今はピン芸人だけど、昔はコンビ、トリオだった芸人たち
今の時代、30代、40代でも若手なんて言われるほど競争の激しい芸人の社会。そんな社会で、第一線で活躍しているピン芸人のなかには、昔はコンビ、トリオで下積み時代を過ごしていた人も少なくないのです。そこで、ここでは「今はピン芸人だけど、昔はコンビ、トリオだった芸人たち」を題して、若かりし時代を振り返ってみましょう。

劇団ひとり

1994年に、秋永和彦とお笑いコンビ「スープレックス」を結成。NHKオンエアバトルでも高ポイントを獲得するなど、お笑い好きでは知られてきた存在だったが、劇団ひとりの遅刻癖などの影響もあり、ブレイクせず。2000年に解散。
ビビる大木

「ビビる大木」と言う芸名どおり、1995年に大内登と「ビビる」を結成。コント師として人気を博していたが、2002年に大内が芸能界引退に伴い解散。
ちなみに、現在大内は、制作会社のプロデューサーとして業界内で活躍中。
ビビる - Wikipedia
有吉弘行

今や多くのMC番組を持つほど不動の人気を得た有吉弘行。ご存知のとおり、電波少年でユーラシア大陸ヒッチハイクの旅をした「猿岩石」のコンビ芸人だった。
「猿岩石」時代は、実力と言うよりミーハー的な人気だったが、実力があるのでピンでも上がってきた感じですね。
猿岩石 - Wikipedia
土田晃之

1992年に対馬盛浩と二人で「U-turn」を結成。
ボキャブラ天国で、ネプチューン、爆笑問題らと出演して、知名度を上げるが、1999年に1度だけ「爆笑オンエアバトル」に出演したが、342KBで7位オフエアになるなど実力はイマイチだった!?
U-turn - Wikipedia

バカリズム

1995年に、同じ専門学校だった松下敏宏とお笑いコンビ「きくらげ」を結成。その後、「バカリズム」に改名。コンビ時代は、「笑いの金メダル」などに出演しているが、鳴かず飛ばずだった印象。
ヒロミ

現在、再ブレイクしているヒロミですが、90年代には「B-21スペシャル」というトリオで、番組を持つほどの人気だった。小ボケを連発する「ミスターチン」と大ボケをかます「デビット伊東」に、ヒロミが小気味よくツッコミお入れていくトリオ漫才をしていた。
江頭2:50

1990年にコンタキンテと「男同士」を結成。ホモネタなどの得意としており、ボキャブラなどにも出演していたが、ボキャブラ終了とともに消えていた。
コンタキンテは現在、フリーのピン芸人。
男同志 - Wikipedia
ケンドーコバヤシ

1995年に村越周司と「モストデンジャラスコンビ」というコンビを結成。プロレスネタなどを得意としているのは、ピンである今と変わらない。
その前にも、元ハリガネロックのユウキロックと「松口VS小林」を結成していた。
青木さやか

名古屋での若手時代、東京ダイナマイト(現在)の松田らと、温泉こんくゃくアクロバットショーというお笑いパフォーマンス集団に所属。全国区にはならなかった。

宮川大輔

お祭り男の宮川大輔も、昔、ほっしゃん。(星田英利)とコンビ「チュッパチャプス」として活動。吉本興業の若手6組によるユニット『吉本印天然素材』にて、若者から絶大なる人気を博していた。
コンビ当時は仲が悪かったと言われている。
いかがでしたでしょうか?やはり人の人生に歴史あり!ですね。
現在はピン芸人として活躍している彼らですが、もしコンビのままだったらどうなっていたでしょうね。