1970年代中心の「スポ根ドラマ」と「スポ根アニメ」を振り返りましょう!『柔道一直線』『サインはV!』『アタックNo.1』ほか

1970年代中心の「スポ根ドラマ」と「スポ根アニメ」を振り返りましょう!『柔道一直線』『サインはV!』『アタックNo.1』ほか

東宝青春学園ドラマシリーズ(1965年から1968年)、スポ根アニメ『巨人の星』(1968年)、 スポ根ドラマ『柔道一直線』(1969年)、『サインはV!』(1969)、アニメ『アタックNo.1』(1969年)、「金メダルへのターン!」(1970年)、『ワン・ツウ アタック!』(1971年)、「美しきチャレンジャー」(1971年)、『コートにかける青春』(1971年)、「決めろ!フィニッシュ」(1972年)、アニメ『エースをねらえ!』(1973年)、「新・エースをねらえ!」(1978年)、「がんばれ!レッドビッキーズ」(1978年)、「それゆけ!レッドビッキーズ」(1980年)、『燃えろアタック』(1979年1月5日)を振り返りましょう。人気のスポ根作品は68年から71年の時代に集中していました。


1970年代中心の「スポ根ドラマ」と「スポ根アニメ」

スポ根(スポこん)とは、「スポーツ」と「根性」を合成した「スポーツ根性もの」の略語で、日本の漫画、アニメ、ドラマにおけるジャンルの一つである。このジャンルの作品を「スポ根漫画」「スポ根アニメ」「スポ根ドラマ」と呼ぶ。

狭義のスポ根とは、1960年代から1970年代の日本の高度経済成長期に一般大衆の人気を獲得したジャンルであり、メキシコ五輪が開催された1968年前後に人気のピークを迎えた。定義としては以下のものが挙げられる。

1.努力型の主人公と天才型のライバルの対比
2.血のにじむ様な特訓を繰り返し、その成果として人間離れした必殺技を生み出す
3.努力型主人公の最終的な勝利

主人公が努力と根性でひたむきに競技に取り組み、特訓を重ね、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて成長を遂げてライバルとの勝負に打ち勝っていくのだが、主人公が背負った苦労を強調させるために、スポーツ選手としての天性の素質を持ち容易く主人公を打ち破ることが出来るライバルの存在は必須であり、貧困層出身の主人公に対し富裕層出身のライバル、といった対比構図も盛り込まれた。

こうした弱者が強者に努力と根性で立ち向かうストーリー構成は高度成長期に一般大衆が抱いていた「欧米諸国に追いつき追い越せ」という価値観と一致するものであり、当時の読者に支持された。

スポ根漫画の誕生と前後して日本テレビ系列ではラグビーやサッカーといった集団スポーツを通じた教師と生徒たちの交流を描いた『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』などの青春ドラマ(全て東宝が制作したので、一部で「東宝青春学園ドラマシリーズ」と呼ばれる)が放送された。

この背景には、1964年に行われた東京オリンピックにおいてバレーボール全日本女子を優勝に導いた大松博文の影響があるとされている。

1960年代後半から1970年代初頭にかけてスポ根漫画を原作としたテレビドラマが登場し、TBS系列で放送された柔道を題材とした『柔道一直線』やバレーボールを題材とした『サインはV』や水泳を題材とした『金メダルへのターン!』などが人気作品となるなどのスポ根番組ブームとなった。その中で、『サインはV』は原作と同様に特訓による根性的要素が描かれたが、番組収録時には出演者に対して長時間に渡る練習を課しリハーサルを経て消耗し切った所で撮影に挑んだという。

日本国内でスポ根番組ブームが終息していた1970年代後半にテレビ朝日系列でバレーボールを題材とした『燃えろアタック』(原作:石ノ森章太郎)が放送された。スポ根の要素を前面に出したこの作品は後に中華人民共和国でも放送され人気を獲得した。
(出典:Wikipedia「スポ根」)

1970年代中心の「スポ根ドラマ」「スポ根アニメ」

写真は1964年10月23日に行われたソビエト連邦戦。
(出典:Wikipedia「スポ根」)

テレビドラマとして「スポ根」が扱われた背景には東京オリンピックでのバレーボール全日本女子の活躍が影響を与えている。

青春ドラマ・東宝青春学園ドラマシリーズ「青春とは何だ」(1965年)・「これが青春だ」(1966年)・「でっかい青春」(1967年)

『でっかい青春』( でっかいせいしゅん )は、東宝制作、テアトル・プロ共同制作によって日本テレビ系で1967年10月から1968年10月にかけて放送された学園ドラマである。
『これが青春だ』に続く東宝青春シリーズの第3弾。ただ、当初は主演の竜雷太の役柄は高校の教員ではなく市役所の体育振興係の職員という設定だった。

『これが青春だ』に引き続き竜雷太が主人公を務めた。本作では巌雷太役で、海東市に新設された体育振興係職員としてやってきたスポーツ万能の青年。

町の不良たちを集めてラグビーののら犬チームを作り若者たちを鍛え、海東市の体育振興に尽くしていく。放送直前の10月6日に記者会見発表があり、配布された記者会見発表資料によれば、「町中にスポーツを奨励し、そのなかで現代の世の中に欠けている連帯感や根性などを若い人たちに教え込もうと努力していくもので」、テーマは「勇敢な社会人を作れ」「肥ったブタになるな」だった。

しかし、次第に海東高校の女教師・高見の相談役として高校の生徒たちと交流していくようになり、後半には海東高校の代用教員になり体育の教師として活躍する。

『青春とはなんだ』以来のプロデューサー岡田晋吉の証言(『青春ドラマ夢伝説』日本テレビ、2003年)によれば、学園物を2作続けたためにネタ切れとマンネリを恐れて新規軸としての市役所職員としての設定だったが、中高生を中心とした視聴者には受けず、会社側からも学園物に変更するようにと厳命があり、後半の第21話から海東高校教員となり体育部長にすることにしたという。結局、視聴率も回復し手堅いヒット作となった。

メインのスポーツが青春学園シリーズ第2作『これが青春だ』のサッカーから第1作『青春とはなんだ』の時のラグビーに戻り、次作の『進め!青春』で再びサッカーに戻るなどシリーズでのラグビー、サッカーが交互に扱われるというパターンが定着した。ただし、再開したシリーズでは、『飛び出せ!青春』はサッカーで『われら青春!』がラグビーという順番になった。
(出典:Wikipedia「でっかい青春」)

学園ドラマ『でっかい青春』

スポ根アニメ『巨人の星』(1968年3月30日 - 1971年9月18日)

『巨人の星』(きょじんのほし)は、原作:梶原一騎、作画:川崎のぼるによる日本の漫画作品。

主人公の星飛雄馬は、かつて巨人軍の三塁手だった父・一徹により幼年時から野球のための英才教育を施される。プロ野球の読売ジャイアンツに入団後、ライバルの花形満や左門豊作らを相手に大リーグボールを武器に戦う。いわゆるスポ根野球漫画の走りともいえる作品。

スポ根野球漫画『巨人の星』、『新巨人の星』を原作として制作された一連のアニメシリーズ。
『巨人の星』、『新・巨人の星』、『新・巨人の星II』いずれも毎週土曜日の19時00分から19時30分までの30分のテレビアニメ番組として、よみうりテレビ制作、日本テレビ系列で全国放送された。アニメーション制作は東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)。第1作目の『巨人の星』のみが大塚製薬グループの単独提供番組で、旭通信社が広告代理店を務めていた。
『巨人の星』の放送開始に当たって、まずTBSにアニメ化の話が持ち込まれるが、交渉は不調に終わる。続いて日本テレビ、フジテレビと続けて企画を持ち込むものの、いずれも話がまとまらずアニメ化は暗礁に乗り上げる。そして最後に回ってきたのが、よみうりテレビであり、ここでようやくアニメ化が実現する。

一徹と飛雄馬の父子特訓から、ライバル達と出逢い甲子園での激闘、巨人入団後に大リーグボールを開発して更なる激闘、左腕が崩壊し完全試合を達成、父子の闘いの終焉までが描かれている。本作のメインストーリー。本作のアニメ化にさいして梶原一騎が楠部大吉郎に「この作品をなんとか世に出してください!」と頭を下げたという。

