劇団ひとりの恋愛妄想狂時代

劇団ひとりの恋愛妄想狂時代

日本生まれアラスカ育ち、黒人やクマとの死闘。愛と涙の恋愛妄想。剣道、ボクシング、柔道など格闘技 経験し、修学旅行では他校のヤンキーにカラまれ、サングラスの下で目を光らせた。


劇団ひとり、本名、川島 省吾は、千葉県千葉市生まれ。
最古の記憶は、3歳のときに寿司屋で嘔吐し、カウンターに寝かされたこと。
体が弱く、アトピーや喘息、苦しみ、全身の湿疹が出ると傷にならないように手袋をハメられ、蚊取り線香で病院送りになったこともある。
蚊取り線香は大人になっても苦手でキンチョーではなく緊張の夏を送っている。
「なった人間にしかわからないだろうが、蚊取り線香で死にそうになるほど悔しいことはない」
近所の保育園に入ると、なぜかラグビーをやらされた。
タックルにいかないと園長先生に
「気合が入ってない」
と怒られ、涙と鼻水を流しながらタックルの練習を繰り返した。
そんな苛烈な保育園生活でたくましく成長。
運動会の日には日頃の成果をみせてやろうと張り切っていたが、当日、行われるのはリレーや玉入れなど生ぬるいものばかり。
「あれだけ頑張ったのに、なぜ?」
なぜラグビーが行われないのか疑問に思い、園長先生をみると、いつものラガーシャツではなく背広を着て優しく微笑んでいた。
「大人というものを少し理解した」

初恋は5歳。
お相手は同じ保育園に通う近所のリカちゃん。
ポニーテールと少し吊り上がった目が印象的なリカちゃんは、ママゴトの天才。
ある日、自分の家に遊びにきたリカちゃんと「秘密基地」である物置の中へ。
「ここは旅館。
私はお客。
君は旅館の亭主」
リカちゃんはそういって自分の家から持ってきたシイタケを出して
「これは毒キノコ。
これを「夕飯です」っていって持ってきなさい。
毒キノコを食べた私は体がシビれて動けなくなるから、そのとき私のお尻をさわりなさい」
と指示。
いわれた通りシイタケを運んでいくと
「アラッ、おいしそうなキノコね。
いただきまーす」
キノコを口にしたリカちゃんがカッと目を見開いて
「ウウlッ
こ、これは?」
といってノドをかきむしり、その場に倒れた。
劇団ひとりは、ワケがわからないままリカちゃんのお尻を撫でた。
またあるとき水色の毛布をみてリカちゃんがひらめき、
「これはプール」
といって部屋に敷いた。
「今から私はここでおぼれるから。
そしたら助けて、お尻をさわっちゃいなさい」
毛布の上で全力でおぼれるリカちゃん。
劇団ひとりは、ワケがわからないままリカちゃんのお尻を撫でた。
結局、リカちゃんの提案する遊びは、設定は違えど、終わりは全て同じなミニエロコントだった。
「リカちゃんが幼少期にボクに与えた影響は強く、30年近く経とうとしている今もなお鮮明に頭の中に焼きついている。
彼女は今どうしているのだろう。
あのまま成長しているとしたら相当な女性になっているかもしれないが、今の僕ならその期待に応えられなくもない。
リカちゃん、僕は成長しました」

母親と一緒にスーパーにいったとき、ガス風船をもらい、店内をウロチョロしているときにふと手を離してしまった。
天井にぶつかって揺れている風船のヒモに背伸びしたりジャンプして手を伸ばしたが届かない。
すると老人がやってきて風船とってくれた。
「ありが・・・」
とお礼をいおうとしたとき、老人はヒモを首に巻きつけられて締めてきた。
息ができずに顔面が破裂しそうになる中、おぼろげに走ってくる母親がみえた。
元客室乗務員で元ミス札幌、現マナー講師の母親は見事なショルダータックルを決め、息子を救った。


親戚の集まりで眠くなって、目を閉じていると
「まあ、かわいい寝顔」
という声が聞こえてきたので、そのまま寝たフリを続け、みんなに自分の顔がよくみえる角度に寝返りを打ち、口をムニャムニャさせて無邪気な寝顔をつくった。
そして
「かわいい」
という声とカメラを構える人間を薄目で確認。
そのせいで大人になって自分の子供ができて、その寝顔をみても簡単には
「かわいい」
とはいえず
「本当は起きてんじゃないか」
と疑ってしまう。

国際線のパイロットである父親の転勤で、小2のときにアメリカ、アラスカ州へ引っ越すことになった。
子供心に、とにかく遠くて寒い場所だということはわかったが、何よりもツラかったのはクラスメイトとの別れ。
最後の授業が終わり、担任の先生にいわれて教室の前に立ってお別れの挨拶をした。
挨拶が終わると担任がチャッチャッと号令をかけ、みんなサッサと帰ってしまった。
「えっ、それだけ?」
文字通り教室にひとり残って落胆。
「きっとみんな泣きながら自分との別れを惜しむに違いない」
と思っていたのに、あまりにもあっけない終わり方だった。
「冗談じゃない。
人がどこだかわからないような遠くに行ってしまうというのになんでヤツらは悲しまないんだ。
おかしいだろ。
俺みたいなクラスの人気者がいなくなるんだから悲しんで当然だ」
落胆は怒りに変わり、帰宅後、どうしても納得いかないので友人宅までいき、思いを打ち明けた。
そしてその友人と共にクラスメイトの家を訪問し、改めてお別れの言葉をもらうことにした。

