「職人」あすなひろしの代表作
「青い空を、白い雲がかけてった」は、秋田書店の週刊少年チャンピオンや月刊少年チャンピオンに76年から81年まで断続的に掲載され、78年に第1巻、79年に第2巻、81年に第3巻が刊行されました。
作者は、あすなひろし。氏の最も知名度の高い代表作とも言われているようですね。筆者も子どもの頃、週刊少年チャンピオンへの掲載で氏を初めて知ったように思います。
氏のデビューは59年の「まぼろしの騎士」(少女クラブ冬の号)ですから、作家歴20年を経てからの「代表作」は決して早くはない、「青い空を、」は積み重なった円熟を見れる作品ですね。
あらすじ、といいますか、、主人公とヒロイン
5年間に20話(単行本未収録の話もありますが)ですから、継続的な連載ではありません。主人公ツトムをはじめとした主要キャラクターを中心とした連作短篇と見ていただければよいかと思います。
ちなみに第1巻の表紙の折り返しの“著者近影”下の紹介〈週刊少年チャンピオン編集部「30ページ与えるけに読み切りをかけ」あすなひろし「はい」「マーマーだったからシリーズにする。次、はよかけ」「はい」「あのね、シリーズっていうのは、せめて月一回は載せるものなのね、はよかけ」「はいっ」「今度おくれたらムチぞ」「うれしい」「だいぶたまったから単行本(コミックス)にしてやる」「うれしい」〉、、続きはのちほど紹介いたします^^





この二人と彼らの担任の女性「先生」(第1話では名前が出てこず「先生」。のちほどご紹介します^^)の三人が最初から登場するキャラクターです。
読み切り「青い空を、白い雲がかけてった」
第1話は前述の通り読み切り。これに「青い空を、白い雲がかけてった」というタイトルがついていました。
ツトムたちのクラスに転校生がやってきます。リョウこと及川諒。

彼の“家”はビル建設現場の飯場。弟妹と母の母子“家庭”ながら、「かあちゃんの恋人」や工事の人足たちでにぎやか。成績はからっきしだけど朝っぱらから弁当、授業中に弁当、と大らか元気。授業もサボったりして、「不良」という連中もいるけれど、突然父が死んで中学入学も一年遅らせたし、授業に出ないのも建設現場で稼いで弟妹の学費をと、、
そんなリョウとの短い交友も、去りゆく夏と終わる。建設現場の持ち場が替わると、教室の黒板の別れの言葉だけを遺してリョウも去って行った。
ツトムは、この夏、少しだけ成長した気がする—
第2話、3話、、シリーズ化
先ほどの“著者近影”のことばをご紹介した通り、読み切りだった「青い空を、」は第2段、3段と続きます、、
ここまでは、いずれもツトムのクラスに転入生、それもいずれも「リョウ」という転入生がきて、そして短い時間ながらツトムらとの交友があり、そして去って行く、という展開のおハナシです。
シリアス、ギャグ調、変幻自在の画柄とともに、軽快で、それでいてリリカルなストーリーテリングで、人間誰しも持っている哀しさを滲ませた、ツトムの周囲の日常が描かれます。
第2話「風を見た日」の転校生リョウは、大木亮。小さくて一見いつも楽しそうな、豪邸のおぼっちゃま。ガリ勉くんたちは見くびっていたが、テスト成績はトップ続き、、でも厳しい家に、心を許せる友達もいなかったリョウは、「風と話をしていた」。「オレ…やめたんだ/なにもかも…さ/勉強も/親のいう事をよく聞くイイ子になる事も…」。それから休み続きのリョウは、精神病院に入れられたといいます。リョウのさみしさを想うツトム、、まちの人たちにも風が見えます—
第3話「いつか見た遠い空」の転校生リョウは、相良凌という女の子。「凌という字は他のモノよりすぐれていると いう意味/他のモノよりすぐれているこのプロポーションと この美ボウ」と自己紹介するほど。転校生は例によって「毒にもクスリにもならない」ツトムの横へ。なぜかリョウはツトムが気に入り、ヨシベエと全男子生徒の敵意が突き刺さる^^; 翌日から学校にはただならぬお色気旋風が吹き荒れ、張り合って全女子が、凌曰く「仮装行列」の出で立ち^^;;
そんな日々のなか、リョウが三日も休んだのでツトムたちはお見舞いに。すると、本人の派手で自由な雰囲気とは裏腹に寂しい家に。リョウには両親ともおらず小さいときから親戚をたらい回し、いまはこの伯父の家にやっかいになっているという。間もなくリョウはまた転校していくことに、、
おかしな、でもやさしきツトムの周りの人々
1話から登場の先生にもいつの間にか夏子先生という名前が、2話からはツトムたちの中学の「番長」も登場、話数を重ねるごとにツトムの周囲のレギュラーメンバーが増えていきます。






あすなひろしの画力
今作のおかしみは、テンポや躍動感も含めた、あすな氏の画の巧さにほかなりません。
べた塗りの黒に白い修正液で線を入れる、、なんて手抜き(じゃなくてふつうの漫画はそうなんですがf^^;)のやり方はしません。学ランやスーツの黒に一本入った白い線、、そういった画も、もとより細い線の部分を抜いて黒く塗りつぶしてあるのです。なんと繊細精緻な仕事!
レタリングの書き文字も専門のプロ以上の技。吹き出しのなかの文字も原稿にきっちりと写植顔負けの文字が列んでいたといいます。



人物もギャグタッチからシリアスな雰囲気まで、自在に、それも同じ人物を場面々々で微妙に変えて、、というのは、すでに見ていただいた通り、、


見ての通り、静物も精緻なタッチ、人物もどのスタイルで描いても魅力的ですが、
あすな氏の描く動物たちのまた可愛いこと!



