NHK大河ドラマの「社会的影響力」:流行語の発生・ドラマゆかりの地への観光の起爆剤としての効果

NHK大河ドラマの「社会的影響力」:流行語の発生・ドラマゆかりの地への観光の起爆剤としての効果

NHK大河ドラマは1年という放送期間の長さ、ご当地番組的な要素があるため、関連する舞台への観光が急激に盛り上がるなど、かなりの地域活性化=経済効果があります。1987年の「政宗ブーム」のように大河がヒットすればするほど、大きな大河ドラマバブルが起きました。また大河ドラマの社会的影響力の強さから、数多くの流行語も生まれました。大河ドラマに出演したことで一流スターの仲間入りを果たした俳優も多いです。社会的影響力が大きかった高視聴率の代表的な大河ドラマをピックアップして、ドラマから流行語が生まれ、観光への起爆剤となった流れを振り返ってみましょう。


NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年) 伊達政宗:渡辺謙 平均視聴率39.7%・最高視聴率47.8% 「政宗ブーム」が起きる

独眼竜政宗(どくがんりゅうまさむね)は、NHKが1987年(昭和62年)1月4日から12月13日に放送した大河ドラマ。主演は渡辺謙。 NHKの行ったアンケート調査では、最も好きな大河ドラマに輝いている。

原作は山岡荘八の小説『伊達政宗』で、伊達家を題材にした大河ドラマとしては江戸時代の伊達騒動を描いた『樅ノ木は残った』(1970年)以来17年ぶりとなる。己の知恵と才覚によって仙台藩62万石の礎を一代で築いた奥州の戦国武将・伊達政宗の生涯を描いた。

1984年(昭和59年)の『山河燃ゆ』、1985年(昭和60年)の『春の波涛』、1986年(昭和61年)の『いのち』と、大河ドラマは三年連続で近代路線シリーズが続いていた。時代劇路線の視聴者のためには「NHK新大型時代劇」が水曜日の枠でつくられた。

近代路線シリーズの視聴率は、『山河燃ゆ』21.1%、『春の波涛』18.2%、『いのち』29.3%であった。 『いのち』は視聴率的には近代路線シリーズ中で唯一成功し、ドラマ性も評価も高かったものの、登場人物に歴史上の人物が全く登場しない異色作で「大河ドラマではなく、連続テレビ小説の延長線だ」という意見もあった。

その一方で「NHK新大型時代劇」は良作が続き評判がよく、視聴者は時代劇を求めていると判断したNHKは『いのち』以降の近代路線シリーズを白紙とし、『徳川家康』以来4年ぶりに時代劇路線シリーズの大河ドラマが復活した。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」)

NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年) 伊達政宗:渡辺謙 平均視聴率39.7%・最高視聴率47.8%

主演の渡辺謙は1984年(昭和59年)の『山河燃ゆ』以来、2度目の大河ドラマ出演であり、本作の前年(1986年)に同じNHKで放映されていた連続テレビ小説『はね駒』出演中に「眼がいい」と言われ、抜擢されたという。

彼は当時必ずしも知名度のある俳優ではなかったが、本作で一躍一流スターの仲間入りを果たした。

ただ、はまり役となったために、「渡辺謙=伊達政宗 」の固定イメージが定着してしまい、彼はその後役者としては苦労したようである。

十数年後、渡辺は映画『ラストサムライ』でアカデミー賞助演男優賞候補に挙げられるが、その時の記者会見でも「これでようやく伊達政宗から卒業できるかな」と発言している。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」)

伊達政宗:渡辺謙 「渡辺謙=伊達政宗 」の固定イメージが定着してしまう程のはまり役

伊達成実(だて しげざね)
(時宗丸 → 伊達成実)
演:三浦友和

片倉小十郎(かたくら こじゅうろう)
(片倉小十郎 → 片倉景綱)
演:西郷輝彦

伊達政宗は逆境にあう度にそれをバネにして活躍する。知恵と勇気、様々な駆け引きや工作を展開していく。

存在感抜群!天下人の関白・秀吉を勝新太郎が演じる

「渡辺謙=知名度の高くない若手」、「勝新太郎=衆目の知るところの大御所」という図式が、そのまま「政宗=奥羽の若き大名」、「秀吉=老成した天下人」にも当てはまる。

もっとも、渡辺は大河二本目であったのに対し(但し、時代劇作品としては初)、『座頭市』シリーズなどに主演した大御所・勝は、本作が唯一の大河ドラマ出演であった(NHK制作のドラマとしても同様)。

配役決定後、渡辺は勝に事前に挨拶しておこうとしたが、勝は「小田原で政宗が秀吉と初めて出会うのなら、そのシーンの撮影まで渡辺と会うべきでない」と主張。

撮影は渡辺と勝が会うことがないよう調整して行われ、小田原での対面シーン本番で初めて二人は実際に顔を合わせた。このシーンの収録後、渡辺は勝から「いい眼をしていたぞ…」との声をかけてもらったという。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」)

