その直後、北京オリンピックが始まった。
ここで丸山桂里奈は、同年齢、同ポジションの「アンチ」こと安藤梢と同部屋になり、以降、代表で1番の仲良しとなった。
「同じ部屋でいても、まるで1人でいるような錯覚に陥るくらいお互い、素のままでいられるし、会話があってもなくても平気だし、必要がない。
私にとってアンチは、唯一、目の前でオナラをしても平気な相手」
一緒にいるとあまりに楽なので
「彼氏彼女を超えているよね」
「長年連れ添った夫婦みたいだよね」
といい合っていたが、安藤梢はマイペースなところがあって、例えば眠れないと部屋の電気をつけ、
「寝れないじゃない」
といっても平気な顔をして自分が寝るまで消さなかった。
家に電話していた安藤梢が母親に
「桂里奈ちゃんにかわって」
といわれ、丸山桂里奈がかわると
「桂里奈ちゃん、あそこはパスしたらダメだよ」
といわれ、
(安藤のお母さんに怒られる私って・・・)
と悩んだこともあった。
よく
「何にも考えてなさそう」
「何も悩みがなさそう」
「なんでそんなに明るいの?」
といわれるくらい、いつも明るい丸山桂里奈だが、自分で
「人より涙腺が大きいんじゃないか」
と思ってしまうくらい涙もろい。
悲しいニュースやドラマ、映画、動物モノのドキュメンタリーをみるとすぐに泣いてしまい、周りに、
「そこで泣く?」
といわれてしまう。
自分が浮き沈みが激しいことを自覚し、日本代表にいるときは、
「浮くのはいいが沈むのは許されない」
と決めている丸山桂里奈が気をつけているのが
「たくさん笑うこと」
お笑いDVDは必須アイテムで、特にTKOの木本のファンでDVDを全部持っており、「人志松本のすべらない話」やとんねるずの「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」などもコンプリート。
遠征時には、それを持っていき、ホテルでずっとTKOをみていて安藤梢に、
「なんでそんなにTKOばっかりみてるの?」
とあきれられたが、その後、自分がいないときにTKOのDVDをみている安藤梢を発見し、
「きっとTKOさんのよさがわかったに違いない」
と思った。
北京オリンピックで日本は、予選でグループGに入り、ニュージーランド、アメリカ、ノルウェーと総当たり戦を行った。
第1戦、前半37分、ニュージーランドに先制点を奪われ、後半16分にもPKで追加点を奪われ、0対2。
しかしここから勝負強さをみせた。
後半27分、背番号8、宮間あやがPKをキッチリ決めて、1対2。
後半37分、丸山桂里奈が投入され、攻勢を強め、後半41分、宮間のフリーキックに澤穂希がボレーで合わせて2対2。
土壇場で引き分けに持ち込んで勝ち点1をもぎ取った。
第2戦、FIFA女子世界ランキング1位のアメリカに0対1。
第3戦、前半27分、ノルウェーに先制されたが、4分後に同点。
後半開始直後、相手のオウンゴールで2対1。
さらに大野忍、澤穂希、原歩が決めて、5対1。
グループリーグ3位で予選を突破し、決勝トーナメント初戦(準々決勝)で、開催国の中国と対戦し、完全アウェイで苦戦が予想されたが、2対0で勝利。
すでに世界ベスト4。
次、勝てばメダル確実という状況で準決勝、アメリカ戦も臆することなく挑み、前半16分に先制点。
しかし前半41分、44分、後半25分、45分と失点。
試合終了間際に1点を返したものの、2対4で敗北。
ドイツとの3位決定戦戦は、前半から圧倒的に攻め込んだが得点を奪えず、0対0で迎えた後半23分、試合の流れを変えるために丸山桂里奈が投入された。
しかし
「準備運動は疲れるだけで意味がない」
と思い、全く動いていなかった丸山桂里奈は、試合に入ると動きにキレがなく思い通りに走れず、得点を奪うどころか、ドイツに2点を奪われ、0対2で敗北。
試合後、温厚な澤穂希から
「オイッ!
