東宝の看板女優、内藤洋子さん。アイドル女優としてデビュー以来人気を二分した酒井和歌子さんのライバル。

東宝の看板女優、内藤洋子さん。アイドル女優としてデビュー以来人気を二分した酒井和歌子さんのライバル。

1966年、テレビドラマ『氷点』に主演して瞬く間にアイドル女優として一世を風靡する内藤洋子さん。彼女のデビュー作や映画『その人は昔』『伊豆の踊り子』など代表作の見所を振り返っていきましょう。


内藤洋子 1960年代の東宝の看板女優・アイドル女優・歌手

内藤 洋子(ないとう ようこ、1950年5月28日 - )はかつて東宝の専属だった女優。

茨城県神栖市に生まれ、北鎌倉で育った、4人姉妹の3番目。父は開業医、伯母はダンサーの和田妙子。
鎌倉市立御成小学校5年生の時に学校へエースコックのワンタンメンのCM撮影隊が訪れ、その事がきっかけで雑誌『りぼん』のモデルを始めるようになり、北鎌倉女子学園在学中の1965年、黒澤明監督の『赤ひげ』の「まさえ」役でデビューする(黒澤の長女黒澤和子が『りぼん』を定期購読していた。黒澤は表紙のモデルをしていた彼女に目を付け、オーディションを受けるよう勧めたのがきっかけである。最終選考に残ったもう一人が酒井和歌子。黒澤は最後までどちらにするか迷い、チーフ助監督など主要スタッフ数人の投票で決めようとしたものの、同数であったために決められなかった。最終的には二人の写真を長男の黒澤久雄に見せた結果、久雄の選んだ内藤に決めた)。

翌1966年、テレビドラマ『氷点』に主演、また、恩地日出夫監督の『あこがれ』に主演し、ゴールデン・アロー賞などを獲得、瞬く間にアイドルとして一世を風靡する。

歌手としても活躍し、松山善三監督の『その人は昔』(1967年)の挿入歌、「白馬のルンナ」は50万枚の大ヒットとなった(娘の喜多嶋舞がTBS系「クイズダービー」にゲスト出演した際(第774回、1991年2月9日放送分)に歌詞問題で使われた。しかし舞は指名されたものの不正解だった)。

やがてテレビドラマ『氷点』が高視聴率を続けたことで遊覧コースとして観光バスが自宅前を通過する程の事態となる(『あちらに見えますのはドラマ『氷点』で陽子を演じている内藤洋子さんのご自宅でございます』)。

その後も『伊豆の踊り子』、『年ごろ』、『地獄変』などの作品に出演し人気を博した。一つ年上の酒井和歌子と同時に青春スターとして東宝は売り出しを図っていたが、内藤洋子の方が売れるのが早かった。しかし、1969年に差し掛かると酒井和歌子へアイドルとしての人気は逆転する。

1970年に音楽家の喜多嶋修と結婚して芸能界を完全引退した。
女優の喜多嶋舞は長女。舞が二歳の頃(1974年頃)、家族共々アメリカ・カリフォルニア州に移住した。喜多嶋との間には舞のほか渡米後に出生した長男と次女がいる。
その後は喜多嶋洋子(きたじま・ようこ)として絵本などを発表している他、時折テレビにも出演している。
(出典:Wikipedia)

内藤洋子

内藤洋子さんの長女は女優の喜多嶋舞。現在は、喜多嶋洋子(きたじま・ようこ)として絵本などを発表している他、時折テレビにも出演している。

黒澤明の娘が少女雑誌「りぼん」の定期購読者で、黒澤が表紙モデルの内藤洋子に目を付けたのが「赤ひげ」出演のきっかけだったとか。

黒澤明監督の映画「赤ひげ」(1965年)の「まさえ」役でデビューする

『赤ひげ』(あかひげ)は、1965年(昭和40年)4月3日に東宝が封切り公開した日本映画である。
監督は黒澤明。『姿三四郎』以来24本目の作品。185分、白黒、東宝スコープ作品。

