山本小鉄、「鬼軍曹」  それがどうした!練習すればチャンスは必ずやってくる!

山本小鉄、「鬼軍曹」 それがどうした!練習すればチャンスは必ずやってくる!

山本小鉄さんは体が小さいというハンディを持ちながら「プロレスラーになる」という夢を叶えました。そして「夢を叶える」という非常に達成確率が低いことに挑戦している人たちに「あきらめるな」と強烈にサポートをしておられました。


山本 小鉄は
170cm
100kg
プロレスラー
鬼コーチ
鬼軍曹
新日本プロレス現場責任者
である

パン屋のテレビで見た力道山

山本小鉄は
パン屋のテレビで見た力道山に衝撃を受け、
中学2年でプロレスラーになることを決意
ボディビル、新聞配達に明け暮れ体を鍛えたが
父親が急逝したため高校入学も1学期で退学
働きながらボディビルに打ち込み
20歳のとき憧れの力道山の日本プロレスに入門を申し込んだ

「お前のようなチビがレスラーになれるか!」

力道山は
「お前のようなチビがレスラーになれるか!」
と怒鳴り門前払いした

1年間、体を鍛え直す

小鉄は
さらに1年間かけて徹底的に体を鍛え
体重を80kgに上げ
再度、力道山のもとへ出向き直談判した

「こいつは本物だ」

しかし力道山は
「ダメなものはダメだ!」
と一喝した
小鉄は
力道山のにらんだまま動かなかった
それをみて力道山は
「こいつは本物だ」
と感じ入門を許可した

小鉄は力道山最後の弟子となった

そしてこの後
力道山は刺殺され
結果的に小鉄は力道山最後の弟子となった

小鉄は小さかったが
そのファイトスタイルは速くてパワフルだった

星野勘太郎とのタッグは
小型でもパワフルなヤマハのオートバイから「ヤマハ・ブラザーズ」といわれた

そして小鉄個人は
「人間爆弾」といわれた

アントニオ猪木と同志となる

力道山の死後
日本プロレスには
経営幹部の横領などの疑いがあり
猪木は会社に経営改善要求を突きつけた
この行為が「会社乗っ取りを図った」とされ
猪木は「除名」された
小鉄も猪木の乗っ取りに加担したいうことで「自宅謹慎」を言い渡されたが
自ら退団した

猪木を支えた山本小鉄さんと倍賞美津子さん

小鉄と猪木は
共通の夢を持つ同志であり
また手抜きを知らないの頑固者同士だった

新日本プロレス

猪木は
小鉄らと共に新日本プロレスを創立した

新日本プロレスの
ライオンマークのエンブレムと
キャッチフレーズ「King of Sports(キング・オブ・スポーツ)」は
小鉄が考案したものである

小鉄イズム

そして新日本プロレスには、
カール・ゴッチの「ゴッチイズム」と
山本小鉄の「小鉄イズム」という概念がある
ゴッチはその技術の指導は理論的だったが
小鉄はより精神的なものが強調された
しかし両者とも
「強さ」というものに対して
純粋に憧れ深く追求していくという点では
まったく同じでそのトレーニングはハードだった

鬼軍曹

「レスラーたるもの強くあれ」

山本は
新日本プロレスの道場の現場責任者として
「鬼コーチ」
「鬼軍曹」
と呼ばれ
若手レスラーを育てた

道場での指導は厳しかった
口だけで指示するのではなく
自らも汗を流し体で示した
60歳を過ぎて身体が思うように動かなくなっても
出来る限りトレーニングを続け
「俺みたいな年寄りがこれだけ動けるのにお前らは出来ないのか!」
と発破を掛け続けた

また
「強くなったな」
「腕が太くなったな」

選手の努力を認め
褒めることも忘れず
「強ければ誰も文句を言わない」
と若手に目標を持たせ励ました

そして練習が終わると
選手と一緒にビールとちゃんこ鍋を楽しんだ
また、暴言を吐くお客や、理不尽な上司に対しても
憎まれ役、嫌われ役を自ら買って出た
このように人格者であるため選手から慕われ敬われた

