「レスラーたるもの強くあれ」
山本は
新日本プロレスの道場の現場責任者として
「鬼コーチ」
「鬼軍曹」
と呼ばれ
若手レスラーを育てた
道場での指導は厳しかった
口だけで指示するのではなく
自らも汗を流し体で示した
60歳を過ぎて身体が思うように動かなくなっても
出来る限りトレーニングを続け
「俺みたいな年寄りがこれだけ動けるのにお前らは出来ないのか!」
と発破を掛け続けた
また
「強くなったな」
「腕が太くなったな」
と
選手の努力を認め
褒めることも忘れず
「強ければ誰も文句を言わない」
と若手に目標を持たせ励ました
そして練習が終わると
選手と一緒にビールとちゃんこ鍋を楽しんだ
また、暴言を吐くお客や、理不尽な上司に対しても
憎まれ役、嫌われ役を自ら買って出た
このように人格者であるため選手から慕われ敬われた
練習あるのみ
小鉄は
合理性よりも理屈よりも
何よりも“練習”だった
選手がスランプに陥ったら
「悩むよりも練習しろ」
とアドバイスした
小林邦昭
小林邦昭は
小鉄に食堂車のメニューを全部食べさせられたことがある
前田日明
前田日明は
「道場に(山本の愛車の)キャデラックの音が聞こえただけで震えが止まらなかった」
という
前田日明 第3回 「ひねくれた自分を温かく育ててくださった山本小鉄さんは、まさに"親"のような存在でした」 | Nespresso Break Time @Cafe de Shimaji | 倶楽部SHIMAJI | 現代ビジネス [講談社]