高校で空手に出会う

成瀬昌由は
高校まで
スポーツは何もしていなかったという
小学校では
兄に連れられて小学校の野球部に入ったが
全然行けず
朝も起きられなかった
中学では
入部が義務付けられていたので入部はしたが
ほとんど行かなかった

高校で
空手部が新設される-ということを聞き
「嫌な先輩もいないし・・・」
と思い
入部を決め
後に松涛館空手の初段を獲得した
就職はプロ格闘家を希望

1991年、
高校3年生の時、
尊敬していた前田日明が
新しい団体「RINGS」を設立
第1回新人テストの募集が行われていた
募集規定の中に
身長、体重があり
成瀬は身長が足りなかったのだが
「とにかく尊敬する前田さんの元に行きたい」
「フィジカルにはすごく自信がある
とにかく書類審査さえ通れば・・・」
と履歴書を送った
こうして250名の応募中、
25名が書類選考を通過
その中に成瀬もいた

書類選考の次は
横浜の前田道場に集められての試験だった
成瀬は当日行ってみて思った
「みんな大きい!」
しかも
当日にまた身長、体重を測ることになっていた
「これは、やばい」
と思った
しかしここで成瀬は必至にアピールした
「身長が足りないのは100も承知です
でもやる気をみてください」
入門テストメニューは
・50mダッシュ
・縄跳び3分×3R
・フルスクワット500回(全速で)
・パイプイスに足乗せての腕立て伏せ×限界まで
・リング横で目一杯下まで頭下げての腹筋×限界まで
・パイプイスに渡した板をサイドジャンプ1分
・ブリッジ3分
成瀬はほとんどのテスト項目で1位だった

しかし後日届いた結果は「不合格」だった
納得できなかった成瀬は
すぐ事務局に問い合わせの電話をかけた
「何で僕は落ちたんですか?」
「君は身長が足りないでしょ」
成瀬は食い下がった
「自分はまだ高校生だし伸びるかもしれません」
「全員とスパークリングさせてください!」
必死だった
就職先があるわけでもない
勉強ができるわけでもない
他のスポーツはまったくダメ
とにかく前田日明の元でやりたい
「じゃあとにかく杉並から横浜の鶴見まで通えますか?」
こうして家から1時間半もかけて通う『仮』入門生活が始まった
テスト生

6時過ぎに起き
鶴見に向かう
掃除から始まり
朝10時くらいに練習が始まるのだが
10時近くになるとGTRのエンジン音が聞こえてくる
前田日明の登場である
「今日も始まるのか・・・」
GTRのエンジン音を聞いて気が引き締まる
そこから13時くらいまで基礎練をみっちり
ひたすらスクワット
ひたすら腕立て伏せ
ひたすらブリッジ・・・
あるとき
ランニングから帰ってきたら
前田の眉間にシワが寄っていた
「おまえら
こっちに集まれっ!!」
なんだろうと思ったら
いきなりビンタ
理由は道場の窓を閉めてランニングに行かなかったから・・・・
21時に練習を終えて
片付けをして家に帰ってくるのは23時過ぎという生活だった

1週間もすると
だんだんつらいトレーニングについて行けなくなる人間がポロポロ出てきた
「プロですからね
弱肉強食の世界です
そうするとどうしてもトレーニングについて来られない人は脱落するわけです
仲間だけれどしょうがない
そこは自分にとってはチャンスです。
そのチャンスを逃さないように掴み取り
正式に入門することができて
入寮することができました」

「(食事について)
意外とプロレスと相撲は似ていて、
ちゃんこ鍋を食べてました
丼飯5杯、ちゃんこも5杯はノルマでした
デビューするために90kgにしなくてはいけなかったのですが
自分は70kgしかなかったので
夜な夜な起きてはチーズを食べたりしてました
ですから胃腸が強くないと無理でしたね
外側は筋肉隆々でも、内臓が弱い人は結構辛そうでした」

「(コンディショニングについて)
とにかくウォーミングアップと
クールダウンのアフターケアですね
それから食事はしっかりと
急性の外傷でいえばアイシングは必須です
冬であれば身体が冷えないように工夫したりもしていました」
プロ格闘家に

