家庭用型ゲーム機
初期の日本市場では、日本国内外の玩具メーカーや電機メーカーが各社各様のゲームマシンを発売していた。日本初の家庭用テレビゲーム機という意味では1975年にエポック社からテレビテニスという二人プレイのポンテニスゲームが発売されている。
また後に市場を席巻することになる任天堂は1977年に発売したカラーテレビゲーム15で参入している。しかしこれらはソフトウエアを交換できない機種であり、その後のハードウエア・ソフトウエア分離の販売競争とは異なるものだった。
1980年前後
アタリVCS
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カセットビジョン
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1983年
ファミリーコンピュータ
この時点の比較記事では各社のハードにもそれなりの競争力は指摘されていたが、突出したハードウエア性能と個々のソフトの評価に優れる任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が群を抜く高い評価を受けていた。
後に3大ハードメーカーに名を連ねるセガもこのときSG-1000でコンシューマ市場に参入しているが、アーケードでは当時すでに30年以上の実績があり、同誌ではそのゲーム作りのセンスが評価されていた。
エポック社は当時すでにカセットビジョンの市場を持っていたが性能的には1970年代並みの時代遅れのもので、ファミコンとの直接的な競合は避けて機能を削減した廉価機カセットビジョンJr.を5000円という破格の低価格で発売した。
当時普及していた電子ゲーム程度の価格でテレビゲームが買えたことから家庭用テレビゲームの普及に繋がる入門機として注目され、一時はファミコンと共に「2大テレビゲーム」と称されることもあった。
しかし翌年には後継機が登場したこともあり、商品展開期間という意味では短命に終わった。
引用:wikipedia
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1980年代中期
スーパーカセットビジョン
セガ・マークIII
ディスクシステム
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CD-ROM2
スーパーファミコン
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PCエンジンDuo
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1990年代中期
プレイステーション
セガサターン
PSとSSは共に32bitCPUでCD-ROMドライブを持っていたが、PSは3Dに特化したハード構成で、SSは2D性能に秀でていた。
PSはこの大容量と3D性能の高さを併せ持っていたことが評価され、『鉄拳』、『バイオハザード』などのヒット作が続々とリリースされた。1996年にスクウェア(当時)がFFシリーズ初の3DRPGである『ファイナルファンタジーVII』 (FFVII) をPlayStation用ソフトとして発売することを発表すると販売台数が飛躍的に伸びていき、セガサターンに大差をつけた。
SFCのカセットが当時10,000円前後と高価格化していた中、PSはソフトの価格を平均6,000円で発売していたことも支持された。メディアにCD-ROMを採用したことでROMカートリッジに比べてソフトの価格を大きく下げることに成功した。
従来の初心会中心の任天堂主導のゲーム流通にも斬り込んで流通改革も試み、任天堂流通に不満を持ちコンビニエンスストアでゲーム流通を行うためデジキューブを設立したスクウェアの取り込みにも繋がった。
セガも同様に任天堂流通に不満を持っており、SS発売の際に独自の流通体制を整備することでSSを扱う小売店の数を拡大させたが、親会社のCD-ROM生産設備を利用できたSCEと異なり、CD-ROMの特性を生かした柔軟な生産調整を行うことはできなかった。
1997年からセガはSCEの流通改革を模倣して小売店への直販化・直送化を推し進めていった。一方、スクウェア以外の有力ソフトメーカー各社もこの時代にゲームソフトの自主流通を行い始め、任天堂をはじめとして流通機構における各プラットフォームホルダーの支配力を削いでいった。
引用:wikipedia
PSで最も衝撃的だったゲームは、バイオハザードだった | Middle Edge(ミドルエッジ)
NINTENDO64
ビジネスモデル(以下、wikipediaより引用)
ハードウェアが一定数以上普及すると、その販売機会の大きさに期待したサードパーティーの参入が促進される。これによって、消費者にとってはソフトの選択肢が増えることになる。
その結果、ハードウェアを新規購入する消費者はより普及したハードウェアを選択するようになる。一度この好循環が形成されると、市場が飽和し衰退するまでこのサイクルは続く。逆に普及率で劣ったハードはこれと丁度逆のパターンで、負のスパイラルに突入することになる。
