3度活躍した輪島大士

輪島大士は3つのカテゴリーで活躍しました。
まずは大相撲で横綱にまで昇進し、一躍大スターとなります。
現役時代は好敵手の貴ノ花や北の湖と激しい取り組みをみせました。
引退後は一時親方を務めますが、その後プロレスの世界へ飛び込みます。
元力士である天龍との一戦は激闘となりました。
そして、プロレス引退後はバラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」で、石橋貴明に輪島大士の天然ボケを見抜かれ、イジられます。
しかし、それが功を奏して、人気タレントとなりました。
本稿では、3つのカテゴリーに分けて、輪島の魅力に迫ります。
1.大相撲時代
型破りな横綱
”黄金の左”輪島大士|昭和プロレス史

型破りな武勇伝としては、関脇当時に高級車で国技館に乗り付け、角界関係者を唖然とさせた事もありました。前例のない横綱でしたね。
大横綱・大鵬と入れ替わるように、大相撲の世界に現れたので、新時代の到来を予感させる力士とのイメージを持たれました。
学生相撲出身で唯一の横綱
【大相撲】エリート御嶽海は、学生相撲出身のジンクスを破れるか?|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Other

成績
珍記録
1973年の11月場所。
場所中に休場をしながら優勝してしまった。一場所が15日制になって唯一の「休場しながらの優勝」。
成績は12勝2敗1休だった。
2.プロレス時代
大相撲を引退後、花籠部屋を継承した輪島大士。
しかし、1985年に先代から継承した年寄名跡「花籠」を借金の担保(実際には実妹の料亭の借金)にしていた事が判明し、無期限謹慎処分などの厳しい処分が下されました。
この事件が原因となり、花籠部屋は消滅し、輪島本人も相撲界から離れ、38歳にしてのプロレス挑戦へと繋がっていきました。

輪島大士 - フレッシュアイペディア
伝説の一戦!輪島vs天龍
日本人レスラー対外国人レスラーがお決まりになりつつあった全日本プロレスにおいて、その活性化を目的とした天龍源一郎の「天龍革命」。
その初期の目玉となった輪島との一戦。正規軍の輪島に対する徹底的な攻め。
今だにプロレスファンの中で語り継がれていますね。
久しぶりにプロレスが盛り上がった時期でした。
ちなみにこの試合後に前田日明は、天龍の容赦ない輪島への蹴りに、驚きを隠せなかったそうです。

横綱・輪島をリスペクトしていた天龍
相撲とプロレス、天龍と輪島|ローリング・ドリーマーのプロレス・ブログ

1988年 プロレスを引退
輪島と天龍の対談 引退の真相について

【音声文字起こし】Versus 天龍源一郎vs輪島大士対談その1
3.タレント時代
輪島大士 - Wikipedia

天然ボケのエピソード

第54代横綱:輪島迷言集 ( その他スポーツ ) - どすこい酒場・ちゃんこ写楽 - Yahoo!ブログ
天然ボケのエピソードに事欠かない輪島大士。
生ダラの「マグロ!」の連呼は面白かったです!!
ちなみに生ダラに同時期に出ていた輪島功一も非常に魅力的な人物でしたね。
輪島大士と従兄弟とされる輪島功一のボクシング人生もまた面白いです!
カエル跳びの輪島功一!とんでもない変則技で世界奪取!その後は「炎の男」と呼ばれた不屈のボクサーです! - Middle Edge(ミドルエッジ)
現在は大病と戦っています!!
【破天荒横綱の今】輪島大士病気で声失う!入院生活経て自宅療養中 : ショ二ッキ

あの天然ボケで楽しませてくれた輪島さん、咽頭がんの切除手術を受けた現在はご家族のサポートも受けながら日々活動的に過ごされているようです。
大相撲、プロレス界、そして芸能界と3つの業界を股にかけた活躍でお茶の間を沸かせた輪島大士。
またお茶の間に元気な姿を届けてくれる日が来ることを願っています。