丸山桂里奈  日本サッカー史上、男子を含めて唯一のワールドカップ優勝。ドイツ戦の決勝ゴールを決めたとき思ったのは「気持ちワル!」

丸山桂里奈 日本サッカー史上、男子を含めて唯一のワールドカップ優勝。ドイツ戦の決勝ゴールを決めたとき思ったのは「気持ちワル!」

東日本大震災が起こった年、「サッカーで日本に元気を送りたい」という思いでドイツワールドカップに乗り込み、絶対に勝てないといわれたドイツ戦で決勝ゴールを決め、男子を含めて日本サッカー史上初のワールドカップ優勝。


ずっと東京の下町で暮らしてきた丸山桂里奈は、福島県がどんなところかまったく知らなかったが、美しい土地と人の善さに感動。
最初、自転車しか移動手段がなかったが、運転免許を取得すると県内外へドライブへ出かけた。
川内村の「かわうちの湯」という温泉は
「寮から車で30分くらい山道を走らせないといけないので、あまりみんないけないし、ここまでくるとマリーゼの選手を知っている人も少ないので思い切り羽を伸ばせる」
と常連に。
五色沼や猪笛代湖など県内の観光地は
「ほとんど行き尽くした」
海沿いの道や山奥の道など自然の中を車で走るのが爽快だった。
「私はドライブが好きで、特に1人で運転していると、誰もいない空間なのでいろいろ考え事もできるし、気分が変わって気持ちに余裕が出てきます。
車の中では爆音で音楽を聴いています。
音楽とドライブというのは最強のカップリングで寮に帰る頃にはすっかりリフレッシュして頑張ろうという気になっていました。
どんなにイライラしても、凹んでも大丈夫!
車と音楽があればいい!」
また広い海と建屋しかみえない福島第一原子力発電所の展望台も
「将来、ここで結婚式を挙げたい」
と思うほど大好きな場所だったが、震災後、誰も近づけない場所となってしまった。

ちなみに
「初体験は2005年、22歳」
といい、マリーゼ1年目に夜のデビューも果たしたが、クリスマスイブに一緒にドライブしていたとき、かかってきた電話に出ただけで激怒され、監禁状態となり朝まで車から出られなかった。
「好きなことなら恋愛もサッカーも全力でできます。
アスリートはオン・オフが大事なんていいますけど、私はオン・オフなんてないんですよ。
起きているときは常にオンです。
だからサッカーも全力だったけど恋愛だって全力で向き合っていたんです。
例えば彼氏の家に泊まった次の日の練習は「イチャついたんだからメッチャ頑張ろう!」って誰よりも熱心に練習に励んでいました。
ケンカしたりトラブったり失恋しても「なんだよーっ!」って思って、どっちみちエネルギーになるんで。
アスリートってモチベーションが大事なので、私の場合は恋愛がサッカーのパワーにもなっていたんです」

創設1年目、マリーゼはリーグ4位で丸山桂里奈は、8得点を挙げ、新人賞。
日本代表としては、真夏の韓国で行われた第1回東アジア女子サッカー大会で2試合(北朝鮮戦と韓国戦)に途中出場したが、

北朝鮮 0対1
中国 0対0
韓国 0対0

と無得点で3連敗。
マリーゼ2年目、昨年は優勝争いに絡んだのに1勝8敗5分と1勝しかできず、2部リーグに降格。
日本代表として、7月のAFC女子アジアカップと12月のアジア競技大会に参加したが、無得点。
3年目、

3月 FIFA女子ワールドカップ予選、
4~8月 北京オリンピック最終予選
9月 FIFA女子ワールドカップ

という日本代表戦に加え、4~12月までリーグの試合があった。
マリーゼは「2部リーグ優勝」、そして丸山桂里奈は「得点王」に目標に掲げたが、シーズン序盤に「グローインペイン症候群」を発症。
グローインペイン症候群は、股関節周辺筋肉のオーバーユースによって起こる股関節障害で、手術や薬で治せるものではなく、とにかく安静にして休ませるしかなかった。
しかし日本代表に入ることをあきらめられない丸山桂里奈は、
「まだ可能性はある」
と股関節に負担をかけない体全体を使う蹴り方にフォームを改善。
すると最初、利き足である右足の股関節が痛み出し、左で蹴るようにすると左の股関節も痛くなった。
左をかばうと右、右をかばうと左が痛くなるという悪循環を繰り返した末、くしゃみをしたり座っているだけで骨盤周辺に激痛が走るまでに悪化。
結局、日本代表は辞退。
大泣きした後、
「本腰を入れて休むしかない」
と気持ちを切り替えた。
すると症状は改善し、プレーできるようになり、最終的にマリーゼは、2部リーグで優勝し、1部復帰。
丸山桂里奈は、17試合22得点という驚異的な記録を挙げたが、ベレーザの大野忍の23得点に及ばず、得点王にはなれなかった。

