偉大な父 ダンシングヴレーブ

キョウエイマーチ
父 ダンシングヴレーブ 母 インターシャルマン
父 ダンシングヴレーブは追い込みを得意としており1980年代のヨーロッパの最強馬とも呼ばれる名馬。
種牡馬としてはマリー病という奇病に悩まされ続けたが、日本に輸入され数が少ないながらも質の高い産駒を多く輩出した。
デビューまでの険しい戦い
1994年4月19日キョウエイマーチは、インターナショナル牧場で生まれた。しかし、生まれた直後に骨端症である事が判明した。骨端症とは、成長期にある骨端部の一部が壊死してしまう病気の総称で、脚部への不安が残り、競走馬へとなれない場合が多い。ちなみに、キョウエイマーチの兄も同じ骨端症を発症しており、そのまま競走馬になりきれなかった。そんな難病にも、朝夕の血の循環を良くする薬、痛み止めの投与、炎症を起こしている箇所への湿布等々、牧場関係者の懸命な努力もあり、キョウエイマーチは何とか競走馬への道を開く事が出来た。
デビューそしてクラシック本命候補へ
3歳時
何とか競走馬になった、キョウエイマーチは栗東の野村厩舎に入厩した。脚部に不安が残るキョウエイマーチのデビュー戦は11月のダート1200m戦となった。スピードの違いでスタートから独走して2着に2秒以上の差をつけて完勝した。ちなみ、このレースの3着馬のマチカネフクキタルは後の菊花賞馬である。
2戦目の500万下千両賞では3着となった。3歳戦は2戦1勝で終えることになった。
4歳時
4歳となったキョウエイマーチの初戦はダート戦の寒梅賞。このレースを見事勝利し、オープン入りを果たすと続くエルフィンステークスも連勝した。続くクラシック一冠目桜花賞のトライアルの報知杯4歳牝馬特別に出走した。初めて一線級のライバルたちとの対戦であったが、一番人気に支持をされた。レースでは楽に先頭に立つとそのまま2着シーズプリンセスに7馬身差のレコード決着という圧勝劇を演じ、桜花賞の最有力候補として名をあげた。
大外18番・不良馬場、最悪の条件の桜花賞
桜花賞トライアルを圧勝し、桜花賞の最有力馬となっていたキョウエイマーチだったが、この年のライバルは名門メジロ牧場からの刺客メジロドーベルと前走チューリップ賞でメジロドーベルを破ったオレンジピールであった。しかし、実質はキョウエイマーチとメジロドーベルの二強ムードであった。そして、桜花賞当日はドシャ降りの雨で馬場は不良馬場。さらにキョウエイマーチは大外18番スタートとなった。スタートしてすぐコーナーを迎える阪神の1600m戦は大外枠が圧倒的不利とされているレースでキョウエイマーチにとっては最悪の条件であった。
そんな中で、スタートをうまく決め2番手についたキョウエイマーチは掛かりそうになりながらも鞍上の松永幹夫騎手が上手くなだめ直線へ向かう。直線に入り先頭にたったキョウエイマーチはそのまま逃げ切り、終わってみれば2着メジロドーベルに4馬身差の圧勝で栄冠を手にした。
鞍上の松永騎手はこれが桜花賞初制覇、野村調教師も初G1制覇、インターナショナル牧場にとっても自家製産馬での初G1制覇と「初」づくしの勝利となった。

松永幹夫 - Wikipedia
距離の壁に泣いたオークス
続く牝馬クラシック二戦目のオークス。桜花賞圧勝したキョウエイマーチは一番人気に支持された。先手を取り先頭で直線を迎えたが、余力がなく直線半ばで失速し11着と敗れた。勝ったのは桜花賞2着のメジロドーベルだった。
クラシック最終戦
秋初戦はクラシック最終戦の秋華賞トライアルのローズS。ここでは2000mという距離の克服と無敗の外国産馬シーキングザパールとの対戦でが課題であった。レースでは距離の壁と新たなライバルを退け1着となったが、続く秋華賞では自力で2着に粘るが再びメジロドーベルに敗れた。これを機にキョウエイマーチは短距離路線へと専念していく。
古馬への挑戦マイルチャンピオンシップ
秋華賞後はエリザベス女王杯ではなく、マイルチャンピオンシップに出走した。レースではサイレンススズカとの主導権争いを制したキョウエイマーチは1000mを56秒5という驚異的なラップで逃げ2着と粘りこむ。勝ったのは後の世界のマイル戦で活躍するタイキシャトルであった。その後、スプリンターズSを12着とし4歳の年を終えた。
スランプに陥った5歳時
明けて5歳となったキョウエイマーチは、マイラーズS、シルクロードS、スワンS、マイルCS、阪神牝馬特別と短距離重賞路線に果敢に挑んだが4歳の頃の精細さを欠き、勝利することなかった。
6歳時
5歳で引退という話もあったが最終的には現役続行が決まった、キョウエイマーチは3歳以来のダート戦フェブラリーSに挑戦する。勝利することは出来なかったが、直線半ばまで粘り5着となり復調の兆しを見せた。次走マイラーズCで2着と久しぶりの連対をはたすと、1200m戦の阪急杯で1年以上ぶり勝利を重賞で飾った。その後、高松宮記念4着、秋のダート戦南部杯2着、マイルCS5着と見せ場を作り続けファンを沸かせた。
最後の重賞勝利そして引退へ
京都金杯

2000年より1600m戦へと距離が変更された京都金杯、キョウエイマーチは57㎏という牝馬には過酷な斤量を背負いながらも、2着アドマイヤカイザーに5馬身差をつけて圧勝した。その後は惜しいレースはあったものの勝つことが出来ずに、この年のマイラーズCを最後に引退をした。
ちなみに、桜花賞を制した牝馬で6歳になって重賞を制したのはキョウエイマーチとキストゥヘブンだけである。
おわりに
偉大な父ダンシングヴレーブとは真逆の逃げで私たちファンを魅了したキョウエイマーチ。勝つときは常に圧勝劇、ハイペースでの逃げの個性は光り輝いていた。生まれたばかりの頃は脚部の不安と戦ったキョウエイマーチは最終的には6歳まで息長く現役を続け、芝・ダート問わず一級牡馬と互角の戦いを続けた。【速く、強く、美しく】正にこの言葉がぴったりの名馬である。