「お別れの挨拶をしてほしい」
クラスメイト達は突然の訪問に驚き戸惑いながら
「あっ、えっと、元気でいてください」
などと挨拶。
「はい。
わかりました。
ありがとう」
劇団ひとりは挨拶を聞いて満足すると、
「お別れの品をちょうだい」
といって家から持ってきたバケツを差し出した。
「えっ?」
「いなくなるんだからお別れの品をちょうだい」
「う、うん」
最初にもらったのは発売されたばかりの「小学二年生」
次々とクラスメイトの家に突撃し、次々と戦利品をバケツに放り込んでいった。
おもちゃやマンガが多かったが、中にはつくりかけのプラモデルや50円玉もあった。
満杯になったバケツとお別れの言葉を胸に出国。
アラスカで荷物を整理していると、父親が紙袋を持ってきた。
開けてみると千羽鶴とたくさんの手紙が入っていた。
「おそらく担任の先生が用意してくれたサプライズだったのだろう。
そうとも知らずみんなの家かを訪ね、無理やりお別れの言葉をいわせ、物を奪い取っていったのだ。
なんてことをしてしまったのか。
しかし謝りたくても謝れない。
自分が遠い異国に来たことを実感した瞬間だった」

当たり前だが学校は全員が外国人だった。
「イエローモンキー」
「ジャップ」
などと罵ってくる黒人の同級生がいたので、必死に下品な英語を勉強して浴びせ返していると数ヵ月もしないうちに日常会話が話せるようになった。‌
算数は、日本にいればかけ算を習っている時期だったが、机の上に瓶を配られ
「1、2、3、4・・・」
と数を数える授業。
頭を抱えるクラスメイトもいる中、即答し
「ワオッ!」
「一瞬で覚えやがった」
「なんて奴だ」
と日本から来た天才児のような扱いを受けた。

アラスカといえば、犬ぞりに乗ったり、アザラシの生肉を食べたりするイメージがあったが、家はビルが立ち並ぶアンカレッジにあった。
それでも冬は家の近くの凍った湖でスケート。
週末はスキーにいき、小4でコブを滑り降りるモーグルができるようになった。
夏は短パンで過ごせる時期が1ヵ月ほどあり、家族全員でシャワー、トイレ、キッチン、ベッド付きのキャンピングカーに乗って、川沿いで寝泊まりしながらシャケ釣りをした。
ある日、川沿いを歩きながらフィッシングポイントを探していると、遠くの人だかりに大きく手を振られ、大声で呼びかけられた。
見ず知らずの人に手を振られて恥ずかしく、テレてそらした目の先でクマが2本足で立っていた。
その2mを超える巨体に、咄嗟に死んだフリをしようと思った。
しかしその場で死んだフリをするのは動けなくなるのでコワい。
だからとった行動は
「死んだように歩く」
白目をむいて口を半開きにして足を引きずってゾンビのように歩いた。
日本から来た天才児の作戦は的中。
クマは襲って来なかった。

小5でアラスカから帰国。
当たり前のように英語が話せ、マクドナルドは
「マクダァーナー」
と発音。
膝に穴が開いたジーンズと整髪料でオールバックを決めて登校し、自分の中では最先端だったが
「なんで穴が開いてるの?
貧乏なの?」
「なんで油っぽいの?
お風呂に入ってないの?」
と理解されなかった。
「あぶない刑事」に夢中になって、父親のYシャツに自作のホルスターをつけて登校したこともあった。
教師に怒られることを覚悟していたが何もいわれず不思議に思ったが、後で歪んだ背骨を矯正する器具と勘違いされ、気を遣われていたことを知った。


帰国当初は、字幕を読まなくても洋画が観れたが、やがて字幕をみないと理解できなくなっていき、
「2年で完全に忘れてしまった」
その上、日本の勉強はアラスカよりはるかに進んでいてまったくついていけない。
テストでまったく解答できず、苦し紛れに名前の欄に
「マイケル・ジャクソン」
と書いたが、後でみると「ン」と「ソ」を間違えて
「マイケル・ジャクンソ」
になっていた。
勉強では勝てないが、アメリカ仕込みの自己主張が強さを武器に決して負けていなかった。
学級委員を決めるとき、転校して間もないのに挙手。
他に誰も立候補せず、唯一の立候補者だったので
「やらせてもらえる」
と思ったが、推薦という形で
「無理やり」
立候補させられた人間に多数決で負けた。

