ハンセンは当初は新日本プロレスで活躍しますが、ジャイアント馬場を慕って戦いの場を全日本プロレスに移し、数々のチャンピオンベルトを腰に巻きます。そして、圧倒的な強さを誇りハンセンは「不沈艦」と呼ばれるようになります。
スタン・ハンセンの日本初マットは全日本プロレス
新日本プロレスでトップ外国人レスラーに

若かりし日のハンセン

「ウィー」ではなく「ユース」
ジャイアント馬場のライバルとして熱戦を繰り広げる
ライバルであったジャイアント馬場とPWFヘビー王座を巡って、幾多もの名試合を残したスタン・ハンセン。その他にもジャンボ鶴田、天龍源一郎らともチャンピオンベルトを懸けて全日本のマットを湧かせました。
1993年の世界最強タッグでハンセン&馬場組「巨艦砲」結成
夢のカード「ハンセン&馬場VS三沢&小橋」
世界最強タッグ決定リーグ戦で、優勝した三沢&小橋組ともハンセン&馬場組は30分時間切れ引き分けで決着付かず勝ち点を分け合いました。この試合の決着をつけるべく、翌年の1994年3月5日の日本武道館のメインイベントで「夢のカード」として60分1本勝負がおこなわれました。
ハンセン&馬場組の繰り出すひとつひとつの技にお客さんがどよめきます。弟子である世界タッグ王者からの攻撃を真っ正面から受け続けた師匠ジャイアント馬場。試合結果は三沢が天龍に続いて日本人2人目となる馬場からピンフォールを奪って大金星を挙げます。試合には負けましたが、ハンセン&馬場組のベストバウトといえる、まさに「夢のカード」です。
2年連続で世界最強タッグ決定リーグ戦にエントリー
最強の合体技「ジャイアントコンビネーション」
強固たる信頼関係で結ばれたハンセンと馬場

スタン・ハンセン&ジャイアント馬場

笑顔のスタン・ハンセン&ジャイアント馬場
ハンセンが全日本プロレスとジャイアント馬場について語る
スタン・ハンセンが語る! 「だから全日本と馬場はスゴかった」 | 日本一の書評 | 現代ビジネス [講談社]