江戸時代後期の享保の改革で徳川幕府が設立した小石川養生所を舞台に、文政年間の頃にそこに集まった貧しく病む者とそこで懸命に治療する医者との交流を描く。決して社会に対する怒りを忘れない老医師の赤ひげと、長崎帰りの蘭学医である若い医師との師弟の物語を通して、成長していく若い医師と底辺で生きる人々の温かい人間愛を謳いあげた映画である。

黒澤ヒューマニズム映画の頂点ともいえる名作とされ、国内のみならず、海外でもヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジュ賞などを受賞した。
(出典:Wikipedia)

黒澤明監督の映画「赤ひげ」(1965年)の「まさえ」役でデビュー

小石川養生所の新米医師「保本登」(演:加山雄三)の元許嫁「天野ちぐさ」(演:藤山陽子)の妹「まさえ」役を初々しく演じている。

「保本登」は成長し、自分を裏切った「天野ちぐさ」(演:藤山陽子)を許し、妹「まさえ」と結婚する

「保本登(演:加山雄三)」は、「ちぐさ(演:藤山陽子)」の妹である「まさえ(演:内藤洋子)」と夫婦になる

テレビドラマ『氷点』(1966年)「辻口陽子」役 内藤洋子 当時15歳

1966年1月23日 - 4月17日、NETテレビ(現:テレビ朝日)で連続ドラマ化(2006年11月8日からCS放送のテレ朝チャンネルで再放送)。放送時間(日本時間)は毎週日曜22:00 - 23:00。出演は新珠三千代、内藤洋子、芦田伸介、市原悦子、田村高廣、北村和夫。

新珠三千代が継子・陽子いじめの悪女・夏枝を演じ演技派女優としての評価を高めた。徹役を務めた岸田森が、この作品でTV本格デビュー。最終回の視聴率が42.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)という大ヒット作となった。

北海道では、当時北海道テレビ放送が未開局(1966年当時の既存局は北海道放送と札幌テレビ放送の2局のみ)のため、本来の放送時間帯とは異なる日曜日の昼過ぎの放送だったが、非常な人気を博し、その時間帯には目に見えて外出する人が少ないとさえ言われた。
(出典:Wikipedia)

テレビドラマ『氷点』(1966年)辻口陽子(演:内藤洋子)

『氷点』(ひょうてん)は、クリスチャン作家三浦綾子の小説。『朝日新聞』朝刊に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載され、続編の『続氷点』が1970年5月12日から1971年5月10日まで連載された。なお、挿絵は福田豊四郎が担当した。
1963年に朝日新聞社が、大阪本社創刊85年、東京本社創刊75周年を記念する事業として懸賞小説を募集した時の入選作品である。賞金は当時としては破格の1千万円であり、募集要領には「既成の作家、無名の新人を問わない」とあったが、実際に無名であった三浦の作品が入選したことは大きな話題となった。連載終了直後の1966年にテレビドラマ化および映画化され、以降繰り返し映像化されている。

継母による継子いじめ、義理の兄妹間の恋愛感情などの大衆的な要素を持つ一方、キリスト教の概念である「原罪」が重要なテーマとして物語の背景にある。続編のテーマは罪に対する「ゆるし」であり、これらのテーマには三浦の宗教的な立場が色濃く反映されている。
(出典:Wikipedia)

内藤洋子の「氷点」

(『氷点』)昭和21年(1946年)、旭川市在住の医師辻口啓造は、妻の夏枝が村井靖夫と密会中に、佐石土雄によって3歳の娘ルリ子を殺される不幸に遭う。啓造は夏枝を詰問することもできず、内に妬心を秘める。ルリ子の代わりに女の子が欲しいとねだる夏枝に対し、啓造はそれとは知らせずに殺人犯佐石の娘とされる幼い女の子を引き取る。女の子は陽子と名付けられ、夏枝の愛情を受けて明るく素直に育つ。

