ピチカートファイブ

『ピチカート・ファイヴ(PIZZICATO FIVE)』

1984年、小西康陽、高浪慶太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子の4人をオリジナルメンバーとして結成。
五人になる予定で、バンド名を考えていたのでしょうが・・・。
佐々木麻美子がいたピチカートファイブ

初代メインボーカルは、佐々木麻美子

12インチファーストシングル「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」
こちらは、「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」のPV動画です。

2作目の12インチシングル『イン・アクション』1986年発売

ファーストアルバム『couples』1987年発売
売れないだけでボーカル交代とは・・・。
田島貴男を迎えてのピチカートファイブ

2代目メインボーカルの田島貴男
1988年にはセカンドアルバム『Bellissima!』をリリースします。

セカンドアルバム『Bellissima!』1988年発売

『王陛下のピチカート・ファイヴ』1989年発売

『月光着陸』1990年発売
では、田島貴男が歌うライブ映像をご覧ください。
やはり、掛けもちで2つバンドをするのは大変みたいですね。
野宮真貴を迎え、インパクトのあるピチカートファイブへ

3代目メインボーカルの野宮真貴

学校へ行こう! LET'S GO TO SCHOOL

「スウィート・ソウル・レヴュー」1993年発売
その後数々のヒットセールスを伸ばしますが、1994年の10月に高浪が脱退し、小西、野宮の二人で活動していくことになります。
数々のアルバムやシングルを出しますが、

アルバム「プレイボーイ・プレイガール」
1999年7月に野宮がソロとしてCDデビューし、8月には小西プロデュースによる「慎吾ママのおはロック」が発売された。二人とも音楽活動が充実していました。
野宮真貴が歌うライブ映像をご覧ください。
ピチカートファイブ解散
渋谷系とは
結局、渋谷系とは何だったのか|What's Entertainment ?
オシャレすぎる野宮真貴
野宮真貴のファッションを一部ご紹介します。
ピチカートをイメージした時にだれもが野宮真貴のあの衣装や髪形を思い浮かべる人は少なくないはずである。まさに、ファッションショーのモデルがそのまま歌をうたっているようにすら思えてくる。
http://ongakudaisukiclub.hateblo.jp/entry/2014/06/21/174341渋谷系特集 #2「ピチカート・ファイヴから現在まで受け継がれてるアイコンの話」 - 音楽だいすきクラブ



こだわりある服の着こなしが素敵です。どれも似合っていますね。野島真貴がピチカートファイブに新たな印象をもたらしたのは間違ないでしょう。