氏の晩年には(といっても享年60です。なんと早い)交流の機会も絶えていた、友人でありファンである漫画家みなもと太郎氏らが「あすなひろし作品選集」を企画し、一冊づつかたちにしていきます。
私のような末席のファンは、このみなもと氏の解説と選集によって、あすな氏の技量が想像以上にすばらしいものであることを知ります。
昔の週刊誌の粗い紙に緻密とはいえない印刷、、そういった印刷技術では決して再現判別不可能であることを知りながら、あすな氏が手を抜かず(いや抜けなかったのでしょう)詰め込んだ精緻な原稿が、上質の紙と2000年代の印刷で再現されたのです。
画像を上げたところで詮無いことなので、機会がありましたらぜひじっくり読んで下さいませ。
彷徨のひと
当時としては高身長の170cm超、しっかりしたガタイで、その筋の方とも見間違えられる、実年齢より大人びて見えるイカツイ兄ちゃん—それがあすなひろし氏の風貌でしたが、その仕事と作品と繊細さは見てきていただいた通りです。
友人の漫画家バロン吉元氏は彼を「豪傑」と評しています。(「あすなひろし選集3」収録「ある豪傑の思い出」バロン吉元)
そして、発表の場を変えながら、しかしそこも、ふと去ってゆく彷徨の人であったのか—
広島に帰り、そこから日本じゅうの飯場を回る日々を、デビュー当時の担当編集者に宛てた手紙でこうも語っています。
二つのコンプレックスから土方になった。一つは自分が「箸より重いものを持ったことがない」というコンプレックス。もう一つは、マンガはなくても人々は生きていけるのに、それを己の生業としているコンプレックス。
あすなひろし追悼公式サイト、編集 「あすなひろし選集7」収録、【解説・エッセイ】「“求道者”あすなひろし」丸山昭
「二つのコンプレックスとは彼一流の表現で、」(同上)と丸山氏も言っているように、額面どおりには受け取れませんが、、
そして一葉の写真が同封されていたそうです。
写真が同封されていて、東京にいた頃はこんなに穏やかな表情をしていなかった、この穏やかさが自分は好きだと言っている。
あすなひろし追悼公式サイト、編集 「あすなひろし選集7」収録、【解説・エッセイ】「“求道者”あすなひろし」丸山昭
そして翌2000年に届いた手紙には、
と。
あすな氏の新作は88年を最後に、亡くなられた2001年以来、もう見ることはできませんが、氏の最期の日々がよきものであったとすれば、ファンとしては救われる思いがします。
、、ここで、冒頭の“著者近影”の続きを紹介させていただきますね。
ああエイトビートの除夜の鐘—
最後に、「青い空を、」の“最終回”をご紹介しておきます。でも最終回といっても、結果的に最終回になっただけで、ツトムたちの日々はまだ続くのです、、
「あしたになれば」
もうすぐお正月—。ヨシベエのうちの犬のツトムがいなくなった。すぐに帰ってきたけれども、ツトムのうちのタマも最近出かけがち、夏子先生のヒロシ—イヌ?ネコ?ハムスター?、腹立つなーボーイフレンドよっ!あなたのヒロシは逃げ出したというべきです!!
みんなやっぱり恋人がほしかったんじゃないの?お正月用の!
、、あいかわらずつれないツトムにやきもきするヨシベエ。
夏子先生は一人で迎えるお正月の準備。さびしくないの?先生、とヨシベエ。
「そりゃあさびしいわよ でもね/人間のさびしさなんてそばにダレかがいてくれたって消えるものじゃないのよね/キザないいかたしかできないけど 人間って生きてることそれ自体が/…寂しいのよね/生きてる以上消すことのできない寂しさってものが/…あるのよ…」
雪の宵、それぞれの窓の明かりのなかの大晦日。窓の外を眺めるヨシベエ、鐘の音、
〈ああエイトビートの除夜の鐘—〉