学級委員長だけでなく、生徒会にも立候補したが落選。
しかし放送委員会には入ることができた。
主な仕事は昼休みと下校時の放送。
昼休みは、その日の献立、そして最後にお決まりのコメント
「残さず食べましょう」
後は昼休みが終わるまでクラシック音楽を流すだけだったが、週1回、学校にまつわるいろいろなランキングを発表していく「学校ランキングベスト5」というコーナーを創設。
ノート片手に自らアンケート調査を行い、集計結果を発表するやり方で、第1回目は、「人気の献立ランキング」で1位は揚げパンだった。
これが教師、生徒共に好評で、2回目は、「昼休み遊びランキング」にした。
これも好評だったが、実は調査をサボって自分で考えた捏造ランキングだったので、罪悪感とバレないかという不安で素直に喜べなかった。
しかし1度、楽を覚えてしまうと面倒になって、その後はずっとランキングを捏造。
疑問に思った人間から本当に調べたのか、誰から集計したのか聞かれると
「誰に聞いたかわかると操作されてしまう」
といって乗り切った。
下校の放送では、
「みなさん、下校の時間がきました」
というコメントと音楽を流すだけだったが、ポエムコーナーを追加。
下校音楽に乗せて
「雨が好き。
涙を隠してくれるから。
雨が好き」
などと自作のポエムを読んだ。

クラスには様々な特技を持つ強者がそろっていた。
Hは、トンボを使ったイリュージョンができた。
トンボを捕まえて口の中に入れ、バババッと羽ばたくのを我慢し、動かなくなってから口を開けるとトンボが飛び出した。
Iは、犬のフンをつかんで投げることができた。
形を崩さないように手のひらにフワッと乗せ、そのまま握らずに遠心力で投げるのだが、驚異的な速度と命中率を誇った。
Kは、「鼻ポン」の王者。
ジャンケンの勝者が敗者のオデコを指で弾く「デコピン」
これが進化させたのが「鼻ピン」で、オデコではなく鼻を指で弾くのだが、痛さが数倍となり、やられると涙腺を刺激されて涙が出るので男子のハートを鷲掴み。
「鼻ポン」は、鼻を人差し指と中指で挟んで思い切り引っこ抜くのだが、やられた側は床を転げ回った。
Kがズバ抜けて強かったのは攻撃力ではなく防御力。
脂性で鼻を挟んだ指が滑り、さらに強く挟まれると毛穴から白い皮脂をニュルっと出すという技も持っていた。
その他にも、チョークを食べる、鼻くそを食べる、ゲップで「あいうえお」などの芸達者な友人に囲まれ、劇団ひとりが編み出したのは「髪の毛抜き」
自分の髪の毛を指でつまんで、そのまま引き抜くという荒技。
1度に数十本は抜く痛み+「将来ハゲになる」という恐怖があったが、
「なのに抜く」
ことに意味があった。
「髪の毛抜き」は大好評だったので、たまたま通りがかった教頭先生にもやってみせたところ、後日、職員室に呼び出され
「なんか悩み事があったら相談してほしい」
といわれた。

一時期、「見たチョップ」が流行った。
「アッ!」
といいながらどこかを指さして、相手がその方向をみると
「見たチョップ♪」
といって後頭部をチョップ。
バカにされるわ、痛いわで大ブレイク。
しかしやがて誰も引っかからなくなり、次に出たのが「見ないチョップ」
「アッ」といって指をさし、相手がみないと額に
「見ないチョップ」
を見舞った。
やられる側からすれば、見れば「見たチョップ」を後頭部に、見ないと「見ないチョップ」をオデコにもらう。
そこで登場したのが「実は見てないチョップ」
「アッ」と指をさされて、そちらをみてしまったとき、「見たチョップ」を食らいながら目をつむり、すかさず
「実は見てないチョップ」
を返すのである。
その後も
「見てないの知ってたチョップ」
「知ってたの知ってたチョップ」
と延々と新技が開発され、最後はただの口喧嘩となり、栄光の「見たチョップ」は廃れていった。


Sは、将来はAV男優というほどのマセガキ。
放課後、一緒に誰もいない教室へいき、それぞれ好きな女の子の席に座って、縦笛を吹いて「間接キス」
さらに座布団に顔をうずめ、なすりつけた。
体操着にも顔をうずめて匂いを嗅ぎ、その後、
「なぜか着た」
そして内また気味で立って恥ずかしそうにSと見つめ合い、次の日、音楽の時間に縦笛を吹く女の子をみてドキドキした。
こうして学校をエンジョイした後、家に帰るとラジコンやファミコンに熱中。
家にパソコンがあったので、パソコン雑誌に載っているプログラムを数時間かけて打ち込み、完成した「天ぷらの揚げる音」を目を閉じて聞いて感動。
その後もずっとパソコンは大好きで、大人になると自分で組み立てたパソコンで毎日欠かさず日記をつけ、起きてから寝るまでずっとパソコンの前にいる事もある。

学校で大便は、
「恥ずかしいを超え、悪の行為」
とされ、男子トイレで大便コーナーのドアが閉まっていれば
「オイッ、だれか入ってるぞ」
と騒ぎになり、人が集まり、上からのぞかれたり、バケツで水をかけられることもあった。
「1回の排便で築き上げてきた地位や名声を、便と一緒に水に流してしまうなど許されない」
劇団ひとりは必ず家を出る前に排便を行った。
それでもときには学校でも催すこともあった。
そうなると選択枝は

