藤原光博は、シャンプーハットの小出水と「東京スケベ協会」というユニットを組み、イベントを開催。
東京スケベ協会は、リットン調査団の藤原光博が会長を、シャンプーハット小出水が関西支部長を務め、
「スケベであることは何もやましいことではない。
むしろたった1度の人生なら、スケベであることをもっと謳歌すべし」
をコンセプトに、イベントでは会長、支部長がエロ体験をトーク。
さらに「笑う猥談」という本まで出版。
「過去開催してきた「東京スケベ協会」で自作の官能小説を朗読するコーナーのために書きためていたものを、小説家の山田隆道さんに読んでいただいたら「面白い」と言っていただき、その縁で出版することになりました。
文字通り、エロいけどあくまで笑う内容です。
両親以外の幅広い層、女性も含めて少しでもエロというものに興味をお持ちのさまざまな方に読んでいただきたいです」
一方、私生活では離婚を経験。
よかれと思って嫁のブラジャーを洗って激怒されたり、タンスの上から物が落ちてきたとき、嫁をかばって、
「ありがとう」
と抱きつかれて勃起したり、幸せな時間を過ごしていた。
あるときの晩ご飯のおかずが6本のウインナーだけで、藤原光博は、ウインナーを1本食べ、2本食べ、3本食べ、そして4本目を食べた瞬間、嫁が
「もう嫌や!」
といい、家を出て行った。
藤原光博が、
「1回結婚して離婚したから、夢はもう1回結婚したい。
このまま1人で死ぬのだけは絶対嫌や」
というと、後輩は、
「出来ますよ」
とフォロー。
「そうかなあ」
「もしも彼女が、結婚していいけど芸人やめて真面目に働いてくれるんだったら結婚してもいいっていったらどうします?」
「そりゃ無理やわ。
芸人はやめられへんわ。
だって楽しいもん」
そしてニコニコしながら
「1回でも客前で爆笑とったらやめられるかいな。
あんな快感ないやろ」
リットン調査団は、50代後半になってもアルバイトをしながら芸人をしていたが、東京や大阪の劇場で出番はなく、営業やイベントの仕事が中心で吉本興業からの給料がゼロになる月もあった。
そんな状態で藤原光博は水野透に
「何もしてないのはおかしいって。
2人で単独ライブやろう」
働きかけた。
「やって何の意味があるねん?」
「なんの意味があるて、それって芸人じゃないやん、それやらんかったら。
意味があるからやるとかじゃないやろ」
「それって自己満足のオナニーやん」
「いや俺らの仕事って人様にオナニーみせてナンボやんか。
やろうよ」
「わかった、やるわ」
「毎月1回、なんかやろう」
「毎月はしんどいから3ヵ月に1回にしてくれへん?」
2019年3月15日、芸歴34年目のリットン調査団は「水曜日のダウンタウン」の「未だにバイトしてる最も芸歴が長い芸人 リットン調査団」説に出演。
水野透は、
「(芸人をやめようと思ったことは)ないですね。
よぎったこともないですね」
と笑い、藤原光博も
「やっとお笑いの楽しさとかわかってきたんですよ。
もう1回仕事をいっぱいやってやるぞって意欲が出てきて心の中が充実している」
と前向き発言。
翌4月、リットン調査団は、ヨシモト∞ドームのスタジオⅡで、19年ぶりに単独ライブ「リットン調査団リサイタル~コントの夕べ~」を開催。
会場は満席になり、58歳の水野透と56歳の藤原光博は、心斎橋2丁目劇場時代とまったく変わらない、下ネタ9割のおバカなコントを汗だくになりながらやった。
舞い上がってセリフをトチった水野透は、
「オンエアの次の日、バイト行ったらバイト先の兄ちゃんに『昨日テレビ出てましたよね。スゴイですね』っていわれたから『芸能人みたいやったやろ』っていうたら、そいつキラキラした顔で『はい』っていいよったわ。
まだまだテレビは力あるで」
藤原光博はバツイチだが、水野透は、未だ未婚。
入籍していないが、
「あの子が24のときに知り合って、大阪から連れてきて、僕が40歳くらいときに東京で1回別れて、42歳のときに、またヨリを戻して・・」
というパートナーと同棲している。
水野透の還暦を祝う集まりで、みんなが
「まだ入籍せえへんのか?」
と聞く中、板尾創路が
「フランスっぽいな」
というと水野透は
(ちょっと意味がわからん)
藤原光博は、
(どこがフランスやねん?)
と思ったが、相手が板尾創路だけに何もいえなかった。
そして水野透は、
『好みの女性は?』
と聞かれると
「別れた妻」
と答える藤原光博をみながら、
「いいことじゃないですか。
離婚の多いご時世にね。
立派ですよ、僕」
といった。
そして水野透は、61歳にして自ら作詞・作曲を行った「はつ恋」で歌手デビュー。
「今も売れてないですよ。
ブレイクなんてしないまま来ました。
だけど好きな世界に入って、好きなことをさせてもらって、イベントにお客さんが来てくれて。
もちろんつらいこともありますけど、トータルで考えた時に何の悔いもない。
そう思える道のりでもありました。
まさか61歳で歌手デビューさせてもらうなんてことも、夢にも思ってなかったですから。
そんなことがあるのも、この仕事の面白いところであり、ありがたいところだと思っています。
20年ほど前にやったコントイベントでコミックバンドのネタをやりまして、その中で1曲まじめにというか、自分が小学4年の頃に体験した初恋について綴った曲で、作ったときは38~39歳だから、もうオッサンにはなってるけど、まだ青春のカケラを歌っても成立する年齢でしたけど、もう還暦も過ぎてから小学4年の初恋を…って、何を歌ってんねん!と」
そして自らの信念を貫き通した芸人生活については
「今、死んでも何の悔いもない」
という。