陽子が小学1年生になったある日、夏枝は書斎で啓造の書きかけの手紙を見付け、その内容から陽子が佐石の娘であることを知る。夏枝は陽子の首に手をかけるが、かろうじて思いとどまる。しかし、もはや陽子に素直な愛情を注ぐことが出来なくなり、給食費を渡さない、答辞を書いた奉書紙を白紙に擦り替えるなどの意地悪をするようになる。

一方の陽子は、自分が辻口夫妻の実の娘ではないことを悟り、心に傷を負いながらも明るく生きようとする。
辻口夫妻の実の息子である徹は、常々父母の妹に対する態度を不審に思っていたところ、両親の言い争いから事の経緯を知る。両親に対するわだかまりを持ちつつ、徹は陽子を幸せにしたいと願う。

その気持ちは次第に異性に対するそれへと膨らむが、陽子のために自分は兄であり続けるべきだという考えから、大学の友人である北原邦雄を陽子に紹介する。
陽子と北原は互いに好意を持ち、文通などで順調に交際を進める。しかし、陽子が高校2年生の冬、夏枝は陽子の出自を本人と北原に向かって暴露し、陽子は翌朝自殺を図る。その騒動の中、陽子の本当の出自が明らかになる。

表題の「氷点」は、何があっても前向きに生きようとする陽子の心がついに凍った瞬間を表している。その原因は、単に継母にひどい仕打ちを受けたという表面的なものではなく、人間が生まれながらにして持つ「原罪」に気付いたことであると解釈される。
(出典:Wikipedia)

夏枝に虐められながらも、純粋に育った陽子

陽子は中学の卒業式で総代として答辞を読むことになるが、夏枝はその原稿を白紙にすり替える。一瞬、壇上で動揺する陽子だが「世の中には思いも寄らぬ出来事がある。どんなに意地悪をされても笑って生き抜く勇気を持ち続けたい」と語り、絶賛を浴びる。

陽子は中学の卒業式で総代として答辞を読むことになるが・・・

恩地日出夫監督の映画「あこがれ」(1966年)に「西沢信子」役で出演、ゴールデン・アロー賞などを獲得

内藤洋子さんは、恩地日出夫監督の映画「あこがれ」にヒロインの西沢信子として出演し、ゴールデン・アロー賞などを獲得、瞬く間にアイドルとして一世を風靡する。

母親が再婚するため「あかつき子供園」に預けられた一郎は、平塚の老舗でセトモノ屋の吉岡家に貰われ、立派な若旦那に成長した。しかも、“貰い子”とも思われないような親子仲の良い家庭で、両親は一郎の嫁探しで懸命であった。

一郎が十九歳になった信子と再会したのは、ちょうど、このような時期であった。信子も「あかつき子供園」の出身で、一郎とは特に仲の良い子供であった。幼い頃を懐しむ二人は、子供園を訪れ、二人の親代りともいうべき先生水原園子に逢い、楽しい一時を持った。信子には酒飲みの父親恒吉がいて、信子の勤め先に現われては前借りをして行くので信子は勤め先を転々と変り、いま平塚に流れて来たということだった。

毎日のように逢う二人はいつしか愛し合うようになった。しかも一郎は、信子との結婚を決意、そのことを両親に打開けた。この一郎の話は父親の怒りを買った。それを知った信子は、一郎の家庭を思い、勤め先を平塚から横浜に変え、一郎のもとを去った。

一郎の悩む姿に母親は“もう一人の子供が出来たと思えばいいじやないですか”と父親をといた。そんな時「あかつき子供園」に一郎の生みの母親すえが訪ねて来た。再婚した先の家族と共にブラジル移民で出発することを告げに来たのだ。園子からこの知らせを聞いた一郎の両親は、逢うことを遠慮する一郎に“生みの親に逢いたくないなんて人間じゃない”と励まし、一郎を横浜大桟橋へ送り出してやるのだった。

