
萩本欽一と真屋順子夫妻(笑)
月日が流れない“サザエさん方式”ではなく、時間の流れも考慮
1976年10月にスタート。当初は萩本欽一と真屋順子夫婦2人だけ
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翌年長男「見栄晴」誕生(当時は人形)
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目黒のアパートに引越
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1978年長男見栄晴が人形から人間に(西澤祐一郎)
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1979年三つ子の女の子誕生(人形)
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千葉の団地に引越→茨城に引越→東京・一の橋に引越
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三つ子が人形から人間に
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1982年、急に8年後という設定になり、一家は東北に引越
子どもたちはそれぞれ、見栄晴(見栄晴)、のぞみ(高部知子)、かなえ(倉橋敦美)、たまえ(高橋真美)
とにかく引越の多い一家だった…。

見栄晴
見栄晴 公式ブログ - GREE

のぞみ(高部知子)、かなえ(倉橋敦美)、たまえ(高橋真美)
わらべ倉沢淳美はドバイでセレブ?高部知子と高橋真美その後は? | 最新トレンドニュース
わらべといえばこの曲が大ヒット!
大御所の2人もこの番組で有名に!

クロ子…関根勉(当時はラビット関根) グレ子…小堺一機
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忘れはいけない人

たよりないアナウンサー(斉藤清六)
村の時間の時間がやってまいりました。: 北の猫男爵HYPER日記
名物コーナー「推理ドラマ」
毎回ステキなゲストをお出迎え
キャステングはすべてその人が持つ「運」で決めていた
テレビ朝日の「SumaSTATION」特別企画で、「キャスティングはその人が持っている“運”で決める」と語っていた欽ちゃん。
当時人気者だった山口百恵を、「いびる」という役のイメージから脱することができなかった真屋順子を、妻役として起用。見事「日本のお母さん」としてのキャラクターを定着させた。
欽ちゃん独自の審美眼から生まれた多くのスターが、今も活躍をしている。