「三沢光晴」エルボーの貴公子、天才
どんな技も受け止めて立ち上がる男、三沢光晴
三沢光晴 - Wikipedia
【これぞプロレス】全日本プロレスのトップからプロレスリング・ノアを立ち上げたエルボーの貴公子、最強プロレスラー三沢光晴 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「小橋建太」鉄人プロレス、剛腕
どんな苦難も己の努力で乗り越える男、小橋建太
小橋建太 - Wikipedia
「ミスタープロレス」まさにプロレス一途!鉄人と称された青春の握り拳、小橋建太 - Middle Edge(ミドルエッジ)
三沢と小橋、その戦いの系譜
三沢がまだ二代目タイガーマスクだった頃、二人はアジアタッグ戦線でタッグチームを組んでいた。
1990年4月に、カンナム・エクスプレスの持つアジアタッグ王座に挑戦して勝利。
第51代アジアタッグ王者となった。
その翌月、1990年5月14日
三沢は自らマスクを脱ぎ(手伝ったのは川田利明)、超世代軍を結成する。
解説席にいたザ・グレート・カブキの「何してん、何してん?」も印象深い、あの試合である。
以降、1993年4月までは三沢を盟主とする「超世代軍」の時代
1990年6月8日、三沢はジャンボ鶴田との一騎討ちに返し技で勝利、下の世代で初めて鶴田越えを達成。
ジャンボ鶴田からの勝利を喜ぶ若手レスラー
これを機に、圧倒的に高かった壁「ジャンボ鶴田」に挑みかかる超世代軍。
1991年7月には、三沢と超世代軍No2の川田のタッグによる世界タッグ王座挑戦、ゴディ&ウィリアムスを破り第17代王者に戴冠。
同年9月、三沢&川田組の世界タッグ王座防衛戦においてフェイスロックで三沢が鶴田から初ギブアップ勝ち。
1992年8月には三沢がハンセンの持つ三冠統一ヘビー級王座に挑戦、勝利し第10代王者に。
その直後、鶴田がB型肝炎発症を理由に長期離脱し、名実共に三沢が全日本のエースへ。