シェアを獲得できないとハードウェアの赤字に耐えきれず、初期投資を償却するまでにベンダーの事業が自壊してしまう。なぜこのようなリスクの大きい賭けに出るかというと、市場に支配的なシェアを獲得できたときのリターンも大きいからである。
ハードウェアベンダーは新製品の発売に際し、将来的なライセンス収入を考慮して収益性の見込みを立てる。例えばライセンス料をソフト1本につき1000円とし、ユーザーが平均6本以上ソフトを購入すると仮定すれば、5000円の原価割れで本体を製造販売しても最終的には利益が出ることになる。
もっと俗な表現を使えば、初期投資の採算分岐点を一度越えれば、それ以降はサードパーティーがソフトを製造する度に自動的に利益が入るようになる。この水準まで達するとハードウェア本体のコストダウンや更なる拡販にさらに潤沢な予算を投下できるようになるため、自身の市場が飽和しきって衰退するまで市場での優位性が絶対のものとなる。
ゆえに、各社は初年度の市場拡大を最優先する。つまりハードウェアの原価を極限まで安く、あるいは大幅に原価割れした価格に設定する。この原価には広告宣伝費なども含むが、実際は発売後1 - 2年程度はハードウェアそのものも原価割れしていることが多い。逆に初期投資の減価償却水準までハードウェアが普及しなかった場合は、事業を閉鎖するまでの間は莫大な赤字を垂れ流し続けるということであり、加速度的な勢いで負債を抱え込むことになる。
"まず損してでも市場に地歩を築いて、あとから得を取る"という手法そのものは、高度経済成長期に日本国外に進出した日本企業がよく選んだ戦略である。また上位あるいは主力機種を売るために、それらと同じものを意図的にチープな仕様に改変し、下位機種として原価割れで売ることはあった。
ゲームエンジンを用いた開発が普及していると言うこともあり、パブリッシャーでは同一タイトルを複数のゲーム機向けにリリースするというマルチプラットフォーム戦略が浸透している。
ここでは指摘されているゲーム機の競争を左右する要素を挙げる。
キラータイトル
人気ソフトの有無がシェア競争に及ぼす。ドラゴンクエストシリーズ(以下DQ)とファイナルファンタジーシリーズ(以下FF)は新作が発表されるごとに注目を浴びる。
2006年末には『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』が携帯機のニンテンドーDSで発売するとの発表がなされ、一般ニュースや新聞でも報じられるなど大きな話題となった。
手軽さを売りにするDQは、その時点で最も売れているハードに主軸を据えることが多い。メインであるナンバリングタイトルはFC→SFC→PS→PS2→DS→Wiiと歴代のトップシェア機を渡り歩き、スピンオフ作品も携帯型ゲーム機のトップだった任天堂の機種が主である。
対してFFは『VII』以降、SCEの機種(PSP登場前の携帯機はワンダースワンに注力)に主軸を置きつつある。任天堂の作品ではマリオシリーズ、ポケットモンスター、どうぶつの森シリーズなど、売上ランキングの大半を占めていることも多い。
垂直立上げ
他機種よりも早く販売し普及できたゲーム機はネットワーク外部性の面で有利となる。一定の市場が形成されたハードにはサードパーティーも参入しやすくなるためである。
発売1ヶ月で100万台を売り上げたPS2やWiiがその成功例として挙げられる。一方、発売日が対抗機より大きく遅れたN64やGC、発売は先行したものの生産面の問題で垂直立ち上げに失敗したドリームキャスト、同じく発売は先行したものの出荷台数(生産数)が確保できなかったPS3は失敗例と見なされる。
性能・価格
キラータイトルや操作性、付加価値、経済性を売りにシェアを伸ばした。
このように多くのユーザーはハードの性能よりも、発売されるソフトやゲーム機が持つ付加価値によってハードを選ぶ。この考え方を徹底しスペックよりも操作性に注力した任天堂「Wii」「DS」の成功がブルー・オーシャン戦略として評価されたことがあるが、一方で両機は性能を重視したライバル機「PSP」「PS3」より商品としての陳腐化が早く、次世代機に世代交代する前に単年のシェアでは追い上げあるいは逆転を許したことには注意が必要である。
家庭用ゲーム機には、手頃な販売価格が求められる。過去のトップシェア機のロンチ時の販売価格はそれぞれCV=12,000円(AC別)、FC=14,800円、SFC=25,000円(AC別)、PS=39,800円、PS2=39,800円、GB=12,800円、GBA=9,800円、DS=15,000円、Wii=25,000円となっている。
PS・PS2の高価格が目立つが、両ハードは断続的に値下げを行い、同時期のライバル機種に比べて価格面でも互角か優位に立っていた。過去にも高性能を売りにする4万円から5万円を超える高額なハードも発売されたが、いずれも広く普及するには至らず、短命で終わっている。PS3や3DSの高価格に懸念が集まり、前者は発売前に、後者は発売から半年も経たないうちに大幅な値下げを余儀なくされた。
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