原作の最終回は、父・一徹との最後の勝負に勝ち完全試合を達成してから後日、飛雄馬以外の主要な登場人物がみな出席している左門と京子の結婚式を、飛雄馬が一人、教会の窓の外から見届け、何処ともなく去って行く〜そのバックに十字架がかぶるという暗めのラストシーンで終わる。アニメ版のラストは完全試合を終え傷つき倒れた飛雄馬を一徹が背負って、満場の拍手に送られてグランドを去って行くという感動的なシーンに変わっている。最後は太陽に向かって飛雄馬がしっかりとした足取りで歩いて行くイメージシーンで物語は幕を閉じる。

さらに最終回ではエンドマークの後に、飛雄馬、明子、一徹、伴、花形、左門が登場、飛雄馬が代表して視聴者に「3年半に渡りご好評をいただきました『巨人の星』は、今回で終了させていただきます。長い間ご覧いただきまして、ありがとうございました。」と挨拶して番組の終了を告げた後、画面に次作『天才バカボン』のバカボン一家が現れ、飛雄馬がバカボンのパパと握手しながら「バカボン君、僕に代わって来週からよろしく頼みますよ。」と述べるシーンが存在した。これは本放送の時のみで、再放送では一部地域を除いて放送されていない(仮に放送してもバカボン一家との共演シーンは抜き)。このシーンは後年、『トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜』(フジテレビ)を初め、様々な番組で紹介された(いずれもバカボン一家との共演シーンは抜き)。

放送期間:1968年3月30日 - 1971年9月18日(全182話)
(出典:Wikipedia「巨人の星 (アニメ)」)

テレビアニメ『巨人の星』 放送期間:1968年3月30日 - 1971年9月18日(全182話)

テレビアニメ「巨人の星」の主な登場人物

テレビアニメ版「巨人の星」は一徹と飛雄馬の父子特訓から、ライバル達と出逢い甲子園での激闘、巨人入団後に大リーグボールを開発して更なる激闘、左腕が崩壊し完全試合を達成、父子の闘いの終焉までが描かれている。
(出典:Wikipedia「巨人の星 」)

野球漫画『巨人の星』では主人公・星飛雄馬が筋力増強のために「大リーグ養成ギプス」を日常生活においても装着する場面や、少年時代に毎晩のように父の星一徹から「千本ノック」を受ける場面が描かれている。
(出典:Wikipedia「スポ根」)

本作の主人公「星飛雄馬(ほし ひゅうま)」が大リーグボール養成ギブスを付けてトレーニング中

飛雄馬の父。飛雄馬に数々の試練を与えた“野球の鬼(球鬼)”。最終的には自身が敵と化し、飛雄馬の前に立ちはだかる。
(出典:Wikipedia「巨人の星 」)

スポ根作品における「鬼コーチ」の存在

スポ根作品では登場人物を育成するために過酷なトレーニングを課す指導者の姿が描かれている。代表例としては『巨人の星』の星一徹、『柔道一直線』の車周作、『サインはV』の牧圭介、『エースをねらえ!』の宗方仁などが挙げられるが、彼らはしばしば「鬼」「鬼コーチ」と形容される。

鬼コーチの指導について2013年3月13日付けの『朝日新聞』は「スポ根作品ではカリスマ指導者の指示による過度の練習と体罰が肝要だった」と評しているが、漫画評論家の紙屋高雪は「過度の練習による酷使はあっても体罰はスポ根作品の絶対条件ではない」と指摘している。

中でも『巨人の星』の星一徹については「激高し卓袱台をひっくり返す」「竹刀で叩く」といった狂信的な指導者としてのイメージが定着しているが、こうした「卓袱台返し」「竹刀での制裁」といった行為は原作漫画においては全く描かれておらずテレビアニメでの過剰な演出によって視聴者に狂信的なイメージが固定化したのではないかと指摘されている。
(出典:Wikipedia「スポ根」)

星飛雄馬(ほし ひゅうま)の父「星一徹(ほし いってつ)」は鬼コーチの存在

心優しき飛雄馬の姉。母のいない星家唯一の女性でもあり、飛雄馬にとっては母親に限りなく近い存在。
巨人の投手となった飛雄馬と中日の打撃コーチとなった一徹が対立した際、家を出てガソリンスタンドで働く。この時花形満と出会い、後に彼と結婚するきっかけとなった。伴宙太も告白したがフラれている。
(出典:Wikipedia「巨人の星 」)

「星明子(ほし あきこ)」は心優しき飛雄馬の姉

飛雄馬を“我が生涯のライバル”とみなし、挑み続ける花形モーターズの御曹司。阪神に入団。大リーグボール1号を苦心の末打つ。リメイクである『新約「巨人の星」花形』では主人公を務める。
後に(星)明子と結婚し、飛雄馬の義理の兄になる。新巨人の星では飛雄馬の復活を助けるも、本格的に投手として復活した後はかつての熱い思いが甦り、ヤクルトに入団。再びライバルとなった。
(出典:Wikipedia「巨人の星 」)

「花形満(はながた みつる)」は飛雄馬の生涯のライバルだが、後に義理の兄になる。

星飛雄馬の魔球「大リーグボール」大リーグボール1号はバットを狙う魔球。大リーグボール2号は消える魔球。大リーグボール3号はバットをよける魔球。

スポ根ドラマ『柔道一直線』(1969年6月22日)

『柔道一直線』(じゅうどういっちょくせん)は、原作:梶原一騎、作画:永島慎二・斎藤ゆずるによる日本のスポーツ漫画、および、それを原作としたテレビドラマ。『週刊少年キング』(少年画報社)誌上に1967年から1971年まで連載された。全13巻。タイトルの通り、柔道を題材とした作品である。

斉藤仁ら当時少年だった柔道家の多くがこの作品のブームで柔道を始めた。柔道の知名度アップなどで当時の柔道界に果たした貢献度は大きいが、その反面「地獄車」など荒唐無稽な技が多く出てくるので増田俊也は『七帝柔道記』の中で「この作品が世間に歪んだ柔道観を持たせてしまった」と指摘している。

『柔道一直線』のあらすじ
主人公・一条直也の父親は1964年の東京オリンピックの柔道で敗れ、命を落とす。直也は車周作の指導のもと、「地獄車」、「海老車」などの技を駆使して外国人柔道家や日本のライバルたちと戦う。

最後は師匠・周作が直也に「地獄車からの脱皮」と新たな飛躍が必要と見て、敢えて敵の外国人柔道家に「地獄車攻略法」をさずける。直也は試合でも相手の誘いに乗らず、冷静に普通の投げ技で破り、最後は日本人のライバルを地獄車で下して優勝する。周作は負けを認め、直也の活躍がテレビ中継されている料理店で酒を飲みながら息を引き取る。

テレビドラマ『柔道一直線』
1969年6月22日から1971年4月4日までTBS系列で毎週日曜日午後7時から30分間放送された。東映制作のテレビ映画。全92話。大ブームとなった「スポ根ドラマ」の端緒となった人気ドラマであり、アクションシーンの特殊効果は後に一部の同じスタッフで制作される『仮面ライダー』のアクションにつながることとなる。オープニングで投げられた人物の髪形が途中で変わっている。
(出典:Wikipedia「柔道一直線」)

スポ根ドラマ『柔道一直線』(1969年6月22日)

人気アイドル女優の「吉沢京子」さんは1969年、TBSの人気番組『柔道一直線』で、ヒロイン「高原ミキ(ミキッペ)」を演じる。

近藤正臣がピアノの鍵盤の上に跳びあがって、足で「ねこふんじゃった」を演奏した場面は有名

結城真吾(演:近藤正臣)がピアノの鍵盤の上に跳びあがって、足で「ねこふんじゃった」を演奏する

スポ根ドラマ『サインはV!』(1969年10月5日)

1969年版のテレビドラマはTBS系で放送。実写スポ根ドラマ(スポーツ根性ドラマ)の草分け的番組。大人から子供まで広い年齢層に熱狂的な支持を受け、最高視聴率39.3%、平均視聴率32.3%を誇る大ヒット・ドラマとなった。その後1973年版もTBS系で放送されている。

漫画版の所属チーム名は「立木武蔵」となっているが、ドラマ版では「立木大和」となっている。また、ライバルチームも「ニチボー」から「レインボー」に、「ヤシカ」が「ミカサ」に変更されている(漫画版が実在するチームの名称を使用していたため)。

1969年版は朝丘ユミが主人公。彼女は、バレーボールの練習中に姉を亡くしたため、天性の才能を持ちながらもバレーボールを憎み一度は離れようとしていたが、「立木大和」の牧圭介にスカウトされ、再びバレーボールと向き合おうと決意する。「立木大和」は立木製作所の新設バレーボール部だが、厳しい練習のために退部する選手が続出していた(第1話の段階では、選手はキャプテンの松原かおりしか残っていなかった)。

