国立競技場に着くとモチベーションビデオをみた。
モチベーションビデオとは、選手たちの気持ちを最大限引き出すためにスタッフが編集しつくった映像のことで、通常、過去の試合などで構成された。
佐々木紀夫監督が担当者に意図とイメージを伝え、完成したものをスタッフ全員で確認してから選手にみせた。
「いつも映像をみせればいいという話ではない。
あまりみせすぎると慣れてしまって感動が薄れますからね。
ここぞというタイミングを常に意識していました」
この日のモチベーションビデオは、2003年のメキシコ戦。
BGMは、ベリンダ・カーラエルの「ヘブン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」
「♪ああ、ベイビー、それが何の価値があるか知っていますか?
ああ、天国は地上の場所だ彼らは天国では愛が最初にあるといいます。
私たちは天国を地上の場所にします。
ああ、天国は地上の場所です夜が明けたら私はあなたを待っています。
そしてあなたは戻ってきます。
そして世界は生きています。
・・・・・・・・
外の通りで子供たちの声あなたが部屋に入ってくるとあなたは私を引き寄せて私たちは動き始める。
そして私たちは上空の星たちと一緒に回転している。
そしてあなたは私を愛の波に乗せて持ち上げてくれる。
ああ、ベイビー、何か知ってる?
それは価値がありますか?」
という歌詞をバックに、選手1人1人のプレーの映像が流れた。
すると真っ暗な部屋のあちこちから鼻をすする音がして、みんな感極まって肩を震わして泣いていた。
気持ちが最高潮に達し、ウォーミングアップのためにピッチへ出ると、スタジアムの3万人を超えるサポーターの大歓声に驚いた。
普段、あまり客が入らない女子サッカーの選手にとって信じられないほどの大音量の声援だった。
アップを終えてロッカールームへ戻って、試合に向けて準備。
スタッフを含め、チーム全員が八咫烏のお守りを身につけていた。
19時20分、試合開始。
キックオフ直後、味方がいいディフェンスでボールを奪取。
しかしすぐに北朝鮮のエース、リ・クムスクに奪い返された。
すると痛み止めの注射をうって、痛み止めの薬を飲み、座薬を入れた澤穂希が、リ・クムスクをショルダータックルで突き飛ばし、尻もちをつかせ、再び奪い返すと、すぐにボールを前線へ。
日本は、そのボールを展開してシュートまで持ち込んだ。
澤穂希は、
「無意識だった。
膝のことはまったく気にしていなかった。
体が勝手に動いた感じ」
というが、このワンプレーでチームは大きく鼓舞された。
控え選手としてベンチにいた丸山桂里奈は、
「あれでイケる!と思いました」
同じくベンチの安藤梢も
「あの澤さんのプレーを見た瞬間、ああ、やっぱり今日は私たちが勝つんだと確信しました」
ゴールキーパー、山郷のぞみも
「穂さんが1発目でガツンと相手にぶつかって。
痛かっただろうし怖かったと思うのですが、あのタックルをみせてくれたおかげでチーム全体がイケるぞっていう雰囲気になりました」
上田栄治監督も
「開始直後、相手のエース、リ・クムスクをショルダーチャージで突き飛ばしてボールを奪うんです。
とてもケガをしているとは思えないプレーです。
あれをみて今日はやれるかもしれないと思いました」
勢いを得た日本は、前半11分とロスタイムに荒川恵理子がゴールを決め、2対0でハーフタイムに入った。
しかし安心している選手は1人もおらず、後半攻めてくるであろう北朝鮮に対して、
「守りに入ってしまっては防戦一方になる」
「相手陣地でプレーしよう」
と声をかけあった。
後半序盤、丸山桂里奈は、大活躍の荒川恵理子と代わってピッチイン。