練習あるのみ

小鉄は
合理性よりも理屈よりも
何よりも“練習”だった
選手がスランプに陥ったら
「悩むよりも練習しろ」
とアドバイスした

小林邦昭

小林邦昭は
小鉄に食堂車のメニューを全部食べさせられたことがある

前田日明

前田日明は
「道場に(山本の愛車の)キャデラックの音が聞こえただけで震えが止まらなかった」
という

左:前田日明、右:坂口征二

「いいから持って行け!」

「とくに可愛がってもらったのは山本小鉄さんですかね 小鉄さんには本当にいろんなことを教えていただきました 自分は中2のときに両親が離婚したりして、 親や大人を信用出来なくなり、 どこか性格がねじ曲がった子供でした 小鉄さんはそんな自分を厳しくも温かく育ててくださって まさに"親"のような存在でした 新日本プロレスに入門して一から躾だとか教育を受けていたんですが たぶん小鉄さんは自分に会った初めのころ、 自分のやっていることをみては何千回もため息をついたと思いますね 生みの親さえ信用できないのになんで他人を信頼できるんだという気分でしたからね いわゆる反抗期で他人に対して不信感ばかり抱いていた時期だったんです こんなことがありました 入門してまだ2ヵ月ぐらいしか経っていないころでしたか 大阪にいたうちのオヤジが十二指腸潰瘍から腹膜炎を起こして病院に担ぎ込まれたんです それで小鉄さんに「オヤジが危篤らしいんですけど・・・」といったら、 「いますぐ会いに行け!」といわれまして 自分が小鉄さんにお尻を向けた瞬間、ポケットにこんな分厚い札束を入れられました 「いいから持って行け!」って それで手術代とか入院代とかぜんぶ払ったんですよ 自分の交通費だけではなく病院の費用まですべて支払えるくらいの額のお金をいただいて ビックリしました それまではただ怖いだけの人かなって思っていましたけど こんなに自分のことを思ってくれていたんだと知って驚きましたし ものすごく感謝しましたね」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41822?page=4

前田日明 第3回 「ひねくれた自分を温かく育ててくださった山本小鉄さんは、まさに"親"のような存在でした」 | Nespresso Break Time @Cafe de Shimaji | 倶楽部SHIMAJI | 現代ビジネス [講談社]

藤原喜明

藤原喜明

藤原喜明は
若手時代、
脚が痛めたため
休ませて欲しいと小鉄に頼んだ
すると
「なにぃ?
脚が痛けりゃ脚の運動をやれば治るんだ
バカヤロー!」
とスクワットをさせられた

藤原は一時期
山本を包丁で刺し殺す練習をするほど恨んだ
実際、道場の前にある白樺の木には包丁で刺した傷がいっぱいあった
しかし小鉄は練習のたびにメシと酒をおごってくれるので
「殺すのは今度にしよう」
と殺害を引き伸ばしていた

藤原喜明からの手紙

小鉄はそれを知り
「お前、俺を殺そうとしたらしいな」
と問い正すと
藤原は素直に白状した
小鉄は笑顔で許した

名解説

「あと5年はやりたかった」

小鉄は猪木から直接
解説者になるように頼まれた
しかしもう少し現役を続けたかった小鉄は断った
が、猪木の再度の要請に仕方なく引き受け
選手は引退した
本人は
「あと5年はやりたかった」
といっており
このことは長い間、心の中に強い悔いがあったようである

話し方教室

責任感が強く
口下手だった山本は
「話し方教室」に通った

古舘伊知郎とのタッグ

実際にやってみると
古舘伊知郎との解説は名タッグだった
「これは危ないですよ」
「いまのはキツいですよ」
などと
レスラーならではの目線と独特の表現で試合を実況した

「あっ、 ちょっと待ってください」

一方
審判部長としても試合をみていて
何かあると
「あっ、
ちょっと待ってください」
といって
解説を放り投げ
放送席を飛び出し事態の収拾に走った
そして興奮するとなぜか上半身裸になった

リングの魂を金に換えた奴を友人とは思わない

ミスター 高橋  (著)

流血の魔術 最強の演技

『プロレス好きがアイドルに流れる理由』 吉田豪が語るミスター高橋

レフリーのミスター高橋と小鉄は幼馴染だが
高橋が暴露本を出してから
「リングの魂を金に換えた奴を友人とは思わない」
と絶縁した

みんなのオヤジの死去

2010年8月24日、
山本小鉄は
家族旅行中の長野県で意識不明になり
8月28日午前6時42分
低酸素性脳症のため死去
68歳だった

左から
長女の知英さん、坂口征二さん(新日本プロレス顧問)、妻のミツ子さん

小鉄は
非常に真面目な人で
度を超えた下ネタを極度に嫌い
「アダルトビデオなんか一度も見たことはないし見たいとも思わない」
といっていた
スキンヘッドで強面の外見とは裏腹に
愛妻家であり
37歳でできた娘の出産に巡業中で立ち会えなかったことを埋め合わせるために
人に会うたび
娘の自慢を延々話し
生まれた時の体重
現在の知能指数、
生誕からの今日現在までの日数をいつ何時でもいえるというパーフェクトな親バカっぷりを披露し
周囲から呆れられた
娘に対して一度も怒ったことがないのは
「しないもん、怒られるようなこと」
だかららしい
また孫も出生日からの今日までの日数までもカウントしていた

「小鉄さん、悲しいです 残念です」

古舘伊知郎は
「報道ステーション」で
小鉄との想い出話を披露し故人を偲んだ

坂口征二・前田日明から永田・中西・棚橋・真壁まで~広い世代による出棺 

葬儀は
新日本プロレスだけでなく
団体の垣根を越えて参列者があり
遺族から依頼を受けた前田日明が弔辞を読み上げた

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