1973年版は前作の4年後という設定で、バレーボールの全国を行脚していた牧圭介が再び登場、新光物産という新チームを結成する。第1話他に、岡田可愛が前作と同じ朝丘ユミ役でゲスト出演した。
(出典:Wikipedia「サインはV」)

1969年版テレビドラマ『サインはV!』

テレビドラマ『サインはV!』の主要登場人物と代表的な必殺技

『サインはV!』の主人公「朝丘ユミ(演:岡田可愛)」の必殺技「稲妻おとし」

『サインはV!』の主人公「朝丘ユミ(演:岡田可愛)」の必殺のアタック「稲妻おとし」は、まるで稲妻が落ちるような軌道(ガクン、ガクン、グワーン)で落下し、そのアタックを受けた人は吹き飛ぶ。

漫画版『サインはV!』の「稲妻おとし」

朝丘ユミ(演:岡田可愛)とジュン・サンダース(演:范文雀)の「エックス攻撃」

高く飛び上がった朝丘ユミ(演:岡田可愛)とジュン・サンダース(演:范文雀)のどちらがスパイクを打つのか分からない究極のトリックプレー「魔のX攻撃」。

朝丘ユミとジュン・サンダースが二人同時にジャンプしてエックスの文字のようにアタックポイントで交差しながら、二人のどちらかがアタックをする攻撃。敵は二人のどちらがアタックをしてくるのか判別することが難しい。

漫画版『サインはV!』の「X(エックス)攻撃」

「サインはV」は漫画も凄い!! ( バレーボール ) - よっちゃんのマニアックなお部屋 - Yahoo!ブログ

朝丘ユミの宿命のライバル「椿麻理(演:中山麻理)」

鬼コーチの「牧圭介(演:中山仁)」の特訓における制球コントロールが抜群で、倒れたユミの頭を何度も直撃する。

スポ根アニメ『アタックNo.1』(1969年12月7日)

『アタックNo.1』(アタックナンバーワン)は、浦野千賀子による日本のスポーツ漫画。
一大バレーボールブームを起こしたスポーツ根性(スポ根)漫画として有名であり、連載当時は『サインはV!』と並ぶ2大バレーボール漫画として知られていた。

1968年1月から1970年12月まで『週刊マーガレット』(集英社)にて連載。マーガレットコミックスから全12巻が刊行、少女漫画の単行本として初めて10巻を超えた作品となった。
続編に1975年に連載された『新アタックNo.1』がある。また、2004年11月からは小沢花音作画によってリメイク版の『新・アタックNo.1』が『マーガレット』に連載されている。

1969年から1971年までフジテレビ系列でテレビアニメ化。また、アニメを編集した映画版が1970年から1971年の東宝チャンピオンまつりで上映された。2005年4月からはテレビ朝日系でテレビドラマ化された。

富士見学園中等部に転校してきた主人公・鮎原こずえが、不良グループを率いてバレーボール部に挑戦。力が認められてキャプテンとして迎えられる。鮎原こずえと仲間達は様々な試練を乗り越え世界を目指す。

アニメ版『アタックNo.1』
フジテレビ系列の日曜日19時-19時30分枠における『モーレツ欲張りゲーム』の後を継いで、1969年12月7日から1971年11月28日にかけて全104話が放送されたテレビシリーズ。

よみうりテレビの土曜日19時-19時30分枠における『巨人の星』で、視聴率的にも成功を収めていた広告代理店の旭通信社&提供スポンサーの大塚グループ&企画の東京ムービー(下請制作はAプロダクション)が、今回は『週刊マーガレット』に連載中であった原作漫画を題材にすることで、フジテレビの日曜日19時-19時30分枠を新たに獲得。『巨人の星』と同様に成功を収めた、アニメ番組である。

フジテレビの同枠は、アニメ番組の『マッハGoGoGo』が1967年6月末に枠移動(日曜19時台前半枠→日曜18時台後半枠)後、『爆笑ヒットパレード』(週レギュラー版、56分番組)→『リッカー スクラム歌合戦』→『爆笑ダイヤモンドショー(第2期)』→『東京ぼん太ショー』(56分番組。ただし1969年2月2日から2か月間は前半枠)→『紅白スタージェスチャー』→『モーレツ欲張りゲーム』といったバラエティ番組が続いていた。しかし本作からは、旭通信社→ADKが時代の変化に応じて提供スポンサーや制作会社を替えながらも、2004年末に終了した『こちら葛飾区亀有公園前派出所』まで、同枠を長らく担当することになった。

平均視聴率19.9%、最高27.1%(1971年1月10日放送)を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。主題歌レコードは70万枚を売り、主題歌の中の1フレーズが流行した。

日本での放送終了後、日本国外でも放映され、イタリアでは後にトップ選手として活躍するフランチェスカ・ピッチニーニがバレーボールを始めるきっかけになった。フジテレビにおいても、バレーボール中継に力を入れるきっかけとなり、放送期間中にはフジサンケイグループで春の高校バレーをスタートさせ、1977年からは、バレーボールワールドカップの中継のみならず、運営そのものに関わっている。
(出典:Wikipedia「アタックNo.1」)

スポ根アニメ『アタックNo.1』(1969年12月7日)

『アタックNo.1』の主要登場人物と必殺技

『アタックNo.1』の主人公「鮎原こずえ」

主人公。中学2年時に結核の転地療養で東京の名門校・明法学園から静岡の富士見学園へと転校。バレーは明法の頃から得意で、アタッカーだった。富士見学園転校当初は病気のためスポーツは両親から禁止されていた。ひょんな事から桂木率いるバレー部と、落ちこぼれグループを率いて対戦するはめに。両親に隠してバレーの練習をしていたが、その練習で結核は全快。

バレー部との対戦には勝利。こずえは富士見学園バレー部の主将に就任。以来、自分の青春をバレーに燃やす。名門進学校の明法学園で首席だったこずえは、授業中居眠りをしていても富士見学園転校後の最初の定期試験で楽々首席となる。

高校時代、真木村が転校してきたときの中間試験では学年7位であった。性格は少々おっとりしているが、誰にでも優しく人望がある。だが気が強く負けず嫌いなため、ケンカっ早いところもあり、ときに殴り合いの喧嘩をしてしまう。強敵と対峙する際は自信喪失となり、涙を流すこともしばしば。

努の死やそれに伴なうスランプなど、数々の障害と強敵に立ち向かい、中学時代は1度、高校時代は2度に渡り全国優勝を果たした。富士見学園・中学オールジャパンのキャプテンを務める。高校2年生のときに実業団オールジャパンに選ばれ、世界大会に出場し、MVP賞を受賞。髪型は基本的にポニーテールだが、ショートやおさげもある(アニメでは一貫して黄色のリボンにポニーテール)。中学生時代は深緑の瞳であった。高校2年生の頃に瞳は緑色になる。

1976年に発表された続編では(浦野の作画ではあったものの)これまでとは異なり丸味のない髪型をしていた。富士見高校でも大沼の後を継いで2年生ながらキャプテンになりチームをインターハイ優勝へと導いた。卒業後はヤシマカメラに入社する。こずえの名はドイツで放送された際にはMila、イタリアではMimiとされている。
(出典:Wikipedia「アタックNo.1」)

『アタックNo.1』の主人公「鮎原こずえ」の「回転レシーブ」

竜巻落としの凄まじい威力に相手がビビってぷるぷる震えてしまう。まるで竜巻のように、あり得ない軌道を描いて飛ぶ魔球。

鮎原こずえの超絶必殺技・魔球「竜巻落とし」(1)

鮎原こずえの超絶必殺技・魔球「竜巻落とし」(2)

鮎原こずえの魔球「竜巻落とし」は、球の軌道がまさに竜巻。その軌道を見た猪野熊大吾コーチ「竜巻だ。まるで竜巻だ」

魔球「竜巻落とし」をサーブでやってしまう。超絶な必殺技。竜巻の軌道で飛ぶ超絶なサーブ。

鮎原こずえの超絶必殺技「竜巻落としサーブ」

早川みどり、富士見学園コーチ「本郷俊介」、全日本の監督「猪野熊大吾」

中学2年に富士見学園に転校。小学生の時に富士見学園に来ていた。大資産家のお嬢様。気が強く、ワガガマな性格でキャプテンになりたい一心でこずえともめるが、大会でチームプレイの大切さを知り以後こずえの大親友となる。こずえと同じオールプレイヤーだが、必殺サーブ・木の葉おとしや回転レシーブを得意とする。瞳は茶色。主人公を除き、全てのシリーズ(原作・アニメ・新アタックNo.1(昭和版・平成版)およびドラマ)に登場したのは彼女のみ。また原作での外見が後の全てのシリーズに受け継がれたのも彼女のみ。アニメでは小学校時に富士見市に在住、柏木や中沢とは同級生で旧知の仲。父の仕事の都合で京都へ転校したが、中学2年の時富士見学園に転校する。卒業後は木立に入社する。
(出典:Wikipedia「アタックNo.1」)