・職員用トイレ
・家に帰る

の2つだった。
あるとき催したのは昼休みだった。
職員用トイレも誰かにみられる危険性があるため、念を入れて家へ帰った。
便意を抑えながら、どうにか家に到着。
カギは持っていないのでチャイムを押したが反応がない。
便意に悶えながら何度もチャイム。
居間の窓が開けっ放しになっている可能性が高かったので庭へ。
しかし無情にもカギがかかっていた。
庭でつながれた愛犬、ララがノンキにシッポを振る姿に腹が立った。
1階の窓は全部閉まっていたので2階へ向かうべく、プラスチック製の雨水の排水パイプを登った。
登っていると
「メキッ」
「メシッ」
と嫌な音が鳴り、落ちる恐怖で肛門が閉まり、便意が高まった。
残しもう少しというところで強烈な便意がやってきて、
「もう無理」
と判断。
パイプを放して飛び下り、庭の物陰にダッシュ。
出すものを出せてホッとしていると
「ハッハッ」
と背中から息づかいが聞こえた。
シッシッと追い払ってもララはいうことを聞かず、ブツの匂いを嗅いで口までつけた。
そして嬉しそうに顔をペロペロとナメてきた。

両親は、日本に帰ってきてから学力が低下した小6の息子を進学校である私立中学校へ入れるために塾に入れた。
それは1人の先生がたくさんの生徒を教えるのではなく、パーテーションで区切られた席でマンツーマンで学力に合わせた学習を行うスタイルの塾。
いつも5、6人の先生がいたが、その大半が大学生。
夏の暑い日、出された問題に苦戦しながら取り組んでいるとパーテーションの向こうから先生同士が小声が話すのが聞こえた。
「エッ?うそ!」
驚く声と笑い声がして、それにさらに他の先生が加わり大きな笑い声がした。
(生徒が勉強しているときに私語するなんてプロ意識のかけらもないな
これだから大学生は・・・)
あきれていると、
「ちょっとみてくる」
と1人がいい、生徒のほうに戻ってきた。
そして辺りを見渡してから戻り、
「本当だ!」
という声と笑い声。
「じゃ、次俺が行く」
別の先生が来て辺りを見回した。
全体を見渡してはいるが、自分に向かって強く視線が送られているのに気づき
(見渡すのはカモフラージュで、ターゲットは自分ではないか?)
しかも視線は自分の下の方に向けられているのでみてみると、短パンの横から性器が出ていた。
「どうやったら無意識にそこまで出るかというくらいの丸出し。
横チンなんてかわいいものではなく、横性器。
顔が赤くなるのを通り越して青ざめた」
パーテーションの向こうでは先生たちが大笑いしていた。
恥ずかしさと情けなさでいっぱいになったが、そのままにした。
気づいたことを知られたくなかったので見せ続けた。

中学に入ると教室の後ろに掲示板があって、そこにはアイドルなどのポスターを張ってもよいことになっていた。
何を貼るかは、一応、多数決で決めることになっていたが、実権は女子が握り、月替わりでジャニーズ関連のポスターが貼られていた。
「そんなことが許されていいのか」
と怒った劇団ひとりは大好きな
「南野陽子のポスターを張りたい」
と申し出たが、一笑に付されてしまう。
そこで放課後、誰もいない教室でジャニーズのポスターをはがして南野陽子のポスターを貼った。
翌朝、登校すると掲示板のポスターはジャニーズのアイドルに戻っていて、乱暴に剥がされ放置された南野陽子の顔は悲しげに歪んでいた。
この戦いは続いたが、南野陽子は目に画びょうを刺されたり、マジックで鼻毛を描かれたりした。
学芸会で演劇をやることになったときも南野陽子主演のドラマ、
「スケバン刑事をやりたい」
と提案。
男子からは支持されたが、女子は猛反発し
「桃太郎のような普通のをやりたい」
という。
「そんなお遊戯みたいなことができるか」
男子と女子の意見が真っ向からぶつかった結果、
「スケバン太郎」
をやることになった。
川から流れてきた大きなモモを割ると中から元気なスケバン。
ヨーヨーを武器に鬼ヶ島へ鬼を退治にいく。
劇団ひとりは、主人公の役をやることになり、母親のスカートをはいて、一生懸命、スケバン太郎を演じ、最後はアドリブでスカートをめくり上げてケツをみせ、クラスの女子の刺すような冷たい視線を浴びた。


