ジーコ
1953/3/3生まれ。
出身地 ブラジル リオデジャネイロ州
身長、体重 172cm、72kg
本名は「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」。
「ジーコ」はあだ名で、「やせっぽっち」という意味だそうです。
選手概要

ジーコ ブラジル代表時代
WCCF 12-13 ATLE EXTRA ジーコ (ブラジル代... - ヤフオク!
1967年、ジーコは「フラメンゴ」でプロデビューを果たします。1983年にはイタリアの「ウディネーゼ」へ移籍。1985年には再び「フラメンゴ」に復帰します。
ブラジル代表ではトニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテスとともに『黄金のカルテット』と呼ばれ、一躍スーパースターに。その活躍ぶりから『白いペレ』とも呼ばれていました。
1985年に現役を引退した後、ブラジル政府の閣僚になるなどしていましたが、1991年「住友金属サッカー部」(現在の「鹿島アントラーズ」)に乞われ、なんと来日。
Jリーグ開幕からの「鹿島アントラーズ」の黄金期を支えました。また、Jリーグでは初のハットトリックを決めています。

ジーコ 鹿島アントラーズ時代
テレカ 50度 鹿島アントラーズ ジーコ T-1146 未... - ヤフオク!
住友金属(現・鹿島アントラーズ)にあの“神様”ジーコが来るって聞いた時は、びっくらこきました!しかも、その頃のチームは常勝軍団などではなく、まだまだこれからのチームだったので、その点にも驚かされました。
せめて読売か日産だろうと。
Jリーグ・鹿島アントラーズの歴史は、ジーコから始まったと言っても過言ではないでしょうね。
所属クラブ

フラメンゴ
1979~1982年頃 アディダス ブラジル フラメンゴ ... - ヤフオク!
1971年~1983年 フラメンゴ
1983年~1985年 ウディネーゼ
1985年~1989年 フラメンゴ
1991年~1994年 住友金属/鹿島アントラーズ
選手としての特徴
「白いペレ」
決定的なラストパスを多く出し、確実にゴールを決めるその高い技術から、若いころは「白いペレ」とよばれていましたが、やがて愛称である「ジーコ」の名で世界中に知られるようになりました。
おそらく日本人が考える以上に、母国ブラジルでは尊敬されているんでしょうね。
ペレに例えられるって、サッカーに厳しい国民から相当な信頼がある証拠です。
ちなみに『黄金のカルテット』は、引退後ジーコだけでなく、ファルカンやトニーニョ・セレーゾも日本で指揮を執りましたね。
Jリーグ黎明期の顔でした!
ジーコ公式サイト:ヒストリー選手像
スーパープレー動画
う、巧すぎるでやんす!
上記は、伝説のヒールボレーの映像です。
Jリーグ初期を代表するゴールとして何度も紹介されていましたね!
ジーコはシュートをする際に足の振りが小さいです。
なので、DFに周りを囲まれても余裕を持って、精度の高いシュートを打てるんですね。
ジーコは監督よりもやはり選手時代が輝いています!!