園子はまた横浜にいる信子にもこの事を知らせた。出発間際の桟橋で、一郎はやっと船の上から一郎を探すすえを見つけた。“一郎ッ”“お母さん”と呼び合う親子を包むテープの嵐--そこへ信子も園子先生もかけつけた。

(出典:(c)キネマ旬報社「あこがれ(1966)」)

映画「あこがれ」(1966)のストーリー

映画「あこがれ」(1966年)西沢信子(演:内藤洋子)撮影現場の写真

映画『伊豆の踊り子』1967年 薫(踊子):内藤洋子

『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、1967年(昭和42年)制作の日本映画。川端康成の同名小説の5度目の映画化作品である。主演は内藤洋子と黒沢年男。

『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、川端康成の短編小説。川端の初期の代表的作品で、19歳の川端が伊豆に旅した時の実体験を元にしている。

孤独や憂鬱な気分から逃れるために伊豆へ一人旅に出た青年が、湯ヶ島、天城峠を越えて下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と、彼女との悲しい別れまでが描かれている。

「伊豆の踊子」のあらすじ
20歳の一高生の「私」は、自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れず、一人伊豆への旅に出る。「私」は道中で出会った旅芸人一座の一人の踊子に惹かれ、彼らと一緒に下田まで旅することになった。一行を率いているのは踊子の兄で、大島から来た彼らは家族で旅芸人をしていた。「私」は彼らと素性の違いを気にすることなく生身の人間同士の交流をし、人の温かさを肌で感じた。そして踊子が「私」に寄せる無垢で純情な心からも、「私」は悩んでいた孤児根性から抜け出せると感じた。

下田へ着き、「私」は踊子やその兄嫁らを活動(映画)に連れて行こうとするが、踊子一人しか都合がつかなくなると、踊子は母親から活動行きを反対された。明日、東京へ帰らなければならない「私」は、夜一人だけで活動へ行った。暗い町で遠くから微かに踊子の叩く太鼓の音が聞えてくるようで、わけもなく涙がぽたぽた落ちた。

別れの旅立ちの日、昨晩遅く寝た女たちを置いて、踊子の兄だけが「私」を乗船場まで送りに来た。乗船場へ近づくと、海際に踊子がうずくまって「私」を待っていた。二人だけになった間、踊子はただ「私」の言葉にうなずくばかりで一言もなかった。「私」が船に乗り込もうと振り返った時、踊子はさよならを言おうしたようだが、もう一度うなずいて見せただけだった。船がずっと遠ざかってから踊子が艀で白いものを振り始めた。

「私」は伊豆半島の南端がうしろに消えてゆくまで、ずっと沖の大島を一心に眺めていた。船室で横にいた少年の親切を「私」は自然に受け入れられるような気持になり、泣いているのを見られても平気で、涙を出るに委せていた。「私」の頭は澄んだ水のようになって、それがぽろぽろと零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。
(出典:Wikipedia)

伊豆の踊子(1967年)薫(踊子):内藤洋子

14歳。当初「私」には17歳くらいに見える。旅芸人一座の一員。古風に結った髪に卵形の凛々しい小さい顔の初々しい乙女。若桐のように足のよく伸びた白い裸身で湯殿から無邪気に手をふる。五目並べが強い。美しい黒髪。美しく光る黒眼がちの大きい眼。花のように笑う。尋常小学校二年までは甲府にいたが、家族と大島に引っ越す。小犬を旅に同行させている。
(出典:Wikipedia)

踊子(薫):内藤洋子

「私」は道中で出会った旅芸人一座の一人の踊子に惹かれ、彼らと一緒に下田まで旅することになった。

主人公「私」は無垢で純情な心を持つ踊子の少女(内藤洋子)に淡い恋心を抱いていく

「私」は彼らと素性の違いを気にすることなく生身の人間同士の交流をし、人の温かさを肌で感じた。

孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく

東京へ帰らなければならない「私」は、踊り子の少女との悲しい別れを迎えるが、「私」の心は水のように澄んでいた。

映画「その人は昔」 1967(昭和42)年7月1日公開 

『心のステレオ・その人は昔-東京の空の下で-』(こころのステレオ そのひとはむかし とうきょうのそらのしたで)コロムビア・レコードから出したレコードドラマであり、後に映画化、漫画化された。

