右アッパーでこの試合初めてのダウンを奪う
何とか立ち上がるタイソン
頭を左に避けるように動かした瞬間
ルイスは右フックでタイソンを襲った
ルイスの右のロングフックはタイソンの顎にもろに入った
タイソンの顔が反対方向に捻じ曲げられ、
タイソンは静かに崩れた
再び立ち上がろうとするタイソン
レフリーのカウントに反応するのでなく、
すでに本能のみで立ち上がる
しかし無情にもカウントは進み8RKOで試合は終了した
世界中のボクシングファンが待ち望んだヘビー級最強決定戦は
チャンピオン:ルイスの圧勝で幕を閉じた
試合後、ルイスは引退を示唆した

K-1

2003年、
タイソンの左目周辺に、NZマオリ族のシンボルという刺青が施された
6月
暴行容疑で逮捕
2004年4月15日、
K-1の試合出場契約を結ぶが
薬物犯罪者は日本に入国できないため実現は不可能
300億円以上稼いだといわれるタイソンは
破産宣告をし
裁決の結果、それでも30億円の支払いが残っている

vs Danny Williams(ダニー・ウィリアムズ)、膝の靭帯を断裂して負ける

マイク・タイソンは
ケンタッキー州ルイビルで1年半ぶりの復帰戦となるノンタイトルマッチに臨んだ
1R
タイソンは試合開始から得意の左フックを中心に積極的に攻めて出た
約1万7000人のファンの声援を背に受け強烈な左右のパンチを顔面、ボディーへと打ち込み、
何度もウィリアムズをふらつかせた
しかし1R中盤で膝の靭帯断裂していた
その後、タイソンは失速し次第に後退する場面が多くなる
4R
タイソンはウィリアムズの20発以上のラッシュをまともに受けグロッキー
最後は右フックを浴び、腰からダウン
ロープにもたれたままテンカウントを聞いた
タイソンの約1年半ぶりの復帰戦は無残なKO負けとなった
「申し訳ない
がっかりしている」
試合後そうつぶやいたタイソンはすぐさま病院へ直行
鉄人は選手生命最大のピンチを迎えた

vs. Kevin McBride(ケビン・マクブライド) ラストファイト、6RTKO負け

2005年6月12日、、
ケヴィン・マクブライドは
元アイルランド・ヘビー級チャンピオン
198cmの巨人
タイソンとのリーチ差は23cm
約1年ぶりの再起戦となったタイソンに対し
リングアナウンサー(ジミー・レノン・ジュニア)のコールは
「ロンリー・アイアン(孤独の鉄人)!」
タイソンの動きは重く
長身のマクブライドに詰め寄られる
マクブライドのリードブローをタイソンはダッキングで回避するが
そのスピードは全盛期に遠く及ばない
しかし強烈なパンチは健在
それは空振りでも相手に恐怖を植えつける
突進するタイソン
左、右の連打で、マクブライドを棒立ちにさせ
左のボディー、アッパーカット
さらに左のアッパーから右のボディー!!
観客は総立ちになった
5Rには
肘打ち(反則)、頭突き(反則)まで突き上げた
しかしこのラウンドの途中から動きが止まる
終始守勢に回っていたマクブライドが
タイソンをロープに詰めてボディー、アッパー
さらに巨体を生かして上から覆い被さるように連打した
6R、
タイソンはラッシュ
しかし脚は動いていない
マクブライドはクリンチで逃れ至近距離からパンチを打っていく
タイソンはマクブライドの肘を関節技で極め(反則)
マクブライドは悲鳴を上げた
さらにクリンチにきたところをバッティング(頭突き)
これは「故意」とされ減点2
マクブライドは流血
タイソンは起死回生を狙った右を大きく空振り
マクブライドは懲りずにクリンチ
タイソン、再度、腕を極め
マクブライド、悲鳴
残り30秒、
タイソンは脚が動かない
棒立ちになりマクブライドの左右の連打を頭部に食らいさらに棒立ち
マクブライドは攻勢をかけながらもクリンチ
アッパーを突き上げ
ロープに押し込み
左右の連打
棒立ちのタイソン
ロープに詰まり右の連打を食らい
マクブライドの巨体に上から圧し掛かられた瞬間に崩れ落ちた
レフェリーはスリップダウンと認定
ここで6R終了
タイソンは足取り重くコーナーに戻った
7R
セコンドはタイソンにストップを促し
タイソンもそれを受け入れ
ゴングが鳴ってもタイソンが出て行かなかったため
レフリーは試合終了させた
試合後の会見で引退も示唆した
 「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」

コカイン所持

2006年12月29日、
自動車でナイトクラブから帰宅する途中にパトカーと遭遇し衝突しかけた
取り調べを受けた際
飲酒運転およびコカイン使用所持(再犯)が発覚し逮捕された
2007年11月19日、
昨年12月にコカインを使用、所持したまま自動車を運転したとして逮捕され禁固1日、執行猶予3年の判決を受けた
9月に司法取引に応じてコカインの所持、使用を認めていた
タイソンは取り調べでコカインを常習的に使用していたことやマリフアナを吸引していたことを認めた

「記憶してもらうだけで幸せだ」

2008年1月30日、
マイク・タイソンは南アフリカでのインタビューで
「記憶してもらうだけで幸せだ」
などと語った
子ども向けチャリティーの募金活動で当地を訪れているタイソンは
「戦争のない場所であればどこへでも行きたい
ケニアにも行きたいがあそこは内戦状態になっている」
と語った
またもう自分自身は悪童ではないと語り
ボクシングへの関心もないとコメント
「年を取り過ぎたと感じる
記憶してもらうだけで幸せだ」
と話した

「Tyson」

2008年5月16日
ジェームズ・トバック監督によるドキュメンタリー「Tyson」がカンヌ映画祭で上映された
そのとき行われた記者会見で
タイソンは自らの人生について語った
古くからタイソンと親交のあるジェームズ・トバック監督が手がけたこともあり、
同作では元王者の知られざる側面が描かれ
「絶頂に上り詰めた後、ごう慢さと陰謀と無謀さによって自滅した男の古典的な悲劇です」
と説明する
華やかなキャリアと共にトラブルだらけの私生活で知られ
レイプ事件で1992~95年、収監され、
その後、ボクシング界に復活を遂げるが、
97年にイベンター・ホリフィールドとのWBA世界ヘビー級選手権において悪名高い耳かみ事件を起こした
暴行事件で再び刑務所に服役したのち2度目の復活を果たすが、
そのときにはもはやかつての精彩はみられなかった
タイソンが酒とドラッグ漬けの生活を断つべくリハビリ施設に入ったとき、
トバック監督がドキュメンタリー映画のオファーをした
自身もかつて酒やドラッグで問題を抱えていたトバック監督にはタイソンの状況は十分理解できたという
タイソンは1週間にわたるインタビュー取材を許可し、
それが今回のドキュメンタリー映画「Tyson」の始まりとなった

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