本作が唯一の大河ドラマ出演であった(NHK制作のドラマとしても同様)勝新太郎が秀吉を演じた。

小田原参陣した政宗の関白秀吉への謁見シーン。

正宗は死を覚悟した白装束で謁見にのぞむ。

勝新太郎さんが迫力がありすぎて、たしかに殺されそうです。

圧倒的な存在感の勝新太郎演じる秀吉。天下人の風格にあふれる。

天下の形勢が秀吉に傾いていく中でなかなか膝を屈しようとしない男と聞いた政宗は「面白い男だ!」と評していた。小田原参陣以来、政宗にとっては大きな後ろ盾となった存在。小田原に到着後、政宗は家康の陣所で「田舎者ゆえ千利休に茶の湯を習いたい」と家康に告げている。

秀吉に会見する際、首を繋げるための助言を政宗にしたり、他にも配流の危機にさらされたりといった政宗の窮地にはいろいろと助言や取りなしをしていた。

肖像画そっくりの津川の風貌に加え、政宗の米沢から岩出山への国替えを秀吉に提案したり、政宗に上杉勢の牽制をさせるための約束「百万石のお墨付き」を反故にするなど、従来の家康像どおりの「タヌキ親父」として描かれていたが、秀吉没後あたりからは特に天下泰平を志す姿が強調され、孫娘・千姫の前では「秀頼母子の命を奪ったりはしない」と約束するなど、同じく山岡荘八原作で「政宗」の前に製作された大河ドラマ『徳川家康』で描かれていた家康像寄りのキャラクターとなった。

今際の際に見舞いに訪れた政宗を「天下の副将軍」と呼び、遺言として秀忠のことを託す。真の天下泰平を築こうとする家康の姿に政宗は心服し、己の野心の為に天下を取ろうとする事の愚を悟る。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗の登場人物」)

タヌキ親父な存在感が抜群!徳川家康(とくがわ いえやす) 演:津川雅彦 はまり役!

不動明王について教えられた梵天丸(政宗の幼名)がその養育係である喜多に語った「梵天丸もかくありたい」という台詞は流行語となった。

「梵天丸もかくありたい」という台詞は流行語となった。

ただし本編でこのセリフを言うのはこのシーンと、第11回「八百人斬り」で政宗が刀に映った自分の顔を見て、少年時代を回想したのち、刀を振るいながらこのセリフを繰り返す場面のみである。
(出典:Wikipedia「独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)」)

養育係である「喜多(きた) 演:竹下景子」に梵天丸(政宗の幼名)「梵天丸もかくありたい」

政宗(梵天丸)の正室の「愛姫(めごひめ)」の少女時代は、当時史上最強の美少女として一斉を風靡した『後藤久美子』が演じた。

NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)の大ヒットにより「仙台市」観光バブルが起こった。大河のヒットで関連する舞台への観光が潤う大河バブルのさきがけ。

そして仙台には、政宗がつくったものが色々と残っています。

まず第一に、「仙台」という名前をつけたのが政宗です。それまでは「千代」と書いて「せんだい」と読ませていました。また仙台市の中心部では、国分町、立町、南町など、政宗時代からの町の名が今も使われています。

政宗は神社やお寺も建てましたが、なかでも大崎八幡宮は、慶長12年(1607)に完成した当時の建物が現在も残っており、国宝に指定されています。

もちろん政宗にとって一番大切だったのは、お城でしょう。しかし現在、仙台城の建物は残念ながらひとつも残っていません。石垣と、再建された大手門脇やぐらがあるだけで、本丸の跡は公園に、二の丸の跡は東北大学になっています。そして三の丸の跡に、政宗の資料を多数保存している仙台市博物館があります。

城下町仙台の歴史は、伊達政宗がここに城を築いたときに始まります。

渡辺謙や桜田淳子が参加した仙台・青葉まつりも前年比3倍の過去最高の観光客数となって「大河バブル」のさきがけとなった。

仙台市博物館(せんだいしはくぶつかん)は、仙台市都心部西側の広瀬川右岸にある仙台市立の博物館。江戸時代に仙台城三の丸として使用されていた地にあり、現在は青葉山公園の一部となっている。

ユネスコ記憶遺産・国宝に指定されている慶長遣欧使節関係資料や、重要文化財の伊達政宗の具足など、約9万点の資料を収蔵。常設展は季節ごとに展示替えし、約1000点を展示。

「仙台市博物館」 1987年(昭和62年)の「政宗ブーム」の際、前々年までに再建がなされて資料館も付設した瑞鳳殿、および、前年に新築された当館は観光客を多く集めた。

NHK大河ドラマの観光への影響

「大菊人形展」は大河ドラマをテーマにするケースが多い。

大河ドラマ『おんな城主 直虎』(登場人物:井伊直虎 演:柴咲コウ・2017年1月より放送される予定)を生かした地域づくりを開始している

大河ドラマの観光に対するマイナス面=一過性に終わる

大河ドラマ放映における観光需要の喚起が一過性に過ぎず、放映後に大幅な集客の落ち込みが予想されることです。一過性の観光バブルで終わってしまうリスク。

またドラマ放映時の受け入れ態勢が不十分であった場合は、マイナスイメージが拡散してしまうリスクも伴うと思われます。

持続的な観光需要の創出ができるかどうか?