早川みどり

早川みどりの必殺の変化球サーブ「木の葉おとし」

富士見学園コーチ。大学時代は野球部に所属。バレーの素人ではあるものの、独自の指導法で鮎原こずえ、早川みどり達を育てる。高校では東都大学のコーチをしていたが、こずえ達の頼みで富士見高校のコーチをする(アニメでは清水先生の依頼でバレー部コーチに就任)。緑のネクタイ、白のシャツ、青のスーツがトレードマーク。
(出典:Wikipedia「アタックNo.1」)

富士見学園コーチ「本郷俊介」

本名・大川一郎。中学オールジャパン、全日本の監督。ヒゲ・サングラスという怖そうな格好をしている。選手達をスパルタで鍛え上げるが、終盤は選手を怒らせて上達させる。決勝戦前では「何かうまいこと言おうとしたが、忘れた!」と言って選手の緊張を解くなど優しさをうかがわせる。アメリカへ出発する際はヒゲを剃り、サングラスもとり、まんざらでもない姿を見せる。アニメ版では本郷とは大学時代からの友人。こずえにバレー選手としての好意を抱いている。三条の実の兄(実写版では父)でもあるが、訳あって生き別れとなった。
(出典:Wikipedia「アタックNo.1」)

全日本の監督「猪野熊大吾」に水をぶっかけられる鮎原こずえ

寺堂院高校の八木沢三姉妹(八木沢香・八木沢静・八木沢桂)、石本・川地絹子

「八木沢香」
声 - 山本圭子 / 演 - 宮地真緒
大阪寺堂院高校キャプテン、八木沢三姉妹の長女。背番号は「1」。2人の妹と共に三位一体や稲妻攻撃を使う。3年連続インターハイ優勝を飾り2人の妹共にベストイレブンに選ばれるが監督であった母親が死亡してしまい韓国との親善試合には出られなかった。卒業後は死んだ母の代わりに寺堂院高校バレー部コーチを務める。その後、ミニオン紡績に入社し、こずえと同じオールジャパンに選ばれ、魔球「竜巻落とし」のトサーとして活躍。大舞台でも緊張しない肝の強さを持つ。瞳の色は青。原作およびアニメでは香が現役時の寺堂院チームに富士見が勝つことはなかったが、平成の作品ではドラマ・コミック共に香に勝利している。
原作では髪型が異なり、身長170cm、体重62kgという設定も存在する。

「八木沢静」
声 - 松島みのり→増山江威子→松島みのり→桂令子、小池亜希子(パチスロ) / 演 - 山口由香里
寺堂院高校のメンバー(姉の引退後のキャプテン)で八木沢三姉妹の次女。背番号は「2」(姉引退後「1」)。3年生のときの選抜準決勝で富士見学園鮎原こずえに妹桂をバレーの出来ない体にされてしまい、こずえを恨む。後に桂の本当の気持ちを知り、決勝戦で戦意喪失のこずえを励ます。瞳の色は青。
ストーリーの展開が変わるごとに担当声優が変わっており全キャラ中1番担当声優の数が多い。
原作では名前は美紀であり、身長168cm、体重60kgという設定も存在する。

「八木沢桂」
声 - 三浦利子→野村道子→三浦利子、小池亜希子(パチスロ) / 演 - 渡部彩
寺堂院高校のメンバー。八木沢三姉妹の末っ子。背番号は「3」(姉引退後「2」)。八木沢香在籍中の三位一体では主に彼女がスパイクを打っている。姉の引退後の選抜で富士見高校との試合でこずえたちにマークされ手足と内臓を負傷。それをきっかけにバレーの出来ない体になっているが本人は全然こずえを恨んでおらず、戦意喪失のこずえを立ち直らせたり、新技「風船アタック」のための「風船バレー」を一緒にしたりした。瞳の色は青。
原作では名前は末子であり、顔が全く異なり姉2人と全然似ていない。また165cm、体重60kgという設定も存在する。
(出典:Wikipedia「アタックNo.1」)

寺堂院高校の八木沢三姉妹(八木沢香・八木沢静・八木沢桂)

70年代のサイケデリックな演出になっています。怖いですね。

寺堂院高校の八木沢三姉妹による三位一体

三位一体の八木沢静・八木沢桂のどちらか片方がもう一方の片方にスパイクし、片方が受けたスパイクを相手コートへスパイクし返す。

寺堂院高校の八木沢三姉妹による「稲妻攻撃」

川地絹子は、三位一体(八木沢静・八木沢桂・石本)の前方で空中回転し誰が打つか分からなくする四位一体では一番重要となる回転役を担当している。川地絹子が人間煙幕になっている。

八木沢香の卒業後の寺堂院高校の八木沢静・八木沢桂・石本・川地絹子による「四位一体」攻撃

鮎原こずえが唯一破ることができなかった技。

身体能力が抜群に高い川地絹子の究極技「空中回転を使ったダブルアタック」

青葉学園の「山本操」の必殺技「大ボールスパイク」

青葉学園のキャプテン「山本操」
千葉代表、青葉学園のキャプテン。180センチの長身。ベスト12に選ばれた際はインターハイの事だけを考え白河、東南の飛垣と秋月と4人組となり全く練習をせず韓国との親善試合では韓国チームにマークされるが、こずえが手首を痛めてまで試合に出たことに心を打たれ、こずえがドクターストップした後に得意のスパイクで日本チームを勝利に導いた。

翌年のインターハイでは予選落ちし白河とケンカするが後に和解。その次のインターハイでは相手のチームをケガ人で続出させるほどの破壊力を持った大ボールスパイクを武器に決勝まで進むが富士見に敗れた。レシーブが苦手。

原作では東都学園バレー部で本郷先生によって力を見出されるが自分に自信がつきバレーの鬼と化しスポーツ校の青葉学園に転校するという設定で顔も全く異なる。平成コミックでは和田アキ子を思わせる短髪の顔で登場した。ちなみに原作では名前は「和代」である。
(出典:Wikipedia「アタックNo.1」)

青葉学園の「山本操」の必殺技「大ボールスパイク」はケガ人を続出させるほどの破壊力。試合ぶりも敗者のほとんどが負傷、あるいは退場者続出で試合放棄というすさまじいものだった。

テレビドラマ「金メダルへのターン!」(1970年7月6日)

『金メダルへのターン!』(きんメダルへのターン!)は、1970年7月6日から1971年9月27日までフジテレビ系列局で放送されていたテレビドラマである。東宝とフジテレビの共同製作。全65話。

豊島区の東京スイミングセンターを舞台にした作品(ドラマ本編においては「中央スイミングセンター」となっていた)。空中を飛んで全ての選手を追い越す「飛び魚ターン」や、津波を起こして両脇の選手を妨害する「ジェットターン」などの荒唐無稽な技が多数登場した。
(出典:Wikipedia「金メダルへのターン!」)

テレビドラマ「金メダルへのターン!」(1970年7月6日)

梅田 智子(うめだ ともこ、1952年2月23日 - )は、日本の女優。東京都豊島区駒込出身。ギャラクシーオーシャン所属。身長165cm。 血液型はA型Rhマイナス。
趣味はフェイシャルエステ、料理、水泳、英会話。
1970年代の中頃には、梅田 智美(うめだ ともみ)名義で芸能活動していた期間もある。

東宝ニュータレント8期生として東宝へ入社。同期生は、徳永礼子、牧とし子、木村由貴子、鈴木ひとみ、成川哲夫、関口昭子。
1968年、竜雷太主演の『でっかい青春』(日本テレビ)で、シリーズ後半、竜の役どころが市役所職員から高校の代用教員へ変更となり、その際、菊容子、大谷直、中沢治夫らと一緒にレギュラーの生徒役としてデビュー。

高い演技力で周囲を食ってしまうため、肉食魚ピラニアにちなんでピラと渾名される。初の主演級作品は『炎の青春』のバスケットボール部キャプテンの大村映子役だった。

当たり役は1970年の『金メダルへのターン!』での主役の速水鮎子役。東宝テレビ部所属女優として、主に東宝制作の映画・ドラマに多数出演。1970年には日本映画制作協会新人賞を受賞した。

