とにかく明るい丸山桂里奈   数々の栄光と失敗、おもしろエピソード

とにかく明るい丸山桂里奈 数々の栄光と失敗、おもしろエピソード

よく「何にも考えてなさそう」「何も悩みがなさそう」「なんでそんなに明るいの?」といわれる丸山桂里奈だが、決してサッカー人生なにもかもがうまくいったわけではなく、どちらかというと苦労人。だけど明るい理由は「いつかきっと笑ってサッカーをする日が来る。その日のために・・・・」という気持ちだった。


メニーナの練習に通うのはキツかったが、イヤだと思ったことは1度もなく、サッカーをするのが楽しくて仕方なかった。
早めに練習場に着いた日は、壁に向かって1人でひたすらボールを蹴り続けた。
「キャプテン翼じゃないけど、本当にボールは友達という感じ」
ある年の大晦日、大雪が降ると、丸山桂里奈はボールを持って近所の公園へ。
「雪がクッションになって倒れても痛くない」
とオーバーヘッドシュートを
「ここぞとばかりにめちゃくちゃやりました」
ひたすら練習し続け、気がつくと24時を過ぎていて、文字通り年もオーバーヘッドしてしまった。
「サッカーが生活の中心にあるのが当たり前だったんですよ。
サッカーのためなら、何もツラくないんです。
本当にごはんを食べている感じで。
とにかく点を獲りたいという気持ちしかなかったから、自主練も勝手にやるし、ご飯にもまったく興味がなくて、ただ良いプレーをするためだけに栄養を摂取している感じでした」

中学校に
「Kちゃん」
という同級生がいた。
髪を染め、制服も着崩し、タバコも吸う、いわゆる不良といわれている女の子だった。
中2の夏、丸山桂里奈はKと仲良くなり、一緒に遊ぶようになった。
門限18時、長時間のテレビ禁止、お笑い番組は一切禁止、炭酸ジュース禁止、駄菓子禁止などのルールを設けていた丸山家は驚愕。
元モデルで福祉関係の仕事をしている母は、礼儀や挨拶について厳しく、
「1度決めたことは途中で投げ出さずに最後まで続けなさい」
「小さいことでも1つ1つ積み重ねていけば絶対に自分のモノになるから」
と教えていたが、娘がKと一緒にいるのをみると、
「遊んじゃダメ」
「あの子といるとあなたまで悪く思われるよ」
といった。
丸山桂里奈は、友人を悪くいわれ、
「うるさい」
「私がよければいいでしょ」
と反抗。
挙句、売り言葉に買い言葉で
「そんなこというならサッカーやめてやる」
といってしまい、そのままメニーナの練習に行かなくなってしまった。
そして堂々とKと遊んだ。
2人ともジャニーズJr.が好きで追っかけや出待ちをやった。
「京都まで行ったこともあります。
Kちゃんと遊ぶのはスポーツばかりしてきた私にとって、とても新鮮な体験で、新しい世界が開けたみたいでやたら楽しく、夢中になってしまったのです」
夜遅くなると自分の家に戻るのが面倒でKの家に泊まることもあり、Kの家に母親が迎えに来ると居留守を使った。
夏祭りの後、Kの家に向かって夜道をふざけながら歩いていると前方から自転車に乗った母親が突進してきた。
丸山桂里奈は、母親が自転車を降りて停めた瞬間、自転車を蹴飛ばして逃走した。

一方、練習には出なかったものの、クラブハウスにはときどき顔を出していて、そこで指導者やチームメイトと話をしているうちに、だんだん
「こんなことしてていのかな?」
「追っかけや夜遊びは楽しいけど、これが本当に自分のやりたいことなんだろうか?」
大勢のファンに応援されるジャニーズJr.をみて
「私も応援される側になりたい」
と思うようになり、
「私はサッカー選手として応援されるようになろう」
と一念発起。
3ヵ月の貴重なブランクを経てメニーナに復帰した。
「それからの私は、今まで以上にサッカーに打ち込みました」

この間、アメリカのアトランタでオリンピックがあった。
伝説的ストライカー、釜本邦茂の活躍もあって1968年のメキシコで銅メダルを獲得したものの、それ以降、72、76、80、84、88、92年と予選敗退していた男子サッカー日本代表は、グループリーグ第1戦で、優勝候補のブラジルに1対0で勝利し、日本では「マイアミの奇跡」、ブラジルでは「マイアミの屈辱」といわれた。
しかしナイジェリアとハンガリーに連敗し、グループリーグ3位で予選敗退。
日本に負けたブラジルは、銅メダル獲得した。
一方、女子サッカーは、男子より96年遅れて正式採用され、これが初のオリンピック。