「自分はハンサム」
「モテる」
と思っていたのでバレンタインデーはウキウキして登校。
下駄箱、机、体操服を入れた袋、ありとあらゆる場所をチェックしたが期待は裏切られ、最後の望み、帰宅後の郵便受にも何も入っていなかった。
「おかしい。
こんなはずはない。
女子が恥ずかしがってるだけだ」
翌日、学校にいくと男子が
「2個」
「3個」
と昨日の収穫を報告し合っていた。
仲の良いメンバー中で「1番モテるのは自分」と思っていたのに、もらっていないのは自分だけだった。
「お前何個だった?」
「エッ?」
「チョコレート何個だった?」
「いや、少なかったよ。
1個だけ」
「あ、そう。
誰から?」
「それはいえないよ」
「誰だよ。
いえよ。
イニシャルだけでも」
「Fだよ」
適当に思いついた文字をいったが、不覚にもクラスにイニシャルがFの女子は1人だけだった。
Fが自分ことが好きだという噂は広まっていき、このままでは本人に耳に入るのも時間の問題。
「そんなことになったらウソだとバレてしまう」
焦った末に
「本当に好きになってもらおう。
真実が知れ渡る前に彼女が本当に僕のことを好きになってくれたら、嘘が真実になる」
と決意。
それからというものいつもFをみつめ、掃除当番のときはFの机の周りを徹底的にキレイにし、バスケをやればFだけにパス。
そうやってFを好きにさせるつもりだったが、そんなことをしているうちに不覚にもFのことを好きになってしまい、寝ても覚めてもFのことを想い続けるようになった。
「策士が策と愛に溺れた」

Fへの愛は、ある意味、不純だったが、Hのことは小学校のときから何年間も好きだった。
Hの誕生日に
「何かプレゼントしよう」
とオルゴールを買って、体育館の脇の渡り廊下で渡すシミュレーションを何度もして登校。
しかし渡すどころか話しかけることさえできず家に持って帰ってきてしまい、自分の部屋でため息をついて頭を抱えた。
しかし
「このままではいけない」
と一念発起。
外に飛び出し、彼女の家に向かった。
インターホンを押し、顔を出したHにオルゴールを渡して
「誕生日おめでとう」
というイメージはできていたが、実際に家の前に来るとなかなか実行できない。
結局、インターホンを押して逃げることにした。
もちろんそれだけではただのピンポンダッシュなので、オルゴールを置いて。
しかもただ置くのではなく、オルゴールを鳴らして。
オルゴールのネジを巻くと丸い円盤の上のピエロたちがメロディに合わせて回り始め、それを玄関にソッと置き、インターホンを押し、ダッシュ。
「完璧だ」
そう思ったのも束の間。
すぐに問題に気がついた。
考えてみれば絶対にHが出てくるとは限らず、他の家族がオルゴールを見つけるかもしれない。
直接渡すつもりだったので、手紙や送り主がわかるようなものはなにも置いてこなかった。
結局、ピエロのオルゴールが誰にどのような形で届いたか、未だわかっていない。
「つまりインタホンが鳴って扉を開けると玄関に差出人不明のピエロのルゴールが鳴っているということだ。
なんて不気味なのか、もはや殺人予告である」

それでもHが好きで、でも告白する勇気がないので数日かけて似顔絵を描いた。
それをカバンに入れて登校。
クラスメイトの男子が勝手にカバンを開けて似顔絵を発見するのを待った。
「川島、Hのことが好きなんだ」
「アッ、コラ。
よせよ。
返せよ」
騒ぐ2人をみて、自分の想いを知ったHに
「まあ、そういうこと。
ずっと好きだったんだ」
と告白する。
とイメージしていたが、誰も似顔絵を見つけてくれない。
少しカバンを開け気味に放置したが、それでも誰も気づいてくれなかった。

悶々とHを想いながら過ごしていたある日、とんでもないことが起こった。
なんとHから手紙が届いたのである。
「好きです。
つき合ってください。
返事を聞きたいので放課後に教室で待っています」
好きになって3年以上、手紙を持つ手がプルプルと震え、目頭が熱くなった。
しかし放課後、教室には行けなかった。
「ずっとずっと好きで、あまりに好きになってしまったため、Hが自分を好きということが受け入れられなかった。
まして付き合うなんて想像を絶していた」
そして家に帰ると
「何をしているんだ、俺は」
と枕を濡らした。

その後も相変わらずHが好きで、自分を責め、後悔し続けた。
そして中2のバレンタインデーに再びHに呼び出された。
「よかったら放課後、体育館の裏に来てもらえる?」
それはずっと求め続けていたシーンだった。
(もう2度と過ちは繰り返さない)
と思いながら、Hを真っ直ぐに見つめ
「わかった。
放課後だね」
と力強く答えた。
放課後までの間、Hのところにいって抱きしめてしまいそうな衝動と抑え、
「あのときはごめん。
もう1度チャンスくれてサンキューね。
俺もずっと君が好きだった」
とシミュレーションを繰り返してニヤけそうになるの堪えた。
そして放課後、体育館へ。
すると優しい笑顔のHがいた。
しかし横にもう1人、女子がいた。
話したことはないが身長が170㎝くらいあるので知っていた。
その女の子が照れくさそうに下を向き、チョコレートらしきものを持っている。
(ウソだろ)
と思ったとき
「この子が君のこと好きなんだって」
とHにいわれ、その隣からチョコを差し出された。
「ありがとう」
それを受け取ると逃げるようにその場を去った。
こうして4年間の恋は終わった。