「点をとってやろうというよりも、せっかくのよい流れを切らないために変なボールの失い方をしないで長い距離を走ろうとか、相手陣地で仕掛けようとか、とにかくチームメイトを楽にさせたい一心でした。
澤さんとは同部屋だったので、彼女が足を痛めてコンディションが良くないのもみていました。
試合中はそれがわからないくらいのプレーをみせていて。
澤さんの負担を減らさないとという思いが特に強かった記憶があります。
北朝鮮は身体の当たりもすごくて、ユニフォームが破れるかというくらい引っ張られましたが、私はとにかく気持ちで負けませんでした」
丸山桂里奈は、攻撃はもちろん、果敢に前線でチェイシング(ボールを持っている選手を積極的に追いかけること)
結果、北朝鮮の選手たちが次々に足をつった。
そしてセットプレーから大谷未央がゴールを奪い、1991年以降、7連敗している北朝鮮に3対0の完勝。
この試合は生中継され、16.3%(瞬間最高31.1%)という高視聴率を記録。
優勝候補筆頭の北朝鮮に勝ってオリンピックへの出場権を獲得しただけでなく、魂あふれる戦いが日本中に感動を呼んだ。
このときの日本代表選手の多くが、この試合を
「サッカー人生で最高のゲーム」
といっているが、丸山桂里奈も同じだった。
「本当に奇跡的な瞬間でした。
北朝鮮がスーパー強くて。
いやアジア国が強くて、中国、韓国も強かったんだけど、北朝鮮はもはや頭ひとつ抜けてて。
北朝鮮に勝たないとアテネ行きの切符は手に入らなかったけど、3対0で勝利した試合でした。
その後のFIFA女子ワールドカップで、さらに多くの観衆も経験しましたが、やはりこのときの国立競技場の雰囲気は忘れられません。
当時は代表戦でもスタンドにいるお友達や知り合いを見つけることができるほど観客が少なかったのですが、この日は誰も見つけられませんでした。
北朝鮮の応援席もいつもよりも気合が入っていたように思いました。
在籍していた日体大サッカー部の仲間たちがバックスタンドに横断幕を出してくれているのを見つけて、とても心強かったのも覚えています。
ピッチに入ってからも、前に仕掛けると歓声が沸き、たとえ話ではなく本当に背中を押されました」
アテネ行きは決まったが、大会は継続。
北朝鮮戦から2日後、広島で中国との決勝戦が行われ、
「ここまで来たら優勝」
と澤穂希はケガを押して出場したが、0対1で負けた。
酷使してパンパンに腫れた右膝は、
「右膝半月板損傷、全治2ヵ月」
と診断され、3ヵ月後のオリンピックに出場できるかどうかはわからなかった。
丸山桂里奈は澤のケガが半月板損傷と知って、とてもプレーできる状態ではなかったはずと驚いた。
北朝鮮戦を観客席で観ていた日本体育大学 女子サッカー部1年生の川澄奈穂美は、
「澤さんが大きなケガをしていたのだと後から知りました。
そんな状態ですから、いい訳をしようと思えばいくらでもできたと思うけれど、澤さんはそうじゃなかった。
戦い抜く澤さんたちの姿をみて、私の心は震えました」
と感動した。
4年生の丸山桂里奈は、アテネオリンピックのためにあまり日体大の練習には来なかったが、川澄奈穂美は、そのプレーをみて、
「ウウッとなった」
「衝撃の存在だった」
という。
そして話してみて、
(全っ然、人の名前覚えない!)
と驚いた。
例えば丸山桂里奈に、
「〇〇高校出身の、あの子いるじゃん」
といわれ、
「えっ、誰?
〇〇ですか?」
と聞き返すと
「そうそうそうそう」
というので、
(出身校わかるなら名前覚えろよ)
と思った。
さらに
「ウチさあ、こうやってサナホとさあ、超しゃべってんじゃん。
あんまりさ、なんていうの、下の子にちゃんとしてよってさ、タメから怒られるんだけど、ヤバくない?」
といわれ、
(私にそれいう?)