お前さ、もっと走れよ!!」
と激怒され、
「このとき初めて誰にも相談せずに思いつきで行動すると大きなミスを生むことがわかりました」
また日本代表の試合中、得点を狙って敵のゴールポストに隠れていて、試合終了後、怒られ、
「オフサイド」
というルールを理解していないことが発覚。
しかし佐々木紀夫監督は、
「感覚的な選手だから細かいことを教えたら動けなくなる」
と思い、放置した。
これについて丸山桂里奈は、
「そこにボールがあるから蹴っていました」
「ルールを知らなかったところで、ボールを持てばとられることがない」
「サッカーは団体競技なので誰かのために何かをするのは当たり前で、足りないところをチームで補い合うところも魅力」
といっている。
しかし男子代表が3戦全敗に終わったのに比べ、なでしこジャパンは世界ベスト4。
6試合で11得点という攻撃力、しかもひたすら守備を固めてカウンターを繰り出すのではなく、組織的な守備とパスワーク、献身的なランニングで攻勢をとるサッカーは世界から注目を集めた。
決勝戦は、アメリカ vs ブラジルとなり、1対0で勝ったアメリカが驚異のオリンピック3連覇。
この年、マリーゼは5位。
1位は、ベレーザで4連覇を達成した。
ベレーザに所属していた澤穂希は、アメリカのワシントン・フリーダムから国際ドラフト1位で指名を受け、2度目の渡米。
一方、丸山桂里奈は、グローインペイン症候群が再発し、さらに坐骨神経痛併発。
東京の国立スポーツ科学センターでリハビリを行うため、福島を離れる時間が増え、チームとの間に溝が生まれていった。
試合に出られず、チームに貢献できず、肉体的にも精神的にも追い詰められ、結局、シーズン途中にチームメイトへ挨拶することもできないまま、5年間いたマリーゼを退団。
同時に東京電力を退職した。
「東電の社員だったので、待遇は他の社員と同じ。
私は大卒だったから給料は手取りで22万円ぐらいで、その他にボーナスが年3回ありました。
日本の女子サッカー選手は、男子とは違い、働きながらサッカーをしている選手がほとんど。
他のチームには、チームの試合でも休みを取りづらかったり、1日中働いてから夜に練習をするという選手もいました。
ただ私のいたマリーゼでは、勤務は午前中3時間のみ。
午後はサッカーの練習に没頭できたし、試合の次の日は休ませてもらえたりと、とても恵まれていました」
ケガをした上、所属チームと収入を失った丸山桂里奈は
「本当にピンチ!」
「このままサッカーができないのだろうか?」
と焦ったが、とりあえず目の前の治療とリハビリに黙々とこなした。
そうやって過ごしているうちにアメリカから
「トライアウトを受けないか?」
とオファーが来た。
日本代表として58試合13得点、26歳の丸山桂里奈は、それを受けて合格。
2010年3月、27歳の誕生日に単身渡米し、アメリカ女子サッカープロリーグ「WPS」に参戦しているフィラデルフィア・インディペンデンスに入った。
フィラデルフィア・インディペンデンスは、全員がプロ契約のチーム。
1チーム、外国人選手は5名までというルールがあり、丸山桂里奈は、その1人だった。
アメリカで女子サッカーは、野球、バスケットボール、アメフトに次ぐ人気スポーツだったので、待遇や収入は日本と大きく違った。
「私の場合は、1クール(試合のない期間も含めて約1年間)で1000万円の契約でした。
私はトライアウトを受けた末の契約だったので、普通にプロ契約を結んだ選手なら報酬はもっと高いはず。
代表クラスのスター選手ともなれば、スポンサー契約などもあるので収入は億単位かもしれません」
外国人選手である丸山桂里奈は、チームからホストファミリーが手配され、移動のための車も与えられた。
女子サッカー人気が高いアメリカでは選手の受け入れを歓迎する家庭が多く、丸山桂里奈もホストファミリーから手厚くもてなされた。
ドイツ人の夫、イタリア人の妻は、共に弁護士で、プール、シアタールーム、トレーニングルームがある豪邸に、小学生の姉妹、ラブラドールレトリバーの「ローメン」が一緒に住んでいた。
丸山桂里奈は、豪邸と駐車場を挟んで建つ離れの家を丸々借りて生活し、ホームパーティーをしたり、姉妹に
