「ゆとり教育」とは
「ゆとり教育」あるいは「ゆとり世代」といった言葉、聞いたことありませんか?

「ゆとりだから・・・」といった使われ方
一般的な見解としては「教育内容がゆるくなった」と総括されるのだと思いますが、一方で戦後教育が「科学技術の発展についていける人材を養成すべきだ」という声を背景に、学習内容増強に邁進してきた結果、その反動として「詰め込み教育だ」「ゆとりがない」という批判を受け続けてきた背景があるようです。
これを受けて文部科学省は、完全週休二日制、授業時間数削減、内容削減などの施政に着手、また、新自由主義的志向が流行した時期には、教育にもそれを反映するべきとする考え方もあったようです。 (大々雑把に言えば「勉強は塾に任せよう」ということ)
「ゆとり」をテーマにしたドラマも
「ゆとり世代」はいつから
「1987年4月2日生まれ~2004年4月1日生まれの人」とされているようです
「ゆとり世代」についたネガティブイメージ
ゆとり世代の偏見イメージ
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「ゆとり教育」が生まれるまで
戦後一貫して行われ「詰め込み教育」と揶揄された「追いつき型画一教育」を改めて、「個性重視の教育」へと転換しようとした一連の取り組みがあり、具体的には「新しい学力観」と呼ばれました。
そうした中で本当に大きく変えられたのは、2002年の「ゆとり教育」からではなく、1992年に実施された教育課程において「生活科」と共に唱えられたものといわれています。
「新しい学力観」基礎基本ができていれば、後は一人ひとりの学力の中身・内容が違ってもいいという基本的な考え
学んでいる内容がみんな違うとなると、教師や学校の立場からすると同じテストで計れない、評価が出来ない事になります。
「知識」がバラバラでも、それに向かう「関心」「意欲」「態度」は、共通で評価出来るではないか、それを計ればいいということになり、全国の通知表が一斉に変わっていったようです。
「関心」「意欲」「態度」は数量化が難しい、つまり基準点が設けられないという事で、偏差値や5段階評価⇒他人とは比べない個人内評価的「絶対評価」というものが導入
他人と比べずに、一人の子が以前より努力をしたかどうか、関心を持って意欲的に学習に望んだかどうかという事を中心に評価しようという考え方。
例えば漢字1000個書ける子が、学期終わりに1200個書ける事よりも、200個しか書けなかった生徒が、400個書けるようになることを「意欲をもって学習に取り組んだ」と評価するようにしよう事。
こういった流れから「他人と競う」から「他人と比較しない」ことにフォーカスされたのでは?
ゆとり教育とは (ユトリキョウイクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
このような「新学力観」の一側面である「他人との比較を重視しない」点が、向上心やハングリー精神、関心の欠如といったイメージの拡幅とともに「ゆとり世代」のイメージを生み出していったのかもしれませんね。
「ゆとり教育」で具体的に変わったこと
-学校が週5日制に
-主要科目の授業時間が減少
-競わせる相対評価から個性を伸ばす絶対評価に
いまは脱ゆとり、といわれているそうですが「人格形成」において教育はもっとも大事な要素のひとつ。世代で括られてしまうような低評価の教育プログラムが適用されることこそ残念ですよね。
そして私たち団塊ジュニア世代も、「ゆとり世代だからこうだ」などといった偏見をもたずに、しっかりと向き合うことが当然に求められることのような気もしますね。