と思いながら
「そうですね」
と答えた。
あまりにフランクな丸山桂里奈に、本当は『・・・先輩』といわなくてはならないのに、すぐに
「桂里奈さん」
と呼ぶようになり、最終的には
「かりちゃん」
になった。
とにかく丸山桂里奈には笑わせてもらい、地獄の1年生時代を救われた川澄奈穂美は、
「ホント、まんま。
ホント、いいと思う」
といっている。
アテネオリンピック出場を決めた後、日本では女子サッカーブームが起き、日本代表は取材やテレビ出演のオファーが殺到。
日本サッカー協会は、
「もっと親しみを感じるような名前があるといい」
と愛称を募集。
7月7日、七夕の日に日本女子代表チームの新しい愛称の発表イベントを開催。
丸山桂里奈を含む浴衣姿の5人の日本女子代表選手が持つ大きな紙には、地獄のリハビリを経て復活したキャプテン、澤穂希の筆で
「なでしこジャパン」
と書いてあった。
逆境に強い、凛々しく清々しい女性を表すネーミングだった。
「それまで「A代表」と呼ばれていた私たちのチームの愛称が「なでしこジャパン」となりました。
正直、最初はしっくりこなかったのですが、徐々に好きになり、いまではこれ以外にないと思うくらい好きです」
1ヵ月後、なでしこジャパンは、ギリシアに移動。
男子代表がビジネスクラスなのに比べ、女子はエコノミーで、積める荷物も限られ、ボールやウェア、トレーニング用具を優先し、個人の荷物は最小限にとどめ、男女格差を感じながら港町ボロスへ。
丸山桂里奈は、日本代表キャプテン、大部由美と同部屋になった。
上田栄治監督以下代表スタッフがライバルを徹底的に研究した結果、陣形は3バックから右サイドハーフを置かず、右サイドを大きく開けた変則的な4バックに変わり、レギュラーだった大部由美は控えに回っていたが、
「サブが強いチームは強く、サブが弱いチームは弱い」
と声をかけ、
「メンバー全員で五輪の切符をとる」
という一体感につなげていた。
そんな大部由美を
「大変規則正しい方」
「練習以外にも厳しい方」
と思っていた丸山桂里奈は、絵葉書を書いたり本を読んで静かに過ごした。
8月11日、予選リーグ第1戦、スウェーデン戦に1対0で勝利。
翌12日、アテネの選手村に移動し、男子のパラグアイ戦を応援し、世界の有名アスリートを目の当たりにして盛り上がった。
14日、予選リーグ第2戦、ナイジェリア戦。
アフリカのチームと対戦経験がないなでしこジャパンは、独特の身体能力の高さと何をやってくるかわからないプレーに翻弄され、0対1。
その上、攻守の要、ボランチの宮本ともみが負傷。
なでしこジャパンは予選リーグ3位だったが、その内容でなんとか決勝トーナメントに進出し、予選で敗退し帰国する男子代表をカップラーメンなどをもらった後、お見送りした。
20日、決勝トーナメント初戦(準々決勝)で、世界ランキング2位のアメリカと対戦。
上田栄治監督は、ナイジェリア戦で負傷した宮本ともみが強行出場させ、北朝鮮戦と同じ布陣を敷いた。
丸山桂里奈は、小林弥生、柳田美幸、安藤梢、山岸靖代らとベンチで途中出場に備えた。
前半43分、ゴール前に上がったボールをキャッチに出たゴールキーパー、山郷のぞみが、アメリカの選手と交錯してファンブルし、押し込まれ、0対1。
後半3分、日本は山本絵美のフリーキックで1対1。
後半14分、ゴール前にロングボールが飛んできた日本は、思い切ってオフサイドトラップを仕掛けたが、副審のフラッグは上がらず、フリーな選手4人を相手に山郷のぞみはゴールを奪われ、1対2。
交代で入った丸山桂里奈は、得点を目指してボールを追いかけたが、アメリカの巧みなゲームコントロールの前にタイムアップ。
日本は、1対2で敗れ、アテネオリンピックが終わった。
大学4年間で、
・全日本大学女子サッカー選手権大会を4年連続優勝(日体大は5連覇)
