昭和の時代に「未婚の母宣言」をした加賀まりこ
1960年に17歳で女優デビューした加賀まりこ(1943年〈昭和18年〉12月11日-)は、小悪魔的なルックスと自由奔放な言動で話題になる。"和製ブリジッド・バルドー"と呼ばれ、流行の最先端だった「六本木族」としても知られている。そんな彼女は27歳の時に未婚で妊娠(父親は非公表)した。シングルマザー宣言をしたことから、出産前の妊婦姿が週刊誌に記事として取り上げられた。1972年2月に出産。赤ちゃんは7時間後に亡くなってしまった。父親については、妊娠が浮上する前に歌手の布施明との熱愛&破局が報道されたことから、「子供の父親は布施明ではないか?」と憶測が飛び交った。
![月曜日のユカ オリジナル・サウンドトラック [Analog]
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加賀まりこ
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アメリカで極秘出産した未婚の母、沢田亜矢子
1973年に歌手デビューした沢田亜矢子(1949年1月1日-)は、1979年から、日本テレビ系で放送されたワイドショー「ルックルックこんにちは」の司会を担当。お茶の間に知られるようになる。1984年に降板。1985年に週刊誌にスキャンダル写真が掲載される。その後4月に渡米。1985年8月にシアトルで未婚の母として長女を出産した。3年後の1989年(平成元年)6月に沢田亜矢子の極秘出産が明らかになった。会見を開き「父親のことに関しては非公開」とコメントした。子供の父親は沢田との不倫が噂されていた、元野球選手の江本孟紀の名前が挙がった。生まれた娘は、現在シンガー・ソングライターとして活動している澤田かおり。2021年に澤田かおりさんが第1子女児を出産、沢田亜矢子の初孫が誕生した。
娘を極秘出産していた未婚の母、淡谷のり子
淡谷のり子(1907年〈明治40年〉8月12日-1999年〈平成11年〉9月22日)
淡谷のり子は、東洋音楽学校声楽科を卒業。10年に一人のソプラノと絶賛され、1930年レコードにデビュー。「別れのブルース」などが大ヒット「ブルースの女王」と呼ばれた。20世紀を駆け抜けた歌姫、淡谷のり子は、1938年(昭和13年)に娘を極秘出産している未婚の母だ。子供の名前や父親の名前は現在も非公開である。

淡谷のり子
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大物政治家との隠し子を告白した浅香光代
浅香光代(1928年〈昭和3年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉12月13日)
9歳で浅香新八郎、森静子に弟子入りし、14歳から70年間女剣劇の座長を務めた浅香光代は、2013年、85歳の時に隠し子が居ることを衝撃告白した。浅香は、19歳の時に料亭で妻子ある大物政治家S氏と偶然に知り合い交際。その政治家Sとの間に二男を出産していたのだ。
子供の父親は公表していないが、後に自民党の要職に就く大物政治家という。子供の認知はしていない。浅香は実家に住み、子供達は、父親が買った向島の家に住み、乳母が面倒をみていた。
浅香は、年子で生まれた次男出産後すぐにS氏と別れている。息子は浅香のことを「お母さん」ではなく「先生」と呼び、父親は死んだと知らされていた。2010年頃まで、父親の本名を知らなかったという。

浅香光代
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2020年12月17日、92歳で亡くなった浅香光代の葬儀が浅草の円照寺で営まれた。喪主は、浅香の長男・北岡一男さんが務めた。出棺では、長男が、位牌(いはい)を、次男の北岡昭次さんが遺影を持った。
未婚のまま女児を出産した安藤美姫
2006年トリノオリンピック日本代表。元フィギュアスケート選手の安藤美姫(1987年12月18日-)は、2013年12月に引退発表。同時に同年4月に出産したことを明らかにした。父親については明かさず、未婚のまま女児を出産した。娘の名前はは「ひまわり」ちゃん。父親は誰かについて、2012年に安藤と恋愛関係と破局を告白したコーチのニコライ・モロゾフ氏、プロフィギュアスケーターの南里康晴氏、イベント会社社長のM氏ではないか?と色々な噂が飛んだ。
40歳の頃に未婚で男児を出産をした俵万智
歌人の俵万智(1962年12月31日-)は、早稲田大学在学中に短歌の世界に入った。大学卒業後は神奈川県で国語教員をしていた。1987年に発表した『サラダ記念日』で一世を風靡した。40歳の頃に未婚で男児を出産をした。子供の父親は公表していない。40歳の時に未婚の母として人工授精での出産を決意したという。
41歳の時に未婚で双子を出産した山下久美子
1980年に歌手デビューした山下久美子(1959年1月26日-)は、1982年のカネボウ化粧品キャンペーンソング「赤道小町ドキッ」でブレイクした。1985年に-BOØWYのギタリストだった布袋寅泰と結婚するが、布袋と今井美樹の不倫が発覚。1997年に離婚した。山下は離婚後の2000年、41歳の時に未婚で双子を出産。再婚はせず子供の父親は公表していない。父親は昔からの知人で再会した独身男性とのこと。

山下久美子
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華原朋美
1995年「keepyourselfalive」で歌手デビューした華原朋美(1974年8月17日-)は、音楽プロデューサー小室哲哉のミューズとして90年代を中心に活躍した。休養や活動休止を経て、2012年に芸能活動を再開した。そして、2019年8月、45歳の時に第一子である男の子を未婚で出産した。息子の父親は外資系企業勤務の一般男性だそうだが、詳細は公表していない。その男性と結婚する予定もないという。未婚の母(シングルマザー)として子育てをしている。

華原朋美
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「夫は不要?!」未婚で出産した浜崎あゆみ
1998年に歌手デビューしてから2000年代まで後半まで大ヒットを収めた浜崎あゆみ(1978年10月2日-)。2011年にオーストリア出身のマニュエル・シュワルツ氏と結婚したが、2012年に離婚。2013年に医学部大学院生の男性と再婚するも、2016年に再び離婚。その後、2019年に第一子、2021年に第二子を未婚で出産した。子供の父親探しについては、2018年からバックダンサーを詰める荒木駿平(あだ名:ペイ)が注目されているが、父親は公表していない。

浜崎あゆみ
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