岸部四郎のプロフィール
まずは岸部四郎さんのプロフィールからご紹介します。
本名:岸部四郎(きしべしろう)
生年月日:1949年6月7日
出身地:京都府京都市
身長:187センチ
著名な家族:岸部一徳(きしべいっとく)
デビューのきっかけ:タイガースのデビュー後しばらくアドバイザーを務めていましたが、アメリカへの留学を経て、1969年の加橋かつみさんの脱退によって、新メンバーとなりました。
司会を担当したステージで軽快なトークを披露したため、好評を得ます。
そして単独でのTV出演も果たし、人気を博しました。
1970年(昭和45年)には実兄岸部一徳さんとのユニット「サリー&シロー」名義でもアルバムを発表しています。
1971年にザ・タイガースが解散した後も人気は衰えず、兄弟デュオのブレッド&バターに合流した後、当時所属していた渡辺プロ(現:ワタナベエンターテインメント)のザ・ピーナッツや天地真理さんなどのステージで司会をしています。
また青春ドラマ等で俳優としても活動を続け、映画「虹を渡って」などにも出演しました。
そして1978年にはテレビドラマ「西遊記」に沙悟浄役で出演します。
持ち前のトーク力を活かし、1984年(昭和59年)10月から、沢田亜矢子さんの後任として『ルックルックこんにちは』(日本テレビ系列)の司会を、降板する1998年4月までおよそ13年半に渡って務めました。
それまで岸部シローを名義で活動していましたが、1994年(平成6年)渡辺プロダクションから独立を機に本名の「四郎」に改名しています。
借金と自己破産
岸部四郎「借金5億円降板」逃げるように番組スタジオから去っていき…/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 | アサ芸プラス
『ルックルックこんにちは』でお茶の間の人気を得た岸部四郎さんですが、突然『ルックルックこんにちは』を降板します。
そしてスタッフに挨拶もせずに、逃げるようにスタジオを去り、大騒動に発展しました。
なぜ岸部四郎さんがそんな辞め方をしたかというと、その理由はなんと5億円を超える借金だったのです。
人が良く連帯保証人になったり、自身も浪費癖があったこと、そして事業欲から無謀な挑戦をしたことなどから、多額の負債を抱えるまでになってしまいました。
(3ページ目)「月200万円のギャラが1円も残らない」…“71歳で他界”岸部四郎のあまりに壮絶な“借金地獄” | 文春オンライン
自己破産を決意した翌日に、『ルックルックこんにちは』を降板しています。
自己破産で借金地獄を逃れた岸部四郎さんは、バラエティー番組などに出演し自虐コメントで笑いを取っていました。
2001年以降はドラマや映画などにも出演するなど、好調に見えましたが2007年には再婚した43歳の奥様が亡くなるなど、不幸にも見舞われています。
2003年には自身も脳内出血で倒れ、後遺症で視野狭窄を患いました。
右目の視野が3分の1しかないこともblogで告白しています。
2009年には、体の自由がきかなくなって入院。
2012年2月に骨折して入院して以降は、老人ホームで生活し、事実上の引退状態になっていました。
辛い晩年を送った岸部四郎さんでしたが、ザ・タイガースとして2013年(平成25年)12月27日、ザ・タイガースライブツアー最終日の東京ドーム公演に再び車椅子姿で登場しています。
他のタイガースメンバーが見守る中で『イエスタデイ』を歌いました。
2014年(平成26年)11月21日、新橋ヤクルトホールで行われた「森本太郎とスーパースター再結成15周年コンサート」に、兄の岸部一徳さん、甥の大輔さんと共にゲスト出演しています。
そしてこれが公の場で見せた最後の姿となってしまいました。
2020年(令和2年)8月28日、拡張型心筋症による急性心不全のため逝去しました。
享年71歳。
ザ・タイガースでの活躍は、岸部四郎さんに若い日の良き思い出として残り続けたのでしょう。
色々なことがありましたが、愛される人柄だったことが偲ばれます。
波乱万丈な人生を送った、岸部四郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。