『カリナ、一緒にサッカーしようよ』
と誘われたり、ローメンも一緒にみんなで海に行ったりして楽しんだ。
日本が組織力重視だったのに対し、アメリカはフィジカルサッカーだった。
アメリカ人選手のスピード、パワーはケタ違いで、練習も超ハードだった。
基礎トレーニングでも、腕立て伏せ100回、腹筋500回など日本なら男子並みのメニューだった。
その上、丸山桂里奈には言葉の問題があり、監督が何をいっているのか、ほとんどわからない。
例えば
「30秒ダッシュして10秒ジョグ」
といっているのはわかっても、それを何分続けるのかはわからない。
ペース配分ができず、終わる頃にはフラフラになるなど練習が手探りとなって一層キツくなった。
「そもそも契約では通訳がつくことになっていました。
でも向こうのスタッフは『そんなことは聞いていない』って。
おまけに背番号は7を希望してたのに11になっていたりして。
まあカズさんが11だからいいかと切り替えましたけど」
ゲームになると状況はさらに厳しくなって、監督のいっていることがわからないので戦術も理解できず、監督が思うように動けない。
理解できずに説明してもらうなど、いろいろなことに時間がかかり、グラウンドでのチームメイトとのコミュニケーションにも問題が起こった。
結果、試合で使われなくなった。
「サッカーをやめてしまいたいと思ったことは1度や2度ではありませんが、最もつらかったのはアメリカのプロリーグ時代です。
なかなか試合に出場させてもらえず悶々とする毎日。
日本のチームでは、全試合スタメン出場が基本だった私にとって、アメリカでの現実は屈辱的でした。
シーズンが終わるのを待たずに日本に帰ることも考えたほどです」
実力で劣る選手が試合に使われ、自分は外されるという異常事態に丸山桂里奈は、毎日、必死に練習。
英語を勉強するために現地の家庭教師を雇ったが、自分の英語よりも家庭教師の日本語の方が上達してしまった。
意思疎通に苦しむ丸山桂里奈をチームメイトのエイミー・ロドリゲスとリンジー・パターソンがサポート。
丸山桂里奈のホームステイ先まで遊びにいって、野球観戦やショッピング、バーベキューに連れ出した。
エイミー・ロドリゲスとは、後にワールドカップの再開。
決勝戦のピッチでアメリカ代表の背番号8をつけたエイミーと目が合うと、ニコッとチャーミングな笑顔で返してくれた。
「人は絶対に1人ではダメ」
という考えを持ち、1人の環境をつくらないためにできるだけたくさんの人とつながるようにしてきた丸山桂里奈は、日本の食材がある店で出会った人から知り合いを紹介してもらい、
「そこからドンドンたどっていった」
するとボランティアで通訳をしてくれる人が現れた。
ホストファミリーの知り合いの秋葉さんには、郊外でトレーナーをしている岸本康平を紹介してもらい、
「岸本くん」
に呼んで、マッサージを依頼。
岸本康平はマッサージの免許は持っていなかったが、丸山桂里奈の頼みをきいたのをきっかけになり本格的に勉強。
後に日本のプロバスケットボールチームのトレーナーとなった。
ドリブルが得意な丸山桂里奈は、ゴール前でボールをもらうとパスをせずに自分でいくことが多かったが、状況によって、より確実に得点が決められると思えばパスすることもあった。
その点、アメリカの選手は強烈で、たとえ自分より味方がいい位置にいても無理やり自分でゴールに持ち込もうとする。
ボールをもらいにいくと思い切り蹴られたり、自分がボールを持っていると味方なのに体をぶつけられて奪われることもあった。
「遠慮してたら永遠にゴールを決められない」
悟った丸山桂里奈は、ボールをもらうとパスをせずに、そのままドリブルしてシュートまでもっていくようにした。
アメリカ人の強引さはプレーだけではなかった。
自己主張が強い人が多く、自分の意見を遠慮なく主張する。
それは相手チームだけでなくチームメイトに対しても、年齢など関係なくストレートに意見をぶつける。
練習中、チームメイト同士で放送禁止用語を連発させて激しく罵り合うなど日常茶飯事。
それは日本でもあることだったが、激しさが違い、
「アメリカ、怖っ」