リングスでは
新弟子になっても
過酷な「プロテスト」を合格しないとデビューできない
体重90kg以上
スクワット3000回
腕立て伏せが1000回
縄跳び2時間
ブリッジ30分
250名の受験者の中から最終的に生き残ったのは2人
成瀬昌由と山本宜久だった
1992年8月16日、
成瀬昌由は
有明コロシアムでの山本宜久戦でプロデビューした
その後も
空手仕込みの打撃
前田直伝の関節技
むき出しのファイティングスピリットを武器に
たとえ体格差や技術に差がある相手とも
気持ちのいいナイスファイトを続けた

特に「実験リーグ」では
数多くの名勝負を繰り広げ「実験リーグ男」と呼ばれた
リングス実験リーグでは、
後楽園ホールを拠点に
リングス以外の格闘技団体の選手との交流戦や
体格の小さな選手同士の中心に試合
またレスラーと空手家、空手家とキックボクサーなどの異種格闘技戦も行われた
1997年、
リングス軽量級王者を決める「トーナメント21」で優勝
初代王者となり
以後、2度の防衛を果たした

1999年6月、
度重なるケガに悩まされ
欠場と復帰を繰り返していたが
金原弘光戦を最後に長期欠場を余儀なくされ
2000年9月、
椎間板ヘルニア摘出手術を受ける
「1年9カ月くらい試合に出られなかったのですが、
とにかく絶対リングに戻るんだという強い気持ちをもっていたので、
途中で挫折したり落ち込んだりすることはありませんでした
落ち込んでる暇があるなら、目の前のやるべきことをやればいいと
この苦しい状況も鍛錬の1つだと思ってました」

2001年3月20日、
リカルド・フィエート戦で1年9か月ぶりに試合復帰
KOKルール
(5分2R、オープンフィンガーグローブの着用を選択でき、ロープエスケープが廃止された)
となってから初の試合となったが
アンクルホールドで一本勝ち
プロレスラーに

2001年5月18日、
リングスを退団
2001年6月4日、
大阪府立体育館で新日マットに初登場
参戦をアピール

2001年7月20日、
新日本プロレス初戦が
IWGPジュニアヘビー級選手権を持つ田中稔戦への挑戦試合だった
この試合に勝利して第40代IWGPジュニア王者となる
2001年10月8日、
石澤常光に
開始26秒
26秒跳びつき腕ひしぎ逆十字固めで敗れ
王座を失う
2001年10月8日、
石澤常光に
開始26秒
26秒跳びつき腕ひしぎ逆十字固めで敗れ
王座を失う
2001年12月31日、
INOKI BOM-BA-YE 2001に参戦したケンドー・カシン、永田裕志、安田忠夫のセコンドについた

2002年2月1日、
正式に新日本プロレスに入団
2002年6月7日、
フリー参戦していたバス・ルッテンと対戦
KO負け

2002年8月29日、
当時大阪プロレスに所属していた村浜武洋と対戦
時間切れ引き分け

2002年11月30日、
獣神サンダー・ライガーのパンクラス参戦のセコンドに

2003年6月13日、
鈴木みのるの新日本復帰戦に自ら名乗りを挙げ、日本武道館で対戦するも敗戦

2003年11月、
成田空港でアントニオ猪木にINOKI BOM-BA-YE 2003参戦を直訴
2003年12月31日
大晦日に行われた「Dynamaite!!」に出場
初バーリトゥード戦で
大巨人ノルキヤを
50cm40kgの体格差をもろともせずに
1Rにスリーパーホールドで撃破した
そしてなぜかこの時、リングスのバスタオルを掲げていた

2004年5月22日、
ブルー・ウルフのK-1 ROMANEX参戦のセコンドに

2004年9月19日、
アントニオ猪木の命令で、
北朝鮮で行われた第1回国際武道大会に参加

2004年10月23日、
ブラジルで行われたJungle Fight 3に参戦
トニー・ウィリアムスに勝利

2004年10月31日、
ジョシュ・バーネットのPRIDE参戦のセコンドに
フリーとなる

2006年1月、
契約更改せずに新日本を退団
フリーランスとなった
「携帯には多方面から沢山の着信があった
そしてPCにもファンの方達から本当に沢山のメールを頂いた
今回の退団については、
ほとんどみんなが俺の“夢”の実現にむけて肯定的に受け取ってくれて
期待・応援をしてくれるので
俺としては本当にマジでマジで嬉しい限りです♪
というコトで、今の俺にしてみれば、たかだか一所属選手からフリーになったという事で、
感慨にふけっているつもりもサラサラなく、
ましてや新日本に未練などこれっぽっちもありゃーしないので、
今日も今日とてその“夢”の実現のためにと昼間は色々と活発に活動
そして夜は
スケジュールの都合で豊島区北大塚にあるGOLD’S GYMノース東京へ行ってトレーニング♪」
成瀬昌由の自由人ブログ(http://mnaru.livedoor.biz/)より