1979年に『でっかい青春』や『炎の青春』などで共演した大谷直と結婚。出産の為に芸能界の一線から退き、3人の子どもを儲けた。

2004年、かつて『金メダルへのターン!』で姉妹役として共演した青木ひでみと共に剛たつひと作の舞台に出演し、25年ぶりに女優活動を再開した。

2007年には、恩師である高瀬昌弘監督のために夫婦で企画した舞台「掌一杯の温もり-親子戦争」では、実娘とも共演した。
(出典:Wikipedia「梅田智子」)

金メダルへのターン!のヒロイン「速水鮎子(千葉鮎子)」演:梅田智子

速水鮎子(演:梅田智子)の「飛び魚ターン」

速水鮎子(演:梅田智子)の「飛び魚ターン」

「飛び魚ターン」の開始

速水鮎子(演:梅田智子)の「飛び魚ターン」のシークエンス1

水面から飛び出すところ。

速水鮎子(演:梅田智子)の「飛び魚ターン」のシークエンス2

飛び魚のように水面から飛び出したところ。

速水鮎子(演:梅田智子)の「飛び魚ターン」のシークエンス3

「飛び魚ターン」の飛行中シーン。

速水鮎子(演:梅田智子)の「飛び魚ターン」のシークエンス4

「飛び魚ターン」の着水シーン。全員を抜き去ってしまう威力を持つ。

速水鮎子(演:梅田智子)の「飛び魚ターン」のシークエンス5

いざ撮影が始まると、当時の多くのスポ根ドラマがそうであったように、荒唐無稽な設定が続々と登場。  その代名詞がターンで勢いよく空中にジャンプし、全ての選手を追い越す「飛び魚ターン」だ。 宙を舞った瞬間にスローモーションになり、別世界のような映像が展開された。 「トランポリンを使って、別スタジオで撮影したクロマキー合成と組み合わせます。プールでの撮影では、膝の近くまで水中から勢いよく飛び出すシーンを何回も撮りました」  当初は1クール13回の予定だった。それが20%を超す高視聴率で延長を重ね、65話も続いた。  ただし、原作の多くは1クールで消化してしまい、オリジナルの荒技が次々と登場する。ジェットスキーのような「ロケットターン」や、隣に渦潮を発生させる「渦巻きターン」などがあった。 「中でも大変だったのが『背面飛び魚ターン』ですね。プールは水深が120センチしかなく、そこで背中からトランポリンを使ってのターンですから、顔や臀部を打つことも多かった。幸い、大きなケガはなかったですけど」

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20150927/Asagei_43700.html

永遠の70年代アイドルに会いたい!「梅田智子(金メダルへのターン!)」トランポリンを使った“飛び魚ターン”撮影 - エキサイトニュース(1/2)

空中回転ターンは飛び魚ターンを発展させたもの。

速水鮎子(演:梅田智子)の「空中回転ターン」

このドラマも目標であるミュンヘンオリンピック出場を決めたところで終ります。オリンピックでの活躍は描かれませんが、出場を決めたレースで世界新記録を出し、表彰台のシーンから金メダルを下げたオリンピックを示唆する表彰台のシーンに替わって終ります。
(出典:Wikipedia「横山光輝と懐かし漫画窟:金メダルへのターン!」)
http://blogs.yahoo.co.jp/banbaban72/6410509.html

速水鮎子(演:梅田智子)が世界新記録でミュンヘンオリンピック出場を決めたところで、ドラマは終了

テレビドラマ『ワン・ツウ アタック!』(1971年4月3日)

『ワン・ツウ アタック!』は、1971年に東宝の制作により、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送されていたテレビドラマ。1971年4月3日~6月26日放送、全13話。
なお本項では、この続編となったテレビドラマ『レッツ・ゴー ミュンヘン!』(1971年7月3日~10月2日放送、全11話)についても解説。
放送時間は両番組とも、毎週土曜日20:00~20:55。

原作は両作品共に、日紡貝塚女子バレーボールチームに所属していた1964年に東京オリンピックの女子バレーボール代表選手として出場し、東洋の魔女と呼ばれた一人である谷田絹子と、小泉志津男との共著による著書『栄光へのスパイク』(ルック社・刊)。

主人公・伴久美子(愛称・バンビ)は、東都高校卒業後にジャガー工業バレーボール部監督の松岡にスカウトされる形でジャガー工業に入社。松岡率いるチームに入り、背の低さを克服すべく努力を重ねていく。

1971年7月3日からは、ミュンヘンオリンピックでの栄冠を目指すというストーリーを前面に打ち出し『レッツ・ゴー ミュンヘン!』と改題、太洋紡、武蔵大和など多くのライバルチームと対戦する全日本リーグ戦がドラマの中心の一つとなる。
(出典:Wikipedia「ワン・ツウ アタック!」)

テレビドラマ『ワン・ツウ アタック!』(1971年4月3日)、テレビドラマ「レッツ・ゴー ミュンヘン!」(1971年7月3日)

大田黒 久美(おおたぐろ くみ、1948年8月2日 - )は、日本の女優。デビュー当初は、大田黒 美波。神奈川県藤沢市出身。

北鎌倉高校卒業。
1969年、内藤洋子主演の映画『華麗なる闘い』の縫い子役募集のオーディションを受け、最終選考まで残る。オーディションの優勝者は、山田はるみだったが、最終選考に残った7人でファニー・セブン(桐生かほる、皆川妙子、坂本千桃、萩元克子、徳峰真理、中沢直子らがいた)として同映画に出演することになり本名の大田黒美波名義でデビューする。
1969年、東宝へ入社。翌1970年、東宝テレビ部に移籍し、テレビドラマを中心に活躍する。
1971年、東京12チャンネルの『ワン・ツウ・アタック!』で主役に抜擢され、芸名を本名の美波から久美に改める。1972年から始まった青春学園ドラマ『飛び出せ!青春』では石橋正次演じる高木勇作のガールフレンド・生田みどり役として出演。青木英美演じる森下真樹と共に人気を得る。
24歳で結婚し、長男の出産に際して、芸能活動を一時休止。その後復帰して活動していたが、次男の出産を期に芸能界を引退した。
2005年1月に『飛び出せ!青春』で共演していた剛たつひとに引っ張り出され、舞台『晴れたらいいね 第二章』(内幸町ホール)に女社長役で出演した。
なお、姓の大田黒は「大」であり、たまにクレジットで「太」の太田黒久美と表記されることがあったが、これは誤りである。
(出典:Wikipedia「大田黒久美」)

ワン・ツウ アタック!の主人公「伴久美子(通称:バンビ)」(演:大田黒久美)

テレビドラマ「ワン・ツウ アタック!」の意外なお色気シーン。「伴久美子(通称:バンビ)」(演:大田黒久美)たちのシャワーシーン。

テレビドラマ「美しきチャレンジャー」(1971年4月4日)

美しきチャレンジャー(うつくしきチャレンジャー)は、1971年4月4日から1971年10月17日まで、TBS系列で日曜19:30から30分枠『不二家の時間』(不二家一社提供)にて放送されたテレビドラマ(テレビ映画)である。全29話放送。

高校時代、大学のボウリング部員「高峰明久」にボウリングの楽しさと厳しさを教わった少女「小鹿みどり」は、ボウリング部を推奨する会社(日本PM商事)に入る。

先輩の天才的ボウラー「七瀬茜」に激しいライバル心を燃やしつつ、偶然にもボウリング部のコーチに招かれた高峰と共に勝利を目指して戦い抜いていく。

ボウリングが大ブームを巻き起こした頃に登場したスポ根ドラマで、魔球を武器にしのぎを削る。最終回のラスト、アメリカ遠征に旅立つみどりは空港で高峰に思いを告白する。しかし、その言葉は飛行機の轟音にかき消され、高峰の耳には届かなかった…。

当時の人気女子プロボウラー である中山律子や石井利枝などもゲスト出演し、全盛期の映像を見られるのも特筆すべき点である。
週刊少女コミック(小学館学習雑誌)で連載された。

2002年に全話収録のDVD-BOXおよび単巻DVDが発売された。多くのネガフィルムが現存せず、大半の話数は退色したポジフィルムを元に収録されている。
(出典:Wikipedia「美しきチャレンジャー」)

テレビドラマ「美しきチャレンジャー」(1971年4月4日)

