史上初の七冠を達成した 羽生善治

10代の頃から活躍した羽生善治!

羽生の七冠獲得を伝える新聞
羽生善治とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

羽生世代の衝撃 ―対局日誌傑作選―
小学生の頃から強かった!!
小1から将棋にのめり込んだ

小6の羽生少年
大人になっても強かった!!
七冠を独占するまでの道のり
羽生善治とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

1993年、郷田真隆王位との王位戦

1996年2月、谷川浩司王将(左)と七冠を賭けて再戦!
ところが、それから1年間、羽生は王将戦第7局の前に既に防衛していた棋王戦(対・森下卓)を含め、名人戦(対・森下卓)、棋聖戦(対・三浦弘行)、王位戦(対・郷田真隆)、王座戦(対・森雞二)、竜王戦(対・佐藤康光)と六冠の防衛に全て成功する。
そのかたわら、第45期王将リーグは対・中原戦で1敗を喫したものの、村山聖、森内俊之、丸山忠久、郷田真隆、有吉道夫に勝って5勝1敗の1位となり、2期連続で谷川王将への挑戦権を勝ち取る。
第45期王将戦七番勝負の決着は、前年とは異なりあっさりとやって来た。
羽生は開幕から3連勝し、山口県のマリンピアくろいでの第4局(1996年2月13日-2月14日)を迎える。
報道陣の数は1日目から170名を超え、2日目には250名近くに達した。
羽生の後手番で戦形は横歩取りの激しい将棋となり、82手で羽生の勝利。
4-0のストレートで王将位を奪取し、ついに七冠独占を達成した。
横歩取りは、谷川が低段の頃に愛用しており、それに影響を受けた小学生時代の羽生少年が好んで指していた戦法であったため、その戦形で七冠を達成できたことは、感慨深かったという。
七冠達成以降の羽生善治
3度目の防衛に失敗

思考を巡らす羽生善治
一冠のみとなった2004年に底力を発揮
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その後、2004年度中に次々とタイトル挑戦権を得て、王位戦、王将戦、棋王戦を獲得し、四冠を取り戻した。
2004年以降も順調に好成績を挙げていく羽生。
2008年にはいわゆる「永世六冠」(永世名人、永世棋聖、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将)を史上初めて達成する強さをみせた。

「結果を出し続けるために」 羽生 善治 (著)
タイトル戦以外も強かった!!
羽生善治とは (ハブヨシハルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

近年の羽生善治
なんと「チェス」も強かった!!
将棋の羽生善治さんがポーランドのチェス大会でグランドマスターに勝利!その実力と実績とは? | takahirosuzuki.com

思考を巡らす羽生善治
全日本チェス選手権優勝の小島慎也も日本で一番チェスが強いのは羽生さんと明言している。
一体どういった頭の構造をしているのだろうか、羽生善治という男は。