
異例の「2」
「宇宙戦艦ヤマト2」はいわずとしれた宇宙戦艦ヤマトの続編ですが、その放送は78年10月14日から翌年4月7日まで(日本テレビ系放送、アカデミー製作、讀賣テレビ放送制作)で、
78年8月5日公開の映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」の後となっています。
TVアニメが好評なので、総集編を映画で、続編を映画で、という流れはよく聞きますが、
なぜヤマトは映画「さらば」の後にTV「2」なのか、、
たんに続編を映画でつくったら人気だったので、TV版もつくった、、ということでないのは、映画からTVまで2ヶ月という点で明らかです。
、、ここで、先に公開された映画版「さらば」がどういうおハナシだったか、まったくご存じないか、TV版と記憶がごっちゃになっている方のために、振り返りましょう。
(文中、「前作」といっているのは、すべて1作目「宇宙戦艦ヤマト」のことです)
先行した映画版「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」
映画「さらば」のあらすじ
前作でガミラスからの攻撃で滅亡の危機にあった地球を救った宇宙戦艦ヤマト。しかしまた新たな危機が地球に迫っていました。
正体不明のメッセージを受信した主人公古代進は、再びヤマトを発進させ、発信源に向かいます。目的地テレザート星に到着した古代たちは、メッセージの発信者テレサを救出。地球に白色彗星帝国の攻勢が近づいていることを知ります。
時すでに遅く、白色彗星帝国の攻撃に地球艦隊は全滅。残ったヤマトは波動砲で帝国を滅ぼしたかに見えたが、その中には超巨大戦艦が。
闘いのなかで次々と乗組員を失っていくヤマト。古代は恋人森雪の亡骸と二人、ヤマトで己を捨てて超巨大戦艦へと向かいます。そのヤマトとともに、自分の命を犠牲とするテレサ。
白色彗星帝国は宇宙の光となって消えます。

登場人物
と、ここで。
「さらば」と「2」のおハナシの違いを挙げる前に、
「2」の登場人物を紹介しておきます。
(まあ「さらば」の登場人物も同じです。状況やその運命が違うだけで、、)

古代進
前作ではヤマトの戦闘班長、のちに艦長代理。神奈川県三浦半島出身。ガミラスの遊星爆弾で両親を失う。
前作の航海で島大介とは親友に、森雪とは恋人の関係に。
2ではヤマトに乗り当初は外周艦隊の司令を務めている。
森雪
前作でヤマトの生活班長。2では密かにヤマトに潜り込むが、前作同様、同班長を任命される。
島大介
古代とは宇宙戦士訓練学校の同期。前作からヤマトの航海班長。
2でもさらばでも、古代の無断でのヤマト発信を諌めるが、最終的にはヤマトに乗り込む。
真田志郎
古代進の兄である守とは宇宙戦士訓練学校での同期で親友。子どもの時の事故で姉を亡くし、自らの手足も失う。義手義足は取り外して爆弾としても使える。
前作からヤマト工作班長。2では当初、地球防衛軍科学局局長。





