元ロッテの本拠地 川崎球場
日本の国民的スポーツと言えば、やはりプロ野球!今では、ドーム型の近代的な球場も増えましたが、80~90年代はレトロ感溢れる球場もたくさん!その代表格の一つである川崎市にある元ロッテの本拠地・川崎球場をプレイバックしていきましょう。

1954年~高橋ユニオンズの本拠地に!
社会人野球が盛んだった川崎市、1950年代、重工業地帯として、街が発展していくと同時に、新しい球場待望論が巻き起こった。そして1951年に川崎球場がオープンしました。
その3年後、初めて川崎球場を本拠地として使用したプロ野球チームは、同年に発足したばかりの高橋ユニオンズ(現在の千葉ロッテの前身)。チーム自体わずか3年の命でした。

1955年~大洋の本拠地に!
1955年には大洋ホエールズも本拠地として、高橋と合わせて2チームが本拠地としてました。
90年代にも東京ドームが巨人と日本ハムの本拠地ということがありましたよね。

1978年~ロッテの本拠地に!
大洋が横浜スタジアムに本拠地を移転したのに伴い、川崎球場は年間数試合のみ行う準本拠地に。
そこに、ロッテ(現千葉ロッテ)が、本拠地として1978年に名乗りをあげる。
準本拠地として残したい大洋は、なかなかロッテの移転を認めませんでした。
もし大洋ホエールズがロッテの川崎移転を認めなかったら - chakuwiki

川崎球場と言えば砂埃!?
前述したように、ロッテの本拠地になった頃は、既に出来上がってから30年近く経っていて、老朽化が激しかった川崎球場。
ロッテ移転の条件として、市は改修を約束していましたが、なかなか実現せず、ボロボロの球場としてお馴染みでした。
なかでも、試合中に巻き起こってしまう砂埃はある意味名物に!?
川崎球場と言えば、観客100人!?
川崎球場のイメージで、ミドルエッジ世代が記憶に強く残っているのが、珍プレー好プレーでのあまりに少ない観客ではないでしょうか?よくカップルだけの映像が繰り返し使われていましたよね。
当時は、観客数を正しく公表していなかったため、1000人とかと発表していましたが、実際は100人いや数十人という声もあるほどです。

川崎球場と言えば、やはり村田兆治!
川崎球場を本拠地として使用していた頃のロッテのエースと言えば、マサカリ投法!村田兆治。引退試合も川崎球場で行われました。
1992年~ ロッテが千葉に移転!
1992年にはロッテが、現在も本拠地として使用している千葉マリンスタジアム(現QVCマリンフィールド)に移転してしまいます。始めは、数試合行われていましたが、神奈川県の野球ファンは大洋に流れてしまっており、徐々に使われなくなりました。

90年代はプロレス会場のメッカに!?
ロッテが千葉に移転後、社会人野球などは行われていましたが、野球場としての第一線からは退いてしまった感がありました。
そんな90年代、記憶に残っているのは、大仁田厚のFMWの電流爆破マッチの会場ではないでしょうか?
現在は、富士通スタジアム川崎に
2015年より富士通がネーミングライツで命名権を買い取り、「富士通スタジアム川崎」と名称変更をしました。
今のメインの使用は、やはりアメフトでしょう。他にも軟式野球などでも多く使われているようです。

いかがでしたでしょうか?野球場をプレイバックするだけでも、当時の記憶が蘇ってノスタルジックな気分になる人も多いのではないでしょうか?使用当時は設備の不備などで不評の球場でしたが、今思えば味がありましたよね。