大河ドラマをきっかけに、その地域の文化的、歴史的価値を持続的な観光ブランドバリューに落とし込めるか、観光ブランドイメージを拡張していけるかにかかっています。

それは観光ブランドとしての「持続的な競争優位性の創出」に他ならず、すなわち、中長期的な視点での観光ブランドづくりの観点が必要となるでしょう。

NHK大河ドラマ『武田信玄』(1988年) 武田信玄:中井貴一 平均視聴率39.2%・最高視聴率49.2%

『武田信玄』(たけだしんげん)は、NHKが1988年1月10日から12月18日に放送した第26作目の大河ドラマ。全50回。主演は中井貴一。

甲斐の戦国大名である武田信玄(晴信)が主人公。 原作は新田次郎の歴史小説の『武田信玄』と『武田三代』。新田次郎小説の大河ドラマ化はこれが初めて。脚本家は田向正健が担当した。

前年の『独眼竜政宗』に続いて広義の戦国時代を扱った作品である。武田信玄が主要登場人物として登場する大河ドラマには、上杉謙信を主人公にした1969年の『天と地と』、武田家の「軍師」とされる山本勘助を主人公にした2007年の『風林火山』がある。

信玄の母・大井夫人(若尾文子)が、自分の息子が後世で誤解されていることが多いため、我が子の名誉のために真実を物語る、という体裁を全話一貫してとっている。そのため、本編のナレーションも大井夫人役の若尾が兼ねている。
(出典:Wikipedia「武田信玄 (NHK大河ドラマ)」)

NHK大河ドラマ『武田信玄』(1988年) 武田信玄:中井貴一 平均視聴率39.2%・最高視聴率49.2%

武田信玄(たけだ しんげん)
(武田晴信→武田信玄)
演:中井貴一(少年期:真木蔵人)
甲斐の国主。当初の名は晴信(はるのぶ)。目的のためなら手段を選ばないマキャベリストだが情に厚く、家臣・領民への気配りを常に怠らない。しかし、父・信虎や息子・義信との対立など家庭には恵まれなかった。

三条の方(さんじょうのかた)
演:紺野美沙子
信玄の正室。義信・於梅・竜宝の母。公家の出を鼻にかけ、山国である武田家への嫁入りを嘆き悲しんでいた。次第に信玄の力量を認め勝利を喜ぶ様になり、時には正室として京都との人脈を活かす事もあった。一方で実直な信玄とそりが合わず、うまくいかない夫婦仲や、実子達が政略の犠牲となった際などに信玄と激しく衝突し憔悴する姿も何度か描かれた。死の床において、信玄に介抱されながら、夫婦ともに戦国に翻弄された運命を共感しこの世を去る。その雅さが武田家から失なわれた喪失感が、甲斐から京の都が消えました、という嘆きで示された。

武田信玄(演:中井貴一)と信玄の正室・三条の方(演:紺野美沙子)

番組の最後の締め台詞「今宵はここまでに致しとうござりまする」は流行語大賞に選ばれた。

この番組の最後の締め台詞「今宵はここまでに致しとうござりまする」は流行語大賞に選ばれた。

信玄の母・大井夫人役の若尾文子が本編のナレーションも行い、大井夫人の「今宵はここまでに致しとうござりまする」というセリフによって番組は締めくくられる。

山梨県甲府市で開かれていた「信玄公祭り」は1988年の大河ドラマ『武田信玄』の大ヒットを受け見事に一大祭りとして復活。

4月、桜も満開の頃「信玄公まつり」から風林火山イベントの幕は切って落とされる!

甲州市、乾徳山恵林寺は武田信玄の菩提寺。信玄公のお墓もあります。また、小説・TVドラマ等でも有名な「風林火山」の軍旗もここで見ることができます。

武田三代の栄枯盛衰をたどってみる「乾徳山恵林寺」

大河ドラマ放映時は参拝者で賑わった。

NHK大河ドラマ、武田信玄(1988年)、風林火山(2007年)のロケ地にもなった「東光寺庭園」

武田信玄ゆかりの地/富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報

大河ドラマ 武田信玄 | NHK名作選(動画他)

NHK大河ドラマ『春日局』(1989年) 春日局(おふく):大原麗子 平均視聴率32.4%・最高視聴率は39.4%

『春日局』(かすがのつぼね)は、1989年1月1日から12月17日にNHKで放映された第27作目の大河ドラマ。全50回。原作・脚本は橋田壽賀子、主演は大原麗子。

明智家臣の娘という立場で戦国の乱世を生き抜き、その器量を徳川家康に見込まれて大奥の取り仕切りと後の三代将軍徳川家光の乳母を任された女性・春日局の生涯を描く。それまで「強い女」「烈女」のイメージが強かった春日局を、平和な世を希求し、献身的に家光の母代わりになろうと生きた女性として描く。

主演の大原麗子は5回目の大河ドラマ出演となる。
脚本はNHK連続テレビ小説『おしん』(83年)などを手がけた橋田壽賀子で、1981年の『おんな太閤記』、近現代史大河である1986年の『いのち』に続いて3度目となり、女性主人公の大河ドラマも『いのち』以来である。本作は後半が江戸時代初期にさしかかるものの、1980年代後半の大河ドラマは、安土桃山時代を舞台とした『独眼竜政宗』(1987年)、戦国時代を舞台とした『武田信玄』と広い意味での戦国ものが3年続くこととなった。

