【ランディ・バース】弱小球団にやって来た「史上最強の助っ人」

【ランディ・バース】弱小球団にやって来た「史上最強の助っ人」

阪神タイガースファンに「神様」と言わしめた伝説的な助っ人、それがランディ・バース選手。掛布選手、岡田選手と共に「バックスクリーン3連発」を記録した1985年には3冠王に輝き、チームも日本一に大きく貢献したバース選手の球歴を振り返る。


バースは一時「解雇対象」だった?

ツインズ、ロイヤルズ、エクスポズ、レンジャーズとメジャー球団を渡り歩いたバース選手は1983年に来日し阪神タイガースに入団します。
※パワーには定評があったものの、守備に難があったのが、球団を渡り歩いた理由
※同時期に活躍した巨人のクロマティ選手とはエクスポズ時代の同僚。日本では巨人と阪神というライバルチームに所属していた2人ですが、同じ「外国人助っ人」として深い親交がありました。

クロマティ選手とバース選手

入団当初、バース選手は藤田平選手が一塁手として多用されていたこともあり、右翼手として守備に就いていましたが、外野手としては致命的と言えるほど守備範囲が狭く(これは幼少時に足を複雑骨折していた事に起因)藤田選手の成績が下降してきたことから、一塁に固定される様になります。この年、体調不良でシーズン序盤を出遅れたにもかかわらず、1年目から打率.288、35本塁打、82打点と活躍しました。

ところが、これほどの成績を残しながら「外国人枠」の問題によって一時バース選手は「解雇対象」でした。
※1981年~1993年まで、外国人の「出場選手登録」は2人。「支配下登録」も3人まで。
当時の阪神は先発投手陣の不足が深刻だったので、外国人投手を新たに獲得。もう一人の外国人選手として残留させておくには、調子の波が激しく、外に落ちる変化球に弱点があったバース選手より、同期入団でミートのうまいスティーブ・ストローター選手の方が日本の野球に適合しているとの評価が高かったのです。

ストローター選手

ただ、バース選手の持ち前の長打力と野球に対する態度、努力、人格が決め手となり、解雇になったのは、ストローター選手でした。この時の判断が後に阪神タイガースの運命を変えていく事になります。

伝説が生まれた日

翌1984年には、本塁打は27本と少し減ったものの、変化球にも徐々に対応してきたことから、打率が.326と一気に上昇。そして、入団3年目の1985年に一気に爆発します。

この年の4月17日の対巨人戦。相手の先発は槙原投手。試合は7回裏の時点で巨人が3-1とリード。2アウト一・二塁、ホームランが出れば逆転という場面でバース選手が打席に入ります。この日までバース選手は、通算15打数2安打で打率.133、ホームラン0と絶不調でした。ですが、この年の第一号となるホームランをバックスクリーンに打ち込み、チームは4-3と逆転します。

続く4番打者の掛布選手もバックスクリーン左翼側のスタンドに飛び込むバースに続く連続ホームラン。更に打席に入った岡田選手も「こうなったらホームランを狙うしかない」とフルスイング。ボールは、バックスクリーン左翼寄り中段に飛び込む3者連続ホームランとなりました。
「ホームラン3連発」というのは以後も何度か生まれていますが、クリーンナップの、しかもほぼ同じ打球方向で、一番直線距離が長いバックスクリーン方向へと飛び込んだ事によってこの「3連発」は今でも伝説のプレーになっています。

当時の新聞記事

ちなみにこの試合、巨人も9回にクロマティ選手、原選手の連続ホームラン。更に続く中畑選手があわやホームランという大ファールを打って大きなどよめきが起こったのですが…そのことはあまり知られていません(この試合は結局6-5で阪神が勝利)
更に言うと、槙原投手は対阪神戦の通算成績は38勝10敗と得意にしているのですが、この「バックスクリーン3連発」と、後に「新庄選手に敬遠球を打たれてサヨナラ負け」という2敗があまりにも鮮烈な印象を与えています。

このように劇的なシーズン第一号本塁打を打ったバース選手はその後本塁打を量産。掛布選手・岡田選手らと共に「ニューダイナマイト打線」と呼ばれる強力打線が活躍。苦しい先発投手陣を中西選手、福間選手らリリーフ陣が支え、チームは首位を快走。10月16日の対ヤクルト戦で、チームは21年ぶりのリーグ優勝を決めるのです。

