完全復調をはたしたエイシンプレストンは5歳シーズン最後のレースに海外遠征の香港マイルを選ぶ。マイルチャンピオンシップで敗れたゼンノエルシドも出走していた。
そのレースでは中団から鋭い差し脚を見せ2着馬に0.5秒差の完勝劇を演じて見せた。このレースぶりが評価され国際クラシフィケーションマイル部門では、サイレンススズカ、タイキシャトルの122ポンドを上回る123ポンドという最高のレートが与えられた。
香港で2個目のタイトル獲得
6歳となったエイシンプレストンは、中山記念から始動した。得意ではない休養明け・斤量60キロと悪い条件が多く、5着と敗れたが春には再び香港へ。クイーンエリザベス2世カップに出走した。今までは1600m戦で良績を残していたが、レースでは先に抜け出していた同じ日本馬のアグネスデジタルを大外一気で交わし、2個目の香港タイトルを獲得した。しかし、日本に戻ると安田記念5着・毎日王冠2着・秋の天皇賞8着・マイルチャンピオンシップ2着と国内では善戦とまりだった。
クイーンエリザベス2世カップ連覇
7歳になっても現役続行したエイシンプレストンは、春の香港クイーンエリザベス2世カップの連覇を目指した。しかし、この年は社会問題にもなったSARSの感染拡大が起き、香港への渡航規制などがあり海外遠征自体が危ぶまれた。しかし、何とか香港への遠征をしたエイシンプレストンは、1番人気に応え見事連覇を達成した。そして、日本でレースに出走したがこの年も日本国内のレースでは勝利する事が出来ず、クイーンエリザベス2世カップ連覇が最後の勝利となり、引退した。
おわりに
赤と黒の縦じまの勝負服にブリリンカー。レース中にエイシンプレストンが、どこにいてもすぐわかり、ついつい目で追ってしまっていた事が記憶に残っている。国内では善戦止まりが多い馬であったが、香港に行くと並みいる強豪をなぎ倒す末脚は見ごたえ十分であり、それと同時に海外で日本の馬が勝つ事が普通というイメージを、私たちに与えてくれたのは間違いなく、エイシンプレストンであろう。