・日本代表(なでしこジャパン)として、FIFA女子ワールドカップ、アテネオリンピックに出場
という華々しい活躍をひっさげ丸山桂里奈は、東京電力へ就職。
配属先は福島第一原子力発電所。
担当は「管理職付」で、上司は2年後に起こる震災で原子炉の暴走をギリギリで回避させる吉田昌郎だった。
東京電力の社員となると同時に「東京電力女子サッカー部マリーゼ」に入団。
マリーゼは、非鉄金属メーカーであるYKKの東北工場で創設され、L・リーグでも好成績を残したYKK東北女子サッカー部フラッパーズが東京電力が移管されてできたチームで、丸山桂里奈が入ったとき、まだ創部7ヵ月。
当初、ベレーザ入団が決まりかけていたが、挑戦好きな丸山桂里奈はマリーゼを選んだ。
「中学を卒業するときもベレーザに上がれたんですけど、自分が高校サッカーがいいなと思ったんです。
メニーナから高校にいった人にもいろいろ話を聞いて、高校サッカーっていいなと思って。
それにあんまり上手くはないけど、そういう高校サッカーを強くしたいという気持ちもありました。
いつもそういう感じなんです。
マリーゼに入ったときも、本当はベレーザに行く予定だったんですが、それをやめてマリーゼに行ったので。
YKK東北女子サッカー部フラッパーズが移管してきてマリーゼになるというタイミングで、だからそのときもすごく弱かったけど、新しいチームになるから強くしたいという気持ちが出てきて。
自分にはそういうのが合っているというか、信念みたいなものなんですかね」
マリーゼの由来は、
「海(マリーン)のように力強く、風(ブリーズ)のように颯爽と」
選手、スタッフは全員、東京電力の社員で、午前は福島第一原子力発電所で働き、午後は双葉郡楢葉町にあるJヴィレッジスタジアムで練習するというL・リーグ唯一の実業団チーム。
マリーゼの選手は、全員、社員寮に入り、1人1部屋、8畳ほどの個室がもらえ、風呂、トイレは共同。
毎朝、一緒に「マリーゼバス」に乗って発電所へ向かい、それぞれ部署で仕事。
基本的に午前中で仕事は終わり、午後、マリーゼバスで移動し、Jヴィレッジスタジアムで練習。
そして練習後、一緒にマリーゼバスで寮に戻った。
「1番戸惑ったのは仕事でも練習でも寮でもずっと同じメンバーと行動を共にしなくてはいけなかったこと。
いつも一緒なのでさみしくはなかったけど、どんなに仲が良くても仕事でもプライベートでもずっと顔を合わせていると、さすがに息が詰まる。
それにずっと一緒にいることで緊張感がなくなってプレーに影響が出てしまうことが心配でした」
マリーゼには、アテネオリンピックのとき日本代表キャプテンだった大部由美がいて、丸山桂里奈ら新人は練習以外に寮生活でもよく注意を受けていた。
あるとき練習が19時から始まる日があった。
いつも軽く食べてから練習に行く丸山桂里奈だが、この日は用事があってそれができない。
そうなると夕食は寮に帰ってから22時くらいになってしまう。
考えた結果、仲の良かったチームメイトとパンを買いに行き、練習後、寮に帰る前に食べた。
チームが食堂で食事しているとき、2人だけで風呂に入っていると、大部由美が入ってきて、
「あなたたち何考えてるの!」
と怒られ、その場で正座。
寮ではみんなで一緒に食事をとるというルールがあることをコンコンと説教された。
ずっと東京の下町で暮らしてきた丸山桂里奈は、福島県がどんなところかまったく知らなかったが、美しい土地と人の善さに感動した。
「マリーゼ時代、たくさんの地域の方に支えていただきました。
あの時期に教わったことは、人への敬意や感謝、思いやりの大切さです。
福島の最大の魅力は「人」。
人がいいからおいしい野菜やハイレベルな日本酒ができる。
そして人をおもてなしして地域に受け入れる心がある。
たくさんの方にそういう「福島人」の輝きや温かさに触れてほしいです。