橋田によれば、民放局で家光側室で将軍家綱生母となるお楽の方について調べ、それをきっかけに春日局について関心を持っていたという。おふくと対比する形で家光の母・お江与をもう一人の主人公のように位置付けている。その一方で、本来おふくや家光を語る上で欠かせないはずのお万の方が登場することはなかった。
(出典:Wikipedia「春日局 (NHK大河ドラマ)」)

NHK大河ドラマ『春日局』(1989年) 春日局(おふく):大原麗子 平均視聴率32.4%・最高視聴率は39.4%

おふく
演:大原麗子(幼年期:安間千紘→尾羽智加子)

本作の主人公。明智光秀の家臣、斎藤利三とその妻・お安の間に生まれた娘。

幼少の頃、父が戦で死亡、祖母の実家である三条西家で身分を隠すため下働きとして奉公した。後、母と共に母の実家である稲葉家で育つ。夫・稲葉正成が浪人している際、将軍家で乳母を捜しているという話をもらい、正成との婚姻関係を維持したまま徳川家に奉公にあがる。

当初、乳母としての勤めは数年程度という予定であったが、家康にその力量を認められたことなどから長期に渡り乳母として江戸に留まることになり、次第に将軍家の世継を育てることに大きな使命感を抱くようになる。

なお劇中では、春日局の名前を拝命した後も役名は最後まで「おふく」のままであった。
(出典:Wikipedia「春日局 (NHK大河ドラマ)」)

春日局(おふく):大原麗子

主演の大原麗子は5回目の大河ドラマ出演となる。

それまで「強い女」「烈女」のイメージが強かった春日局を、平和な世を希求し、献身的に家光の母代わりになろうと生きた女性として描く。

「お局様」という流行語を生み出した

NHK大河ドラマ『春日局』(1989年)の大ヒットの影響で「お局様」という(皮肉的な)呼び方が古参OLに対して使われるようになった。

NHK大河ドラマ『春日局』(1989年)の大ヒットをきっかけに、徳川家光、春日局ゆかりの埼玉県川越市の「喜多院」等への観光人気が高まる

喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院。山号は星野山(せいやさん)。
良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物はほとんどが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。

1月3日の初大師(だるま市)、節分、長月護摩講塔、七五三、菊祭りなど諸行事はもちろん、四季折々の行楽客で賑わう。境内にある五百羅漢の石像も有名である。

慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たった。

慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜った。

寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。

これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けた。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。
(出典:Wikipedia「喜多院」)

NHK大河ドラマ『春日局』(1989年)をきっかけに、徳川家光、春日局ゆかりの埼玉県川越市の「喜多院」等への観光人気が高まる

徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受け、江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築された。

書院(春日局化粧の間) - 川越大師 喜多院

川越大師 喜多院

大河ドラマ 春日局 | NHK名作選(動画他)

NHK大河ドラマ『赤穂浪士』(1964年) 大石内蔵助:長谷川一夫 平均視聴率31.9%・浪士の討入りが放送された回には視聴率53.0%

『赤穂浪士』(あこうろうし)は、1964年1月5日 - 12月27日にNHKで放映された2作目の大河ドラマ。

原作は、大衆文学の重鎮である大佛次郎の大作『赤穂浪士』。主役の大石内蔵助に大映の看板俳優で後に国民栄誉賞を受賞する長谷川一夫を担ぎ出し、歌舞伎界や新劇界の大物、歌謡界の人気アイドルまでも起用し、前作『花の生涯』を上回る豪華キャストの競演で話題を集めた。

赤穂四十七士たちの討ち入りを決意するまでの苦悩や葛藤、彼らに関わる人々の思惑などを1年間かけてじっくりと描き出す大河ドラマならではのストーリー展開で、その結果視聴率は優に30%を超え、浪士の討入りが放送された回には視聴率53.0%という大河ドラマ史上最高視聴率記録をも打ち立てた。

この記録は2010年現在まで未だに破られていない。ただし、この当時は大河ドラマはまだ日曜午後8時からの放送ではなかった(当時、日曜午後8時枠はコメディドラマの『若い季節』であった)。全話の平均視聴率は31.9%で歴代4位(2011年現在)。

大河ドラマの名称は、この『赤穂浪士』放送中に、読売新聞が外国の大河小説に倣って、前作『花の生涯』で井伊直弼、今作『赤穂浪士』で大石内蔵助の生涯を描くことから、「大河ドラマ」と呼称したことに由来する。
(出典:Wikipedia「赤穂浪士 (NHK大河ドラマ)」)

NHK大河ドラマ『赤穂浪士』(1964年) 大石内蔵助:長谷川一夫 平均視聴率31.9%・最高視聴率53.0%

大石内蔵助に大映の看板俳優で後に国民栄誉賞を受賞する長谷川一夫を起用

『赤穂浪士』第47話(1964年11月22日)「討入り」 大河ドラマ史上最高視聴率記録の視聴率53.0%

『赤穂浪士』第47話(1964年11月22日)「討入り」 大河ドラマ史上最高視聴率記録の視聴率53.0%

この記録は2010年現在まで未だに破られていない。

浪士の討入りが放送された回には視聴率53.0%という大河ドラマ史上最高視聴率記録をも打ち立てた。

『赤穂浪士』第47話(1964年11月22日)「討入り」 視聴率53.0%

赤穂浪士の故郷「赤穂」 赤穂四十七士の祭られている場所「大石神社」(上仮屋)・赤穂浪士ファンだったら見逃せない観光スポット「花岳寺」(加里屋)