「僕はケガのデパートなんですよ
両肘関節の手術、
肩は肩鎖関節の再腱手術、
膝は内側側副靭帯の手術、
それから腰のヘルニアの手術
後遺症というのはたまに痛みがでることもありますが
それを出さないためにも普段のトレーニングは欠かしません
総合格闘技という競技の特性で
練習や試合では関節技をかけられます
プロの格闘家の関節技は少しでも我慢するとすぐに関節のじん帯が切れたり骨折してしまいます
自分の場合は
その関節技の影響で身体の所々の関節が緩くて
足首はグラグラするし
膝もちょっとしたことでガクンと抜けることもあります
そうならないために、関節まわりの筋肉を落とせないのです」
教育者になる

2006年02月25日、
成瀬は
地元の小中学校の土曜学級に空手の外部講師として参加した
「今日はめでたくフリーとなってからの初仕事として
朝7時に起きて地元の杉並区へ
向かった先は杉並区立の某小学校
目的は
月一で学校外部から様々な活動をしている個人や団体を呼んで
子供たちに体験学習をさせる土曜学級の授業の講師として
この小学校の子供達に“空手”を教えるためである
参加した小学生は1年生から4年生までで全員で約40名
ご父兄も合わせると大体60名ほどの大人数だった」
この後
「生き方授業」の講師として
子どもたちに語りかける活動も始める
公演のテーマは2つ
まず1つは「生き方、夢の実現と現実」
子どもには夢を持ってほしい
それを叶えるためにはどんなことが必要なのか
自身の選手としての経験を中心に話す
もう1つは「いじめと自殺」
子どもたちに「キモい、ウザい、死ね」という言葉を2度といわないで欲しいと訴えている
そういう言葉は人を殺せる言葉だからだという
(成瀬昌由の自由人ブログ(http://mnaru.livedoor.biz/)より)
役者なる

2009年3月22日、
NHK大河ドラマ「天地人」第12話に出演
「チョイ役」ではあるが役者デビュー
トレーナーになる

2010年、
加圧トレーニング特定資格を取得
ゴールドジム東中野店を主に
ゴールドジム各店舗・空手道場などで
パーソナルトレーナーとして指導
加圧トレーニング特定資格者として、
大相撲力士、プロスポーツ選手にトレーニング指導を行っている
再び格闘技者に