良い意味で福島の人ってとてもシャイですよね。
その分、私が大きな声で地域の魅力を叫びます。
福島にはそれくらいすてきなものや場所がたくさんあるから、自信を持ってほしいです!」
最初、自転車しか移動手段がなかったが、運転免許を取得すると県内外へドライブへ出かけた。
川内村の「かわうちの湯」という温泉は
「寮から車で30分くらい山道を走らせないといけないので、あまりみんないけないし、ここまでくるとマリーゼの選手を知っている人も少ないので思い切り羽を伸ばせる」
と常連に。
五色沼や猪笛代湖など県内の観光地は
「ほとんど行き尽くした」
海沿いの道や山奥の道など自然の中を車で走るのが爽快で、中でも富岡町の「夜の森公園」はお気に入り。
2.5㎞にわたり1500本以上の桜が続き、開花中は桜のトンネルとなり、夜はライトアップされ、さらに幻想的な風景になった。
「私はドライブが好きで、特に1人で運転していると、誰もいない空間なのでいろいろ考え事もできるし、気分が変わって気持ちに余裕が出てきます。
車の中では爆音で音楽を聴いています。
音楽とドライブというのは最強のカップリングで寮に帰る頃にはすっかりリフレッシュして頑張ろうという気になっていました。
どんなにイライラしても、凹んでも大丈夫!
車と音楽があればいい!」
また広い海と建屋しかみえない福島第一原子力発電所の展望台も
「将来、ここで結婚式を挙げたい」
と思うほど大好きな場所だったが、震災後、誰も近づけない場所となってしまった。
ちなみに
「初体験は2005年、22歳」
といい、マリーゼ1年目に夜のデビューも果たした丸山桂里奈だが、クリスマスイブに一緒にドライブしていたとき、かかってきた電話に出ただけで激怒され、監禁状態となり朝まで車から出られなかった。
「好きなことなら恋愛もサッカーも全力でできます。
アスリートはオン・オフが大事なんていいますけど、私はオン・オフなんてないんですよ。
起きているときは常にオンです。
だからサッカーも全力だったけど恋愛だって全力で向き合っていたんです。
例えば彼氏の家に泊まった次の日の練習は「イチャついたんだからメッチャ頑張ろう!」って誰よりも熱心に練習に励んでいました。
ケンカしたりトラブったり失恋しても「なんだよーっ!」って思って、どっちみちエネルギーになるんで。
アスリートってモチベーションが大事なので、私の場合は恋愛がサッカーのパワーにもなっていたんです」
創設1年目、マリーゼは、L・リーグ4位と好発進。
ホーム観客動員数が平均4,000人を超えるなど、地元が盛り上がる中、丸山桂里奈は、8得点を挙げて、新人賞を獲得した。
「社会人1年目にいいスタートを切ることができて、とてもうれしかった。
生活のペースもつかみ、福島がどんどん好きになりました。
いいところがあるのはもちろん、何より福島の人たちが大好きで、地元のチームということでどれほど皆さんにお世話になったか。
それになんといっても会社の人たち。
日本代表に試合のときも熱心に応援してくれました」
この年、日本代表としては、真夏の韓国で第1回東アジア女子サッカー大会があり、中2日で3試合が行われ、丸山桂里奈は、2試合(北朝鮮戦と韓国戦)に途中出場。
チームは
北朝鮮 0対1
中国 0対0
韓国 0対0
と無得点で3連敗。
マリーゼ2年目、昨年、優勝争いに絡んだマリーゼだったが、負けと引き分けが続き、最終的に1勝8敗5分と1勝しかできず、2部リーグに降格。
監督は引責辞任し、年末の全日本女子サッカー選手権大会は、大部由美が選手兼監督に。
丸山桂里奈は日本代表として、7月に真冬のオーストラリアで行われたAFC女子アジアカップと12月にカタールで行われたアジア競技大会に参加したが、無得点。
「ドン底だ。
はい上がるしかない」
と誓った。