ドイツ戦 2対3
ブラジル戦 0対2
ノルウェー戦 0対4

でグループリーグ4位敗退。
1997年になるとシドニーオリンピックに向けて、女子日本代表監督が58歳の鈴木保から36歳の宮内聡に交代。
最初の合宿に招集された23人中、アトランタ経験者は8人だけで、選手も世代交代が進み、通常、1日に90~120分が1回行われていた練習を、午前、午後の2回、ときに夕食後に3回目を行うなど量を増やし、内容も濃くなった。
メニーナで心を入れ替えた中学3年生の丸山桂里奈は、第18回全日本女子サッカー選手権大会に出場登録された。
チームメイトによると、パジャマや馬マスク姿で練習に来たこともあったというが、中学3年間で100ゴールを決め、不良少女からエースストライカーに復活した山桂里奈は、
「横道にそれてもいい。
戻ったところが自分の進む道」
という人生訓を持っている。

中学卒業後はベレーザに入ることになっていたが、
「上手な選手の中で自己鍛錬するより、普通のチームをどう強くできるかを試したい」
と思い、
「普通の高校のサッカー部に入りたい」
と打ち明けた。
するとメニーナの監督は激怒。
母親は
「本当にそれでいいの?」
と聞き、娘の意志が堅いのがわかると知ると一緒に監督に謝りにいった。
こうしてメニーナを退団し、文京区にある村田女子高等学校に進学し、女子サッカー部に入部。
クラブでプレーに専念すると共に1人で自主トレ。
連日、大田区山王2丁目12番と3丁目31番の間を北西に上がる急坂、通称「闇坂(くらやみざか)」を
「全力だと最後まで持たないため、6割で」
100回ダッシュ。
闇坂以外にも都内の坂道をほぼ走破した。
メニーナの練習で遅くなると駅まで迎えにきてくれた父親は、この自主トレにも毎日付き添った。
ちなみに丸山桂里奈は学校に行くときに、高級住宅街である山王を
「金持ち気分を味わいたい」
とわざわざ遠回りして通っていて、大森にある実家については
「中の中」
「一軒家といえば一軒家だしそうじゃないといえばそうじゃない」
といっている。

トラックの運転手に憧れ、 テレビドラマ「古畑任三郎」をみて西村まさ彦演ずる「今泉」の大ファンになった丸山桂里奈は、美容院に雑誌の切り抜きを持っていって同じような短髪にしてもらった。
ボーイッシュな風貌で同じ高校の女子たちにモテ、バレンタインデーはチョコレートを30個もらい
「高校の3年間が一番モテていた」
という。
高2のとき、1999年6月、第3回FIFA女子ワールドカップがアメリカで開催。
ベスト8に入れば翌年のシドニーオリンピック出場権が得られる大会で、日本代表は、

カナダ戦 1対1
ロシア戦 0対5
ノルウェー 0対4

と予選リーグを最下位で敗退。
優勝したのはアメリカだった。
この後、20歳、大学2年生の澤穂希は、ベレーザからアメリカ、コロラド州デンバーにあるデンバーダイアモンズへの移籍。
日本の丸山桂里奈は、高校3年生のとき、第9回全日本高等学校女子サッカー選手権大会で第3位となった。

丸山桂里奈は、サッカー推薦で日本体育大学体育学部体育学科に進学。
海外に追いつけ追い越せのサッカーは先進性が高く、年上を「・・・先輩」と呼んだり年下を人呼びにする日本の伝統的な上下関係をなくし、「・・・さん」「・・・くん」、あるいはあだ名やニックネームで名で呼び合うフラットな雰囲気のクラブも多い。
しかし当時の日体大女子サッカー部はゴリゴリの体育会系。
先輩後輩の礼儀が厳しく、丸山桂里奈は普段から先輩の顔色をうかがい
「歯をみせないように先輩と話さないといけなかったです」
というが、先輩の藤巻藍子は
「空気の読めない後輩でした」
といっている。
日本体育大学 女子サッカー部監督、芦原正紀は、高校時代は関東選抜として活躍し、初代監督として日体大をゼロから指導し、丸山桂里奈が入った前年に優勝へと導いていた。
丸山桂里奈をみて
「ワガママなプレーヤーだから自分の好きなときは動くけど、そうでないときはサボる。
そういう浮き沈みの激しいスタイルを直せば、もっと伸びる」
と分析し、1年間、フォワード一筋だった丸山桂里奈に様々なポジションを経験させた。
また上級生に遠慮しているのをみて
「もっと自分の持っているものを出せ」
とアドバイス。
丸山桂里奈は、さらに自分をさらけ出すようになった。