丸山桂里奈が入れなかった日本代表は、北京オリンピックの出場権利をGETしたものの、FIFA女子ワールドカップでは、

イングランド 2対2
アルゼンチン 1対0
ドイツ 0対2

で予選グループリーグ敗退。
ワールドカップが終わった後、「ノリさん」こと佐々木則夫が代表コーチから代表監督に昇格。
この時点で北京オリンピックは9ヵ月に迫っていた。
2008年2月4日、佐々木ジャパンが静岡県で初合宿を行い、丸山桂里奈は日本代表に復帰。
最初のミーティングでシステムの変更が告げられ、これまでは

中盤をダイヤモンド型にする4-4-2
2トップの下に攻撃的MFを置く3-5-2

だったが、

中盤を4人を横一列にする4-4-2
守備スタイルも、人をマークする「マンマーク」ではなく、エリアをマークする「ゾーンディフェンス」

になった。

合宿から2週間後の2月18日、中国で東アジア女子サッカー選手権が開催。
短い準備期間でのいきなりの公式戦だったが、佐々木監督は、
「北京オリンピックで勝つために新しいサッカーに取り組もうとしている。
最初から新しいシステムがうまく機能するとは思っていない。
東アジア選手権は北京オリンピックへ向けての通過点。
恐れずにやればいい。
課題が出た方が今後のためになるから逆に失敗するくらいでいい。
結果にはこだわらなくてもいい」
といい、それを聞いて選手は、
「とにかく自分たちのサッカーをやろう」
と思い切りプレーすることに専念。
まず宿敵、北朝鮮に3対2で勝利すると佐々木監督は、修正点を書いた紙をホテルのエレベーターに貼り、次の日からチーム全員が、その課題を意識して練習。
2戦目、韓国戦も2対1で勝利。
3戦目、決勝戦の相手は、中国。
「結果にはこだわらなくてもいい」
といっていた佐々木監督が
「優勝狙っていくぞ」
といい出したので丸山桂里奈は、
「いってること全然違うじゃーん」
といって笑った。
そして中国サポーターで埋め尽くされて真っ赤になったスタジアムで激しいブーイングを浴びながら、3対0で勝利し、アジアナンバー1になった。
1ヵ月後、第1回キプロスカップがあり、アメリカ、オランダ、スコットランド、カナダ、ロシア、日本が参加し、なでしこジャパンは3位。
その2ヵ月後のAFCアジアカップでは、ここまで出番がなかった丸山桂里奈が、2戦目、台湾戦でゴールを決め、なでしこジャパンは4位。
さらに1ヵ月半後、アジアカップの3位決定戦で敗れたオーストラリアと親善試合で再戦し、3対0で勝利。
その3点目は丸山桂里奈だった。

その直後、北京オリンピックが始まった。
ここで丸山桂里奈は、同年齢、同ポジションの「アンチ」こと安藤梢と同部屋になり、以降、代表で1番の仲良しとなった。
「同じ部屋でいても、まるで1人でいるような錯覚に陥るくらいお互い、素のままでいられるし、会話があってもなくても平気だし、必要がない。
私にとってアンチは、唯一、目の前でオナラをしても平気な相手」
一緒にいるとあまりに楽なので
「彼氏彼女を超えているよね」
「長年連れ添った夫婦みたいだよね」
といい合っていたが、安藤梢はマイペースなところがあって、例えば眠れないと部屋の電気をつけ、
「寝れないじゃない」
といっても平気な顔をして自分が寝るまで消さなかった。
家に電話していた安藤梢が母親に
「桂里奈ちゃんにかわって」
といわれ、丸山桂里奈がかわると
「桂里奈ちゃん、あそこはパスしたらダメだよ」
といわれ、
(安藤のお母さんに怒られる私って・・・)
と悩んだこともあった。

よく
「何にも考えてなさそう」
「何も悩みがなさそう」
「なんでそんなに明るいの?」
といわれるくらい、いつも明るい丸山桂里奈だが、自分で
「人より涙腺が大きいんじゃないか」
と思ってしまうくらい涙もろい。
悲しいニュースやドラマ、映画、動物モノのドキュメンタリーをみるとすぐに泣いてしまい、周りに、
「そこで泣く?」
といわれてしまう。
自分が浮き沈みが激しいことを自覚し、日本代表にいるときは、
「浮くのはいいが沈むのは許されない」
と決めている丸山桂里奈が気をつけているのが
「たくさん笑うこと」
お笑いDVDは必須アイテムで、特にTKOの木本のファンでDVDを全部持っており、「人志松本のすべらない話」やとんねるずの「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」などもコンプリート。
遠征時には、それを持っていき、ホテルでずっとTKOをみていて安藤梢に、
「なんでそんなにTKOばっかりみてるの?」
とあきれられたが、その後、自分がいないときにTKOのDVDをみている安藤梢を発見し、
「きっとTKOさんのよさがわかったに違いない」
と思った。

