広島が誇る練習、努力の鬼!【正田耕三】の凄さに迫る!!

広島が誇る練習、努力の鬼!【正田耕三】の凄さに迫る!!

オリンピックで名を馳せた男がプロで活躍するために選んだいばらの道。正田耕三は、まさに努力の結晶でスターの座を勝ち取った選手である。そんな広島カープが誇る二塁手の現役時代と今を見てみましょう。


練習の鬼として、カープを引っ張ってきた男!正田耕三

1962年1月2日生まれ
身長170cm、体重75kg
右投げ両打ち
ポジション:二塁手



広島カープの安打製造機として、その名を知らしめたスター選手。機動力野球の原動力、セカンドを守る要として活躍してきた選手である。
1試合に6盗塁を達成させて、日本タイ記録も樹立している。

正田耕三(しょうだ こうぞう)

正田耕三の獲得タイトルと主な表彰と記録

首位打者:2回 (1987年、1988年)
盗塁王:1回 (1989年)
表彰[編集]
ベストナイン:2回 (1988年、1989年)
ゴールデングラブ賞:5回 (1987年 - 1991年)
月間MVP:1回 (1993年4月)
オールスターゲームMVP:1回 (1988年 第3戦)

1試合6盗塁(プロ野球タイ記録):1989年10月15日、対中日ドラゴンズ戦(広島市民球場)

正田耕三のプレースタイル

スイッチヒッターとして、努力を重ね、足、打撃、守備と広島カープの2番バッターとして活躍し続けた正田耕三は、広島の機動力野球を構築させた一人である。

安打製造機となった二番バッター

プロに入ってからスイッチヒッターの練習を重ねていたが、当時の広島には高橋慶彦をはじめ、山崎隆三などスイッチヒッターの名手が多くいた。真似てやっていけるほどプロはあまくないと言われ、1,200gもある重いすりこぎ型のバットを使い、最短距離でバットを出すスイングを身につけた。

左打席に立つことで、一塁まで2歩は短くなったように感じたらしい。けがの影響で右打席のみで打席に立ったシーズンがあるが、そのシーズンは.257と低迷したことも、スイッチヒッターの確率が好成績につながったと言えるであろう。
初めて、首位打者を獲得した1987年にはバントヒットを15本も記録しており、セーフティバントを相手守備に意識させることで、ヒットゾーンを広がることになり、安打製造機となる一つの要因となった。

正田耕三の生い立ちからプロに入るまでの軌跡

和歌山市駅近くにある蕎麦屋の長男として生まれた。小学3年生で野球を始め、和歌山市立城東中学校では学童野球で全国優勝を経験した。なお旧名は「耕造」だったが、中学生時代に自宅の階段から落ちて足を骨折したのを機に改名した。市立和歌山商業高校では卓抜した守備能力で1年の夏から二塁手のレギュラーとなったが、石井毅と嶋田宗彦のバッテリーを擁する箕島高校の存在もあり、甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は社会人野球の新日鉄広畑へ進み、1984年にはロサンゼルスオリンピックの日本代表として二塁を守り、主に一番打者を務めて15打数6安打の成績で金メダル獲得に貢献した。監督の松永怜一からはプレーとともにリーダーシップを賞賛された。オリンピック後、同年のドラフト会議で広島東洋カープから2位で指名された。正田自身は少年時代から熱狂的な阪神タイガースファンであり、かつ広島側から事前に打診がなかったことから入団が危ぶまれたが、「自分は阪神ファンだが、プロであるからこれからは広島に野球をしにいく」と語り広島に入団した。アマチュア野球の最高峰でプレーしたことでさらに一段階上のレベルに挑戦したくなり、もし芽が出なければ3年で辞めて家業の蕎麦屋を継ぐつもりだった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%94%B0%E8%80%95%E4%B8%89#.E3.82.BF.E3.82.A4.E3.83.88.E3.83.AB

正田耕三 - Wikipedia

広島カープで、猛特訓した結果

プロ一年目の1985年には、スイッチヒッターを会得する為に、一日のほとんど、バットを持って猛練習に励んでいた。その甲斐があってか、90試合、.288。さらにチームはリーグ優勝と野球の楽しさを実感できるシーズンを過ごせた。

そのシーズンの優勝旅行のハワイにも、バットを持っていき練習を重ねるほどの練習の鬼だったことは有名です。

3年後の1987年シーズンには、セカンドのレギュラーに定着して、安打を製造しつづけ、巨人の安打製造機、篠塚利夫に並ぶ同率首位打者のタイトルも獲ることとなります。同率でタイトルを獲ることも珍しいのですが、スイッチヒッターで首位打者を獲ったのは日本プロ野球史上初めての快挙となりました。

翌年の1988年。春先の怪我により、一軍を2週間外れる事態になりましたが、2年連続で首位打者の獲得。オールスターにも2年連続で出場するなど、スター選手の仲間入りを果たしました。

1989年には、盗塁王を獲得。1試合6盗塁とプロ野球タイ記録を記録し、盗塁王を獲ったのだった。

足でもプロを代表した瞬間であった。

その後、1990年には、野村謙二郎の次打者として、セカンドを死守。毎年、3割近い打率を残し、守備でも1991年まで5年間連続でゴールデングラブ賞を獲るなど、球界を代表する選手へと成長したのです。

1995年からは、岡田彰布の後任として、日本プロ野球選手会の会長を就任。日本プロ野球の発展にも貢献したのだった。大学出身でない選手で会長となったのは、正田耕三のみであった。
正田の人柄からくる野球人生の軌跡でしょう。真面目にやっていたからこそなれた選手会長でしょうね。


その頃からか、徐々に成績が芳しくないシーズンを過ごす事になり、打率も2割前半と低迷を見せた。1998年にはコーチ兼任の選手となったが、その年で現役引退の決断。選手としての道に終止符を打ったのでした。

引退した後の正田耕三はどうした。

現役を引退後、広島の一軍で内野の守備走塁コーチとして若手を指導していたが、当時のカープには軸となる選手が少なく、走塁よりも守備の悪さが目立ってしまった。

翌年の2000年からは、大阪近鉄バッファローズで梨田監督のもと、走塁、打撃コーチを任命されて、磯部や北川を指導、2001年のリーグ優勝に貢献していた。

その後、阪神にオファーされて、一軍打撃コーチとして、岡田阪神の赤星、鳥谷を中心に打撃成績を上げて、2005年のリーグ優勝に大きく貢献した実績がある。

韓国野球で指導する正田耕三

2008年には、海を渡り、韓国プロ野球の一軍打撃コーチを務めるまでになり、2010年には再び岡田監督のもとで、オリックスの打撃コーチを務めてT-岡田を球界を代表するバッターにまで育て上げた。

2015年には、韓国プロ野球に再度打撃コーチに就任するなど、日本と韓国の打撃スタイルを向上させる一役を担っている。

これも、実績と人望の厚さからくる野球人生なのだろう。

カープファンが誇る広島のベスト9!

今でさえ、菊池がカープのセカンドを守っているが、歴代の選手で語れば、菊池と変わらぬ4割近い票で正田耕三が広島のセカンドと語られるであろう。

それだけ、広島の歴史、ファンの記憶に彫り込まれている選手だということが言えます。

今も、自身の打撃技術を生かし、後身に伝えている正田耕三。カープには帰ってきてないですが・・・。プロ野球に貢献し続けて欲しいものです。

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