と思ったが、激しくいい合った後、ピッチを離れれば誰も引きずらず、まったく後腐れがなく、
「切り替え、早っ」
監督に対しても
「なぜ自分を試合に出さないのか?」
と聞くだけでなく
「あの選手を使うより自分を出した方がいい」
と日本では考えられない自己アピールする選手もいた。
丸山桂里奈は、チームメイトを悪くいうことには馴染めなったが、多くの場合、アメリカ人のストレートな自己主張は納得できた。
丸山桂里奈はフィラデルフィア・インディペンデンスに入るときに代理人を務めた男性と交際していた。
「代理人の契約も選手としてしてたし、彼女と彼氏の契約もそのときに結んでいました」
その
「料理が出来なくて掃除もしないような、顔もそんなに格好良くなかった」
という彼氏に酔っぱらったときに
「本当は7人と付き合っていて、君を入れて8人なんだよ」
と8股を暴露され、7人の彼女の写真をみせられた。
そして渡米3ヵ月後、監督から
「このままチームにいても試合には使わない」
といわれ精神的に参ってしまい、どうしたらいかわからず、ワシントン・フリーダムにいた澤穂希に相談。
「やれるだけやった方がいいと思うよ」
といわれ、
「この曲聴いたら前向きになれると思う」
とFUNKY MONKEY BABYSの「大丈夫だよ」を教えてもらった。
「♪君が今何も言えなくて涙を流して
大丈夫 大丈夫 僕も同じような夜を超えてるから
泣きたいときは泣いてもいい その後に笑えれば
大丈夫 大丈夫 涙が全部洗い流してくれるから♪」
曲を聴いた途端、涙があふれ、
「澤さんもこんな心境になったことあるのかな?」
と思うと胸がいっぱいになった。
それからはこの曲を繰り返し聞いて頑張り、少なかったが試合にも出ることができた。
しかしそれから2ヵ月の渡米5ヵ月目に、
「2軍にいくか、契約を打ち切って違うチームにいくか、どちらか選べ」
といわれ、日本に戻ることを決めた。
結局、アメリカにいたのは5ヵ月間。
出場した公式戦は4試合。
悔しくてたまらず、強い挫折感に襲われた。
「同時期にアメリカのプロリーグに在籍されていた澤穂希さんからの激励もあり、何とか最後までやりきることができました。
それでも当時は悔しさしかありませんでしたが、自分の思い通りにならない状況にも耐え抜く粘り強さは、アメリカ時代に身についたように思います。
ましてや、翌年にドイツで開催されたワールドカップでは日本代表に選んでいただき、優勝できたことを思えば、もがき苦しみながらでもやめないことを選んで良かったと心の底から思います。
なのでときどき『どうすれば夢はかないますか?』って聞かれるんですけど、いう質問には「やめないこと」と答えています。
叶う夢もやめてしまったらそこで終わりですから。
「やめないこと」を選んだ人だけが見られる最高の景色、得られる達成感や喜びがあると、私は信じています」
アメリカ挑戦失敗は、帰国後のチーム探しに悪影響を及ぼすと思われたが
「目の前のことに一生懸命」
という信念と自分の可能性を信じた。
するとメニーナでチームメイトだった石田美穂子に
「ジェフレディースがイイと思うよ。
桂里奈に合うと思う」
といわれた。
ジェフユナイテッド市原・千葉レディースは、石田美穂子が4年間いたチームで、丸山桂里奈は連絡を取ってもらった。
3月の終りにアメリカに渡った丸山桂里奈は、9月17日、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースへ入団。
ジェフレディースのチームメイトのほとんどがアルバイトで生計を立てていた。
毎日朝から夕方まで働いて、19時半~22時にハードな練習を行い、24時くらいに帰宅し、翌日も早起きして仕事に行かなければならず、中には練習後、またバイトに行くという選手もいた。
そんな中、
「私は働きたくなかったんです。
サッカーのために仕事をしているはずなのに、仕事で疲れ果ててサッカーどころじゃなくなっている選手をたくさんみてきましたから。
ただ私の場合は実家暮らしだったし、アメリカ時代の貯金もあったので何とかなりましたが、みんな本当にお金に困っていましたね。
一人暮らしだと食べるものにさえ困る生活で、友だちから食料を貰う選手もいたし・・・」