マンガ「六三四の剣」を読んで剣道部に入部。
入部初日、初めて握った竹刀を「六三四の剣」の主人公、夏木 六三四のように上段に構え、その必殺技「マシンガン突き」をマネて怒涛の連続突きを放った。
すると中学で突きは反則であると注意された上、構えを基本の中段に矯正され、ガッカリ。
何より気にくわなかったのが、防具は貸してもらえたが、下に着る剣道着は自前のため、体操服の上に防具をつけて、その格好の悪さがイヤで次の日、練習を休んだ。
そして剣道着を買ってもらうと剣道場の鏡の中の自分のウットリ。
しばらくすると先輩たちのMy道具が気になりだした。
面、籠手、胴、垂のメーカーや刺繍、色などが1人1人異なり、こだわりを感じた。
自分もどうしても欲しくなり、
「貸し出しのものは不衛生だから体中に蕁麻疹が出る」
といって買ってもらった。
すべての装備がそろい、見た目は立派な剣士となったが、2ヵ月後に退部した。

しばらくすると「はじめの一歩」の影響でボクシングジムへ。
印刷工場の2階にある小さなジムは、教室くらいの広さで、半分を小さめのリングが占めていた。
白髪交じりの角刈りに色眼鏡、ダミ声の会長が1人だけいて、初日は、ひたすら縄跳び。
ボクシングの試合は1ラウンド3分とインターバル1分が繰り返される。
ジムでも、3分、1分、3分、1分・・・と試合と同じリズムで延々とゴングが鳴っていて、、それに合わせて3分跳んで、1分休むの繰り返した。
それは会長が
「ヨシッ」
というまで続けなければならない。
途中、
「会長、俺が跳んでるのを忘れてんじゃないか?」
と思い、
「アー」
と声を出したが会長は反応ナシ。
10ラウンドを跳んだ後、やっと
「ヨシッ」
が出た。
最初の1週間はひたすら縄跳び。
2週目から、構えとジャブを教わった。
脇をしめて構え、前にステップして、左拳を目の高さから一直線に打って、倍の速さで元の位置に引き戻して、後ろへステップ。
鏡に向かって、この動きを「ヨシッ」といわれるまで繰り返さなければならないが、すぐに肩が痛くなってきて、会長がこちらを見ているときだけパンチを打つという作戦で乗り切った。
少しずつ他のパンチも教えてもらった後、シャドーボクシング。
シャドーの次はスパーリングになるはずだが、半年経っても、その指示が出ない。
痺れを切らして、そのことを会長に聞くと
「中学生のうちは危ないからスパーリングはやらせない」
「じゃ、まだ1年以上もずっとシャドーだけですか?」
「そうだよ」
この日を最後にジムへ行かなくなった。


ボクシングをやめた後、柔道部の顧問に
「試合に出てみないか?」
と誘われた。
顧問からしてみれば部員が少なかったため補充のつもりだったが、柔道マンガ「YAWARA!」も好きだったので受けた。
しかし放課後、参加した練習があまりにハードだったので、以後、拒否。
1日だけの練習で試合日を迎え、早朝から時間をかけてリーゼントをつくり上げた。
大きな試合会場は坊主頭ばかりで、1人だけ立派なヘアスタイルをしていたため、自分の出番になると試合場に来人が集まってきた。
それをみて
「ちゃんと練習しておけばよかった」
と後悔。
試合場に入るとき極度の緊張で体が震えた。
強そうな相手で強そうで、
「正々堂々やって負けるのが恥ずかしかった」
のでアゴを突き出して
「来い、コノヤロー」
アントニオ猪木のモノマネ。
失笑さえ起きない空気の中、アントニオ猪木をやり続けてチョップを繰り出し、反則負けした。

学校が終わると急いで帰り、15時から始まるサスペンスドラマの再放送を観ていた。
そして見応えのある濡れ場をビデオに録るのが日課。
タイマー予約はできるが、録画した後に編集することはできないんでリアルタイムで録画ボタンを押す。
そうやってお宝を録りためていった。
濡れ場はいつくるかわからないので画面から目を離せない。
濡れ場が来てから録画ボタンを押したのでは大事な部分が録れない可能性があるので、常に予測しながらみないといけならない。
濡れ場と思いきや、ベッドの横から犯人が出てきてお目当ての女優さんが殺されるシーンを録ってしまったり、濡れ場は必ずあるとは限らず、ずっとスタンバイしながら空振りに終わることもあった。
1年間、録りためた映像は10分程度。
友人から借りて初めてAVを観たとき、自分のやってきたことがどれだけ無意味だったか痛感し、サスペンスドラマは卒業となった。