2013年9月24日、
東京・東中野のGRABAKAジムでの記者会見が開かれ
成瀬昌由が10年ぶりに国内総合格闘技の試合に復帰し
菊田早苗と対戦することが発表された
「GRABAKA LIVE! 3(10月27日(日) ディファ有明)」のメインを務める菊田早苗の対戦相手が
成瀬昌由(フリー)に決まった
無差別級5分3Rで争われる
成瀬は90年代のリングス時代、
門番的役割でフリー参戦の菊田と戦う可能性があったといい、
昨年10月のGRABAKA LIVE! 2で
桜木裕司とグローブ無しで戦った菊田に刺激を受け対戦を志願したという
(桜木裕司と対戦した菊田は、顔面パンチとヒザ蹴りを浴び大流血のノックアウト負け)
成瀬は40歳
前田日明氏が主催するリングスで1992年にデビューし
2002年から2006年は新日本プロレスで活動
MMAの試合は
2004年のブラジルのジャングルファイトのトニー・ウィリアムス戦以来、
国内では2003年大晦日のDynamite!!のヤン・”ザ・ジャイアント”・ノルキヤ戦以来となる
成瀬は
「2年前からGRABAKAさんの興行とかで菊田選手に会う度に
(試合を)やりませんか?と声をかけてもらったんですが
去年、桜木選手とやった菊田選手の試合を見て震えました
金ちゃん(金原弘光)も引退して
同世代の選手がどんどん辞めて行く中、
何かまだ残るものがある自分に今回の大会出場のお話を頂いて
だったらと思い
自分の思いをぶつけられるのは菊田選手だと指名しました」
と対戦志願の理由を説明した
菊田は
「今、この業界に残ってる数少ない先輩の1人が成瀬さん
(1997年に)僕もリングスのバトルジェネシスに出させていただいて
リングスは異種格闘技戦とかの匂いが物凄くする団体だったので
戦うことにゾクゾクしています」
と発言
すると成瀬も
「当時、菊田選手がリングスに上がるときに僕も対戦候補に挙がってたので幻のカードといっていいですね
腰の手術とかをしていて戦えなかったんですが、
他流派の選手が来ると門番的に僕とか高阪(剛)が受けて立つことが多かったですね
バトルジェネシスや実験リーグは熱があった大会ですけど
当時の感覚とこのカードが蘇ったと感じています」
と時を超えて菊田と戦えることの喜びを語った
心配なのは成瀬のブランク
練習状況について成瀬は
「今度修斗世界王座の防衛戦をする弘中邦佳選手が所属している水道橋のマスタージャパンさんで
ほぼ毎日練習しています
もう40だから大変ですよ
でも昔のアーカイブを探りながらやってる感じで充実した毎日を過ごしています」
と話した
さらに
「人生の節目節目で前田さんに何でも報告するのですが、
今回の試合についても最初は
『お前な、格闘技なめんな
何年格闘技やってないんや?』
と猛反対されました
でもその4時間後ぐらいに電話がかかってきて
『やるんだったらこの5つのことやれ』
と菊田早苗対策5か条をいただきました
その中には
コマンドサンボのヴォルク・ハン、ニコライ・ズーエフ、アンドレイ・コピィロフから学んだ日本では伝わらない技もありました
涙が出るくらいうれしかったです」
と明かした
なお菊田は成瀬の対戦志願の経緯を聞き
桜木戦と同じノーグローブマッチを提案したが、
成瀬は
「特殊なルールで
10年近く試合してない俺がやるのは乱暴です
かんたんに判断できるものじゃない
それだけ尊重しないといけないルールだと思います」
と消極的だった

2013年10月17日、
菊田早苗(42)vs成瀬昌由(40)戦が素手ルールとなることが発表された
グローブなしの素手による決闘は、
昨年10月に行われた菊田vs桜木裕司戦で採用
桜木にKO負けした菊田は
「前回、分からない部分がいっぱいあった」
と再挑戦を志願
超過激ルールだけに成瀬はこれまで態度を保留していたが
この日
「伊達や酔狂で戦えるルールじゃないが
困難な道を選んだほうが自分にいい」
と受諾した
素手マッチは初となる成瀬だが
前田日明の猛烈なシゴキに耐えた元リングス戦士
「オランダではサミングされたり
セコンドに足を引っ張られたりした
何より前田さんの下に10年間いてとんでもない経験を積んだ
その経験が生きる」
と逆に鉄拳ファイトは望むところだという
「活路を見いだすのは打撃
でも僕には前田さんからご教授いただいた5か条がある
ここでは明かせないがサブミッションもある」
と笑みすら浮べる
前田イズムを引き継ぐ男に「恐怖」の2文字はない

2013年10月27日、
GRABAKA LIVE! 3
菊田早苗vs成瀬昌由
素手ルール
無差別級
5分3R

試合が始まり
最初のタックルこそ切られた菊田だが
左フックを打ち込み
再度組みついて小外刈りでテイクダウン
そこからマウントポジションへ移る
成瀬はセコンドについたTK高阪剛ばりのシザースでここから脱出
菊田はすぐにフォローして再びマウントポジションを奪い
パンチとヒジを打ち下ろして腕十字
1R2分25秒、成瀬はタップした