という丸山桂里奈はプロ契約。
フィラデルフィア・インデペンデンスは1シーズン1000万円だったが、ジェフレディースは400万円。
交通費を削るため、電車に使わずに徒歩や自転車で移動するなど節約に努めた。
「日本では400万円でも相当もらってるほうでした。
私はあまり物欲がないので使わないんです。
貯金も得意じゃないんですが、使わないので残るという感じです」
「サッカーの試合では、それが大きな国際大会だったとしても、緊張したことはありませんでした。
別のいい方をすれば、可能な限り備えて緊張しないですむようにしていたともいえます。
練習量や食事内容など、できることは全部やったという状態にしておけば、後は力を発揮するだけなのでワクワクしてきます」
という丸山桂里奈は、独自の食事ルーティンを行っていた。
国内リーグの試合は基本的に日曜日なので、それに合わせて月~木はタンパク質のみ、金、土は白米4、5杯のみ。
「カーボローディング法という、月~木は鶏をそのまま茹でて、金、土は白米だけでエネルギーを溜めた」
体調が悪いときは、
「とにかく刺激のある食事」
と、例えばラーメンに酢を1本を入れて、むせながら食べた。
こういったストイックな食事を続ける一方、
「食べたいものを食べる。
ただし、食べ過ぎない」
という考えも持っていて、
「餃子が食べたいな」
と思ったら、車で宇都宮までいき、
「手羽先が食べたいな」
と思うと名古屋へ。
夜行バスで大阪にタコ焼きを食べにいったり、博多にラーメンを食べにいき、日本代表で海外にいったときは、本当はスタッフがチェックするまで食べてはいけないのに勝手に食べた。
「とにかくおいしいものを食べるためならどこまでも!となって即、行動してしまう」
大事なのは
「安くておいしい」
ということで、甘いものも大好きだがレストランやカフェでスイーツを食べても
「高くておいしいのは当たり前」
と思ってしまう。
それに対してコンビニのプレミアムデザートは
「一生懸命研究して、これほどの味をつくったんだ」
「この味をこの値段で食べられるなんて」
と感動し、幸せな気持ちになれ、
「苦労して開発されたのだから・・・」
ととりあえず全部買ってしまう。
「新発売とかにも敏感です。
コンビニで、すぐに見つけて買うみたいな。
そういうのにはすごい敏感です」
デパ地下も大好きで、セール品、限定品には目がなく、たとえファンに気づかれても、かまわず試食。
地元のスーパーも大好きで、店先でたい焼きの屋台などが出ていれば大量に買ってしまい、店内では半額になったもの探し回った。
「恥ずかしいとかまったくなくて、普段食べてるおいしいものが半額だったら喜んで買います」
ジェフレディースの監督は、元選手の上村祟士。
身長が190㎝以上あったので
「ジャンボさん」
と呼ばれていた。
丸山桂里奈は、新しいチームで初心に帰ってサッカーに打ち込んでいたが、相変わらずケガに悩まされていた。
練習のキツさに定評があるジャンボ監督は、丸山桂里奈に、通常の練習が始まる前に20㎞走るように命じた。
バスで練習に向かうとき、丸山桂里奈だけ蘇我のユナイテッドパーク(男子チームの練習場)で降ろされ、新習志野の女子の練習場まで走り、クタクタになった体でチーム練習を開始。
練習試合のときは、1試合目、2試合目をずっとグラウンドの外周を走り、3試合目に出場した。
「ジャンボさんがいいというまで、ひたすら走り続けることもありました。
そしてたまに私を走らせていることを忘れることがありました」
つらくて走りながら涙が出てくることもあったが確実に効果はあり、身体が絞れ、動きにキレが出てきた。
なでしこリーグ1部リーグで戦うジェフユナイテッド市原・千葉レディースは、丸山桂里奈が入って2ヶ月後、7位でシーズンを終了。
この年、日本代表(なでしこジャパン)は、
1月、BICENNTENIAL WOMAN'S CUP
2月、東アジアサッカー選手権(連覇)
5月、AFC女子アジアカップ(4位)
11月、アジア選手権(初優勝)
があったが、丸山桂里奈が呼ばれることはなかった。
ジェフレディに入った翌年の3月11日、東日本大震災が発生。
