ものまね四天王
ものまねで思い出すのは『針すなお』の似顔絵だ! - Middle Edge(ミドルエッジ)
コロッケ

コロッケ
かつては形態模写のみ(顔、表情、振り付け、態度のまね)で、声は本人のレコードなどを流しており、ステージ上では全く声を出さなかった。
歌手のまねでありながら声を出さず、形態のみをまねするというコロッケの芸風(ビジュアルものまね)は、テレビ時代に即した革命的なもので、以後のものまね芸に大きな影響を与えることになった。その後に声帯模写の技術も身に付け、現在は形態模写と声帯模写の両方を行っている。
一般的に言われる「ものまね」ではなく、模写する人物の中でも、コロッケ自身が特徴的だと思いこんだ一部分を強調したものまねを披露する。極端なデフォルメのあまり、本人とは全く違う別物になってしまう事が多く、他の人から「何故ああいう風になったのか?」と聞かれても説明出来ないとの事。
コロッケの五木ロボットで知ることになってしまった五木ひろしの名曲「契り」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
清水アキラ

清水アキラ
『ものまね王座決定戦』ではビジーフォーと並ぶ最多の5回優勝しており、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』では数回、大トリを務めている。
2009年12月より1年間、箱根湯本の温泉旅館天成園にて歌謡ショーが開催されていた。
2013年11月、清水は単身長野県山ノ内町に移住、妻は「私は(長野での生活は)ダメだな」として都内での生活を選択したため、「離婚危機では?」と報じられたが、自身のブログで妻との「卒婚」を明かし、離婚ではなくあくまで「結婚生活からの卒業」と説明している。
顔にセロハンテープを貼って、本人そっくりに見立てる『セロテープ顔面整形』が特技。
ビジーフォー

ビジーフォー
前身は、1977年に結成の「いそがしバンド」。
名前のビジーはbusyから来ており、「仕事がたくさん来て忙しくなるように」という願いが込められている。
1983年から出演のフジテレビの『ものまね王座決定戦』では清水アキラと並び最多の5回の優勝を果たし、ものまねブームの立役者となる。その他、夜も一生けんめい。(NTV)などで活躍した。
1992年にグッチは「グッチ裕三とグッチーズ」を、モトらは新メンバーを加え「モト冬樹とナンナラーズ(結成当初はモトとフリーマーケット)」を立ち上げて以降は主に各個に活動しており、グループとしては実質休業状態にある。
栗田貫一

栗田貫一
『ものまね王座決定戦』の「ものまね四天王」の一人。
郁文館高等学校卒業後、広告代理店勤務を経て、六本木のショーパブでものまねを始めスカウトされる。1984年1月10日、フジテレビ系「発表!日本ものまね大賞」に本名の「栗原良之」で素人として出場、所ジョージや郷ひろみなどのモノマネを披露した。同年10月9日放送の「第16回オールスターものまね王座決定戦」でプロデビューする。1987年12月1日に放送された「第1弾オールスターものまね王座決定戦チャンピオン大会」では清水アキラ、コロッケ、ビジーフォーなどのものまね界の強豪を抑えて初優勝を果たした。
その後清水アキラ、コロッケ、ビジーフォー(グッチ裕三・モト冬樹)と並び「ものまね四天王」と称される。
山田康夫さん逝去後、本物のルパン三世を継ぐことに
栗田貫一 - Wikipedia
目を閉じて聴け!「ルパン三世」栗田貫一と”元祖”山田康雄を動画で徹底比較 - Middle Edge(ミドルエッジ)
当時人気があったのはコロッケでしたね~。
この四天王の存在があったからこそ、その後に数々のものまね名人たちが登場したんだと思います。