3年目、新監督を迎えたマリーゼは「2部リーグ優勝」、丸山桂里奈は「得点王」に目標に掲げた。
この年は、
3月 FIFA女子ワールドカップ予選、大陸間プレーオフ
4~8月 北京オリンピック最終予選
9月 FIFA女子ワールドカップ
という日本代表戦があり、これに加え、4~12月までL・リーグの試合があった。
丸山桂里は、週2回、マッサージに通い、なにかあればすぐに治療にいくなど体のケアに努めていたが、シーズン序盤に「グローインペイン症候群」を発症。
グローインペイン症候群は、股関節周辺筋肉のオーバーユースによって起こる股関節障害で、手術や薬で治せるものではなく、とにかく安静にして休ませるしかなかった。
しかし日本代表に入ることをあきらめられない丸山桂里奈は、
「まだ可能性はある」
と股関節に過剰に負担をかける蹴り方から体全体を使って蹴るようにフォームを改善。
すると最初、利き足である右足の股関節が痛み出し、左で蹴るようにすると左の股関節も痛くなった。
左をかばうと右、右をかばうと左が痛くなるという悪循環を繰り返した末、くしゃみをしたり座っているだけで骨盤周辺に激痛が走るまでに悪化。
結局、日本代表は辞退。
大泣きした後、
「本腰を入れて休むしかない」
と気持ちを切り替えた。
するとその後、症状は改善し、プレーできるようになった。
最終的にマリーゼは、2部リーグで優勝し、1部復帰。
丸山桂里奈は、17試合22得点という驚異的な記録をを挙げたが、ベレーザの大野忍の23得点に及ばず、得点王にはなれなかった。
しかし
「ドン底を自覚すれば怖いものナシ」
ということと
「そのとき、その場でできることを精いっぱいやる」
ということを学んだ。
丸山桂里奈がL・リーグで活躍している間、日本代表は、北京オリンピック最終予選で、ベトナム、タイ、韓国とホーム&アウェイで戦い、5勝1分で無事、出場権利をGET。
しかしFIFA女子ワールドカップでは、
イングランド 2対2
アルゼンチン 1対0
ドイツ 0対2
で予選グループリーグ敗退。
ワールドカップが終わった後、代表コーチだった「ノリさん」こと佐々木則夫が代表監督に就任。
北京オリンピックは9ヵ月に迫っていた。
2008年2月4日、佐々木ジャパンが静岡県で初合宿を行い、丸山桂里奈は日本代表に復帰。
最初のミーティングでシステムの変更が告げられた。
これまでは
中盤をダイヤモンド型にする4-4-2
2トップの下に攻撃的MFを置く3-5-2
だったが、
中盤を4人を横一列にする4-4-2
守備スタイルも、人をマークする「マンマーク」ではなく、エリアをマークする「ゾーンディフェンス」
になった。
合宿から2週間後の2月18日、中国で東アジア女子サッカー選手権が開催。
短い準備期間でのいきなりの公式戦だったが、佐々木監督は、
「北京オリンピックで勝つために新しいサッカーに取り組もうとしている。
最初から新しいシステムがうまく機能するとは思っていない。
東アジア選手権は北京オリンピックへ向けての通過点。
恐れずにやればいい。
課題が出た方が今後のためになるから逆に失敗するくらいでいい。
結果にはこだわらなくてもいい」
といい、それを聞いて選手は無駄な力が抜け、
「とにかく自分たちのサッカーをやろう」
と思い切りプレーすることに専念。
そして宿敵、北朝鮮に3対2で勝利。
佐々木監督は、修正点を書いた紙をホテルのエレベーターに貼り、次の日からチーム全員が、その課題を意識して練習。
2戦目、韓国戦も2対1で勝利。
3戦目、決勝戦の相手は、中国。
「結果にはこだわらなくてもいい」
といっていた佐々木監督が
「優勝狙っていくぞ」
といい出したので丸山桂里奈は、
「ノリさん、いってること全然違うじゃーん」
と笑った。