翌12日、福島第一原子力発電所1号機が爆発を起こし、14日には3号機も爆発が発生。
丸山桂里奈は、東京電力社員時代、上司だった吉田昌郎が、現場から逃げずに原子炉の暴走をギリギリで回避させたのを知った。
4月3日開幕予定だったなでしこリーグは(同月24日まで)延期。
かつて所属していた、原発事故現場を本拠地とするマリーゼは、リーグ戦を辞退。
ジェフレディーも千葉の練習場に液状化現象が発生し、節電でナイター練習ができないので、平日はフィジカルトレーニングをして、週末の昼にゲーム形式の練習をすることが多かった。
丸山桂里奈は、福島にいる人々のことを心配しながら、毎日20kmの走り込みを続けた。
「東北が震源地と聞いて最初に思ったのが、以前の職場である東京電力福島第一原子力発電所にいるお世話になった方々の安否でした。
なかなか連絡がとれない不安な状態が続く中、物資の支援などできることを模索する日々が続き、もどかしい思いをしたのを覚えています。
すでにワールドカップドイツ大会が約3ヶ月後に迫っていましたが、当時私が暮らしていた千葉県でも地面の液状化現象などで、満足な練習ができない状態が続いていました。
東北が大きな悲しみに包まれている中、自分たちに何ができるのか。
今まで通りサッカーをしていてもいいのか。
無力さや葛藤にもがきながら、初めてサッカーを見つめ直すきっかけになりました。
ワールドカップに出場して、東北の皆さんや福島の皆さんに元気を出してほしいという気持ちで、毎日トレーニングに打ち込みました」
ワールドカップに向けて準備を進めていた日本代表監督、佐々木則夫は、ジェフレディースの練習試合を視察し、丸山桂里奈のをみて
「90分間動けるようになった」
と感じた。
「各クラブを回って選手の状況を確認していました。
そんな中、特に変化が感じられたのが丸山桂里奈。
もともとスピードはあったけれど、スタミナに難があったから、彼女には『今のままだとメンバーに残れないよ』と伝えていたんです。
ところが練習試合をみたら、課題のスタミナ不足を克服してガンガン走れていたんです」
試合後、佐々木則夫に、そのことを指摘され、丸山桂里奈は、
「私はサッカーでしか返せないから」
と答えた。
佐々木則夫は、ワールドカップ直前の5月に行われるアメリカ遠征に丸山桂里奈を連れていくことにした。
世の中が『サッカーどころではない』という状況の中、なでしこジャパンは記者会見を開かずにアメリカ遠征に出発。
しばらく代表から遠ざかり、久々に「日本代表候補」として合流した丸山桂里奈は、このアメリカ遠征がドイツワールドカップのメンバーに選ばれるために自分をアピールする最後のチャンス。
しかし試合に出られたのは、30分だけ。
アメリカ戦の後半18分から出場し、自分が持っている力を出そうと積極的に仕掛けた。
結局、なでしこジャパンは、アメリカと2回対戦し、いずれも0対2で敗北。
しかし丸山桂里奈は、
「ワールドカップで優勝したい」
といった。
「サッカーで日本に元気を送りたい」
というのが、その理由だったが、その思いはチームに広がった。
「特に私は福島のチームに在籍していたこともあったから、よりみんなのためにっていう思いが強くて・・・
非常時って自分のためには頑張れないけど、大切な人のためには頑張れるんですね」
帰国直後の6月、ドイツワールドカップの代表メンバーが発表。
丸山桂里奈は、貯金が底をつき
「そろそろ働かないとヤバい」
と思い始めたときに北京オリンピック以来1年9ヶ月ぶりに「日本代表」に選ばれた。
8月、岡山県美作市で合宿。
練習グラウンドには連日、何千人もの人がやってきた。
最終日、雷雨となって練習試合が一時中止となった。
佐々木則夫が
「雨が上がるまで、せっかく観に来ていただいたたくさんの皆様に何かしないと」
といい出し、土砂降りの中、ヘッドスライディングすることが決まった。
(ヤバイ)
丸山桂里奈は逃げて隠れたが、みんなに
「なにもしないからおいで~」
と呼ばれ、年下の大野忍に
「カリ、行け!」
と命令され、佐々木則夫をみると
「やるからにはしっかりやれ」
といわれ、
(こういうことは若い選手がやるもんじゃないかな?)
