光代と沙知代の「ミッチー・サッチー騒動」

第1ラウンド ラジオで浅香光代が先制「口撃」!
「ミッチー・サッチー騒動」ってなんですか? - 野村沙知代さんは、夫の野村克... - Yahoo!知恵袋

浅香光代(以下、光代)と野村沙知代(以下、沙知代)は舞台で共演する等、友好な関係で知られていました。
そんな中、突然光代が沙知代への不満を爆発させた事も、驚きをもって取り上げられました。
舞台の共演時に、沙知代が稽古をサボった上に「挨拶がしっかりしていない」、「横柄な振舞」等と批判されたそうで、そうした批判に対して「馬鹿言ってんじゃないわよ!」、「一体何様のつもりだってぇの!?」と反論しました。
第2ラウンド 野村沙知代が応戦!他の芸能人も参戦決定!
光代の批判に、沙知代も黙っておらず、4月に入り大阪市内のホテルで行われた講演会で応戦します。
「どうせ売名行為でしょ」、「金持ち喧嘩せずよ」とふてぶてしく、光代を批判しました。
また、浅香を皮肉を込め「女剣劇」と称しました。
それが騒動をより加熱させます。
光代は世志凡太(内縁の夫)をも騒動に引き込み、更に批判を続けました。

錚々たる面子が参戦するバトルに発展!
ミッチー・サッチー騒動 - ミッチー・サッチー騒動の概要#.E6.A6.82.E8.A6.81 - Weblio辞書

ミッチー・サッチー騒動とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

第3ラウンド 番組スポンサー降板にまで発展!

最終ラウンド 沙知代の学歴詐称と逮捕!
騒動の過熱化に伴い、沙知代のこれまでの問題発言や傲慢な態度が、事細かく報道されていく事となります。
沙知代自身がオーナーである少年野球チームでの言動や行動は問題視されました(少年の背中に「バカ」と書いてその姿で走らせる、保護者に金品を強要する等)。
また、騒動の渦中である7月には、1996年に立候補した衆院選で公表していた学歴に対して「公職選挙法違反」(コロンビア大学留学とされていた。)があったと光代に告発されました(計7件、後に嫌疑不十分により全て不起訴)。
そして、騒動が収束に向かった決定的な要因として、沙知代の逮捕がありました。
2001年12月、沙知代は脱税容疑で逮捕され(公判で起訴事実を全面的に認め、有罪判決)、直後に光代が会見を開き、「正義は勝つ」と勝利宣言をしました。
この逮捕で沙知代を擁護する芸能人は皆無となり、世間的にも光代側の勝利として騒動が収束しました。
試合終了 沙知代逮捕後の各コメント
ミッチー・サッチー騒動とは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

光代と沙知代のプロフィール
浅香光代

野村沙知代

光代と沙知代、元気なお二人でした!
1999年の新語・流行語大賞では「ミッチー・サッチー」がトップテン入賞という快挙を達成します。
まさか喧嘩が名付けられ、流行語になるとは・・・と当時思ったものです!
ちなみに受賞者は光代のみでした。