21年ぶりの胴上げ

ちなみにリーグ優勝が決まったこの日、喜びのあまりに興奮した阪神ファンによって、バース選手に似ているとされる「カーネル・サンダース人形」が大阪の道頓堀川に投げ込まれました。

救出されたカーネル人形

その後、阪神タイガースは長い低迷期が続くことになりますが、それはこの時投げ込まれた「カーネル人形の呪い」だという都市伝説が生まれました。この人形は2009年に「救出」され、大きな話題になりました。

伝説の記録との戦い

リーグ優勝を決めた阪神タイガースファンの興味は、バース選手が王貞治選手の持つシーズン55本塁打記録に並び、それを破るのか?という事に移っていきます。バース選手がこの年の54本目の本塁打を放った時点で残りは2試合。しかもその2試合とも巨人戦。そして当時の巨人の監督は王貞治監督でした。

残る2試合、「江川卓投手以外」の巨人の投手陣が、王監督の持つ記録を抜かすことはおろか、並ぶことも許さないとばかりに捕手を座らせたままの「事実上の敬遠」をし続けた事は、当時大きな社会問題となりました。(最終戦に登板した斉藤雅樹投手は、バース選手のバットに届く所に投げるというコントロールミス?をし、バースはセンター前ヒットを1本打っています)

「巨人投手陣は逃げた」と…

当時の記事

後に王貞治監督は「自分は敬遠を指示しなかった」と言い、当時巨人に在籍したカムストック投手は、「バースにストライクを投げると罰金を取られた」とこの年のシーズン終盤の事を振り返っています。この2人の言葉が2人とも嘘ではないとするならば、王監督以外のコーチの誰かが敬遠を指示したと見られています。この年、バース選手は結局シーズン54本塁打で終了。本塁打、打点、打率に加え、最高出塁率と最多勝利打点王の5冠王になります。ちなみに外国人助っ人としてセリーグのホームラン王になったのは、バース選手が初めてでした。

更にその翌年の1986年、今度は王貞治選手のもつ「7試合連続本塁打」という記録にバース選手が挑むことになります。5試合連続本塁打を打った時点で迎えた巨人戦、当時ルーキーだった桑田投手から本塁打。タイ記録達成がかかった翌日、先発した江川投手からバース選手は本塁打を打ち、王貞治選手の持つ記録に並びます。
前年の「55本塁打の遺恨」の時も、そしてこの日もバース選手にストレートで真っ向勝負を挑んだ江川投手には賛辞が贈られ、バース選手自身も「江川はいつも勝負してくれた」と後に語っています。

初の日本一

西武ライオンズと対戦した、1986年の日本シリーズ、第1戦で、バース選手は工藤投手から3ラン本塁打を打ったのを皮切りに3戦まで3試合連続本塁打を打ち、苦手の守備でもファインプレーを見せるなどシーズ大活躍します。レギュラーシーズンとあわせて日本シリーズのMVPも獲得し、阪神タイガース球団初の日本一に大きく貢献します。

翌1986年には前述した様に7試合連続本塁打を放つなど大活躍。2度目の三冠王に輝きます。
その後もタイガースの中心になっていたバース選手ですが、難病を抱えた息子の対応を巡って球団と対立。1988年シーズン半ばで解雇となります。大黒柱のバースを失って以降、阪神は長い「暗黒時代」に突入していきます。

活躍したオマリー選手、シーツ選手、マートン選手は「ヒットメーカー」タイプですので、バース選手に最も近いのはマウロ・ゴメス選手ではないでしょうか。

バースの再来?

シーズン開幕前、阪神タイガースの新外国人助っ人の事を「バースの再来」と書くことが関西のスポーツ紙で恒例となっていますが、期待をかけられた外国人助っ人が不発に終わる度に、阪神ファンは神様・バース選手の偉大さを思い出すのでした。

アメリカに帰国した後、バース選手は本業の牧場経営の傍ら、2004年からはオクラホマ州議会の上院議員になり政治家としての面も持っています。また、退団時に球団と対立したバース選手ですが、元来親日家。引退後もたびたび来日。ファンの前にその姿を見せてくれています。

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