舟木一夫のデビュー三周年で出された音楽物語という企画レコードが異例のヒットで実写による映画にまでなったと言う作品。北海道の百人浜で出会った純朴な若い男女二人が希望を求め東京へ駆け落ちするも冷たい都会に翻弄される物語。

映画の主演は舟木一夫と内藤洋子。映画版では役名は無く全て青年、少女、あいつと代名詞で呼ばれ、漫画版では青年を「一夫」と少女を「洋子」とした。

(映画「その人は昔」のあらすじ)
北海道の襟裳で青年と一人で家を支える少女は出会い、乗馬を通じて恋に落ちるも二人とも貧しい生活で少女は飲んだくれの父親と母親の面倒と生活も見なければならなかった。二人は田舎での生活に耐えかね東京へ駆け落ち上京。

青年は地下の印刷工場、少女は会社地下の喫茶室で働き始め、夜間大学での授業、日曜のデートで逢瀬を重ねていくが排気ガスと汚染された川、ほとんど日を浴びない生活、そして何より冷たい都会の環境に馴染めず友もなく、いつしか心は荒み北海道が恋しくなっていく少女の前にシティボーイの「あいつ」との出会いで裕福な生活と贅沢の味を覚えた少女は青年を拒絶するように彼の下を去っていく・・・
(出典:Wikipedia)

映画「その人は昔」

青年:舟木一夫、少女:内藤洋子

少女:内藤洋子

少女は“あいつ”と呼ばれる男のスポーツカーに乗って走っていた。少女の髪型や衣裳は、以前のつつましいものから、派手なものに変っていた。少女は、求めていた幸せとは金であり豪華な服だと思うようになったのだ。

しかし、“あいつ”はやがて新妻を連れて少女の前に現われると、十万円を渡し、アメリカに行ってしまった。傷ついた少女は青年と会った。少女の心にはやすらぎが戻り以前の純真な少女に帰った。

だが“あいつ”とのことは記憶から消えるはずもなく、翌日、少女はボートで羽田沖に出て再び帰らなかった。その頃、青年は輪転機に指をかまれ、病院の一室で、少女に会わなければならないと呼びつづけていた。

(出典:(c)キネマ旬報社「その人は昔」)

少女:内藤洋子

松山善三監督の『その人は昔』(1967年)の挿入歌、「白馬のルンナ」は50万枚の大ヒットとなった

内藤洋子さんは歌手としても活躍。映画『その人は昔』(1967年)の挿入歌、「白馬のルンナ」は50万枚の大ヒットとなった

映画「兄貴の恋人」(1968年)北川節子(演:内藤洋子)

『兄貴の恋人』(あにきのこいびと)は1968年9月7日に公開された日本映画。カラー、シネマスコープ。84分。

「主なキャスト」
北川鉄平:加山雄三
北川節子:内藤洋子
野村和子:酒井和歌子
北川銀作:宮口精二
北川加代:沢村貞子
小畑久美:岡田可愛
中井緑:中山麻理
西田京子:豊浦美子
玲子:白川由美
(出典:Wikipedia)

東宝映画「兄貴の恋人」の出演の加山雄三(31歳)、酒井和歌子(19歳)、内藤洋子(18歳)

女子大生の節子(演:内藤洋子)は、兄の鉄平(演:加山雄三)のことになると箸の上げ下しにまで口を出す。だから、鉄平に縁談がおきると、本人よりも目の色を変え、結局、相手に散々ケチをつけてぶちこわしてしまうのだった。