と思いながらグラウンドへ。
そして8000人の観客が見守る中、2回ダイブし、チームのために体を張った。
しかしなでしこジャパンに対する期待はあまり高くなかった。
「愛媛で壮行試合をやって、それから名古屋経由でワールドカップに向かうときも、同行した記者は3、4人くらいでしたかね。
団体のお客さんから『何のチームですか?』と聞かれて、『なでしこジャパンです』って答えたら『ああ、バレーボールね』といわれましたよ」
(佐々木則夫)
丸山桂里奈は、オシャレが好き。
「いい下着やお気に入りの下着をつけていると外からはみえなくても1日中気分よく過ごせる」
といい、大きな大会ではアメリカンイーグルというブランドを勝負下着と決め、試合に勝ったら替えずに連続して着用。
髪型はオデコ全開のポニーテールだが、髪を結ぶシュシュも「勝負シュシュ」があった。
爪は伸ばすことはできないが
「短い爪でもゴツい手でも関係ない」
と月一でネイルサロンに通い、バレンタインデーはハートとチョコレート、夏はスイカやヒマワリやセミ、クリスマスは星やツリーと季節のイベントをテーマにデザインをチェンジしていた。
ドイツに行く前、「T」「K」、そして「♡(ハートマーク)」が入ったネイルをブログにアップし、
「TKって彼氏のイニシャル?」
と話題となり、澤穂希からは
「桂里奈の彼氏の名前、タナカ・ケンジでしょ」
とイジられたが、それは両親のイニシャルだった。
丸山桂里奈は、両親を
「世界一大切な人たち」
と思っていて、
「不倫カップルと間違えられたら困るね」
などといいながら父親と腕を組んで出かけ、よりかかりながら寝転んでテレビ鑑賞。
母親も基本的に
「将来は、お母さんみたいになりたいな」
と思っていたが、1つだけ困っていることがあった。
「母は、キッチリした人だけにすごく口うるさいんです。
それも日常生活に関することならまだわかりますが、プレーにガンガン、ダメ出ししてくるんです。
例えばドリブルで競って澤さんにパスを出したとき、電話で『どうして自分で行かなかったの!あそこは行かなきゃダメでしょ!!フォワードなんだから!!!』ってプンプンしながらしつこくいわれました」
2011年6月26日~7月17日、ドイツの9都市でFIFA女子ワールドカップが開催。
出場したのは各大陸の予選を勝ち抜いた15ヵ国+開催国の16ヵ国。
世界一の座を争う戦いは、まず4チームずつ4グループに分けられ、総当たりで予選グループリーグを戦い、予選通過国による決勝トーナメントが行われる。
優勝候補筆頭は、アメリカ。
FIFA世界ランキング1位、過去5回行われた同大会で2度優勝。
続いてドイツ。
FIFA世界ランキング2位、前回大会優勝国であり、アメリカ同様、過去2度優勝。
そして初の世界一を狙うサッカー大国、ブラジルが、それに続いた。
日本は、FIFA世界ランキング4位。
過去5大会に5回出場。
しかし最高順位はベスト8。
世界トップクラスの一角に位置しているものの、優勝候補とはいい難い存在で、優勝オッズは約15倍だった。
なでしこジャパンは予選グループリーグで
ニュージーランド
メキシコ
イングランド
と同組に入った。
6月27日、高さとパワーのあるニュージーランド戦。
前半6分に先制し、すぐに追いつかれたが後半23分、宮間あやが決勝点を叩き込み、1対0で逃げ切った。
なでしこジャパンは、試合後、
「To Our Friends Around the World.