新藤 恵美(しんどう えみ、1949年3月20日 - )は、日本の女優。東京都出身。クラシックバレエを4歳から始め、星美学園中学校・高等学校在学中の1964年、スカウトされ15歳で芸能界入り。松竹映画のニューフェースとしてデビュー。

1971年、テレビドラマ『美しきチャレンジャー』の主演で人気を得る。1980年代には日活ロマンポルノ作品にも出演。元夫は俳優の長谷川明男(1974年に結婚、1978年離婚)。1990年に6歳年下のマネージャーと再婚した。
(出典:Wikipedia「新藤恵美」)

小鹿みどり(演:新藤恵美)

志村けんさんの代表的な一発芸「アイーン!」っぽい。

小鹿みどり(演:新藤恵美)の投げ終わった後のポーズ

左写真:小鹿みどり(演:新藤恵美)、右写真:七瀬茜(演:進千賀子)

左:松木幸恵(演:高樹蓉子)、右:高峰明久(演:森次浩司)

テレビドラマ『コートにかける青春』(1971年9月3日)

『コートにかける青春』(コートにかけるせいしゅん)は、志賀公江による日本の漫画作品・『スマッシュをきめろ!』を原作とした同国のテレビドラマ。1971年9月3日から1972年8月25日まで毎週金曜日19時から19時30分までフジテレビ系列にて放映された。全52回。東宝制作。提供は江崎グリコ一社。

当ドラマ開始以前は、アニメ、ゲーム番組を放送してきた江崎グリコ一社提供番組であったが、それらとは異なりテニスを題材にした青春スポーツドラマ番組となった。
本作品はこれまでに全52話分のDVD等のソフト化はされていない。

テニスの天才プレーヤーだった東城博之はあまりにテニスに熱中しすぎて家庭を顧みず、妻・晴子と離婚し一人娘の真琴を連れ信州へ向かった。晴子は亡くなった姉の子・さおりを実の子として育てた。
やがて博之は病に倒れ、死の直前「東京にいる母と姉の元へ行き、さおりとともにウィンブルドンの栄光を目指せ」と遺言を残す。真琴は父の形見である「銀のラケット」を手に東京へ向かった。しかしさおりが「実の姉ではない」ことは全く知らなかった……。時にダブルスでコンビを組み、またある時は敵味方に分かれてさおりと真琴はテニスプレーヤーとして成長していく。
(出典:Wikipedia「コートにかける青春」)

テレビドラマ『コートにかける青春』(1971年9月3日)

紀 比呂子(きの ひろこ、1950年4月11日[2] - )は、元女優である、本名、福田 博子。旧姓、佐藤。女優三条美紀(三條美紀)の娘として東京都世田谷区に生れる。お七夜記念に初めて雑誌「平凡」のグラフを飾る。芸名は、母親の芸名から最後の字を姓とし、名前は本名を音読み漢字で並べたものである。

1970年、田舎で卓球に夢中だった少女が国際線の客室乗務員になるまでを描いた人気ドラマ『アテンションプリーズ』に主演し、平均視聴率30%を獲得、一躍お茶の間の人気者となり、三条美紀は、送り出す時や深夜ひとりで帰りを待つときは「女優にするんじゃなかった」と思ったという。

その後も『コートにかける青春』、『マドモアゼル通り』『青春をつっ走れ』などの数多くの青春ドラマに主演して人気を博し、テレビ、舞台を中心に多くの作品に出演した。『コートにかける青春』では、母・三条美紀と共演。それまでは紀の方がてれくさいと断っていたものを、スタッフのたっての願いで実現。
(出典:Wikipedia「紀比呂子」)

槇さおり(演:紀比呂子)

森川 千恵子(もりかわ ちえこ、1951年11月6日 - )は、日本の元女優。元の芸名は真樹 千恵子(まき ちえこ)。父は作家の森川哲郎。

東京都杉並区出身。宝仙学園高等学校を経て立正大学英文科2年中退。
1967年、TBSテレビ『ヤング720』のスタッフにスカウトされ、同番組のカバーガールとして芸能界デビュー。

『ヤング720』での評判がきっかけとなり、『セブンティーン』や『女学生の友』のグラビアモデルなどを務めるようになる。

1971年に日本テレビの『2丁目3番地』で俳優デビュー。俳優デビューにあたって本人が『真樹千恵子』の芸名をつけた。

同年『仮面ライダー』の緑川ルリ子役で強い印象を与える。第13話まで出演。

その直後『コートにかける青春』でテニスに打ち込む姉妹の妹・東城真琴役を演じてアイドル的地位を確立。この作品で共演した紀比呂子が演じた主役の役名が「槇さおり」だったため、制作スタッフから「紛らわしくなるので芸名を変えてくれないか」と申し渡されたことから本名の「森川千恵子」に戻したという。
(出典:Wikipedia「森川千恵子」)

東城真琴(演:森川千恵子)

必殺技「魔の三段変化サーブ」は、「サインはV」の「稲妻落し」に近い軌道のサーブ。

魔の三段変化サーブ

魔の三段変化サーブ

「空中交差攻撃」は「サインはV」の「魔のX攻撃」に近いトリックプレイ攻撃。

空中交差攻撃

テレビドラマ「決めろ!フィニッシュ」(1972年(昭和47年)5月28日)

『決めろ!フィニッシュ』(きめろ フィニッシュ)は、1972年(昭和47年)5月28日から同年10月1日まで、東宝の製作によりTBS系列で放送された女子体操を扱ったテレビドラマである。放送時間は、毎週日曜19:00 ‐ 19:30(JST)。

ミュンヘンオリンピックの開催に伴い制作されたいわゆるスポ根ドラマである。ヒロインの「白鳥みゆき」とその恋人の「小野次郎」が幾多の挫折を乗り越え成長する過程を描いた。
提供スポンサーは武田薬品工業一社。いわゆる『タケダアワー』の一作だが、女性が主人公のドラマは1960年4月3日 - 同年7月31日放送の『泣き笑いさくらんぼ劇団』(主演:笠置シズ子)以来12年振りの放送となった。

女子体操の名門、東和学園高校の新入生・白鳥みゆき(志摩みずえ)は、幼馴染の棒高跳びの選手である小野次郎(三ツ木清隆)の励ましと特訓により高所恐怖症を克服、さらに困難な段違い平行棒をマスターするなどして、レギュラーに選ばれる。だが、次郎の突然の転校からスランプになるなどさまざまな挫折を経ながら「日本のベラ・チャスラフスカ」をめざしていく。
(出典:Wikipedia「決めろ!フィニッシュ」)

テレビドラマ「決めろ!フィニッシュ」(1972年(昭和47年)5月28日)

白鳥みゆき(演:志摩みずえ)

テレビアニメ『エースをねらえ!』(1973年10月5日)

1973年10月5日から1974年3月29日まで毎日放送制作、NETテレビ(現・テレビ朝日)系列で毎週金曜日の19時00分 - 19時30分に放送されたが、視聴率低迷により26話で原作の中盤までを描いて打ち切られた。

しかし、その後の再放送で高視聴率をマークしたことで、1978年10月14日から1979年3月31日まで『新・エースをねらえ!』というタイトル名で日本テレビ系列で毎週土曜日の19時30分 - 20時00分にリメイク放送された。 

その他に1979年に劇場版新作が東宝系で公開され、劇場版の続きにあたるOVA『エースをねらえ!2』『エースをねらえ!ファイナルステージ』が1988年から1990年にかけて発表された。アニメの制作はいずれも東京ムービー。

県立西高テニス部一年生の岡ひろみが新任の宗方コーチに見出され成長するさまを描いているが、ラストはひろみとお蝶夫人との対決とその決着で終わっており、宗方コーチの死は描かれていない。基本的には原作通りだが、音羽京子に原作にはない設定が加えられるなど、一部で出崎によるアレンジが施された。原作第一部の中盤までの内容で終了している。旧エースとも呼ばれる。
(出典:Wikipedia「エースをねらえ!」)

テレビアニメ『エースをねらえ!』(1973年10月5日)

本作の主人公。お蝶夫人に憧れてテニス部に入部する。新任コーチの宗方から代表選手に抜擢されたことで、それまでの生活が一変してしまう。それに翻弄されながらも、宗方の厳しい指導の下、天性の運動神経と持ち前の根性により自身の才能を開花させて行く。平凡ながら愛情豊かな家庭に育ったおかげで、普段は明るく女の子らしい性格の持ち主。連載当時はニュータイプのスポ根ヒロインとして注目された。また、彼女の飼い猫「ゴエモン」も人気が出た。
(出典:Wikipedia「エースをねらえ!」)