大石神社(おおいしじんじゃ)は、赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

兵庫県赤穂市にある。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。大石良雄ら赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実を主祭神とする。
(出典:Wikipedia「大石神社」)

赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社「大石神社」

花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺。山号は台雲山(たいうんざん)。
現在の住職はパーリ仏教研究者で駒澤大学仏教学部教授の片山一良。

播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓地、義士墓がある。浅野家、赤穂浪士に関する展示物が収蔵されている義士宝物館が併設されている。なお、義士宝物館・墓所の拝観料は大人400円、高校生・大学生(学生証提示)200円、子供無料(2009年現在)である。
(出典:Wikipedia「花岳寺」)

歴代赤穂藩主の菩提寺「花岳寺」

大河ドラマ 赤穂浪士 | NHK名作選(動画他)

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』(1981年) ねね:佐久間良子 平均視聴率31.8%・最高視聴率36.8%

『おんな太閤記』(おんなたいこうき)は、1981年1月11日から12月20日までNHKで放映された大河ドラマ第19作。原作および脚本・橋田壽賀子。主演・佐久間良子。全50話。

豊臣秀吉の正室・ねね(北政所)の視点で戦国時代から江戸時代初期(大坂の役)までを描く。
橋田壽賀子が大河ドラマの脚本を担当するのは、本作が初めてである。NHKから脚本執筆の依頼を受けた際、彼女は以前から興味を持っていた豊臣秀吉の正室・高台院(ねね)の生涯を通して、女性に焦点を当てた形で戦国時代を描きたい旨をNHK側に伝え、NHKもこれを了承した。

橋田は、高台院に関する史料のほかに、秀吉関係の史料からねねの生活を推測し、ドラマを作っていった。また、監修に國學院大學名誉教授(当時)で戦国時代史研究の第一人者であった桑田忠親を迎え、考証関係を補強した。桑田には『信長の手紙』などの著書があり、ねね宛ての悋気を戒める手紙などを本編に巧みに取り入れるなどし、織田信長配下の秀吉・ねね夫妻の生活描写に貢献した。

昭和50年代の大河ドラマは各作品とも20%から30%台の比較的高い視聴率を誇るが、その中にあっても本作が記録した平均視聴率31.8%と最高視聴率36.8%は特に高い。その高い人気もあってか、NHK衛星第2テレビジョンでは最も早く全50話が再放送された。
(出典:Wikipedia「おんな太閤記」)

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』(1981年) ねね:佐久間良子 平均視聴率31.8%・最高視聴率36.8%

秀吉をめぐる女性としては豊臣秀頼の生母である側室・淀殿がよく知られ、北政所(高台院)の存在は影に隠れがちであった。

本作をもって、秀吉糟糠の妻として北政所・高台院の知名度が高まったことは否定できない。また、本来高台院の俗名は「お禰(おね)」が正しいが(これについては疑問・反論もある。)、本作品以降「ねね」と呼ぶドラマ・小説・漫画が多数登場したことからも、この作品の影響の大きさが窺える(もっとも、大河ドラマでは本作以前の作品でも「ねね」又は「北政所」と書くのが一般的であり、逆に「おね」と表記されたのは、クレジット上はいずれも後年の作品である『秀吉』『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』『江〜姫たちの戦国〜』『軍師官兵衛』のみである)。
(出典:Wikipedia「おんな太閤記」)

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』(1981年) 豊臣秀吉の正室・ねね(北政所):佐久間良子

秀吉(藤吉郎)がねねを呼ぶ際に用いた二人称「おかか」はこの年の流行語にまでなっている。

浅野又右衛門の娘で、秀吉の正室・北政所。秀吉からは「おかか」と呼ばれている。

「秀吉殿のおかかの務め」が口癖で、普段は内助の功に徹しているが、ここという時には秀吉に対しても一歩も引かない芯の強さも持っている。

序盤では秀吉の大胆な行動に肝を冷やすことが多かったが、回を重ねるにつれ肝が据わってきた。

家中の人間関係に腐心したり、秀吉の女癖の悪さや唯我独尊的な行いに何度も秀吉と衝突したりと苦悩することが多く、人間的に包容力のある女性として描かれている。

また夫が出世を繰り返し「城主の妻」「関白の妻」となった際は、環境の変化に順応できず戸惑うなど、貧乏性が身に付いている面もある。

秀吉在命時は豊臣家のことを大事に考えていたが、秀吉死後に豊臣家臣団同士の対立と信長の姪(信長の妹・市の娘)の淀殿との溝が深まるにつれ、豊臣家は秀吉殿と私が築き上げたものと考え、大坂城を去って京都の三本木で隠棲する。