フィールド上では学年に関係なく平等で、実力さえあれば1年生でもレギュラーになれるという環境に、必死に練習を重ねた丸山桂里奈は、日本代表に初召集された。
丸山桂里奈は、日本代表に呼ばれたといわれ、最初は信じられなかった。
「マジっすか?マジっすかって100回くらい聞いたもん」
そして本当だとわかると、まず思ったのは
「うわっ、超ヤだ」
それまで
「日本代表にいったらボコボコにされるよ」
という噂を聞いていたので
「日本代表=超コワいところ」
と思っていた。
日本代表に入ったことを周りの同級生に
「めっちゃスゲーじゃん」
「マジで選ばれたの?」
と驚かれながら、1番最初に報告したのは彼氏。
続いて家族に報告すると大喜びされてうれしかったが、
「本当に?」
「本当に?」
「本当に?」
と何度も聞く母親に、少しイラつきながら自分と同じだと思った。

このとき大学生で日本代表になったのは、神奈川大学の矢野喬子(現:帝京平成大学女子サッカー部)と丸山桂里奈だけだった。
「私たちが1番年下で・・・
結構黄金世代っていうか、フォワードは澤(穂希)さんとか荒川荒川(恵理子)さんとか井坂(美都)さんとか大谷(未央)さんとか、むっちゃうまい人ばっかりで。
エッ、こんな中で本当に入れるのかって。
それまでアンダー18とか選ばれてましたけど、やっぱりA代表って全然違うから。
ほんと子供が大人に入ったみたいなイメージだったから。
むちゃくちゃうれしいんだけど、あの中でできるかなって、怖ェーッてのはあった」
実際、初招集された日本代表の練習はハードだったが、それ以上に
「めっちゃコワかった。
イヤッ、コワかったっス。
コワすぎて記憶がない。
年下はサッカーやってるだけじゃねえぞみたいな、お前運べよみたいなのはあって、そういうものに気を遣いすぎて疲れてしまって、正直いってサッカーはちゃんとできなかった」
しかし日本代表で得た刺激は大きかった。
全員が例外なくサッカーが大好きで、勝ちたい、もっとうまくなりたいと努力する人間ばかり。
試合に出られない選手もいるがフテ腐れたり、集中力も切らしていい加減に過ごす選手は1人もおらず、悔しいはずだが文句ひとついわずに練習やミーティングだけでなく準備や片づけにも主体的に参加し、チームのプラスになることを見つけて貢献しようとしていた。
日本女子サッカー代表は、試合後のユニフォーム交換は
「もったいないからダメ」
と禁止令が出るなど、男子に比べて金銭的は恵まれていなかったが、
「サッカーが好き」
「サッカーを続けたい」
「サッカーで夢を叶えることはお金で買えるものではない」
という思いであふれていた。
そのためプレーの迫力で劣るかもしれないが、逆境にも決して明るさを失わない精神的な逞しさは男子を凌いでいだ。
「代表チームに入ると1日あたり1万円の日当が支払われるので、『サッカーしてお金がもらえるなんて夢のようだね』と選手たちはみんな話していました」

日本代表から大学に帰ると1年生だったので同じように下働きをしたが、代表に選ばれたことで先輩に
「浮ついている」
「あなた5年生ですか?」
などといわれることが増えた。
丸山桂里奈は、目下として対応しながら、
「そういうことをいう人はヘタな人が多い」
「試合に出てナンボ。
ピッチで結果を残す!」
と燃えた。
2年生になって日本体育大学 女子サッカー部の監督は清原伸彦に代わった。
丸山桂里奈は悩みを、よく相談たが中でも
「どんなときでも自分らしく」
というアドバイスは大きな力になった。
「そのおかげで私はどんな状況下でも自分と誰かを比べずにすんだし、私らしくいられたのだと思います」

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