岡ひろみ(おか ひろみ)

通称お蝶夫人。超高校級の実力者で、生徒会副会長。自分に憧れるひろみをテニス部に誘い、妹のようにかわいがる。庭球協会理事の娘として、プライドが高い。初期はひろみに執着する宗方に不信感を抱きひろみにも冷淡な態度を取ったが、次第に態度を軟化させ、ひろみのために全力を尽くすようになる。特に、ジャッキー(ジャクリーヌ)とひろみとの架け橋となり、2人のペア実現に多大なる貢献をした。
(出典:Wikipedia「エースをねらえ!」)

竜崎麗香(りゅうざき れいか)

西高コーチに就任早々、ひろみの素質に注目しいきなり彼女を代表選手に抜擢して猛特訓を開始する。このようにその考えや言動は周囲に理解し難いものだが、理屈に合わないことはしない。トップ選手だったが、22歳の時に練習中に倒れて再起不能を宣告された。祖父母と3人暮らし。漫画作品におけるスパルタコーチの代名詞的存在の一人。3年の命だと宣告され必死にひろみを鍛え、自身の死後のひろみを親友の大悟と、彼女に寄り添う藤堂に託して入院先で27歳の生涯を閉じた。
(出典:Wikipedia「エースをねらえ!」)

宗方仁(むなかた じん)

生徒会長。西高テニス部男子副キャプテンでもある。宗方の特訓や先輩たちのいじめに耐えるひろみを優しく励ます。成長初期のひろみを動揺させたことで宗方に苦々しい思いを抱かせるが、彼の忠告を真摯に受け止めて、恋する相手に無闇に激情をぶつけることの愚かさを悟り、ひろみのプレイヤーとしてのステージアップに貢献。渡米直前に「お前達の自覚に任せる」とほぼ交際を許す言葉を与えられる。しかしその後入院した宗方に呼び出され、もうすぐ彼の命が燃え尽きることを宣告され、激しく動揺しつつ宗方の死後のひろみを思い遣り、なお一層のひろみに対する献身を誓う。
(出典:Wikipedia「エースをねらえ!」)

藤堂貴之(とうどう たかゆき)

テレビアニメ「新・エースをねらえ!」 (テレビアニメ版第2作)(1978年10月14日)

前作終了より4年半を経て『エースをねらえ!』のスタッフ、一部キャストを変更してリメイクされた作品。
前作の続編ではなく、新作として原作の最初から第一部終了にあたる宗方の死までが描かれる。

旧作より原作に近い内容。同時期に制作された「宝島」のスタッフに名を連ねていた出崎、杉野らが参加していない。
(出典:Wikipedia「エースをねらえ!」)

テレビアニメ「新・エースをねらえ!」 (テレビアニメ版第2作)(1978年10月14日)

テレビドラマ「がんばれ!レッドビッキーズ」(1978年1月6日)

レッドビッキーズは、テレビ朝日系列で放映されたテレビドラマシリーズ。女監督と少年野球チームの活躍を描いた作品である。原作は石ノ森章太郎(放映当時は石森章太郎)。

当初は1978年4月から放送開始の予定であったが、前番組の『ロボット110番』が諸般の事情により予定より早く終了して放映時期が繰り上がり、1978年1月6日から12月29日まで全48話が放送された。随所に石ノ森章太郎の描いた止め絵(イラスト)が入り、登場人物の心情を表現していた。この演出は、次作以降も踏襲される。

野球を人一倍愛する女子高生の江咲令子(演:林寛子)は高校の野球部でマネージャーを務めていたが、監督からの「女はベンチに入るな」という発言に反発して退部する。野球への愛着を捨て切れない令子は、少年野球チームを結成して自分自身が監督になることを思い立つ。

蕎麦屋の主人である長山をオーナーとして、近所の小学生たちを集めて結成された「レッドビッキーズ」は、初の試合では1アウトも取れずに30点を取られて、1回コールド負けをする。その後の試合も連敗続きとなり、史上最弱とまで言われたチームをリトルリーグの優勝チームに成長させていく。

「レッドビッキーズ」のチーム名の由来は、「女性監督だから赤」であること、「カエル」が柳の葉に飛びつこうと懸命に飛び跳ねる様子を見て平安時代の三蹟の1人に数えられるようになった小野道風の故事、原作者の石ノ森章太郎の出身地が東北地方であり、当地のカエルの方言が「びっき」であること、などなどの理由で命名された。

出演者への少年野球の技術指導は、ヤクルトスワローズに在籍し、28歳で現役を引退した荒川尭が務め、番組中にも登場した。
なお背番号がバラバラになっているが、ジュク役の増田康好によれば、選手達が自分の好きな番号をはやいもの順で選んでいったからだという。たとえばノミさんの背番号が6なのは、演じる古見則彦が阪神ファンで当時好きだった選手(放映時期から藤田平と思われる)の背番号が6だったからだという。
(出典:Wikipedia「がんばれ!レッドビッキーズ」)

テレビドラマ「がんばれ!レッドビッキーズ」(1978年1月6日)

桜ヶ丘高校に通う高校2年生。野球部のマネージャーだったが、女なのでベンチ入りさえできないことに反発し、少年野球チームのレッドビッキーズを結成。後に野球部も退部した。野球の理論には精通しているが、自分ではノックができない(なお1996年に高校野球の規定が改定されて以降は、女性マネージャーでもベンチ入りが可能になっている)。
(出典:Wikipedia「レッドビッキーズ」)

江咲令子(監督):林寛子

レッドビッキーズ最大のライバル、女子軍団ビューティースターズのエース・小杉百合香が投げる必殺魔球。

振りかぶったときに握ったボールを頭上に掲げ、手首をひねってから投げると、背景が黒くなり、変則回転しながら揺れて曲がるすごい魔球(笑)。姉の美鈴監督も“おそらく高校生でも打てないわ”などと豪語していたが、なぜか最終回では小学生のビッキーナインにめった打ちを食らう。「がんばれ!レッドビッキーズ」唯一の魔球。
出典:レッドビッキーズ&燃えろアタック 魔球&必殺技列伝「がんばれ!レッドビッキ―ズ 魔球編」
http://www.geocities.jp/rainbowarch78/technique.htm

小杉百合香(ビューティースターズ)のユリカボール

テレビドラマ「それゆけ!レッドビッキーズ」(1980年8月29日)

1980年8月29日から1982年3月28日まで放送。全77話。第52話まではテレビ朝日の制作。好評だったため朝日放送の希望で制作が半年延長され、第53話以降は制作局が同局に変わり、放送時間も移動(金曜19時半→日曜19時)した。

日曜19時台はそれまで様々なクイズ番組が放送された枠であり、この番組の前番組『ヒラメキ大作戦』も後番組『三角ゲーム・ピタゴラス』もクイズ番組である。なおANB日曜19時台前半枠でドラマが放送されたのは、1960年5月 - 1961年放送の海外作品『わんぱくデニス』以来実に20年ぶりで、国産は2014年現在最初で最後[1]。『がんばれ!レッドビッキーズ』→『燃えろアタック』→『それゆけ!レッドビッキーズ』と続いた石森章太郎原作のスポーツドラマも4年3ヶ月で幕を閉じた。

草野球で負け続けている小学生たちが、前シリーズのジュクと知り合い、以前のビッキーズのようなチームを作ろうと、同じような監督を探し求める。やがて、シンガーソングライターを目指す星野ゆかりを見つけ、頼み込んで監督になってもらい、なんとかチームの形は整えたけれど、なおも負け続ける。それでも、それぞれに経験を積んでいく。

その後、ゆかりは外国留学の都合で監督をやめることになり、第26話で高原樹理(ポパイ)が二代目監督となる。器械体操経験者の彼女は野球にも詳しく、選手らは以前と異なる指導に反発しながらも、やがてチームを育てていく。
(出典:Wikipedia「レッドビッキーズ」)

テレビドラマ「それゆけ!レッドビッキーズ」(1980年8月29日)

星野ゆかり(初代監督 ):斉藤とも子(第1話~第26話)

シンガーソングライターを目指す短大生。小倉出身。野球経験がまったくないことなどから監督就任を断っていたが、一度限りの条件で監督を引き受けた試合を通して「あの子達の中に歌がある」ことに気付き、第2話で監督に就任する。

後に試合を通して歌を作り、コンクールに優勝。その副賞として外国留学がついており、迷った挙句に留学を決意。樹理にチームを託して外国へと旅立った。
(出典:Wikipedia「レッドビッキーズ」)