そんなある日、商事会社に勤める鉄平は、辞職する女子社員の和子(演:酒井和歌子)の送別会に、プレゼントのブローチを買ったのだが、麻雀に誘われて和子に手渡すのを忘れてしまった。和子の代りに転属されてきた久美(演:岡田可愛)は節子の友だちで、節子は鉄平の動静を逐一、知ることができた。

酔っばらいにからまれていたのを鉄平が救った美人、京子のことも、鉄平を好いているバーのマダム玲子(演:白川由美)のことも、節子には筒抜けだった。

しかし、彼女は兄との仲が急速に進んでいる女性、緑(演:中山麻理)のことは知らなかった。偶然、プールで仲良く泳ぐ鉄平と緑を見た節子は、緑に対して初めて女の嫉妬を感じた。一方、鉄平の方は金持ちで美人の緑を結婚の対象に考え始めていたが、急に和子のことを思い出した。

そして、月並みなブローチを高価なハンドバッグに代えて、和子に贈った。そのころ、彼にアメリカ行きの話が持ち上った。その時になって、鉄平は和子に求婚したが和子はそれを断った。

母も、もちろん節子もこの結婚に反対だったので、鉄平は一応は諦めはしたものの、やはり和子のことが心に残る。彼は再び求婚したが、和子はかたくなに鉄平の申し出を断るのだった。そんな鉄平を見ていた節子は、鉄平が真剣になっていることを知った。

そして妹として初めて兄のために尽くそうと決心したのだ。鉄平が出発する直前まで、節子は和子に会い、鉄平と結婚するよう説得し、とうとう承諾させたのだった。
(出典:(c)キネマ旬報社「兄貴の恋人」)

映画「兄貴の恋人」(1968年)のストーリー

北川節子(演:内藤洋子)は、金持ちで美人の中井緑(演:中山麻理)に対して女の嫉妬を感じる。

野村和子(演:酒井和歌子)は北川鉄平(演:加山雄三)からの結婚の申し出に、戸惑っていた。和子の弟はやくざ者で借金だらけ、母は病気で伏せっている、こんな家庭事情を背負う彼女は、鉄平と一緒になれないという思いが強かったのだ。

映画「華麗なる闘い」 (1969年) 清家隆子(演:内藤洋子)

有吉佐和子原作の『仮縫』を、「恋にめざめる頃」の大野靖子が脚色し、監督は「街に泉があった」でデビューした浅野正雄。撮影は、「俺たちの荒野」の中井朝一。

清家隆子:内藤洋子
松平ユキ:岸惠子
松平信彦:田村正和

(出典:(c)キネマ旬報社「華麗なる闘い」)

映画「華麗なる闘い」1969年9月10日公開 清家隆子(演:内藤洋子)

投げ捨てられる待ち針を、馬蹄型の磁石を使って拾う清家隆子(内藤洋子)

映画「華麗なる闘い」清家隆子(演:内藤洋子)

清家隆子(演:内藤洋子)は、戸田洋裁学院の中からスカウトされ、高級洋装店「パルファン」に、勤めることになった。その経営者は、パリ帰りの松平ユキ(演:岸惠子)。

そこで隆子は、パルファン式の特殊な採寸裁断等に感嘆の目をみはった。しかし、最も隆子を魅了したのは、ルイ王朝風の豪華な「お店」そのものだった。「このお店を自分のものにしたい!」という隆子の願いは、いつしか決意へと変わっていった。

そんな折ユキが経営不振をよそに、パリへと旅だった。後を託され張り切った隆子は、新企画をうち出し、その成功によって、一躍ファッション界の新星として、脚光を浴びるようになった。そして隆子にも、自分自身のファッション・ショーを開ける日が来た。

そのショーの前日隆子はユキ急拠帰国の報を受け取り、一抹の不安を感じた。不安は的中した。滞仏作品特別ショーと銘うったユキのショーは、漸新なデザインで、隆子を圧倒した。

うちのめされた隆子を、ユキは楽屋に呼びよせ、冷やかに別れを告げた。激しい打撃の後で隆子は、「私の人生はまだやっと仮縫いが終ったばかり」とつぶやき、新たな人生の出発を誓うのだった。
(出典:(c)キネマ旬報社「華麗なる闘い」)

