サーカス
子供のころに耳にしたサーカスといえば「木下大サーカス」「キグレサーカス」「ボリショイ・サーカス」などでしたでしょうか。
「ボリショイ・サーカス」については日本の興行会社がソ連のさまざまなサーカス団を呼び「ボリショイ・サーカス」という共通呼称で呼んだものだそうですから団体名ではありませんでした。
よく「サーカス団の子供たちは学校どうしてるんだろ?」とか不思議に思ったもんです。
サーカスの起源は古代
なんと古代より存在する「サーカス」
近代サーカスの歴史
動物芸、人間の曲芸に加えて「道化芸(ピエロ)」が誕生
ピエロは近代サーカスから登場
日本でのサーカスの歴史
日本にはじめてサーカスが訪れたのは1864年、「アメリカ・リズリー・サーカス」による横浜での興行。
それまで日本でも見世物は存在しましたが、それぞれ芸種別に一座を組んで個々に興行を行うというスタイルが一般的で様々な演目を一度に見せるというサーカスは大きな反響を呼びました。
1886年、イタリアのチャリネ一座が来日。この公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を上演しています。
1899年「日本チャリネ一座」が国内では最初のサーカス
1930年代から1960年代までは20~30団体があったがその後激減、1995年には国際サーカス、1996年には矢野サーカスが活動を休止しました。
木下大サーカス、キグレサーカス、カキヌマ大サーカスの3団体を残すのみとなりましたが、1996年12月にポップサーカスが旗揚げし、キグレNewサーカス・木下大サーカス・ポップサーカスが日本三大サーカスとされることとなりました。
キグレNewサーカス
木下大サーカス
ポップサーカス
1992年、テレビ局のタイアップでシルク・ドゥ・ソレイユが来日。再びサーカスブームが訪れます。
シルク・ドゥ・ソレイユ
2001年、NPO法人国際サーカス村協会が運営する4年制の沢入国際サーカス学校が日本唯一のサーカス学校として創立。
2010年、日本三大サーカスのひとつとされていたキグレNewサーカスが、10月19日付で事業を停止したと発表。