主要キャラクターが次々と死んでいく「さらば」。そこから、、^^;
さて、あらすじでもふれましたように、さらばでは登場人物らが次々と非業の死を遂げていきます。
ヤマトとの白兵戦で傷つき、古代との一騎打ちで敗北を認めたデスラーは、母星を守る武人としての自分は地球人に近いと語り、白色彗星の弱点を仄めかし、宇宙空間に散っていきます。
白色彗星に覆われていた都市帝国との闘いでは、雪が命を落とし、医務室もやられ佐渡先生にアナライザー、猫のミーくんまでもが、機関室では徳川機関長が被弾の爆風に巻き込まれ亡くなります。
さらばではヤマトに収容され艦長を務めていた土方も、古代に後を任せ死亡。
決死隊として突入した真田、斉藤も、敵内部を爆発させ戦死。艦載機コスモタイガー隊で唯一ヤマトに戻った加藤も、コクピットのなかで息絶えています。
最終的に、都市帝国内部から現れた超巨大戦艦に向けて、古代が雪の亡骸と、テレサと特攻し命を落とすのは、前述の通りです。
、、死屍累々。ひどいハナシです>_<
プロデューサーの西崎義展氏は、
だそうです。みんな殺しちゃって、ヤマトは決然とその幕を降ろすって感じですね、、
え、「初公開時は」?
そう。そうなのです。もうほとんどみなさんご存知か、そうでなくても思い出されたように、
ヤマトはこの「さらば」の後にも、いまご紹介しておる「2」、それどころか何作もの続編がつくられるのです。それも最近つくられた「リメイク」じゃなくて、「続編」ですよ。
ほとんどみんな死ぬハナシなのに?、、「初公開時は」?
こんなハナシに続編をつくるとしたら、登場人物がほとんどか全員新しいハナシを立ち上げるか、、
いえ、もっと安直な、根本的な方法があります。
、、そうです、ずいぶん引っぱりましたが、そんな登場人物の多くが死ぬようなハナシはなかったことにしまうのです!∑( ̄ロ ̄|||) いやいや、さらに踏み込んで、「歴史を塗り替えてしまう」のです!∑( ̄ロ ̄|||) ∑( ̄ロ ̄|||)
そうです。その、さらばの「歴史の塗り替え」がこの2なのでした、、
ですから、2はさらばの続編でもTV拡大版でもなく、別バージョン。その後も続編を続けるための「修正」だったのです。
ですから、その後の続編は、「2」の続編であって、「さらば」の物語はここで終わるのでした。
続編のための歴史修正 〜「2」
というようなおハナシが「2」なので、主要登場人物の多くが命拾いしています。そのための「歴史の改変」がそこここに。
まずデスラーと古代の一騎打ちでは、古代が負傷。古代をかばう雪の姿に、デスラーはさらばと同様の台詞と白色彗星帝国の弱点を語り立ち去ります。ついでにいうと、さらばではデスラー同様戦死した腹心のタランも一緒に命拾い。
真田もさらば同様決死隊として突入するも、銃撃を受け動けなくなり、爆破は指示を出すのみで生還します。
雪も爆破に巻き込まれることもなく、佐渡先生もミーくんもアナライザーも無事。
一方で「改変」でも生き残れなかった人たちも、、
土方はヤマトには乗艦していないのですが、新造戦艦アンドロメダもろとも都市帝国に激突していき艦と運命をともにします。
徳川機関長も山本もほとんどさらばと同様、死んでしまいます。
斉藤も単独敵地に残り、真田と明暗を分けます。
最大の改変の「為」の設定変更はテレサに関してです。
さらばにおけるテレサは、反物質世界の人間という設定で、人間というより精神体やある種の神のような存在ですが、2では反物質を操る能力を持つものの、人類と同じような存在となっています。
それは、島と恋に落ち彼の命を救い、またラストにおいても特攻に赴く古代と付き添う雪を説き伏せ、島たちを生かすために単独で超巨大戦艦に向かわせるためでした。
、、なんか釈然としませんねえf^^;
「歴史修正」の動機
今回の記事のために調べていて、「なぜ2とさらばの結末が異なるのか」について筆者は初めて知った話があります。
これはすでに「『さらば』公開以前の1978年6月25日発行の「ヤマトファンクラブ本部」会報第4号にて報じられている。」(引用元は上のものと同じ)そうです。
仰ってることの主旨には筆者は賛同しますけど、どうなんでしょうねえ、、
代わりにテレサ一人に死んでもらう訳ですし、
自己犠牲で死ぬとか非業で死んでいくとかはこのテのおハナシの常道。斉藤はじめ(洒落てんじゃないんですよっf^^;)さらば同様に死んでいくままの登場人物もいる訳だし、、
そもそも、ヤマト単独での意味があるのかないのか分からないような特攻のカタルシスに、テレサが共鳴して一緒に特攻っていうラストや、ほとんどの登場人物が死んでいく悲壮感の美学とか、いかがなもんか、ということはある訳ですが、
ふだんの考えが右にしろ左にしろ日本人に刷り込まれちゃってる、ヤマトのオープニング曲のイントロが流れてくる時の、筆者でも「ああ俺にもこんな右翼な感性がやっぱりあるんだなあ」といった高揚感、悲壮感、そういったものを刺激しちゃって「さらば」をつくっといて、“やりなおし”って、ねえ、、
もう一つの「見解」の方、
というのは、当時筆者も聞いた話で、安彦氏は「僕にとってヤマトはさらばで終わってるんで」といった主旨の発言で、実際それ以降かかわっていませんしね。
(でも上記引用に「ちなみに「死んだはずのキャラクターをどうやって生き返らせるか」の案は安彦と脚本陣の話し合いで考え出された。また本作のストーリー構成も安彦が手掛けている(ノンクレジット)」ともありました。表立たないだけであんたも戦犯やんw)
こんな記述もあります。
「商品展開をバックアップする目的」。やっぱり、、?
当時、松本氏の意図は筆者には聞こえてきませんでしたし、いま知っても、やはり続編つくりたさ、もっとはっきりいうと今後も金を生むための歴史修正に、筆者には思えてなりませんねえ。
あんな啖呵きっちゃったのに、、