成瀬のコメント
「菊田選手、強かったんです
どうしても勝ちたいという気持ちでこのルール選んだんですが
1発1発に菊田君の去年の(桜木戦で敗れた)悔しさがこもってるパンチでした
最後極められてしまったんですが
菊田君、このルール受けてくれてありがとう」
「前田(日明)さんのおっしゃる通り、甘くないぞと痛感する結果ですね
悔しいです
向こうは去年素手を経験してる分、腹が据わってたような感じがしましたね
最初フック1発もらった時、素手だ、と改めて思ったんで
10年間ファンに対して嘘をつき続けてきた僕の贖罪ですよね
どうせやるんなら生半可な試合で復帰したって僕を応援してくれた人は許してくれないと思ってたんで
思いっきりアクセル踏みきってやりました
負けたのは悔しいですけど
このルールやって良かったです
やんないとわかんないことがたくさんありますね」
菊田のコメント
「やっぱりパンチ効きますね
1Rで勝ったんですけど、焦っちゃうんですよね
パンチをもらうといつでも(肌が)切れる感じがするんですよ
それがあるんで早く極めないとヤバいなって感じでしたね
グローブの方がパンチ力はあるんですけど
素手のほうが1発の折るとか、切るとか、決定的なダメージがあるんですよね
去年はナメてましたね
今回、鼻とこめかみだけは気をつけて行ったんですけど
効きますね
あと、まさかマウント返されるとは思わなくて
長年(練習)やってるメンバーにもなかなか返されないんで
あそこで魂を感じて気が引き締まりました
最後の腕十字もパキパキ鳴ってるんで
完全に極めなきゃ参ったしないんじゃないか?
スタンドに戻ったらどうなるかわかんないってのがあったんで
凄い緊張感がありました
しばらくリング離れてた人がこのルールって絶対できないですから
成瀬さんの根性に敬意を表したいです」
2014年3月7日、
「PANCRASE 257(3月30日(日) 横浜文化体育館)」で、
近藤有己(パンクラスism)が元リングス・ジャパンの成瀬昌由(フリー)と無差別級2Rで戦うことが決まった
40歳の成瀬は昨年10月のGRABAKA LIVE!の菊田早苗戦で約9年ぶりに復帰して以来の試合
近藤は
「パンクラスで船木さん、鈴木さん、高橋さんに育てられた人間としての意地を見せたい」
と話した

2014年3月30日、
近藤有己vs成瀬昌由(フリー)
無差別級 5分2R
1R、
アキレスをとる近藤に
成瀬のクロスヒールホールドが極まりボキボキ鳴るも
ゴングが鳴り近藤は救われ
試合は最終的に判定(2-0 (19-19、20-19、20-19))で近藤が勝った
近藤のコメント
「本当に強かった
1R極められそうになった
音も鳴った
鈴木さんから久しぶりにダメ出しされた(笑)」

以下は
この試合を戦う前の成瀬昌由選手のコメントです
「今回の「近藤戦」は、本当に色々な偶然が重なって生まれた試合でした
・自分が去年のGRABAKA大会で、試合をしていたコト
・先月のパンクラス大会での、近藤選手のノーダメージ勝利
・今回の横浜文体で、パンクラスがリング形式で行う最後の大会
・前田さんがわざわざパンクラスの酒井代表とお会いされ話をされたコト
などなど
これらの要素が一つでも欠けていたら、決まる事はなかったと思います
しかも、そもそも去年のGRABAKAでの試合が実質的に自分の人生で最後の試合になるだろうと、心の中で決意しての出場でした
そして、長く長く応援してくれていたファンの方々を裏切り続けていたコトへの贖罪の意味と、必勝を期っしてのノーグローブマッチでしたが、
勝利を収めるコトが出来ず、自分の中でも結果を出せないまま、このまま終わっていくのかと、現実を否が応でも受け入れつつの2014年の幕開けでした
そんな中で舞い込んできたパンクラスからのオファー
しかも相手は近藤有己選手
その名前を聞いた瞬間、自分は一瞬で燃えるコトが出来ました
自分が高校生の時に、新生UWFの試合をみて前田さんに憧れ、
UWFに入門するコトを夢み、
高3でまさかの「万歳からのUWF解散」
就職先を決めないまま高校を卒業し
運送工事会社でバイトをしながらも運よくリングスの旗揚げを知り
入門テストを受けて不合格からの押し掛け補欠入門
同期の山本と、リングス一期生としてデビュー出来たのが、21年前の19歳の時でした
その後紆余曲折があり、現在に至るのだが、
その自分とほぼ同じ時代を選手として生き、パンクラス王者まで登りつめ、
今でもウェルター級のランカーとして活躍する近藤選手とまさか闘う日が来るとは思ってもいなかったが、
「試合すなわち人生ラストマッチ」と腹を括っている自分としては、
その相手が同じ”U”の系譜を受ける近藤選手なら、この運命にこれ上ない闘志が沸いてきます
当日は勿論近藤選手ホームの大会。
思いっきりアゥエイですが、リングス出身の肝っ玉をご覧に入れて、文体を大爆発させたいと狙っています!!
皆さん改めて、ご声援を宜しくお願い致します」
(成瀬昌由の自由人ブログ(http://mnaru.livedoor.biz/)より)