隠棲後は豊臣家では天下を治めるのは困難と考えるようになり、実力者・徳川家康に泰平の世への悲願を託す。やがて出家し高台院と称し高台寺で過ごす。物語はねねが炎上する大坂城を見届け、背を向けて去っていくところで締めくくられた。
(出典:Wikipedia「おんな太閤記」)

ねね (演:佐久間良子)

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』(1981年) ねね(演:佐久間良子)と豊臣秀吉 (木下藤吉郎→木下秀吉→羽柴秀吉→豊臣秀吉) 演:西田敏行

「秀吉」と「ねね」は理想の夫婦像として視聴者の共感を呼びました。

劇中で西田敏行扮する秀吉(藤吉郎)がねねを呼ぶ際に用いた二人称「おかか」はこの年の流行語にまでなっている。

亡くなった「秀吉」が「ねね」の前に現れ、「生まれ変わったら、中村(の村)で百姓を一緒にしよう」と話しかけます。

「秀吉」の死後、「ねね」は、 「大阪夏の陣」で炎上する大阪城を見つめるラストシーン

豊臣秀吉の正室『ねね』(北政所)のお寺として有名な「高台寺」への観光客が増加

高台寺(こうだいじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。

霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼ぶ。他に北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。

豊臣秀吉が病死したのは 慶長3年(1598年)であった。秀吉の正室である北政所(ねね、出家後は高台院湖月心尼)は秀吉の菩提を弔うための寺院の建立を発願し、当初は北政所の実母・朝日局が眠る康徳寺(京都の寺町にあった)をそれに充てようとしたが、手狭であったため、東山の現在地に新たな寺院を建立することになった。

秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命した。中でも普請掛・堀直政の働きは大きかったようで、高台寺の開山堂には直政の木像が祀られている。

高台寺の開山は慶長11年(1606年)で、当初は曹洞宗の寺院であった。寛永元年7月(1624年)、高台寺は臨済宗建仁寺派の大本山である建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘。この時、高台寺は曹洞宗から臨済宗に改宗している。
(出典:Wikipedia「高台寺」)

秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院「高台寺」

北政所が晩年を過ごした所と伝えられ、一説には北政所の終焉の地とされる。北政所没後に寺に改められた。

北政所が晩年を過ごした所と伝えられる『圓徳院』

高台寺 秀吉とねねの寺

大河ドラマ おんな太閤記 | NHK名作選(動画他)

NHK大河ドラマ『徳川家康』(1983年) 徳川家康:滝田栄 平均視聴率31.2%・最高視聴率37.4%

『徳川家康』(とくがわいえやす)は、NHKで1983年1月9日から12月18日にかけて放送された大河ドラマ第21作。

「昭和59年から大河ドラマは近代路線に移行する」とのタイムテーブルのもと、時代劇大河・最後の作品として「戦国時代・最後の大物」徳川家康を主人公としたこのドラマは企画された。スタッフが意図したものは大河ドラマの王道たる「直球」的作品。

当初はオリジナル脚本案も浮上したが、過去にNET系(現:テレビ朝日)でドラマ化された例はあるものの「山岡荘八・著『徳川家康』ほど家康に関する名作はない」との結論に達し、山岡荘八の小説『徳川家康』を原作にしたドラマ化がスタートした。

家康の出生前からその死までを描く山岡版「家康」、その原作に忠実を期し「家康の生涯は生母・於大を抜きには語れない」との意見から於大役に、息子・家康役の滝田栄より7歳年下の大竹しのぶを配するなど大胆な配役がされた。従来陽気な秀吉に比べ老獪な謀略家としての面が強調されていた家康を泰平を求める求道者として描いた。

また、それまで一般に知られていなかった若手俳優役所広司が織田信長を演じて人気を博した。この作品で一躍注目を集めた役所は出演ドラマ・映画が増え、NHKでも翌年のNHK新大型時代劇『宮本武蔵』で主演を果たしている。

音楽は過去『新・平家物語』などでもテーマを手がけた冨田勲が担当した。この作品でもシンセサイザーと混声合唱、打ち込み音楽をあわせたものであり、重要な局面においては館野直光アナウンサーの語りと相まった。そして、オープニング・テーマでは一定の旋律を転調しながら繰り返すのみのシンプルな楽曲であった。

映像では山奥の小さなせせらぎが小川となり、幾つかの滝や濁流を経て大河となって、やがて大海に注がれるといった演出がなされた。また、家康にゆかりのある日光の華厳滝なども登場した。
(出典:Wikipedia「徳川家康 (NHK大河ドラマ)」)

NHK大河ドラマ『徳川家康』(1983年) 徳川家康:滝田栄 平均視聴率31.2%・最高視聴率37.4%

「おしん、家康、隆の里」という流行語も生まれた。

「なにも家康のそっくりショーをやるわけではない。われわれの手で新しい家康像を作り出そうではないか」という声で、30代前半の俳優に的を絞り、実力本位で選考した結果、滝田栄に決定。かくて長身で面長、「最も家康に似ていない俳優」が家康役に決定した。
(出典:Wikipedia「徳川家康 (NHK大河ドラマ)」)