彷徨の人、あすなひろし
彷徨の中途で、、
少女漫画から始まって、青年誌、少年誌と場がどこであっても、その技量を惜しみなく注いだ、あすな氏ですが、その作品は読み切りがほとんどで単行本は決して多くはありませんし、発行部数が少なくて入手困難なものも多々あります。
「青い空を、」のあとも作品は決して目にふれやすいかたちではありませんでした、、88年にコミックトムに掲載された(このころ、漫画仕事はもうトムだけにかぎっていたそうです。田舎の漫画少年だった筆者は当時知らなかった!)「林檎も匂わない」、、それ以来あすな氏の新作が読まれることがないまま、2001年、氏の訃報を聞きます。
氏の晩年には(といっても享年60です。なんと早い)交流の機会も絶えていた、友人でありファンである漫画家みなもと太郎氏らが「あすなひろし作品選集」を企画し、一冊づつかたちにしていきます。

私のような末席のファンは、このみなもと氏の解説と選集によって、あすな氏の技量が想像以上にすばらしいものであることを知ります。
昔の週刊誌の粗い紙に緻密とはいえない印刷、、そういった印刷技術では決して再現判別不可能であることを知りながら、あすな氏が手を抜かず(いや抜けなかったのでしょう)詰め込んだ精緻な原稿が、上質の紙と2000年代の印刷で再現されたのです。
画像を上げたところで詮無いことなので、機会がありましたらぜひじっくり読んで下さいませ。
彷徨のひと
当時としては高身長の170cm超、しっかりしたガタイで、その筋の方とも見間違えられる、実年齢より大人びて見えるイカツイ兄ちゃん—それがあすなひろし氏の風貌でしたが、その仕事と作品と繊細さは見てきていただいた通りです。
友人の漫画家バロン吉元氏は彼を「豪傑」と評しています。(「あすなひろし選集3」収録「ある豪傑の思い出」バロン吉元)
そして、発表の場を変えながら、しかしそこも、ふと去ってゆく彷徨の人であったのか—
広島に帰り、そこから日本じゅうの飯場を回る日々を、デビュー当時の担当編集者に宛てた手紙でこうも語っています。
二つのコンプレックスから土方になった。一つは自分が「箸より重いものを持ったことがない」というコンプレックス。もう一つは、マンガはなくても人々は生きていけるのに、それを己の生業としているコンプレックス。
あすなひろし追悼公式サイト、編集 「あすなひろし選集7」収録、【解説・エッセイ】「“求道者”あすなひろし」丸山昭
「二つのコンプレックスとは彼一流の表現で、」(同上)と丸山氏も言っているように、額面どおりには受け取れませんが、、
そして一葉の写真が同封されていたそうです。
写真が同封されていて、東京にいた頃はこんなに穏やかな表情をしていなかった、この穏やかさが自分は好きだと言っている。
あすなひろし追悼公式サイト、編集 「あすなひろし選集7」収録、【解説・エッセイ】「“求道者”あすなひろし」丸山昭
そして翌2000年に届いた手紙には、
と。
あすな氏の新作は88年を最後に、亡くなられた2001年以来、もう見ることはできませんが、氏の最期の日々がよきものであったとすれば、ファンとしては救われる思いがします。
、、ここで、冒頭の“著者近影”の続きを紹介させていただきますね。

ああエイトビートの除夜の鐘—
最後に、「青い空を、」の“最終回”をご紹介しておきます。でも最終回といっても、結果的に最終回になっただけで、ツトムたちの日々はまだ続くのです、、
「あしたになれば」
もうすぐお正月—。ヨシベエのうちの犬のツトムがいなくなった。すぐに帰ってきたけれども、ツトムのうちのタマも最近出かけがち、夏子先生のヒロシ—イヌ?ネコ?ハムスター?、腹立つなーボーイフレンドよっ!あなたのヒロシは逃げ出したというべきです!!
みんなやっぱり恋人がほしかったんじゃないの?お正月用の!
、、あいかわらずつれないツトムにやきもきするヨシベエ。
夏子先生は一人で迎えるお正月の準備。さびしくないの?先生、とヨシベエ。
「そりゃあさびしいわよ でもね/人間のさびしさなんてそばにダレかがいてくれたって消えるものじゃないのよね/キザないいかたしかできないけど 人間って生きてることそれ自体が/…寂しいのよね/生きてる以上消すことのできない寂しさってものが/…あるのよ…」
雪の宵、それぞれの窓の明かりのなかの大晦日。窓の外を眺めるヨシベエ、鐘の音、
〈ああエイトビートの除夜の鐘—〉