F1創生期のドライバーたちは常に死と隣り合わせ、命を懸けるリスクが高かった

モーターレースの誕生とともに、ドライバーたちは常に死と隣り合わせで生きてきた。
1970年代、毎年2人が事故で死亡する危険なF1の世界で伝説的な存在の「ニキ・ラウダ」も1976年に大事故を起こすが奇跡的にも生還した。

1976年の事故前のニキ・ラウダ

事故直後の共同記者会見
1968年のジム・クラークの死亡事故などをきっかけにフォーミュラカーにシートベルト装着が義務づけられた
1960年代以前のフォーミュラ・カーにはシートベルトが装着されていなかった

1960年代以前のフォーミュラ・カーにはシートベルトが装着されていなかった。そのため、ドライバーが飛んでいってしまう死亡事故が多発した。

シートベルトが装着されていないのでドライバーが飛んでいってしまう死亡事故が多発した。

天才ドライバー「ジム・クラーク 」の事故(1968年)は当時のフォーミュラ・カーにはシートベルトが装着されていなかったため、車から放り出されて即死するというものだった。

当時のフォーミュラ・カーにはシートベルトが装着されていなかった。安全対策意識が現代の視点からすると極度に欠けていた。
レーシングカーでは軽量化のため限界まで肉厚(=強度)を落とすこと(ギリギリの強度)が常道であり、強度不足によるパーツ破損・マシントラブルが起こる
1970年イタリアグランプリ:ヨッヘン・リント(チーム・ロータス) 事故原因「軽量化を優先したトルクロッドの強度不足が原因と考えられる」

1970年イタリアグランプリ:ヨッヘン・リント(チーム・ロータス)

1970年イタリアグランプリ:ヨッヘン・リント(チーム・ロータス)の死亡事故

ロータスの創始者チャップマン(左)とリント(右)
1980年代に「カーボンモノクッコ」シャーシが普及して安全性が高まる

1980年代に入り頑丈かつ軽量なカーボンモノコックが普及することで、70年代までと比べて格段にマシンの安全性が向上した。

ルノー・ターボエンジンを搭載した(1983年)ロータス93Tのカーボンモノコック

マクラーレンホンダ(1988年ごろ)のカーボンモノコック(展示)

マクラーレンホンダMP4/4 のカーボンモノコック(展示)

アラン・プロストとアイルトン・セナのマシン(展示)

参考:BMWザウバー・F1.08(2008年)のカーボンモノコックの断面図

BMWザウバー・F1.08のカーボンモノコックの断面図

参考:ル・マン24時間レースと世界耐久選手権(WEC)の初代チャンピオン“Audi R18 e-tron quattro”の断面写真
技術的に安全性が高まっても、スピードや危険な走行を追及すれば、やはり事故は起こる・・・マシントラブルや人的ミスを100%完全になくすことも不可能

アラン・プロストとアイルトン・セナの2年連続の日本GPの接触事故(1989年・1990年)
レース運営面でも、重大事故発生時の赤旗中断や黄旗およびセーフティーカー導入によるレースコントロールが強化されていく(1993年)

フェリペ・マッサを先導するセーフティカー。(写真は2006年のF1世界選手権にて)

イエローフラッグとSCサイン(SCとはSafety Carの略)

2015年度からF1のセーフティカーとして使用されているメルセデスAMG・GT S
レース運営の判断ミスやコースレイアウトの危険性など複合的な要因による『F1安全神話の完全な崩壊』 1994年サンマリノグランプリ「最も悲しい日」
「カーボンモノクッコ」でさえも絶対的に安全ではなかった。衝撃で穴があくこともある。

ローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故が起きる。第3戦サンマリノGPにおいて、4月30日の予選二日目でのタイムアタック中、ビルヌーヴコーナー手前でフロントウイングが脱落しコントロールを失い、マシンは310km/hでコンクリートウォールに激突した。

1994年サンマリノグランプリ:ローランド・ラッツェンバーガー(シムテック)とアイルトン・セナ(ウィリアムズF1)の死亡事故がそれまでの『F1安全神話』を完全に崩壊させた。
コックピット内の安全対策不足・もし何らかのマシントラブルに気付いていたなら、天才過ぎるアイルトン・セナのリスクマネジメントの問題も一因としてありうる

アイルトン・セナの死亡の直接原因はステアリングシャフトの頭部貫通によるダメージだった。

ウィリアムズ・FW16のコックピット内の足元(ステアリングシャフト)
レース運営における判断ミスやセーフティカーの性能の低さも事故の一因となりうる

1990年代の中盤には、セーフティカーは各サーキットが用意していたものを使用していた。セーフティーカーが遅すぎると、タイヤの温度が低下してしまう。
テクノロジーの進化により危険なコーナーへと変貌、「イモラ・サーキット」のコースレイアウト上の問題により高速でコンクリート壁に激突してしまうリスクが発生していた

