戦後の高度経済成長期を経て、世界有数の経済大国に成長した日本。
戦前とはまるで様変わりした1970年代初頭、海外で生き残っていた日本兵が見つかったとゆうニュースが日本中を騒然とさせました。
1972年に帰国した横井庄一軍曹と1974年に帰国した小野田寛郎少尉。
1980年代以降も「経験」を生かし、ご活躍されましたね。
戦争に翻弄されたお二人の壮絶な人生を追います。
元日本兵・横井庄一さんの第一声
【秘話発掘】横井庄一さんは殺される寸前だった! 知られざる“元日本兵生還劇”の舞台裏 〈dot.〉|dot.ドット 朝日新聞出版
冒頭の「恥ずかしながら帰って参りました」は1972年の流行語にもなりました。
また、NHKの横井さんの報道特別番組「横井庄一さん帰る」は高視聴率を獲得する等、一躍時の人となりました。
番組では、帰国後に両親の墓参りをした際に「親孝行できなくてすみませんでした」と、墓石を抱きかかえて涙ながらに詫びる様子が映し出されました。
グアム島で戦死したと通知を受けた横井さんの母でしたが、息子の生還をずっと信じていたようです。しかし、その願いは叶いませんでした。
横井庄一とは?
「よっこいしょういち」は口癖になった
横井さんの実直な人柄が分かる映像
来歴
ジャングルでの過酷なサバイバル生活
元日本兵・横井庄一のグアムでの28年間|ザ!世界仰天ニュース – テレビのまとめ
横井さんと他の2人(ジャングルで亡くなります。)は意見が衝突し、その後離れて暮らすことになりました。
台風に襲われた際は、実が流され食糧が無くなってしまい、次の実がなるまで野草を摂取しました。
また、自力で島を脱出しようと考え、海岸線を偵察する為に山に登りますが、そこにはかつての面影もない位に立派な道路が整備されていました。敵の眼をごまかして海へ出る事は無理だと悟ったそうです。
そして、1972年1月24日、食糧の獲物を捕獲する為に罠を仕掛けようとしたところを、現地の住民に発見されました。
実は発見者である現地住民は、親族を日本兵に殺された事から日本兵を非常に恨んでいて、横井さんに殺意を抱きますが、なんとか抑えたという話もありました。