スポーツだけでなく、「ビーバップハイスクール」や「ろくでなしブルース」などの不良マンガにも影響され、短ラン、ボンタンなど変形学生服に憧れた。
しかし制服がブレザーだったので、変形したものは販売されておらず、そこで針と糸を使って自分の制服を縫い始めた。
裾を部分を細くしようとしたがやり方がわからず、家庭科の教科書で必死に調べ、何度も針で指を刺しながら、失敗とやり直しを繰り返し、徐々の上達。
不良っぽくなればなるほど裁縫上手になっていった。
ある朝、学校に行くと顔に絆創膏を張った友人を発見。
話を聞くと昨夜、同じ塾に通う他校の同級生とケンカしたという。
1対1なら問題なかったが、友人1人に対し相手は大勢だったと聞いて怒りがこみ上げ
「敵を討とう」
仲間も合意したが、不良風の5人では太刀打ちできないと判断し、急遽、徴兵することにした。
「部活やってる生徒は全員」
と号令をかけると100人以上集まって、本物の部隊になってしまい、陸上や水泳など戦闘に不向きな部を外し、30名に絞った。
メンバーが決まり、不良マンガなら、イザッ!出陣となるが、部活動をやっているメンバーに支障がないように数日後、部活が休みの土曜日の午後に出陣することにした。
もちろんそれまで計画は口外禁止だったが、モテたくて仕方ない男どもが黙っていられるはずがなく
「こわくないっていったらウソだけど、やっぱりオレにとって大事な友人だからな」
複数のメンバーがあちこちでそんな会話をした結果、両校の教師にバレて敵討ちは中止。
「誰がいったんだよ!」
メンバーの1人が悔しそうにいう中、劇団ひとりを含む大勢が
(俺だ)
と思った。


根本的に大事なのは
「カッコいいかカッコ悪いか」
ある日の授業中、校庭から大きな音がして、先生を含めて全員が窓際へ。
鉄の校門をなぎ倒し、1台に車が校庭に侵入していた。
誰もが事故だと思ったが、車のドアが開いて、数名の男が飛び出し、学校へ向かってきた。
生徒が騒ぐ中、教師は職員室へ。
しばらくすると騒がしい声が聞こえてきて、いってみると車から降りてきた男たちが1人の生徒を袋叩きにしていた。
男たちは大人や高校生で、標的となった中学生はなす術もなくやられていた。
恐怖心で体が硬直したが、女子の叫び声を聞いた途端
(ここで出ていったらカッコいい)
体は自然に突進。
すぐに腹を蹴られ、床にうずくまり、立とうと思えば立てたが、気絶したフリをした。
助けたりやっつけるのではなく、カッコつけることが目的で
「1人で立ち向かったことでそれは十分に果たされた」
しばらくすると教師がかけつけ、男たちが逃げていくとゆっくりを瞼を開け、不思議そうに周りを見渡し
「そうか、俺、やられちまったんだな」


中3になると周囲はみんな最後の試合、夏の総合体育大会に向けて汗を輝かせて練習に取り組んでいた。
柔道部以降、運動から遠ざかり、寂しさと嫉妬を感じていたとき、バスケットボール部が人数が足りずに体育大会に出られないという情報をキャッチ。
バスケ経験はまったくなかったが、マンガ「スラムダンク」も好きだったので職員室のバスケットボール部の顧問を訪ねた。
「先生、人数が足りなくて困ってるんでしょ?」
「そうなんだよね」
「俺、入ろうかな」
「えっ本当に?」
「ただ1つお願いがあるんだ」
「なに?」
「キャプテンやりたい」
うれしそうだった顧問の顔が曇る。
「えッ?」
「いやだからキャプテンをやりたいんだ」
「いや、いくらなんでもそれは」
「ではこの話はなかったことに」
4人しかいなかったバスケットボール部は、新キャプテンを迎え、始動。
数ヵ月の準備期間を経て試合に出場。
しかしドリブルさえまともにできない素人キャプテンが率いるチームが勝てるはずもなく、あっさり1回戦負け。
ロッカールームで着替えているとき、みんな泣き始めたので、本当はそこまで悲しくなかったが、
「泣かなきゃ青春に置いてけぼりにされそうな気がして」
無理やり涙を流した。
そして顧問の総括があった。
「鈴木は誰よりも努力していた。
田中は背が小さいのに頑張った。
竹田は、チームのムードメーカーだった。
・・・・」
そして最後に
「えっと川島は・・・・声が出てたかな」

修学旅行の出発日、父親のT字カミソリで眉毛を細くしようとした。
最初の一剃りで右の眉毛の1/3を失ってしまい、バランスをとるために左眉毛をあわてて剃ったが、少し多く剃りすぎて、再び右眉毛へ。
繰り返した結果、眉毛は半分に。
泣きそうになりながら、だけど休むわけにはいかず、下を向きながら登校。
案の定、平安時代の貴族かとバカにされ、不良マンガの主人公のようになるはずがナメられすぎのお笑いキャラに。
休憩のためにバスがパーキングエリアに入ったとき、下を向きながらトイレへ向かう途中、サングラスが売ってあるのを発見。
眉毛を隠し、不良アピールもできるというスーパーアイテムを即購入。
帰り道、他校の修学旅行バスを通りがかったとき、リーゼント、茶髪を決め、眉毛もキレイに剃ったホンモノの不良たちがいて
「おい、見ろよ。
なんだアイツ。
バカがいるぞ」
「キミ、カッコいいね。
ダハハツ」
「どこで売ってんだよ、それ」
バスから身を乗り出して挑発された。
悔しさと恥ずかしさで顔が真っ赤になったが、立ち向かうことなどせず、かなり無理のある距離だったが聞こえてないフリ。
幸いサングラスは、剃りすぎた眉毛だけでなく潤んだ瞳も隠してくれた。