竹千代→松平元信→松平元康→松平家康→徳川家康 演:山崎晃一→加瀬悦孝→松田洋治→滝田栄

NHKスタッフには既にその実力が認知されていた無名塾所属の役所広司に決定。

放送後、NHKには問い合わせの電話が殺到、評判となった。送られてきたファンレターも番組出演者中最大量。「役所君の持つ、精悍さの中にある優しい瞳に我々は賭けたのだ」というスタッフの意気に応えた。
(出典:Wikipedia「徳川家康 (NHK大河ドラマ)」)

一般に知られていなかった若手俳優「役所広司」が「織田信長」を演じて人気を博した。

武田は『おんな太閤記』(その頃の脚本担当は、橋田壽賀子)の時にも秀吉役の最有力候補だったが、当時はTBS『3年B組金八先生』第2シリーズ出演中だったため実現しなかった。

脚本担当の小山内美江子の強い希望により「武田鉄矢」に「秀吉」役が配された。

徳川家康ゆかりの地を巡る

徳川300年の歴史を刻む出世城「浜松城」

浜松城(はままつじょう。近代以前は旧字体で「濱松城」と表記された)は静岡県浜松市中区にある日本の城跡。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。

「家康時代」

元亀元年(1570年)に家康は武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移した。岡崎城は嫡男・信康に譲られた。当初は天竜川を渡った見付(磐田市)に新たに築城をするつもりであったが、籠城戦に持ち込まれた際天竜川により「背水の陣」となることから、曳馬城を西南方向に拡張した。その際、曳馬という名称が「馬を引く」、つまり敗北につながり縁起が悪いことから、かつてこの地にあった荘園(浜松荘)に因んで城名・地名ともども「浜松」と改めた。

元亀3年(1573年)、武田信玄がこの城を攻める素振りを見せながらこれを無視するような行軍をして家康を挑発。挑発された家康は浜松城から打って出たが、武田軍の巧妙な反撃に遭って敗北を喫した(三方ヶ原の戦い)。 

三方ヶ原の戦いでは徳川軍の一方的な敗北の中、家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、夏目吉信や鈴木久三郎を身代わりにして、成瀬吉右衛門、日下部兵右衛門、小栗忠蔵、島田治兵衛といった僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。

この敗走は後の伊賀越えと並んで人生最大の危機とも言われる。浜松城へ到着した家康は、全ての城門を開いて篝火を焚き、いわゆる空城計を行う。そして絵師を呼んで顰像(#顰像(しかみ像))を描かせると、湯漬けを食べてそのままいびきを掻いて眠り込んだと言われる。この心の余裕を取り戻した家康の姿を見て将兵は皆安堵したとされる。浜松城まで追撃してきた山県昌景隊は、空城の計によって警戒心を煽られ城内に突入することを躊躇し、そのまま引き上げたといわれる。
(出典:Wikipedia「浜松城」)

徳川家康ゆかりの地を巡るコース「浜松城」「三方ヶ原の戦いのゆかりの地」

三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった、武田信玄軍2万7,000~4万3,000人と徳川家康、織田信長からの連合軍1万1,000~2万8,000人との間で行われた戦い。
信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、家康が大敗したことで有名な戦である。

当初、徳川家康と佐久間信盛は、武田軍の次の狙いは本城・浜松城であると考え、籠城戦に備えていた。一方の武田軍は、二俣城攻略から3日後の12月22日に二俣城を発すると、遠州平野内を西進する。浜名湖に突き出た庄内半島の先端に位置する堀江城(現在の浜松市西区舘山寺町)を標的とするような進軍であり、浜松城を素通りして三方ヶ原台地を通過しようとしていた。

これを知った家康は、一部家臣の反対を押し切って、籠城策を三方ヶ原から祝田の坂を下る武田軍を背後から襲う積極攻撃策に変更し、浜松城から追撃に出た。

同日夕刻には、三方ヶ原台地に到着するが、武田軍は魚鱗の陣を布いて待ち構えており、徳川軍は鶴翼の陣をとって戦闘が始まる。しかし、武田軍に対し兵力・戦術面ともに劣る徳川軍に勝ち目はなく、わずか2時間の戦闘で甚大な被害を受けて敗走する。

武田軍の死傷者200人に対し、徳川軍は死傷者2,000人のほか、鳥居四郎左衛門、成瀬藤蔵、本多忠真といった有力な家臣を始め、先の二俣城の戦いでの恥辱を晴らそうとした中根正照、青木貞治や、家康の身代わりとなった夏目吉信、鈴木久三郎といった家臣、また織田軍の平手汎秀といった武将を失った。

このように野戦に持ち込んだことを含めて、全て武田軍の狙い通りに進んだと言えるが、戦闘開始時刻が遅かったことや本多忠勝などが、武田軍相手に奮戦したこともあり、家康を討ち取ることはできなかった。
(出典:Wikipedia「三方ヶ原の戦い」)

三方ヶ原の戦い 布陣図

徳川家康ゆかりの地を巡るコース|観光モデルコース|公式/浜松・浜名湖観光情報サイト~浜松だいすきネット~

大河ドラマ 徳川家康 | NHK名作選(動画他)

NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年) 豊臣秀吉:竹中直人 平均視聴率30.5%・最高視聴率37.4%

『秀吉』(ひでよし)は、1996年1月7日から12月22日にかけて放送された第35作目のNHK大河ドラマ。原作:堺屋太一、脚本:竹山洋、主演:竹中直人。全49話。