あ、でも。先の「さらば」に関する西崎プロデューサーの発言の引用の続きなんですが、、

、、いやもう、ようやるわf^^;; 大人って!
当時子どもの筆者は、松本漫画版も読む前から、ヤマトは漫画家の松本氏原作の作品だと思っていましたが、
その後裁判で裁判所もゆうてる通り、西崎氏のもんやったんですねえ、、^^;
「2」がもたらしたもの
さらばで語られた歴史を塗り替えた「2」によって、ヤマトは以後おびただしい続編がつくられます、、
こんな辺境宇宙の片田舎が毎年のように異星人に襲われ危機に陥り、その度ごとにヤマトは発進していきますf^^;
2の歴史修正などまだまだ序の口にすぎなかったことを、西崎氏のおそろしさを、我々はその5年後思い知ることになるのですが(((( ;゚Д゚)))、この時まだそれを知る由もありませんでした。
で。
我々当時子どもの視聴者が、この「2」の豪腕歴史修正を目の当たりにして、唖然として怒りに震え悄然としてあるいは決然としてヤマトと袂を分かち、以後観ることがなかったか白けてしか観れなくなったかというと、
そうではなかったのです、、
当時、物語の佳境を待たずして既に「2」制作の意図も聞いていたし、その帰着も予想がついていたように思います。続々と続いた続編にも、またまたーなどとは思いながら、それなりにどれも愉しんだものです。
、、そうです、「2」が当時の我々子どもの視聴者を、少し“大人”にしてくれたのかも知れませんね^^;
筆者の少し上の方々、1作目ヤマトの視聴者の中高生SFファンは、(いまではよく分からない感覚かも知れませんが)そのSFとしての「ハード」さに歓喜したといいます。SF設定にSF作家豊田有恒氏を据えていることから、その反響が筆者にも少しは想像できます。
本編中は語られなかった裏の設定も含めて、ヤマトをSF的に検証する、、なんてことも当時の先達は試みたようですが、結果は、、「ダメだ、きっとテキトーだ!」というものでした^^;
後年、ヤマト続編の頃、いわゆるアニメファンとして専門誌などを読んでいた筆者は、度々、満載の突っ込みどころを愛ゆえ弄ぶ格好の題としてのヤマトシリーズを目にしております。曰く、ヤマトにおいては宇宙空間でも煙は上に昇り破片は下に落ちる—ヤマトはそんな細部にも根性入っているのだ、とか。未知の敵兵器に対して予知していたかのように対抗兵器をすぐさま用意する真田の科学力をもってして何故地球は三流文明にとどまっているのか。等々。(先の「辺境宇宙の片田舎が」云々というのも、当時の愛ある突っ込みの一つですf^^;)
ヤマト、とりわけ堂々たる歴史改変を見せた「2」は、我々に大らかにメタな視点で作品を見る目を養ったといえるかもしれません、、f^^;