北京オリンピックで日本は、予選でグループGに入り、ニュージーランド、アメリカ、ノルウェーと総当たり戦を行った。
第1戦、前半37分、ニュージーランドに先制点を奪われ、後半16分にもPKで追加点を奪われ、0対2。
しかしここから勝負強さをみせた。
後半27分、背番号8、宮間あやがPKをキッチリ決めて、1対2。
後半37分、丸山桂里奈が投入され、攻勢を強め、後半41分、宮間のフリーキックに澤穂希がボレーで合わせて2対2。
土壇場で引き分けに持ち込んで勝ち点1をもぎ取った。
第2戦、FIFA女子世界ランキング1位のアメリカに0対1。
第3戦、前半27分、ノルウェーに先制されたが、4分後に同点。
後半開始直後、相手のオウンゴールで2対1。
さらに大野忍、澤穂希、原歩が決めて、5対1。
グループリーグ3位で予選を突破し、決勝トーナメント初戦(準々決勝)で、開催国の中国と対戦し、完全アウェイで苦戦が予想されたが、2対0で勝利。
すでに世界ベスト4。
次、勝てばメダル確実という状況で準決勝、アメリカ戦も臆することなく挑み、前半16分に先制点。
しかし前半41分、44分、後半25分、45分と失点。
試合終了間際に1点を返したものの、2対4で敗北。

ドイツとの3位決定戦戦は、前半から圧倒的に攻め込んだが得点を奪えず、0対0で迎えた後半23分、試合の流れを変えるために丸山桂里奈が投入された。
しかし
「準備運動は疲れるだけで意味がない」
と思い、全く動いていなかった丸山桂里奈は、試合に入ると動きにキレがなく思い通りに走れず、得点を奪うどころか、ドイツに2点を奪われ、0対2で敗北。
試合後、温厚な澤穂希から
「オイッ!
お前さ、もっと走れよ!!」
と激怒され、
「このとき初めて誰にも相談せずに思いつきで行動すると大きなミスを生むことがわかりました」
また日本代表の試合中、得点を狙って敵のゴールポストに隠れていて、試合終了後、怒られ、
「オフサイド」
というルールを理解していないことが発覚。
しかし佐々木紀夫監督は、
「感覚的な選手だから細かいことを教えたら動けなくなる」
と思い、放置した。
これについて丸山桂里奈は、
「そこにボールがあるから蹴っていました」
「ルールを知らなかったところで、ボールを持てばとられることがない」
「サッカーは団体競技なので誰かのために何かをするのは当たり前で、足りないところをチームで補い合うところも魅力」
といっている。

しかし男子代表が3戦全敗に終わったのに比べ、なでしこジャパンは世界ベスト4。
6試合で11得点という攻撃力、しかもひたすら守備を固めてカウンターを繰り出すのではなく、組織的な守備とパスワーク、献身的なランニングで攻勢をとるサッカーは世界から注目を集めた。
決勝戦は、アメリカ vs ブラジルとなり、1対0で勝ったアメリカが驚異のオリンピック3連覇。
この年、マリーゼは5位。
1位は、ベレーザで4連覇を達成した。
ベレーザに所属していた澤穂希は、アメリカのワシントン・フリーダムから国際ドラフト1位で指名を受け、2度目の渡米。
一方、丸山桂里奈は、グローインペイン症候群が再発し、さらに坐骨神経痛併発。
東京の国立スポーツ科学センターでリハビリを行うため、福島を離れる時間が増え、チームとの間に溝が生まれていった。
試合に出られず、チームに貢献できず、肉体的にも精神的にも追い詰められ、結局、シーズン途中にチームメイトへ挨拶することもできないまま、5年間いたマリーゼを退団。
同時に東京電力を退職した。
「東電の社員だったので、待遇は他の社員と同じ。
私は大卒だったから給料は手取りで22万円ぐらいで、その他にボーナスが年3回ありました。
日本の女子サッカー選手は、男子とは違い、働きながらサッカーをしている選手がほとんど。
他のチームには、チームの試合でも休みを取りづらかったり、1日中働いてから夜に練習をするという選手もいました。
ただ私のいたマリーゼでは、勤務は午前中3時間のみ。
午後はサッカーの練習に没頭できたし、試合の次の日は休ませてもらえたりと、とても恵まれていました」

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