そしてなでしこジャパンは、中国サポーターで埋め尽くされて真っ赤になったスタジアムで激しいブーイングを浴びながら、3対0で勝利し、アジアナンバー1になった。
1ヵ月後、第1回キプロスカップがあり、アメリカ、オランダ、スコットランド、カナダ、ロシア、日本が参加し、なでしこジャパンは3位。
その2ヵ月後のAFCアジアカップでは、ここまで出番がなかった丸山桂里奈が、2戦目、台湾戦でゴールを決め、なでしこジャパンは4位。
さらに1ヵ月半後、アジアカップの3位決定戦で敗れたオーストラリアと親善試合で再戦し、3対0で勝利。
その3点目は丸山桂里奈だった。
その直後、北京オリンピックが始まった。
ここで丸山桂里奈は、同年齢、同ポジションの「アンチ」こと安藤梢と同部屋になり、以降、なでしこで1番の仲良しとなった。
「同じ部屋でいても、まるで1人でいるような錯覚に陥るくらいお互い、素のままでいられるし、会話があってもなくても平気だし、必要がない。
私にとってアンチは、唯一、目の前でオナラをしても平気な相手」
一緒にいるとあまりに楽なので
「彼氏彼女を超えているよね」
「長年連れ添った夫婦みたいだよね」
といい合っていたが、安藤梢はマイペースなところがあって、例えば眠れないと部屋の電気をつけ、
「寝れないじゃない」
と抗議しても平気な顔をして自分が寝るまで消さなかった。
家に電話していた安藤梢が母親に
「桂里奈ちゃんにかわって」
といわれたのでかわると丸山桂里奈は
「桂里奈ちゃん、あそこはパスしたらダメだよ」
といわれ、
(安藤のお母さんに怒られる私って・・・)
と悩んだこともあった。
そんな離婚の危機は何度もあったが、2人の仲は現在でも続いている。
よく
「何にも考えてなさそう」
「何も悩みがなさそう」
「なんでそんなに明るいの?」
といわれるくらい、いつも明るい丸山桂里奈だが、自分で
「人より涙腺が大きいんじゃないか」
と思ってしまうくらい涙もろく、悲しいニュースやドラマ、映画、動物モノのドキュメンタリーをみるとすぐに泣いてしまい、そして周りに、
「そこで泣く?」
といわれてしまう。
自分が浮き沈みが激しいことを自覚し、日本代表にいるときは、
「浮くのはいいが沈むのは許されない」
と決めている丸山桂里奈が気をつけているのが
「たくさん笑うこと」
お笑いDVDは必須アイテムで、特にTKOの木本のファンでDVDを全部持っており、「人志松本のすべらない話」やとんねるずの「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」などもコンプリート。
遠征時には、それを持っていき、ホテルでずっとTKOをみていた。
ある日、安藤梢に、
「なんでそんなにTKOばっかりみてるの?」
とあきれられたが、その後、自分がいないときにTKOのDVDをみている安藤梢を発見し、
「きっとTKOさんのよさがわかったに違いない」
と思った。
日本は、予選でグループGに入り、ニュージーランド、アメリカ、ノルウェーと総当たり戦を行った。
第1戦、前半37分、ニュージーランドに先制点を奪われ、後半16分にもPKで追加点を奪われ、0対2。
しかしここから勝負強さをみせた。
後半27分、背番号8、宮間あやがPKをキッチリ決めて、1対2。
後半37分、丸山桂里奈が投入され、攻勢を強め、後半41分、宮間のフリーキックに澤穂希がボレーで合わせて2対2。
土壇場で引き分けに持ち込んで勝ち点1をもぎ取った。
第2戦、FIFA女子世界ランキング1位のアメリカに0対1。
第3戦、前半27分、ノルウェーに先制されたが、4分後に同点。
後半開始直後、相手オウンゴールで2対1。
さらに大野忍、澤穂希、原歩が決めて、5対1。
なでしこジャパンは、グループリーグ3位で予選を突破。
決勝トーナメント初戦(準々決勝)で、開催国の中国と対戦。
完全アウェイで苦戦が予想されたが、2対0で勝利。