映画「華麗なる闘い」のストーリー

映画「地獄変」(1969年)娘・良香(演:内藤洋子)

『地獄変』(じごくへん)は、芥川龍之介の短編小説。初出は1918年(大正7年)「大阪日日新聞」(夕刊)。説話集『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」を基に、芥川が独自にアレンジしたものである。高校課程において本作を扱う学校は多く、芥川の代表的作品の一つ。主人公である良秀の「芸術の完成のためにはいかなる犠牲も厭わない」姿勢が、芥川自身の芸術至上主義と絡めて論じられることが多く、発表当時から高い評価を得た。

1969年、東宝製作。1969年9月20日公開。カラー・シネマスコープ作品。

中村錦之助(堀川の大殿)
仲代達矢(絵師・良秀)
内藤洋子(娘・良香)
大出俊(弟子・弘見)
下川辰平(弟子・成岡)
内田喜郎(弟子・金茂)
中村吉十郎(公卿)

(出典:Wikipedia)

映画「地獄変」(1969年)娘・良香(演:内藤洋子)

良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられる。話を受け入れた良秀だが、「実際に見たものしか描けない」彼は、地獄絵図を描くために弟子を鎖で縛り上げ、梟につつかせるなど、狂人さながらの行動をとる。

こうして絵は8割がた出来上がったが、どうしても仕上がらない。燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を書き加えたいが、どうしても描けない。つまり、実際に車の中で女が焼け死ぬ光景を見たい、と大殿に訴える。話を聞いた大殿は、その申し出を異様な笑みを浮かべつつ受け入れる。

当日、都から離れた荒れ屋敷に呼び出された良秀は、車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられる。しかし彼は嘆くでも怒るでもなく、陶酔しつつ事の成り行きを見守る。やがて車に火がかけられ、縛り上げられた娘は身もだえしつつ、纏った豪華な衣装とともに焼け焦がれていく。その姿を父である良秀は、驚きや悲しみを超越した、厳かな表情で眺めていた。

娘の火刑を命じた殿すら、その恐ろしさ、絵師良秀の執念に圧倒され、青ざめるばかりであった。やがて良秀は見事な地獄変の屏風を描き終える。日ごろ彼を悪く言う者たちも、絵のできばえには舌を巻くばかりだった。絵を献上した数日後、良秀は部屋で縊死する。
(出典:Wikipedia)

絵師・良秀(仲代達矢)の娘・良香(内藤洋子)が車に閉じ込められる・・・

牛車の中に鎖で繋がれた良秀の娘(内藤洋子)

牛車もろとも焼かれる

舞台『雪国』(1970年1-2月、5-6月)芸術座にて若尾文子との共演。

『雪国』(ゆきぐに)は、川端康成の長編小説で、名作として国内外で名高い。雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語。愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の無情に研ぎ澄まされた鏡のような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている。

『雪国』舞台化
1970年(昭和45年)2月、5月 - 6月 芸術座
出演:若尾文子、内藤洋子
(出典:Wikipedia)

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」『雪国』の主要登場人物、若尾文子が演じる「駒子」と内藤洋子が演じる「葉子」

梅澤亜由美は、川端が『浅草紅団』で都市を描いた直後に『雪国』が書かれた視点から考察し、「あきらめの世界である都市」から逃避してきた島村は、「非現実的な雪国の世界」を求めたが、そこにも「東京に散った男を巡る三角関係と東京を背負いながら雪国に埋もれていこうとする女」を見ることになり、「美しい非現実の世界」だけでなく、島村が逃げてきた「東京の影」がそこに付きまとっていると解説し、そして雪国を立ち去らなければならない島村が、美しい天の河を見た直後に、雪国で最期に見た火事の虚しい光景は、絶望や失意を秘めているが、ラストにおいて島村の中へ天の河が音を立てて流れ落ちるように感じたのは、そういったもの全てを超越したものを感じたとし、「そこには全てを圧倒し、包み込んでしまうような“自然の力”がある」と考察している。
(出典:Wikipedia)