星野ゆかり(初代監督 ):斉藤とも子(第1話~第26話)

ポパイ / 高原樹理(2代目監督):山田由紀子(第25話~)

セオリー達のいとこでカズヤと同年。スポーツ万能の兄ナツキに憧れを抱き、彼の出た東都体育大学を受験するために焼津から上京。セオリーの家に下宿する。兄への憧れから志望校を一校に絞ったのが裏目に出て浪人する羽目になるが、その分、レッドビッキーズの指導に力を注いでいる。

なお彼女もスポーツ万能であり、器械体操の他、相撲では同年のカズヤを投げ飛ばし、野球も「幼稚園の頃から兄貴に鍛えられていた」ため、実技にも精通。

その体格(かなりの筋肉質で女性としては大柄)から、主にカズヤからポパイとも呼ばれている。後にチームにも浸透する。それまでの女監督(令子、ゆかり)とは異なりノックもできる。

ゆかりとの指導の違いから当初は反発を招いたが、徐々に皆に受け入れられていく。小さい頃は病弱だったが、兄に鍛えられてスポーツ万能になった。予備校の成績はあまり良くなく、たびたび受験と監督業との両立が課題になったが、無事東都体育大学に合格することができた。苦手なものはお化け。
(出典:Wikipedia「レッドビッキーズ」)

ポパイ / 高原樹理(2代目監督):山田由紀子(第25話~)

テレビドラマ『燃えろアタック』(1979年1月5日)

『燃えろアタック』(もえろアタック)は、石ノ森章太郎原作の1979年1月5日から1980年7月11日にテレビ朝日系列で放送された日本のスポーツ根性ドラマである。

このドラマの枠では、以前は『がんばれ!!ロボコン』や『ロボット110番』といったロボットものを放送していたが、1978年に放映された『がんばれ!!レッドビッキーズ』以後、ロボットなどの非日常的な要素がない純粋なスポ根ものに転換し、その第2弾となった作品。

当時、テレビ朝日では1980年のモスクワオリンピックを民放独占中継することを決めていたこともあり、そのプロモーションという意味合いを込めて、小鹿ジュン(荒木由美子)を中心としたバレーボールに情熱を傾けた少女たちの物語として展開された。

しかし、放送中に日本がモスクワオリンピックをボイコットする事が決まり、ドラマの結末(主人公ジュンがオリンピック日本代表選手に選ばれる)と現実の状況(日本選手がオリンピックに出場できない)とが大きく異なる。

スパイクの際、ジャンプして上空で1回転した反動で打ち込む「ひぐま落とし」という必殺技があり、これをはじめとする数々の技のため、『サインはV』同様、現場では負傷者が絶えなかったらしい。普通のスポ根ドラマに見えるが、登場人物が死神に呪われて死ぬといったオカルト展開がある。

本作は中国で『排球女将』(バレーボール女子キャプテンという意味)のタイトルで放映されていた。主演の荒木由美子は放映当時、同世代の中国の視聴者の中で絶大な人気で、中国での視聴率は80%以上。

石川森彦作画のコミカライズ版が、徳間書店『テレビランド』に連載されていた。また本編では場面転換の際、石ノ森章太郎(+石森プロ)によるジュンの心情を表したイラストが挿入されていた。イラストは毎回のエンディング映像にも使用されている。
(出典:Wikipedia「燃えろアタック」)

テレビドラマ『燃えろアタック』(1979年1月5日)

荒木 由美子(あらき ゆみこ、1960年1月25日 - )は、日本の歌手、女優、タレント。堀越高等学校卒業。愛称は「由美ちゃん」。身長153cm。血液型はB型。夫は歌手の湯原昌幸。

佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身。1976年(昭和51年)、『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』にて、小川順子の「過ち」を歌い審査員特別賞を受賞(グランプリは榊原郁恵)。

翌1977年6月10日、キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)からアイドル歌手としてデビューした。デビュー曲は『渚でクロス』(オリコン最高56位、4.4万枚のセールスを記録)。同年デビューの女性歌手で、当時「フレッシュ3人娘」と呼ばれた榊原郁恵・高田みづえ・清水由貴子らと共に、各音楽賞の新人賞を獲得した。他の同期デビュー歌手では大場久美子、香坂みゆき、狩人、川崎麻世、清水健太郎、太川陽介などがいる。

その後アイドル歌手としてはヒット曲に恵まれず、女優・タレント業に転じる。特に、1979年より放送された自身主演ドラマ『燃えろアタック』(テレビ朝日系列)で人気を博す。(2013年に傑作選Vol.1~Vol.3として、全71話のうち36話がDVD化)のちに中国でも『燃えろアタック』が『排球女将』というドラマ名で放送され、視聴率80%以上を記録する大ヒットとなった。

1979年、年鑑女性アイドルのマルベル堂でのブロマイド売り上げ、第5位を記録した。
1983年に歌手・タレントで13歳年上の湯原昌幸と結婚、芸能界を一時引退(なお主婦業専念時も、夫の湯原と共に洗剤のテレビCMなどに出演していた)。しかし、結婚後わずか2週間で倒れた義母を20年に渡って介護する。その後、自身の介護体験を基に「覚悟の介護」を出版。これを機に2004年から芸能活動に復帰。湯原とは今昔変わらぬ夫婦仲のよさで知られ、旅番組など夫婦でのテレビ番組やCMでも多数共演している。
(出典:Wikipedia「荒木由美子」)

小鹿 ジュン - 荒木由美子

スパイクの際、ジャンプして上空で1回転した反動で打ち込む必殺スパイク。

小鹿 ジュン(演:荒木由美子)の必殺スパイク「ひぐま落とし」

羆(ひぐま)おとしに代わる必殺スパイクとして、ジュンの母・民が残した計画ノートを頼りに開発に乗り出した技だが、レシーバーをフッ飛ばすまでの破壊力はなく、ジュンを大いに悩ませていた。

そこで速水部長により再びジュンのもとに呼び寄せられた母親の民が、羆おとしのような“ひねり”の必要性をジュンに助言する。そして、完成したのがこの“ハリケーンアタック”で、カネチカとの練習試合でアーヤが最初の餌食となる。
出典:レッドビッキーズ&燃えろアタック 魔球&必殺技列伝「燃えろアタック 必殺技編」
http://www.geocities.jp/rainbowarch78/technique.htm

小鹿 ジュン(演:荒木由美子)の究極絶技のスパイク「ハリケーンアタック(幻のスパイク)」

ハワイから白富士学園に転校してきた天才少女・夏川ゆかの必殺スパイク。高くジャンプして、手首のスナップを効かせて華麗に打ち下ろすと、ボールが大輪の花のような形にぶれて分身し、相手コートに突き刺さる。入部当初はジュンとの友情が壊れるのを恐れ、チームメートにもその技の存在を隠していた。 
出典:レッドビッキーズ&燃えろアタック 魔球&必殺技列伝「燃えろアタック 必殺技編」

夏川 ゆか / ユカ(演:中原歩)の必殺スパイク「パールドリーム」

白富士学園最大のライバル、花田学園のエース「南郷あかね」

出典:レッドビッキーズ&燃えろアタック 魔球&必殺技列伝「燃えろアタック 必殺技編」

南郷あかねの必殺サーブ「UFOサーブ」

ジャンルとしての「スポ根」のギャグ化による衰退 「スポ根」漫画の全盛期である1960年代には多くの読者の支持を得たが、その一方で精神主義や芝居がかった演出には当時から批判的な意見があった。 1975年から1978年にかけて『週刊少年ジャンプ』で連載された野球漫画『1・2のアッホ!!』(コンタロウ)や、1977年から1980年にかけて『週刊少年ジャンプ』で連載された野球漫画『すすめ!!パイレーツ』(江口寿史)では、そうした批判的視点を背景に従来のスポーツ漫画にギャグ漫画の要素を取り入れ、スポ根的な価値観を風刺した。 1980年代に入ると、「直向きさ」「努力」「根性」といった価値観は格好の悪いもの、ダサいものとして見做されるようになっていたが、1984年に少女誌の『花とゆめ』で連載された野球漫画『甲子園の空に笑え!』(川原泉)では、かつてのスポ根漫画における「感動のあまり涙を流す」「男同士による抱擁」といった表現を「常軌を逸した行為」として扱った。 かつて一般大衆の価値観を反映したといわれた「スポ根」は、1970年代末から勃興したギャグ化の流れにより「嘲笑」の対象となり、ジャンルとしての「スポ根」を衰退させる結果となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E6%A0%B9

スポ根 - Wikipedia

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