すでに世界ベスト4。
次、勝てばメダル確実という状況で準決勝、アメリカ戦も臆することなく挑み、前半16分に先制点。
しかし前半41分、44分、後半25分、45分と失点。
試合終了間際に1点を返したものの、2対4で敗北。
ドイツとの3位決定戦戦は、前半から圧倒的に攻め込んだが得点を奪えず、0対0で迎えた後半23分、試合の流れを変えるために丸山桂里奈が投入された。
しかし
「準備運動は疲れるだけで意味がない」
と思い、全く動いていなかった丸山桂里奈は、試合に入ると動きにキレがなく思い通りに走れない。
得点を奪うどころか、ドイツに2点を奪われ、0対2で敗北し、初のメダル獲得は先送り。
試合後、普段温厚な澤穂希から
「おい、お前さ、もっと走れよ!!」
と激怒され
「このとき初めて誰にも相談せずに思いつきで行動すると大きなミスを生むことがわかりました」
また試合中、得点を狙って敵のゴールポストに隠れていて、試合終了後、怒られたことがあった。
佐々木紀夫監督は、丸山桂里奈が
「オフサイド」
というルールを理解していないことがわかったが
「丸山は感覚的な選手。
細かいことを教えたら動けなくなる」
と野性を保護するために放置。
これについて丸山桂里奈は、
「そこにボールがあるから蹴っていました」
「ルールを知らなかったところで、ボールを持てばとられることがない」
「サッカーは団体競技なので誰かのために何かをするのは当たり前で足りないところをチームで補い合うところも魅力」
といっている。
しかし男子代表が3戦全敗に終わったのに比べ、なでしこジャパンは世界ベスト4。
6試合で11得点という攻撃力、しかもひたすら守備を固めてカウンターを繰り出すのではなく、組織的な守備とパスワーク、献身的なランニングで攻勢をとるサッカーは世界から注目を集めた。
決勝戦は、アメリカ vs ブラジルとなり、1対0で勝ったアメリカが驚異のオリンピック3連覇。
日本ではL・リーグが「なでしこリーグ」に名前に変え、8チーム総当たり戦を行い、マリーゼは5位。
1位は、ベレーザで4連覇を達成。
ベレーザに所属していた澤穂希は、アメリカのワシントン・フリーダムから国際ドラフト1位で指名を受け、2度目の渡米を行った。
一方、マリーゼの丸山桂里奈は、グローインペイン症候群が再発し、さらに坐骨神経痛併発。
東京の国立スポーツ科学センターでリハビリを行うため、福島を離れる時間が増え、チームとの間に溝が生まれていった。
試合に出られず、チームに貢献できず、肉体的にも精神的にも追い詰められ、結局、シーズン途中にチームメイトへ挨拶することもできないまま、5年間いたマリーゼを退団。
同時に東京電力を退職した。
「東電の社員だったので、待遇は他の社員と同じ。
私は大卒だったから給料は手取りで22万円ぐらいで、その他にボーナスが年3回ありました。
日本の女子サッカー選手は、男子とは違い、働きながらサッカーをしている選手がほとんど。
他のチームには、チームの試合でも休みを取りづらかったり、1日中働いてから夜に練習をするという選手もいました。
ただ私のいたマリーゼでは、勤務は午前中3時間のみ。
午後はサッカーの練習に没頭できたし、試合の次の日は休ませてもらえたりと、とても恵まれていました」
ケガをした上、所属チームと収入を失った丸山桂里奈は
「本当にピンチ!」
「このままサッカーができないのだろうか?」
と不安を抱えながら目の前の治療とリハビリに黙々とこなした。
そうやって過ごしているとアメリカから
「トライアウトを受けないか?」
とオファーが来た。
日本代表として58試合13得点、26歳の丸山桂里奈は、それを受けて合格。
2010年3月、27歳の誕生日に単身渡米し、アメリカ女子サッカープロリーグ「WPS」に参戦しているフィラデルフィア・インディペンデンスに入った。