伝説のノイズユニット「ハナタラシ」誕生
1983年、パンクロックやニューウェーブで盛り上がっていたインディーズシーンに突如現れたノイズユニット『ハナタラシ』。
一見、コミックバンドと見紛うようなユニット・ネームですがそのスタンスはハード・コアそのもの。
歌をうたうわけでもなければ、楽器を弾くわけでもないフロントマン「山塚アイ」の命を削ったパフォーマンスに観客はこれまでにない衝撃を受けました。
暴力・破壊・ノイズ 究極のハードコア パフォーマンス!
ハナタラシのライブは毎回”事件”そのものでした。
ライブに来る観客に
「当該コンサートの開演中にいかなる事故が発生し危害が加わろうと主催者側に何ら責任がないことを誓約いたします」
という誓約書を書かせて入場を許可したという話は有名です。
ネバーマインドザボロッカス - K: 19歳ぐらいの時にハナタラシのライブも観に行ったな〜。...
数々の破壊行為によって生じる音こそが彼等にとっての「ノイズ」でありパフォーマンスでした。
時には観客の悲鳴さえも音楽の一部だったのではないでしょうか。
暴力行為の顛末とボアダムス
手当たり次第にモノを破壊していく暴力的なパフォーマンスで有名になったハナタラシは、当然 全国のライブハウスに出演を断られ1988年に活動を停止します。
その後山塚アイは「EYE」と改名し、アヴァン・ポップの最前衛の一人 山本精一らと「ボアダムス」というバンドを結成。海外でのライブ活動を通して世界的に有名になっていきます。
ボアダムス - Wikipedia
ハナタラシの残した音源
ハナタラシは活動停止後も音源リリースのみを定期的に行い、1985年~1996年の間に5枚のアルバムと2枚のライブアルバムを発表しています。
音楽性<パフォーマンス性 で有名になったハナタラシですが当時の音源は世界中のノイズ・ファンに希少価値の高いものとして大切に扱われています。
いかがでしたか?衝撃のパフォーマンスでロックシーンの既成概念さえも破壊した ノイズユニット「ハナタラシ」。
彼らの伝説の数々、是非チェックしてみてください!