高校は

・家に近い
・制服が学ラン

という理由で工業高校を選んだ。
中学3年間をブレザーで過ごし、やっと変形学生服が着れると思ったが、実際に入学してみると校則が厳しく、毎朝、校門で教師がいて服装検査に引っかかると校舎に入れないどころか、高価な変形学生服は没収されて卒業式まで返してもらえないというルールがあった。
それでも変形学生服を着たい生徒たちは、数人の真ん中に匿ってもらったり、学校近くの公衆トイレで標準の制服に着替えたりして、なんとか服装検査をくぐり抜けけようとした。
彼らにとって茶髪も制服と同様、絶対に譲れないポイントで、一部分だけ染めて教師の前では隠したり、学校の手前で黒いスプレーをかけたり、
「おじいちゃんがアメリカ人なんです」
とウソをついて通過する者もいた。
中学校では違反しても叱られるだけだが高校では停学や退学という処分があるため、劇団ひとりは学校指定の標準服を着て
「これじゃ何のために、この高校に入ったんだ!」
と憤った。

入学直後、体育の授業で柔道をやることになった。
共学とは名ばかり、全校で女子生徒数名という実質、男の世界で自分の力を誇示すべく授業とは思えない熱戦をくり広げた。
そして男ばかりの学校に通いながら「合コン」を初体験した。
他校の女子と合コンが決まると1ヵ月前から服を買ったり、髪を脱色したり、ホテルに連れ込む話を童貞同士でして盛り上がった。
待ちに待った当日、JR千葉駅で待ち合わせをした女子メンバーに会うと、全員、一気に緊張。
放心状態のメンバーもいた。
カラオケ店まで女子と50mほど距離をとって移動。
店に着くと男女交互ではなく、完全に男子チーム、女子チームにわかれて着席し、まず自己紹介をすることになったが、ただ名前を言い合うだけ。
カラオケが始まっても葬式のような空気が漂った。
やがて男たちは勝負を捨て、男だけで盛り上がり、歌い続けた。
こうして初合コンは終わったが、ファーストキスは高1、場所は花火大会、相手は他校の女の子だった。


あるとき、言葉遣いで教師に叱られた劇団ひとりは、その日のうちに学校をやめた。
1年弱で退学した息子に両親は
「辞めるのは自由だけど高校ぐらいは卒業しろ」
といって各高校の次年度の入学パンフレットを渡した。
その中で服装自由、バイク通学OKというのが気に入って夜間高校に入った。
1時限目は、17時20分開始。
それが終わると食堂に行って給食。
すべての授業が終わるのは、21時過ぎ。
全日制に比べ、夜間は年齢層は幅広く、50代の女子高生もいた。
一見自由で楽しそうだが、様々な理由で続けることは難しく、卒業するのは入学した人数の半分程度。
机やイスは全日制の生徒と共用だった。
ある日、机に
「目玉のおやじの体部分をナイスバディにした目玉のネエさん」
の絵を落書きすると、翌日、
「なにこれ!かわいい!」
というメッセージが書かれてあり、字から女子であることは明白だった。
ラブコメのようなシチュエーションに胸がキュンとして、それから毎日、落書き。
絵を描いたり、クイズやなぞなぞを出していたが、ある日
「今度は君から問題出してよ」
とメッセージを書くと、翌日、
「2x>yのとき3(2x-3y)>4(-2y)を証明・・・」
と問題が書かれてあって、
「答えられるわけがない」
恋は終わった。

ある日、「ごっつええ感じ」が終わった後、フジテレビから日本テレビにチャンネルを替えると「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で高校生がネタを競い合う「お笑い甲子園」の出場者募集の告知が流れた。
10秒くらいの映像だったが、面白半分で友人とハガキを出した。
するとテレビ局から連絡があってオーディションを受けることになり、友人と一緒に向かった。
「最近は熟女ヌードが流行ってるね」
「あんなババアが脱いで気持ち悪ぃな」
という悪口から
「俺も有名人になりたいな」
「どんな人になりたい?」
「やっぱりC.C.ガールズかな」
「おい、俺がいってるのはなりたいだよ。
それは「やりたい」だろ」
という下ネタまで、生まれて初めてつくった1分程度のネタを披露し、合格。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でテレビ初出演。
「お笑い甲子園」に「バーテックス」をいうコンビ名で出場し、関東代表に選ばれた。
「お笑い、本気でやるなら紹介するよ」
といわれ、太田プロダクションに入った。
しかし相方は
「トラックの運転手をやりたい」
といったため、「バーテックス」は解散。
別の友人を誘って新しく「スープレックス」というコンビを組み、千葉県の実家から新宿区四谷にある「泣く子も黙る太田プロ」まで片道1時間かけて通った。

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