内藤洋子が演じる「葉子」

日本映画を代表する名女優:若尾文子・夏目雅子・京マチ子・高峰秀子・芦川いづみの代表作を通じて、半世紀以上に渡る彼女たちの偉大な軌跡を振り返ります。
http://middle-edge.jp/articles/I0002070

日本映画を代表する名女優:若尾文子のまとめ

1960年代半ば以降、東宝の看板女優として人気を二分したアイドル女優の内藤洋子さんと酒井和歌子さん

一つ年上の酒井和歌子と同時に青春スターとして東宝は売り出しを図っていたが、内藤洋子の方が売れるのが早かった。

酒井和歌子は、どちらかといえば陽の内藤に比べると物静かで健気な役が多いためか陰の印象もあって、地味な助演が続いた。しかし、テレビでも出演した夏木陽介主演の青春学園シリーズの映画版『これが青春だ!』『でっかい太陽』『燃えろ!太陽』でメインの女子高生として出演。清純な女子高生役はさわやかな印象を残し、1967年度制作者協会新人賞を受賞するなど注目を得る。1968年には、初の主演作『めぐりあい』の成功で東宝の看板女優として認められ、ワコちゃんと呼ばれて人気を得る。

1969年に差し掛かると(内藤洋子から)酒井和歌子へアイドルとしての人気は逆転する。
(出典:Wikipedia)

東宝の看板女優、酒井和歌子と内藤洋子

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1991年3月にミステリーハンターとして登場されると出演回数8回で、出演回数ランキング33位となるジュリー・ドレフュス さん。2013年出演のドラマ「老舗旅館の女将日記」を最後にメディアで見かけなくなり気になりまとめてみました。


「ひとりでできるもん!」の主人公で3代目まいちゃんの『伊倉愛美』現在は?!

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2000年4月から『ひとりでできるもん!』に主人公・今田まい(3代目まいちゃん)役としてレギュラー出演した伊倉愛美さん。現在は結婚されお母さんに・・・。


中学3年生でモデルデビューした「ワンギャル」第4期生でモデルの『 竹下玲奈』!!

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鹿児島県奄美大島で生まれ育った竹下玲奈さん、15歳当時の中学3年生時にスカウトを受け、1997年に雑誌『プチセブン』誌上でモデル業を開始しワンギャルとしても活躍されていました。


「ニューモモコ」グランプリに選ばれCM、グラビアで活躍した『古川恵実子』!!!

「ニューモモコ」グランプリに選ばれCM、グラビアで活躍した『古川恵実子』!!!

1992年にニューモモコグランプリに選ばれCM、グラビアで活動されていた古川恵実子さん。2010年3月頃まではラジオDJを担当されていましたが、以降メディアで見かけなくなりました。気になりまとめてみました。


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ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

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ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

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2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。


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公式戦333勝15敗。その中には206連勝を含み、勝率95%。 世界選手権13回優勝、オリンピック金メダル3コ(3連覇)+銀メダル1コ、ギネス世界記録認定、国民栄誉賞、強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子。


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昭和から平成にかけて、全国各地で親しまれていた回転寿司チェーンの数々。家族の外食、旅先の楽しみ、地元の定番──いつしか姿を消したあの寿司屋は、なぜ消え、どこへ行ったのか。本記事では、現在は閉店・消滅した地域密着型の回転寿司チェーンを、当時の特徴やSNSの証言とともに記録として振り返る。


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昭和の歌謡曲には、現代ではお蔵入りしてもおかしくないほど、ありえないシチュエーションを描いた詞が数多くあります。その中には、残酷な人物像や露骨な情景描写もあり、思わず笑ってしまうような歌詞もありました。今回は、筆者の独断と偏見で、歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲を5曲ご紹介します。