Thank You for Support.」
と書かれた横断幕を掲げて場内を一周。
世界中に人たちに大震災に見舞われた日本を支援してくれたこと、自分たちがワールドカップに参加してサッカーができること、そしてすべての人々に向けての感謝の気持ち、
「ありがとう」
というメッセージだったが、これは大会中、毎試合行った。
また大会中、なでしこジャパンは試合が終わった直後、試合に出なかった選手がピッチに出て、短時間ながら練習を行った。
「日本は勝利の歓喜の後になぜ再びネジを巻き直すのか?」
と不思議がる海外メディアもいたが、居残り練習でも罰ゲームでもレクリエーションでもなく、次の試合に起用されたときに最高のプレーをするため、そしてレギュラーの座を奪うための真剣な練習だった。
7月1日、第2戦、メキシコ戦を佐々木則夫監督は
「守備はそれほど強くはないが攻撃になると物おじしないで仕掛けてくるので冷静な対応が必要」
と分析。
選手たちは落ち着いて試合を運び、
前半13分 澤穂希
前半15分 大野忍
前半39分 澤穂希
後半35分 澤穂希
と澤穂希のハットトリック(1試合3得点以上)もあって4対0。
7月5日、第3戦、イングランド戦。
すでに予選突破を決まっている日本は、立ち上がりから、らしくない消極的なプレーを連発。
パワーに対してスピードとパスワークで崩す本来のサッカーではなく、相手にプレッシャーをかけられると焦ってボールを前線に蹴って、奪われるを繰り返し、イングランドに押され、前半15分後半21分に失点し、0対2と完敗。
グループリーグ2位で予選を通過し、決勝トーナメント進出を決めたが、もしイングランドに勝っていれば、4日後に行われる1回戦相手は、自分たちよりランキング下位のフランスだったが、負けたことで過去の対戦成績が0勝1分7敗のドイツになってしまった。
誰もがフランスと戦いたいと思っていたので、口にはしないものの、
「終わった」
と思うメンバーも多かった。
とんでもない相手に、丸山桂里奈もかなり凹んだ。
「ここで勝っていれば次はフランスと対戦だったんですよ。
当時のフランスはそれほど強豪ってわけじゃなかったのに比べて、ドイツはオリンピックでも金メダルを獲っていたし、さらに自国開催のワールドカップでぶっちぎりの優勝候補だったから、強かったです」
イングランド戦後、チームの空気は一気に悪化。
宿舎の食事会場でドイツチームとニアミスし、
「隣に座ったドイツは、もう勝ったも同然という感じで余裕いっぱい。
一方、こちらは暗ーい雰囲気で会話もまばらに食事をしていた」
そしてなでしこジャパンは、監督の佐々木紀夫が
「内紛寸前」
と心配するほど選手同士が激しく意見をぶつけ合った。
「意見をぶつけ合ったというか、まあ怒られたんです。
せっかくサブ(控え選手)が入っても、流れが変わらない、シュートは打たない.
そりゃ怒りたくもなるって思いました。
みんなイングランド相手に想定と違う戦い方になっちゃったから、サブはサブで『次はしっかり役目を果たそう!』って一致団結したんです。
あそこでサブも吹っ切れた感じでした」
ドイツ国内9ヵ所で行われるワールドカップ。
日本 vs ドイツ試合は、ヴォルフスブルクのフォルクスワーゲン・アレーナで行われ、なでしこジャパンはドイツと同じホテルに泊まっていた。
街中が、もうドイツ優勝みたいな雰囲気だったが、メンバーの1人が
「いいホテルに泊まって、Wi-Fiも使える。
それだけでもよかったと思おう」
というとみんな大笑い。
開き直ったなでしこ21名は、本当はしてはいけないが、
「ホテルを抜け出してケルンの大聖堂に行きました」
そして
「大舞台で開催国をヤッてやろう」
という気になった。