堺屋太一の小説『秀吉』、『豊臣秀長』、『鬼と人と 信長と光秀』(主人公:明智光秀と織田信長)の3作品を物語の基とし、脚本家の竹山洋自身が創作した逸話なども随所に取り入れてドラマ化した。

豊臣秀吉を主人公にした大河ドラマは、1965年の『太閤記』以来、31年ぶり2作目。

『八代将軍吉宗』の総集編が終わった後の予告で「これがドラマだ!」と強調、蓋を開ければ、竹中直人やおね役の沢口靖子のほか、信長役の渡哲也の重厚な演技、秀長役の高嶋政伸、なか役の市原悦子、足利義昭役の玉置浩二、千利休役の仲代達矢、光秀役の村上弘明などの脇役たちの存在感もそれぞれ光るものがあり、視聴率は当初の予想を大きく上回ることになる。
(出典:Wikipedia「秀吉 (NHK大河ドラマ)」)

NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年) 豊臣秀吉:竹中直人 平均視聴率30.5%・最高視聴率37.4%

信長を盲信し、父と同じと慕って忠義を尽くす。信長へは「ごもっとも!」を連呼する。「心配御無用!」のセリフと共に猛烈な行動力で数々の仕事をこなし、信長から「侍たるものは皆、秀吉にあやかりたく存ずべし」との最上級の評価をもらう。

正室であるおねに惚れ大事にしているが、女好きであることを公言し、度々浮気をしている。織田家家臣時代は庶民的で命を尊ぶ性格だったが、出世と共に次第に傲慢になっていく。
(出典:Wikipedia「秀吉 (NHK大河ドラマ)」)

秀吉:竹中直人と信長役の渡哲也

決め台詞「心配御無用!」は、その年の流行語となった。

NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年) 豊臣秀吉:竹中直人

NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年)の放送に合わせて「北近江秀吉博覧会」の開催

北近江秀吉博覧会(きたおうみひでよしはくらんかい)は、1996年(平成8年)に滋賀県長浜市で開催された地方博覧会。 開催期間 - 1996年4月7日から11月30日まで 会場 - 長浜市街地・琵琶湖湖北一帯 テーマ - 「変革と自由」 マスコット - 「ひでよし」 入場料 - 三会場共通券……大人1000円(前売900円)小中学生600円(前売500円)         中央会場単独券……大人700円 小中学生500円 主催 - 北近江秀吉博覧会実行委員会 中央会場 テーマ:「歴史メッセージ『秀吉の夢』」 長浜駅から徒歩5分の市街地の真ん中にあり、旧映画館と商家の建物を利用したパビリオン。NHK大河ドラマ「秀吉」とタイアップ。 「ドリームキューブ」は、大型マルチスクリーンの映像とともに、音と光のページェントを繰りひろげる。 「大河ドラマ体験ヤード」は、ロケ風景などの紹介。 湖北・長浜の特産品やオリジナルグッズを販売する「物産販売・観光情報紹介コーナー」、軽食サービスなどが行われる「レストコーナー」がある。 大通寺会場 テーマ:「王国を夢見た人」 豊臣秀吉と蓮如を中心に、湖北で青春を生き、天下を夢見た人々を紹介する。 長浜城歴史博物館 テーマ:「秀吉出世城物語」 秀吉ゆかりの合戦図屏風や肖像画などの企画展を行った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%BF%91%E6%B1%9F%E7%A7%80%E5%90%89%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A

北近江秀吉博覧会 - Wikipedia

秀吉ファンの心をつかめ!長浜観光の目玉の一つ「長浜城歴史博物館」の秀吉と長浜がキーワードのリニューアル

〒526-0065 滋賀県長浜市公園町10-10

長浜城歴史博物館

滋賀県長浜市公園町の長浜城歴史博物館が1983年の開館以来、初のリニューアル工事を行っている。長浜に城を築いて天下統一の足がかりとした羽柴(豊臣)秀吉と地元の関わりを紹介したコーナーを新しく独立させて設けるなど、展示内容を充実させたいとする。 同博物館は秀吉が築いた長浜城の跡にあり、展望台付きの模擬天守の建物は長浜観光の目玉の一つになっている。 リニューアルでは秀吉ファンの観光客に足を運んでもらおうと、3階に秀吉のコーナーを設ける。姉川合戦や賤ケ岳合戦など秀吉が居城していた間の出来事を絵巻物風にした年表を新たに作製するほか、築城の様子を再現したジオラマを2階から移設する。 このほか、2階に縦3メートル、幅5メートル、奥行き1・2メートルある最新の密封ケース1基を導入。ケース内は常時、温度20度、湿度60%に保つことができ、貴重な文化財を保存、展示できるようになるという。 リニューアルオープンは2月27日。太田浩司館長(54)は「長浜を訪れる観光客の多くは秀吉に興味がある。秀吉と長浜の関係を分かりやすく紹介したい」と意気込む。

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160125000015/print

秀吉ファン心つかめ 長浜城歴博、初の改修 : 京都新聞

長浜城歴史博物館

大河ドラマ 秀吉 | NHK名作選(動画他)

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