「イモラ・サーキット」の高速コーナー「タンブレロコーナー」:セナの事故現場

イモラ・サーキット
1994年サンマリノグランプリ以降、FIAはF1カーの設計に関する規則(F1レギュレーション)も変更

自動車競技の統轄機関である国際自動車連盟 (FIA) が制定している『F1レギュレーション』

F1マシン主要寸法規定/1991シーズン開幕時(illustration:Pioneer LDC 「F1 Grand Prix 1991」)
この呪われた1994年サンマリノではピットでも問題が起きていた・・・以降、ピットロードでの速度制限が定められる

事故発生の意外な盲点になりうる「ピットレーン」での安全規制強化も大切
1994年の最後の死亡事故以来、F1の安全性は大きく進歩したが、ドライバーにとって最大のリスクはコクピットが開放されていることである(飛来物による頭部損傷)。
FIAはドライバー用の頭部保護対策を精力的に検討

走行中の他のF1マシンから外れた部品(スプリングのようなもの)がコクピットに向かって飛んできている

飛来してきた物体が、コクピットのフェリペ・マッサのヘルメットに直撃する直前の瞬間

フェリペ・マッサのヘルメットは損傷し、傷も負う。意識を失いマシンはタイヤバリアに突っ込んだ。
チャーリー・ホワイティング「F1はいずれ保護コックピットになるだろう」 : F1通信
F1のドライバー用の頭部保護コクピット・ソリューション案

メルセデスが考案したF1の保護コクピット

メルセデスが考案したF1の保護コクピットソリューション
モータースポーツ全体で、ドライバーのヘルメットに物体が衝突して頭部負傷による死亡例が続いた後、ドライバーの過半数は2017年の頭部保護強化採用に賛成している。
http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/52013320.htmlレッドブル、コックピットの頭部保護設計イメージ画を発表 : F1通信

レッドブルのコックピットの頭部保護設計イメージ画

レッドブルのF1が採用するべきだと考えるコックピットの頭部保護設計イメージ
ドライバーの頭部を守る『ヘルメット』技術の進歩:カーボンファイバー製でバイザーは防弾仕様

『ヘルメット』技術の進歩
テクノロジーの進化は新たなリスクを生み出す・レース運営時の不運やミスが重なってしまうこともある・・・終わることのない安全対策の戦い
1994年サンマリノグランプリが最後とはならなかった・・・21年間死亡事故がなかったことが奇跡

ニキ・ラウダ(現メルセデスAMG会長)「これは奇跡なんだ。もう一度強調するが、過去21年間にわたってこういうことが起きなかったというのは奇跡なんだ」
ビアンキの死をきっかけに再びクローズアップされるF1の安全問題-TopNews F1 | 自動車 | ニュース | 速報 | 日程結果
2014年日本グランプリ:ジュール・ビアンキ(マルシャF1チーム)

2014年日本グランプリ:ジュール・ビアンキ(マルシャF1チーム)の死亡事故

事故発生の意外な盲点「ホイールローダー」(クレーン車)に衝突して、その事故は起きてしまった・・・まさか・・
レースコントロールのミスを指摘するアラン・プロスト

アラン・プロスト「コースにあの作業車を入れる前にセーフティカーを導入してレースをコントロールすることが必要だった」
ビアンキの死をきっかけに再びクローズアップされるF1の安全問題-TopNews F1 | 自動車 | ニュース | 速報 | 日程結果
統括団体であるFIA(国際自動車連盟)が行った事故調査の結果、黄旗が振動されていたにもかかわらず、ビアンキがスピードを出し過ぎていたことも判明していた。

ビアンキやプロストと同じフランス出身の元F1ドライバーであるパトリック・タンベイ「・・・F1とはこういうものなんだ。」
ビアンキの死をきっかけに再びクローズアップされるF1の安全問題-TopNews F1 | 自動車 | ニュース | 速報 | 日程結果
F1の安全対策の歴史は企業や個人の「リスクマネジメント」のケーススタディになると思います。
スピードを追求すれば、危険性は増す。相反する要素の組み合わせを、どうバランスしていくのか。
誰の視点でバランス(最適化)を取るのか?
F1のファン?ドライバー?コンストラクター?利害関係もそれぞれ異なる。
いずれにしてもドライバーの安全が最優先課題であることは絶対的なこと。
リスクは極限まで減らせたとしても、完全にゼロにはできない。リスクがなくなったと油断すると悪夢(まさか)が襲い掛かってくる。そういう永遠に続く戦いのようです。